第139話  『創られし音楽の体』

  ハワイ・オアフ島、マッサージルームの一室。
  下手方向に頭、を向けてベッドが置かれ、その上に俯せ横たわっている裸の女、加納。
  胸部と臀部にバスタオルが掛けられていて、露わになった背中の部分を肘を使ってマッサージしている小林。
  小林は頭の方に立ち、寝ている加納の背中に幾度か、肘を当てストロークを繰り返している。
  時々オイルを足し、大きく息を吐きながら、マッサージを続けている小林。
  の、姿がしばし。
  二人の息が次第に合ってくるのがわかる。
  やがて、
小林「観光ですか」
加納「観光…かな」
小林「御友人と?」
加納「いえ」
小林「もしかしてハネムーン」
加納「いえ、一人です」
小林「お一人でハワイに?」
加納「一人です」
小林「(よくわかってないが)そうですか、お一人で」
加納「あんま、いないですかね、ハワイに一人旅っていうのは」
小林「いえ、そんなこともないとは思いますけど…このロミロミマッサージはどこでお知りになったんですか?」
加納「東京ウォーカーで…日本人の女性マッサージ師がいるって書いてあって、これは安心かなと」
小林「ロミロミマッサージは初めて?」
加納「ええ」
小林「いかがですか? ハワイのマッサージ、ロミロミマッサージ」
加納「名前は聞いたことがあったんですけど、こんなに気持ちいいとは」
小林「いいですか?」
加納「(大きく息を吐いて)はああ…いいですね」
小林「私も、ハワイに来て初めて、このロミロミマッサージっていうのを知ったんですけどね」
加納「そうなんですか」
小林「それでもう、はまっちゃって、二ヶ月に一回のハワイ通いが続いて」
加納「二ヶ月に一回?」
小林「ですね、それで、どうせなら、習っちゃおうかって思って。先生のいらっしゃる家にホームステイって感じで行ったんですけど」
加納「どうすれば、そんなところにホームステイできるんですか?」
小林「インターネットで募集してたんですけど」
加納「ネットかあ、今なんでもネットですよね」
小林「ええ…こっちで習ったのは三週間だったんですけどね、それがまず初級編、みたいなコースで。友達と二人で、モデルになってくれる人と、先生と、で、毎日、三人で」
加納「それは英語で?」
小林「半々ですね」
加納「ハワイの人ってやっぱ喋れるんですか、日本語」
小林「奥さんが日本人で…私、そこで技術を学んで、本当は会員制のピンクとかなしのロミロミマッサージのお店とか始めようとしたんですけど、もう一人の友達の方が、ハワイにいる間に男作っちゃって」
加納「ハワイに三週間いたらねえ」
小林「そこそこ可愛いかったから、なおさらですよ」
加納「それで、一人で資格取って」
小林「資格じゃないんですよね、そういう認定書があれば、いいんですけどね」
加納「免許皆伝みたいな」
小林「そう、です、かね。それで一人で細々と」
加納「でも、いいじゃないですか、自分がこれだって思えることが実現できて、羨ましいですよ」
小林「これからハワイブームが来るって言われてたんですけど、あてにしていたブームが、待っても待っても来ないんですよ」
加納「そうなんですか?」
小林「私の最初の計画では、今頃、受付にものすごい可愛い女の子がいて、いらっしゃいませ、って言って、私が教えたロミロミマッサージができる女性が何人も待機してて、次から次へと回転してて・ってなってるはずだったんですけどね」
加納「今は」
小林「一人です」
加納「そうですか、お一人で」
小林「ええ…カレシもいないんで、このハワイで、本当に一人ですよ、…東京がなんか嫌になってハワイに来たのに、訪ねて来て下さる日本人と日本語で日本の話をして…まだ、東京の片隅で生きてる感じがしてしょうがないんですよ。ハワイなのに…東京都、杉並区ハワイ、みたいな…いらっしゃるお客さんは、ねえ、やっぱりそれぞれみなさん、疲れが溜まっている部分が違ってて、こうやって体に触らせていただいていると、わかるじゃないですか、その方の生活が…途端に自分の中に東京の街っていうのが、鮮明に浮かび上がってくるんですよ。その中で生活する人達…そこで疲れていく人達…ここはハワイなのに…東京の疲れがやって来る」
加納「私も…わかりますか? どこが疲れてるとか」
小林「入力とかのお仕事じゃありませんか? キイボードを打つ」
加納「ああ…」
小林「事務系のOLさん」
加納「まあ、そんな感じでした」
小林「でも、ちょっと自信ないです、今の答え」
加納「え? どうしてですか?」
小林「指先を動かす筋肉とか、筋とかが、人並みはずれてますから…事務でパソコンのキイボード打っているくらいで、こんなになっている方は…あまりいません」
加納「…二ヶ月前に会社でリストラみたいなことになって…不二家に勤めてたんですけど、ちょっと、事件があったの、知りませんか? あれでね、ちょっと」
小林「不二家? 不二家ってペコちゃんの不二家ですか?」
加納「そうです」
小林「ケーキの」
加納「そうです」
小林「いいですね、ケーキが仕事」
加納「そうです、不二家でケーキっていいかなって、就活の時、思ったんですよ。でも、別にパティシエ系の学校出てるとかじゃないから、事務の方に回されて…元々、大学でやってた事ってまったく世の中に出たら役に立たない事だったんで」
小林「大学では、なにを勉強なさってたんですか?」
加納「私、音大だったんですよ」
小林「音大?」
加納「就職にはなんの役にも立ちませんからね、音大は」
小林「そうなんですか?」
加納「本当に、なんていうか教養のための大学ですから、私の友達もせっかく苦労して音大出たのに、今、ネイルアートやったり、フラワーアレンジメントやったりとか」
小林「もったいない」
加納「必要ないですよ、音大で勉強するような音楽なんて。Jポップがあれば必要充分ですから、今の世の中」
小林「でも、音大って入るの大変なんじゃないんですか? 一日中ピアノに向かって練習してなきゃなんないって聞きますけどね」
加納「そうですね、朝、起きて二時間練習して、学校行って、帰って来てまたずっと弾いていて、先生のとこ行って弾いてて…」
小林「ずっとそれやってて、頭おかしくなんないんですか?」
加納「おかしくなりますけど、その…なんていうか、おかしくなってるんだろうな、っていうとこまでは、なんとなくわかるんですけど、おかしくなった、っていう気はあんましないんですよ、自覚がないっていうか、それやるしかないって思っちゃってるんで」
小林「それが当たり前だって」
加納「そうですね」
小林「それで、この体なんですね…指先を動かすための体ですよ、確かにこれは」
加納「ずっとピアノを弾いてた体になっちゃってるって事ですか?」
小林「ええ…ピアノに向かい続けた体です」
加納「今はもう、そんなに弾いてないんですけどね」
小林「成長期に鍛えたものは、そんなに簡単には衰えませんよ」
加納「そういうもんなんですか」
小林「例えは変ですけど、昔、バスケットやってた人の背が、バスケットやめたからって、背が低くなったりしないじゃないですか」
加納「…(笑って)ああ、そういうもんですかね」
小林「音楽には戻らないんですか? それで」
加納「需要がないですから…子供相手にピアノの先生をバイトでやろうにも少子化で子供の数は少ないし、きちんとした音楽の基礎なんかなくても、ミュージシャンになれちゃうし…それで不二家をリストラされて、私この先どうしようかなって、思ってるとこですよ。人呼んで青春ってやつを音楽に捧げてきたつもりなんですけどね、それを活かせる場所がないんです。駅で電車が発車する時の音楽ってあるじゃないですか」
小林「ああ、ありますね、ありますね」
加納「あれ、なんであんなに不愉快な音なんだろうっていっつも思ってて、耳障りだなあって。もっと聞いてて気持ちの良い音ってあるんですよ、それを私は勉強してきたんですよ…駅のその電車の音だけじゃなくて、世の中で耳にする音楽がもっともっと良くできるのに…でも、なにをどうしたらいいのか、わからなくて…大学で声楽もちょっとやってて、私、声が低めなんで、高い声とか出ないって思ってたんですよ。でも、ソプラノまで出るようになったんです」
小林「ソプラノって(わかってない)」
加納「一番高い音です。ピアノで鍵盤が並んでいるじゃないですか、あの、一番右端の方の音です」
小林「が、出るんですか?」
加納「出るようになったんです」
小林「(よく理解できていない)高い…音、なんですよね」
加納「ちょっとやってみましょうか?」
  と、小林、言われて手を止めた。
加納「ちょっと、今、この姿勢ですから、マックスまでは出ませんけど」
小林「(わかってないが)あ、はい」
加納「(出してみる)はあぁぁぁ…」
  呆然と立ちつくす小林の側で、ソプラノの声が響く。
しばし…
加納「こんな感じなんですけど」
小林「…すごい、ですね、っていうのが、今の素直な感想なんですけど」
加納「でも、これも、役に立たないんです」
小林「すごい事じゃないですか」
加納「でも、これができたから、なんだって事なんですよ」
小林「歌手を目指したりしなかったんですか?」
加納「だいたい、そう言われるんですけどね、みんなに、音大出て、こんな声が出せてって事になると…お盆にね田舎に帰ったりすると、なにもわかってない親戚のおじさんとかにね」
小林「普通、言いますよね、そう思いますけどね」
加納「いつテレビの歌番組に出るんだ、とか、CDが出ないならダメだ、とか。とにかく、お金にならないと価値がない、意味がない、って思われるんですよ、どうしても。売れないとしょうがないとか、ね」
小林「なんかもったいない話ですよね」
加納「このハワイに来て、ロミロミマッサージに出会った時って、どうでした? これが自分の仕事だ! って思えました?」
小林「ありましたね、そういうの」
加納「これだ! って思う瞬間」
小林「夕暮れの空を覚えてます…」
加納「夕暮れ」
小林「晴れた日だったんですけどね、夕暮れ時でしたね、決意したのは」
加納「ハワイで晴れた日の夕暮れに自分の仕事を見つけた」
小林「そんな事、今、言われるまですっかり忘れてましたよ」
加納「ロミロミやろうって、夕日に誓った…なんかドラマチックでいいですね」
小林「そうか…言われてみれば、あの瞬間があって、今がある…のかあ」
加納「ロミロミマッサージのロミロミってどういう意味なんですか? なんかハワイの言葉があるんですか?」
小林「神のマッサージって習ったんですけど、リラクゼーションマッサージとして、東京ウォーカーとかに紹介されてますけど、元はお祈りがあってお祈りで終わる、医療治療のようなものだったんですけど、マッサージによって心も体も治してあげる、みたいな。人の気を自分の呼吸と合わせていって、吐き出させてあげて、マッサージしている人が吸収して吸い取ってあげるっていうか」
加納「それ、大変じゃないですか、自分の体に溜まるんじゃないんですか、人の気が…」
小林「そうなんですよ、最初の頃は人のマッサージで自分がぼろぼろになってましたからね。やっぱり、ただ人の体を癒す、なんてことはすぐにできるようにはならないもんですからね。悪い気を全部もらっちゃってて、やり始めた頃ってのは…もう、疲れ果てて、大丈夫か私、ロミロミやってて、って思いましたよ」
加納「私からも、その悪い気ってのが、出てます?」
小林「いえ、全然」
加納「出てない」
小林「出てないですね」
加納「疲れてないんですかね」
小林「疲れてはいないですね」
加納「休んでばっかりだからかな」
小林「そうでもないんじゃないんですかね」
加納「どういうことですか?」
小林「この体の中に、青春があります。生き生きとした青春が…一つのことに打ち込んだ時間が、燃え尽きることなく、ずっとあります。まだ使い切ってない、なにかが…」
加納「(自分でも薄々感じていた)そう…ですかね」
小林「そうですよ」
加納「でも、お金にはなりませんよ」
小林「お金、お金、お金、お金…みんなそれを口にして、それで疲れ果てていくんですよ…私、それをここでいっぱい見て来ましたから…お金のためにみんな大なり小なり体と時間を使う…でも、お客さんの体はちがうんですよ…この体は…芸術品ですよ…このピアノに向かい続けた素敵な体じゃないですか…音楽でできた、体…」
加納「そうですか…」
小林「忘れませんよ…私は…」
加納「そうですか」
小林「お金に疲れてない、お金に使われていない…素敵なことじゃないですか」
加納「そう…ですかね」
暗転していく。