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いくつもの傷口に唇をおしあてて

まず企画の概要から。

この芝居は10分前後の二人芝居の短編を、6本で1時間、これを1500円の入場料で見せようというものです。

それで、全部で10ステ−ジあるんだけど、10ステ−ジ全て内容が異なる。つまり10ステ−ジかける6、計60本の2人芝居を一週間かけて上演してしまおうという企画なんです。

それで、デジタルカメラを買ったんですね。ソニーのVX1000っていう民間機では一番性能がいいやつなんですけど、MXTVとかはこれで撮っているような、まあ、いい機種ですね。
メチャメチャ高くて、まだローン、払ってますけど、それを買いまして、6月にやった『デビルマン−不動を待ちながら−』という芝居で、180万の黒字が出たんで、その半分の90万を使って、劇団で映像作品を作ろうという事を、考えたんです。
 
 で、試しに10分程度の二人芝居みたいなものを撮ろうという事で、少し試作して見たんですね。

 それで、その短編も全て話がつながっていて全ての登場人物が、同じ一つの世界で生きているのがわかる、という作品を作りたかったんですね。

 実際、作業をはじめてみたら、これが、びっくりするくらいにサクサク話が出きていくんですね。

 本当に、みるみるうちに何本も出来て、それぞれある種のクォリティも持っているんです。
 それで、連作二人芝居でやれる事ってまだまだあるんじゃないかって思ったんです。しかも、どうして、一人芝居で36本も作っておきながら、二人芝居の連作を考えつかなかったんだろうって、我ながら飽きれたんです。
 
 もっと早くにやればよかったのにと。それで、次の12月の本公演は、この連作二人芝居で行く事にしたんですけど、最初は試行錯誤の連続で、それは、どういうレベルのドラマを我々は作りたいのか。

 そして、それはどういうタイプの芝居によって表現されるものなのか、というライン決め。
 まあ、世界観の設定という言い方でもいいんですけど…にやはり時間がかかりました。
  
 当然それは、話し合っててもしょうがなくて、次々作っていく中で、何が良くて、何が駄目というのを決めていかなきゃならないんですね。

 それで、いっぱいとにかく、二人芝居を大量に作ろうというのは最初からあったんです。

 それはいい二人芝居を1本か2本作ってもしょうがないですから、とにかく、良い物を大量に作る、という、いつもの私の方針ですね。

 でも、いっぱい作るといっても、いっぱいはどれくらいがいっぱいなんだろうと考えたんですね。

 公演する場所が中野のあくとれという所なんで、2時間の芝居はやりたくないなと思ってたんです。

 あくとれでやるなら、1時間物にしようと。

 二人芝居に決定する前は、劇団の男だけが出る1時間芝居、女だけが出る1時間芝居の2本立てを考えてたんです。

 話はまったく違うものでね。その時ついていた仮題は『杏仁豆腐の作り方』というタイトルだけだったんですけど、まあ、もうすでにどっかに行っちゃったタイトルですね。

 二人芝居、6本で1時間というのは、ここから来てるんですね。

 でも、二人芝居、6本で1時間なんて、あっという間にできるだろうと。
 だったら、どういうスタイルなら、我々にとって、越えられるギリギリの高いバーになるだろうかと考えたんです。
 で、連作の二人芝居だから、30本作って、それを組み替えて上演する事によって、毎回違う話というものが可能になって来るんですね。
 たぶんそれは見た回によって、組み合わせ方が違えば、見た印象も違うという事もできるだろうと。

 ただ、10本の二人芝居を30本作るっていうのも、まだ射程距離内というか、結果の想像はつくんです。
 
 自分達にとって、ギリギリラインはどこだろうって、考えた時に、1時間物を10ステージやらなければならないのなら、じゃあ全部、新作という事で、単純に1時間6本、10ステで60本という数字が出てきたわけです。

 トータル10時間の二人芝居を作るぞと、まあ、劇団員を集めて、宣言したわけです。

 60本作るとは言ったものの、自信なんか全然ないわけです、その時は。

 10時間の芝居と言うと、普通の2時間物、5本分ですよ。
 
 普通の劇団だったら、2時間物5本作るのに、だいたい2年から3年はかかりますからね。
 それを我々は、3ケ月弱でやろうとしているわけです。大変なのはあたり前ですよね。ただ、うちの劇団は、人形劇をやると言ってやらなかったり、演目、勝手に変えたり、なんてのはよくある事で、いつも当日パンフのごあいさつは、今回のごめんなさいです、という文で始まっているので、今回も60本できなきゃ、できなかったで、あやまれば済む事ではありますからね。

 まあ、企画のはじまりはこんな感じのところです。

 それで、今回は、エチュードを全部ビデオに撮りました。そしてテープから台詞を起こして、それを私が構成したり書き直したりして、それを今度は台本を役者に読ませて、さらに構成して、決定稿を作るという作業だったんです。

 もちろん、全てのエチュードが、一発で最後まで完全に出来るわけもなく、途中まで起こして、途中から、また、話の展開を幾つか私が用意して、作り直すとか、本人たちが作ったエチュードにもかかわらず、台本にして読ませると、うまくハマらないので、キャストを変えてやってみるという事もしています。

 そのエチュードを撮ったビデオテープは、全部残してあります。

 だから、一番最初にやった状態が全部残ってて、煮詰まると、初心に返る事ができるんです。
 
 でも、いくらサクサクできるといっても、そんなに、1回5本も10本もできるってわけでもなくてやっぱり、全然前に進まない、やってもやってもおもしろくない、という日々がやって来るわけですね。

 キャラクターの設定を変えたり、シチュエーションを変えたりっていうのはもちろんやるんですけど、登場人物がこだわっている部分を微妙に変えたり、どんどん直接的な表現を削っていったりとかするわけです。それは、本来は、原稿用紙を何枚も使ってやったり、ワープロ上で削除と移動とコピーを繰り返してやる作業なんですけど、それでも、ワープロから打ち出して、稽古場へ持っていって、役者が読む、となると、やはりそこで時間のロスが出るんですね。

 私が今回やったこのスタイルは、限りなく、役者を使ったワードプロセッサーという感じです。
 
 この作業の一番大きな特徴は、キャラクターを設定し、そのキャラクターにのっとってエチュードをやるという点でしょう。

 次の問題として、キャラクターを設定して行うエチュードは、どういった準備をして何を考えて行うべきか、というのがあるわけです。

 普通、演劇でエチュードと呼ばれているものは、ものすごく曖昧な設定の元に、曖昧な状態を作るわけですね。

 それは、エチュードによってドラマを作るという目的で行われるものではないからなんです。

 今回我々がエチュードと呼んだのは、年齢、職業、どこに住んでて、どんな状態でとかそういう事を事前に決めこんでおいて、その人が喋る事でやるわけです。だから、エチュードで作ったといっても、いわゆる演劇で言うところのエチュードとは違うわけなんです。

 台本を作るためのエチュードといっても過言ではない作業なんです。

 では、役者が台本を作るのなら、作家は何をしているのか?と言われてしまいますが、それについては、また後で触れます。