第140話  『夢日記』

  明転するとバー『ソロモン』のカウンターに座っている山下とカン。

  山下、ノートをぱらぱらとめくりながら、そこに書かれている文字を読みながら。

山下「水色の換気扇で走っている路面電車に乗っていた」
カン「うん」
山下「結構、満員でこれなら降りた方がいいとカンちゃんは思っているのに、どんどんどんどん、チアガールが乗り込んで来る。それも、どうやら全員カナダ人らしい」
カン「うん」
山下「降ります、降ります、って言っているのに、電車は発車、吊革に掴まるとぐーん、とこんなふうに伸びるから、掴まるに掴まれない」
カン「そうそう、そうね」
山下「スピードが上がると、動力になっている水色の換気扇の音が更にうるさくなる」
カン「うん」
山下「気が付くと、工場が建ち並ぶ所を電車は走っていて、とりあえず、その先にバイトの現場があることはわかっているから、このまま仕方なく乗ってなきゃなんないか、ってカンちゃんはほぼ諦めている」
カン「そう、そうなの」
山下「やめなよ、こういう夢日記つけるの」
カン「なんで?」
山下「気が狂うよ」
カン「嘘!」
山下「気が狂う」
カン「本当に?」
山下「って言われてるじゃない」
カン「言われてる?」
山下「よく言われてるよ」
カン「お医者さんが?」
山下「うーん、医者とかなんとかっていうよりは都市伝説みたいなもんかな」
カン「なんで? なんで夢日記で気が狂うの?」
山下「人間、割りと簡単に気が狂うちゃうからね。ゲシュタルト崩壊のやり方って知ってる?」
カン「ゲシュタルト崩壊? やり方ってのがあるの?」
山下「すっげー簡単なの、これが。鏡を覗き込んでね、自分で自分に向かって言うの。おまえは誰だ? おまえは誰だ? おまえは誰だ? って」
カン「うわ、それは来そう」
山下「効果覿面(こうかてきめん)だって」
カン「ってやったことあるの、誰かが」
山下「わからんけどね」
カン「それもまた都市伝説かなんかじゃないの?」
山下「かもしんないけど。あとさ、あれあれ、、白くてふわふわした部屋に閉じこめて、味の薄い食事を三食ずっと与えると、来るらしい」
カン「そのさっきから言ってる『来る』って言葉も来るよね」
山下「なんとなくわかるよね、白くてふわふわした部屋で、味のない食事を取る。五感のすべてに刺激がなくなる恐怖」
カン「わかる、わかるけど、それ試したことあるのかな」
山下「どうだろね。誰がいつ、どこで試したんだろうね」
カン「それで試された人ってのは…どうなっちゃったわけ?」
山下「来ちゃったんじゃない」
カン「だよねえ」
  と、山下、またぱらぱらとカンちゃんの夢日記をめくってみて、
山下「これってさあ」
カン「うん」
山下「どうやってこの夢日記っていうのをつけるの?」
カン「やっぱりね、起きた途端に忘れちゃうじゃない夢ってのはさ」
山下「でしょ、一瞬で忘れるじゃない、夢ってのは」
カン「だから、目覚ましを二つ掛けておくの、十五分前に起きるやつ、と本当に起きなきゃなんないやつ」
山下「目覚ましを? この夢日記のために?」
カン「最初の目覚ましで起きたら、とにかく、それまで見ていた夢のね、断片っていうかキイワードをずっと書き付けていくの」
山下「でも、不思議とさあ、何度も見る夢ってない?」
カン「何度も見る夢?」
山下「例えばね、行ったこともないし、見たこともない場所だけど、夢の中に必ず現れる場所ってない?」
カン「…あ、ある、それ、ある。言われてみればそれ、ある」
山下「あるでしょ」
カン「ライチの廊下ね」
山下「なに、ライチの廊下って?」
カン「いつも見る夢、ライチがね、床一杯に向こうからごろごろ転がってくるの」
山下「ライチが床一杯に転がってくる?」
カン「それで逃げると緑の給水塔があって、そこで、一息つくの」
山下「人の夢の話って、聞けば聞くほど、なんていうの、不快になるっていうか、居心地が悪くなるね」
と、山下がまたカンちゃんの夢日記をめくり始める。
山下「しっかし、書いたね、書いたね」
カン「うん、今まで生きてきてこんなに文字を綴ったこともなけりゃ、ノートをね、こんな最後の方まで使ったことはなかったからね」
山下「人の夢の話を聞いてて、いらいらするのは、やっぱり人は無意識に綴られた文に意味とか繋がりとかを求めてるからなんだね」
カン「ああ、それはあるかもね。自分はね、夢を見るっていう体験をしているけど、それを文字にして文章にして他人が読むとなるとね」
山下「これ、自分で分析とかするの?」
カン「いや、別に…だって、夢の分析ってさ、なんか信じらんないんだよね」
山下「なんかあるんじゃないの? だからこんな夢見るんでしょ? (と、また読み上げ始める)それでニコちゃん大王に助けられる、『こっちだ! 走れ!』ニコちゃん大王? って、あのニコちゃん大王?」
カン「なんかあるのかなあ」
山下「ものすごいキャスティングの夢だね、カンちゃんの夢は」
カン「ニコちゃん大王」
山下「あのさあ、カンちゃんにとってニコちゃん大王は何の象徴なの? なにを言わんとしているのニコちゃん大王によって。しかもなに、ニコちゃん大王に走れ! それで一緒に走るの? ニコちゃん大王と」
カン「それがねえ」
山下「うん」
カン「覚えがない」
山下「え?」
カン「その夢の覚えがないんだよね」
山下「覚えがないってなに?」
カン「覚えてないんだよね、それがどんな夢だったのかって」
山下「でも、これ、カンちゃんの夢日記でしょ」
カン「そうなんだけどね」
山下「見た夢を書き付けてるわけでしょ」
カン「うん、でも、ほら、最初の目覚ましで起きて書いてるんだけど、朦朧としているわけじゃない」
山下「うわ、気持ち悪ぅ」
カン「え? なにが? なにが気持ち悪いの?」
山下「だって、その朦朧とした、夢見ている状態と覚醒している状態の狭間で書いている文章なんでしょ、このニコちゃん大王っってのは」
カン「そう、そうね」
山下「カンちゃんが書いたのは間違いない」
カン「間違いはない」
山下「でも…本人は覚えてない」
カン「面目ない」
山下「いやいやいや、謝るとこじゃないんだけどさ…書いた人が覚えてないわけでしょ」
カン「そういうことだね」
山下「誰が書いたの?」
カン「いや、だから、書いたのはボク」
山下「ううん、そういうことじゃなくて、誰の意思によって書かれた物なの?」
カン「それは…ボク?」
山下「そこを私に聞いてどうすんのよ」
カン「だよねえ」
山下「なんでまず、書こうと思ったの? でさ、なんでまたこんなにも根気よく続けてるの?」
カン「俺が書き残せることと言ったら、自分が見た夢くらいなんだよね」
山下「それで…なの?」
カン「この前、友達のね、ブログを見てたらすごい書き込みがあってね」
山下「(こういうのには興味を持つ)なになに? どんなの?」
カン「タイトルが」
山下「うん」
カン「『もう寝ます』」
山下「うん」
カン「本文がね」
山下「うん」
カン「『おやすみなさい』」
山下「うん」
カン「ね」
山下「もしかしてそれだけ? ブログにそれだけ書いたの? 誰に向かって、なにを言いたかったの?」
カン「これから寝るから、おやすみなさいって事なんじゃないの」
山下「それをインターネットのブログに書かなきゃなんない?」
カン「よっぽど書く事がなかったのか、それとも、どうしても書きたかったのか?」
山下「もう寝ます、おやすみなさい、を?」
カン「その書き込みに対して、コメント、トラックバック、ゼロ。そのブログ見て、ちょっと怖くなったんだよね、なにもさあ…自分から発信する情報って実はないんだなあって。でもね、なんか書き残したりとか、してないなあ、って思うわけじゃない。でもねえ、四コマを越えるマンガを描く気力はないし、小説とか気の利いたエッセイなんてとんでもないし、バイト行って、飯食って、テレビ見て、マンガ読んで」
山下「まあ、普通の生活ってのはそういうもんだからねえ」
カン「テレビ見て…見てっていっても、真剣に見ているわけじゃなくて、目の端で見てるっていうか、部屋の中で二十インチの液晶モニターが勝手に瞬いているって言った方がいいのか、って感じじゃない。見ているうちには入らない、かな。TSUTAYA行っても、DVDの感想なんてね、面白かったとか、ラストに驚いたとか、気持ち悪かったとか、感想の言葉も尽きてきてるのが分かるんだよね、自分で」
山下「でも、夢日記なら毎日こんなにも」
カン「尽きることはない」
山下「確かに」
カン「尽きることはないんだけど、繋がりもないんだよね」
山下「そして、自分が書いたかどうかも定かではない」
カン「いや、自分では書いている」
山下「記憶にはないでしょう」
カン「記憶にはないだけで、字は自分の字」
山下「譲らないね、そこは」
カン「だってそれはそうなんだもん」
山下「でも、自分が書いたかどうか、定かじゃない文がある」
カン「字はボクの字だから」
山下「本人に書いた記憶がない、自分の字?」
カン「そう」
山下「大丈夫?」
カン「今、それが一番、言われて痛い言葉だね」
山下「夢をさ、こんなふうに記録している人って他にいるの?」
カン「いるらしいんだ、これが」
山下「大丈夫なの」
カン「大丈夫みたい」
山下「じゃあ、やっぱり、夢日記つけてるとおかしくなるっていうのは都市伝説なのかなあ」
カン「漫画家の、つげ義春って知ってる?」
山下「『ねじ式』の」
カン「そうそう」
山下「だから、ああいう漫画描くことになるんじゃないの?」
カン「あと、亡くなったけどマクドナルドの社長の藤田田(でん)さん」
山下「マクドナルドの社長の夢ってどんなんだったんだろう? それはちょっと見てみたいな」
カン「どんなんだろう」
山下「ビックマックのもっとビックな奴を作ろう! って夢見たのかな」
カン「え? メガマックは夢の産物?」
山下「夢ででも見ないと、思いつく商品じゃないんじゃないの? メガマックなんて」
カン「メガマックが発売された頃にはもう、藤田社長は亡くなってた気がするけど」
山下「でも、メガマックって思ったよりデカくなかったよね」
カン「そうなの?」
山下「カンちゃんと話してると、私、不思議なくらいに、どうでもいい話を次から次へと思いつくんだよね」
カン「話しやすいのかな、俺、どうでもいい話を」
山下「そういえば臨死を体験した人がタイタニックの夢を見るっていうのは知ってる?」
カン「臨死…」
山下「三途の川系の話」
カン「に、タイタニック」
山下「黄色いお花畑を進んでいくとか、暖かい光が向こうの方からやって来るとかに混じって、タイタニックを見るんだって」
カン「それは、なんで? 映画を見たから?」
山下「いや、そうじゃなくて、映画の『タイタニック』が作られる前から、ずっと…例えばさ、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』にだって出てくるじゃないタイタニックの話が」
カン「ああ、家庭教師とリンゴの話のとこね」
山下「そうそう、宮沢賢治はどう考えても、映画の『タイタニック』は見てないでしょう?」
カン「それはそうだね」
山下「あのさあ、嫌な夢を見ない薬があるのって知ってる?」
カン「なにそれ?」
山下「だから、なんていうの、悪夢を抑制する薬。寝てる間に楽しい夢しか見ないですむ薬」
カン「すげえ!」
山下「すごいでしょ」
カン「それはなに、売ってるの?」
山下「いや、スウェーデンで開発されたんだけど、まだ、日本では認可されてないから、薬屋さんはもちろん、医者も処方はできない薬なんだけどね」
カン「へえ…・バイアグラみたいなもん」
山下「そうそう、そんな感じのクスリ」
カン「じゃあ、バイアグラみたいに個人輸入とかだったら手に入るってこと」
山下「じゃないかな、ネットで検索すれば当たるよ、たぶん」
カン「へえ…・え、なんて、検索すればいいの?」
山下「ウタタネ」
カン「え?」
山下「そのクスリ、通称、うた種(たね)っていうの」
カン「うたたね? それがクスリの名前?」
山下「うたたね、の種は植物の種の種ね」
カン「うた…種」
山下「うた種」
カン「その種を飲むと、楽しい夢ばかり見られる」
山下「らしいよ」
カン「(かなり惹かれる)それはちょっとあれだね」
山下「でね、うた種がスウェーデンで開発されたじゃない、そしたらすぐにアメリカで似たようなクスリが研究されて、発売になったの」
カン「アメリカ…・やりそう」
山下「これは通称『まどろ海(み)』って呼ばれてるんだけど、まどろみの『み』は海って書くんだけど」
カン「じゃあ、正しくは、まどろ、うみ」
山下「一気に言うと『まどろみ』に聞こえるでしょ、うまいネーミングよね」
カン「コバエホイホイ以来だね、ネーミングに感心したのは」
山下「なに、コバエホイホイって」
カン「いや、ほら、最近、子供の間でクワガタムシ飼うのが流行ってるじゃない」
山下「知らない」
カン「クワガタ虫飼うとね、下にオガクズとか敷かなきゃなんないし、蜜とかあげなきゃなんないんだよね」
山下「(まったく興味がない)あ、そう」
カン「そうすると、コバエがね、増えるのよ。でもね、そのコバエを退治するのに、殺虫剤って使えないじゃない」
山下「あ、そこで殺虫剤とか使ったら、一緒に飼ってるクワガタムシも死んじゃうからね」
カン「そう、そうなの、だから、クワガタムシを殺さないで、コバエだけ殺すっていうコバエホイホイが今年の夏、大ヒット商品になったの」
山下「コバエホイホイ」
カン「そうそう、大ヒット商品」
山下「うた種、まどろ海」
カン「コバエホイホイ」
山下「長生きするもんだね」
カン「いやいや、コバエの話はいいんだよ、そんなのは…うた種? まどろ海?」
山下「もう大変らしいよ、クスリの業界では、マッキントッシュとウィンドウズみたいな二大勢力の争い」
カン「そんなに?」
山下「世界を『うた種』が制するか、『まどろ海』が制するか」
カン「ちょっとまって、信じるよ、それ」
山下「事実だもん」
カン「悪夢を抑制するクスリ」
山下「八十兆円の経済効果があるんだって」
カン「悪夢の抑制で?」
山下「だって、世の中の人間がみんな、目覚めが良くなってごらんよ、世界中の生産効率がどれだけ上がると思う? そんなね、八十兆円なんてちょっと安く見積もり過ぎてるくらいなんだから」
カン「ふうん」
山下「取り寄せてみたら?」
カン「いや、それは流行らないね」
山下「どうして?」
カン「だって…この日記に書かれている夢の大半が悪夢だよ」
山下「あ、そう」
カン「だからね…悪夢は必要なの、なにかに追いかけられたり、切羽詰まったりする夢を見なくなったら、それこそ人類は気が狂うと思うね」
山下「そうかなあ? みんなが良い夢を見る世界、すばらしいじゃない」
カン「賭けてもいいよ」
山下「あ、そう」
カン「悪夢は必要…」
山下「そうかね…」
カン「人間が正気でいるためにね…悪い夢が必要なの…思い当たらない?」
山下「まあ、否定はしない」
カン「賭ける?」
山下「やだ、その賭け、きっとカンちゃんが勝つよ」
カン「『うた種』と『まどろ海』なんか…いりませんよ」
  山下、俯いて笑って…
暗転していく。