第129話  『転校生』
  通学路の分岐点にさしかかった龍之介と凛子。
凜子「あんなあ、龍ちゃん」
龍之介「え? なに?」
凜子「あんな、今日のな、五年三組のクラスのみんな見てて、思ったことがあ
んねんけど」
龍之介「うん」
凜子「言うていい?」
龍之介「いいよ」
凜子「みんな、ちょっと元気ないなあ、いっつもみんな、あんな感じなん?」
龍之介「そう? そんなことないよ え! 元気なく見えた?」
凜子「あれで、元気?」
龍之介「元気!」
凜子「私の知ってる元気とは全然元気がちがうねんけど」
龍之介「それはさあ、あれだよ」
凜子「え? なに?」
龍之介「うちのクラスのみんなも、なんか今日、みんな緊張してたからさあ」
凜子「ええ? そうなん?」
龍之介「そりゃそうだよ、今日、転校生が来る、転校生が来るらしいって、朝
から大騒ぎでさ、しかも、大阪からでしょ。漫才ブームの大阪」
凜子「緊張してたからかなあ…緊張するとあんなに目に力がなくなる?」
龍之介「目に力がない?」
凜子「どこ見てんの? みたいな」
龍之介「え? え? そんなふうに見えた?」
凜子「ごめんな、ごめんな、なんか、悪口言うてんのちゃうで、なんか、本当
にそう思てん、あれ、みんなどこ見てんねやろ? って。私がさあ、こうみん
なの前に立って、自己紹介した時あったやん」
龍之介「うん、先生が凜子ちゃんの名前を黒板に書いてね」
凜子「それで、どうぞよろしくお願いします、って、前に立って喋ってても、
なんか、全然、みんなの目線が刺されへんねん。あれ? どこ見てんのみん
な? みたいな? 私はここやで、ここにおるで、みたいな?」
龍之介「そう? 俺は見てたけどな」
凜子「伝わらへん、っていうか、感じひん。伝わる、感じる、答える、な、人
間関係の基本、コミュニケーションってのがさ」
龍之介「コミュニケーション?」
凜子「そう、ボケたら突っ込む、みたいな」
龍之介「ボケとツッコミ?」
凜子「まずな、まずはな、そっから始まると思うねん、人と人って」
龍之介「ボケとツッコミ? だってそんなの知らないもん」
凜子「あ、そか、そやな、それ、教えたるわ」
龍之介「え?」
凜子「まずはツッコミ」
龍之介「え? なに? 俺に? できるの?」
凜子「できるできる、誰でもできる」
龍之介「やる、やる、やる」
凜子「ほたら、まず、なんでやねん!」
龍之介「(真似して)なんでやねん!」
凜子「あ、なんかちょっと違うな、なんでやねん!」
龍之介「なんでやねん」
凜子「惜しい! なんでやねん」
龍之介「なんでやねん」
凜子「ん、力が入りすぎ」
龍之介「え? あ、そう」
凜子「なんでやねん、やるぞ、って思ってやるもんじゃないねん、なんでや
ろ? と思ってなんでやねんっていう言葉が出るねん」
龍之介「なんでやねんって思って、なんでやねん」
凜子「もっと楽しゅうやるねん、いくで、なんでやねん」
龍之介「なんでやねん!」
凛子「ちがうやん!」
龍之介「え?」
凜子「見てた?」
龍之介「はい」
凜子「ちがうやん。も一回やるからちゃんと見ててな、いくで、なんでやね
ん」
  完璧に決まった。
  間。
凜子「はい」
龍之介「(も、また全開でやってみる)なんでやねん!」
凜子「(どうも気に入らなかったらしい)どうしたらえんやろ!」
龍之介「わかんないよ、そんなの、いきなり…なんでやねん…って」
凜子「そんな感じやん」
龍之介「え? 今の?」
凜子「そう、それをもっとシャープにやるねん」
龍之介「(とりあえず、やってみる)なんでやねん」
凜子「なんでやねん」
龍之介「なんでやねん」
凜子「なんでやねん」
龍之介「なんでやねん」
凛子「なんでやねん」
龍之介「なんでやねん」
凜子「なんでやねん」
龍之介「なんでやねん」
凜子「なんでやねん」
龍之介「なんでやねん」
凜子「そう!」
龍之介「(間髪入れずに)出来た?」
凜子「うん」
龍之介「ほんと?」
凜子「うん」
龍之介「なんでやねん」
凜子「私がじゃあ、ちょっとボケたら、つっこんで、ええ? いくで?」
龍之介「え? これで?」
凜子「いくで? ああ、喉乾いた」
龍之介「なんでやねん」
凛乎「早いねん!」
龍之介「え? 早かった?」
凛子「まだ全然ボケてないから」
龍之介「今の早かった?」
凜子「全然早い。私がボケたな、と思ったら、言うねん」
龍之介「うん、わかってる」
凜子「わかってる?」
龍之介「わかってる、わかってる、確かに今のは早かった」
凜子「ええか、いくで」
龍之介「おっし!」
凛子「いくで、ああ、喉乾いたなあ」
  と、凛子、持っていたペットボトルを目に当てる。
龍之介、笑っている。
龍之介「ははははは」
凛子「いま、や!」
龍之介「え?」
凜子「今、なんでやねん、やろ、そこは目やろ、って、なんで笑ってんの
ん?」
龍之介「あ、今、じっと見ちゃってた。変なことするなあって」
凜子「なに笑ってんのん? 笑ってる場合ちゃうやろ、ツッコミどころやろ。
それは目やん! って突っ込むところやろ」
龍之介「それ、目えやん?」
凜子「そうそう」
龍之介「目で飲むのはおかしいじゃん!」
凜子「おかしいやろ」
龍之介「おかしいよ」
凜子「おかしいから、なんでやねん、やろ」
龍之介「あ、ああ、理屈はわかった」
凜子「君とはやっとれんわ、そこまでいこうか」
龍之介「え? まだ先があるの?」
凜子「あるある、こんなの初歩の初歩や。いくで、君とはやっとれんわ!」
龍之介「すごいな、アリンコは、次から次へと」
凜子「こんなん、当たり前やん」
龍之介「なんか、今日、もしかして、うちのクラスのみんなアリンコがさ、ボ
ケてくれて、ツッコミどころいっぱいつくってくれたのに、そのチャンスって
いうの、ツッコミどころっていうのが分かんなくて、ごめんね。俺ね、ちゃん
と明日みんなに教えるから、朝のホームルームの前に言うようにするよ。俺、
明日、少し早く学校行くようにする」
凜子「龍ちゃん」
龍之介「なに?」
凜子「あんま無理しないで」
龍之介「無理じゃない、無理じゃない。その方がみんなとね、アリンコが早く
さあ、仲良くなれるわけじゃない、俺、そのためだったら、やるよ、やらさせ
ていただきますよ」
凜子「龍ちゃん(ありがとう)」
龍之介「みんなね、確かに今日、ちょっと転校生を迎えるんだ、ってのでね、
緊張して、クラス全員がどこ見てんのかわかんなかったかもしれないけど、で
もね、明日は違うから」
凜子「明日…明日かあ」
龍之介「みんな、良い奴ばっかだったでしょ、うちのクラス」
凜子「うん」
龍之介「あれでもね、みんな、大阪から来た凜子ちゃん、大歓迎だったんだけ
どね」
凜子「こんな私にいろいろようしてくれて、みんな親切で」
龍之介「そんなことないよ、普通だよ、普通」
凜子「私もね、ほんまはすっごい緊張して、東京の人は怖いっていわれたか
ら」
龍之介「誰に?」
凜子「親戚の、富田林の鶴田のおっちゃんに言われてん。生き馬の目を抜くね
んで、って」
龍之介「生き馬の目? 馬? 生きてる馬?」
凜子「いや、ようわからんけど、東京者はな、生き馬の、目を、抜くねんでっ
て言われて」
龍之介「目を抜くってどうやるの?」
凜子「だから、こう、生きている馬の目をね、がーって」
龍之介「抜くの? なんのために? 酒のつまみ?」
凜子「そういう人達やらから気いつけや、って」
龍之介「生き馬の目、抜いてるとこなんか見たことないよ」
凜子「そういう人達と、なに話せばいいんかなって、話合わなかったらどうし
ようって」
龍之介「話、合ってたじゃない、みんなすっげー大爆笑してたし」
凜子「話、合ってたかな」
龍之介「うん、大丈夫、大丈夫」
凜子「なんか私が一方的にしゃべってた感じなんやけど」
龍之介「でもウケてたし」
凜子「あんま、みんなと会話した気がしないんだけど…」
龍之介「そお?」
凜子「今日、会話らしい会話、誰ともしてない気がしてるんだけど」
龍之介「あんなに笑ってたじゃん」
凜子「笑ってはくれてたけど…なんかこう、クラスのみんなに喋って、返って
来いひん感じがするねんけど」
龍之介「返ってきいひん?」
凜子「返って来いひん、通じてないっていうのが、わかるの、私なりに。どこ
をどうしたらええんやろ」
龍之介「え、でも今日の最初の自己紹介の時に言ってたじゃない」
  と、ここで今日、凜子が転校してきた時に自己紹介した雰囲気と口調が龍
之介と凜子によって再現される。
龍之介「大阪から来ました結城凜子です。みいんな仲良くしてや、って」
凜子「うん(確かにそう言った)」
龍之介「私、どんどんボケるから、ガンガン突っ込んでや、って、言ったよ
ね」
凜子「うん、言った、それで、みんな引いてた」
龍之介「…びっくりしてただけだよ」
凜子「あの瞬間、もう大阪帰ろうと思った。ここには私の居場所があらへんっ
て」
龍之介「だって、いきなり大阪弁全開だしさあ」
凜子「うちはこれが当たり前なんやん」
龍之介「生のね、生きた関西弁がそこにあったから、びっくりしただけだっ
て」
凜子「うん…でも(割と絶望的になっている)あの、私、いけるんかな、いけ
ると思う? 正直なとこ」
龍之介「いける? どこへ?」
凜子「いや、どこへ行くとかじゃなくて、やっていけるんかな、クラスで」
龍之介「いけるよ、大丈夫だよ」
凜子「すごい不安」
龍之介「なにが?」
凜子「いろいろ、違うことが多すぎるし、私が思い描いていた転校のイメージ
と早くも全然違ってきているし」
龍之介「え? なにが、例えば、なにが? アリンコ的にはなにが引っかかっ
てるの?」
凜子「例えば、アリンコ」
龍之介「アリンコ?」
凜子「アリンコって呼ばれるのもね、ほんまはイヤやってん」
龍之介「え、なんで、アリンコいいじゃん。すっごいアリンコってアリンコっ
ぽいじゃん。だいたい、自分から言ったんじゃない、自己紹介で、大阪ではア
リンコって呼ばれてました、もしよかったらこっちでもアリンコって呼んでく
ださいって」
凜子「うん」
龍之介「本名は凜子っていいますけど、大阪ではアリンコって呼ばれてました
って。あの瞬間、初めてクラス中で大爆笑だったもんね」
凜子「どこ行ってもアリンコや」
龍之介「あそこで、仲良くなれそうって思ったと思うよ、みんな、この関西弁
ばりばりの女子とさあ」
凜子「私、名字、結城っていうやろ、それで結城凜子、凜子の凜は勇気凛々の
凜のつもりやったんやて、うちのお父さんとお母さんがうちの名前つけた時は
な、勇気凛々の凛子」
龍之介「それに『あ』がついてアリンコ」
凛子「いつの頃ころからか。うちのお母さんな、うちがアリンコって呼ばれる
のを初めて聞いたとき、貧血起こして倒れてん、団地の階段転げ落ちて、手骨
折してん」
龍之介「骨折? 手を?」
凜子「凜子の凜は勇気凛々の凜なんだよ、ってずっと言われてて、まさかお父
さんもお母さんも自分の子供が凜子やから、アリンコって呼ばれるとは夢にも
思ってなかったから、ものすごいショックやったんやて」
龍之介「自分ちの子がみんなにアリンコー、アリンコーって呼ばれてたらね
え」
凜子「そう……ショックやったみたい」
龍之介「凜子ちゃんって聞いて、アリンコって、いうのを思いついたってのは
すごい奴だと思うけどね」
凛乎「あっと言う間に広がったね、大阪の小学校で」
龍之介「そうだろうね、インパクトはあるもんね」
凜子「だから、今度、転校した東京の学校では、アリンコって絶対に呼ばせへ
んようにしようって、思ってたんだけど。背に腹は代えられへんかった」
龍之介「アリンコ、なんか心配し過ぎだよ」
凜子「もうな、もう帰られへんねん、大阪には」
龍之介「うん、転校して来ちゃったからね」
凜子「お父さんがな、東京の支社に転勤になってもうてな、本社は大阪やねん
けどな、ちょっといろいろあってな、東京の支社の方に行ってくれって言われ
てな、お父さん、お母さんに謝ってな、でも、お母さん、その時、『大阪で生
まれた女』をな、ちょっと口ずさんで…」
龍之介「ああ、大阪で生まれた女やさかい、東京へはようついていかん…っ
て」
凛子「いや、ちがうねん」
龍之介「え? そういう歌詞じゃなかったっけ?」
凜子「あの歌ね」
龍之介『大阪で生まれた女』」
凜子「十八番まである大河ドラマやねん」
龍之介「え? 歌が?」
凜子「そう」
龍之介「さだまさしの『親父の一番長い日』みたいな」
凜子「あれよりも長い」
龍之介「あれも長いよ」
凜子「あんなもんじゃない」
龍之介「ああ、そうなんだ」
凜子「今ね、龍ちゃんが言うてた、大阪で生まれた女やさかい、東京へはよう
ついていかんっていうのは三番なんよ」
龍之介「あれが三番」
凜子「大阪で生まれた女やもん、負けられへんと思った、大阪で生まれた女や
さかい、がんばらなあかんと言い続けた、っていう歌詞とかね」
  最後の方はちょっと歌っても良い。
龍之介「うん」
凜子「大阪で生まれた女やさかい、夢を持たんとよう生きていかん、大阪で生
まれた女やもん、負けられへん、それが口癖」
龍之介「うん」
凛子「大阪で生まれた女やけど、大阪の町を出よう、大阪で生まれた女やけ
ど、あなたについていこうと決めた…って、謝ってるお父さんの前で小さい声
で歌っててん」
龍之介「うん」
凜子「龍ちゃん」
龍之介「うん?」
凜子「私はそのお母さんとお父さんの子供やねん」
龍之介「うん」
凛子「勇気凛々の凜子やねん」
龍之介「うん」
凜子「明日もまた、よろしくお願いします」
龍之介「大丈夫だよ」
凜子「うん」
龍之介「勇気凛々の凛子ちゃんは、大阪で生まれた女なんだろ」
凜子「うん」
龍之介「また明日」
凜子「明日、私、学校、行けるかよね」
龍之介「行けるよ」
凜子「行かれへんかったらどうしよう」
龍之介「…なんでやねん」
凜子「…ありがとう、龍ちゃん」
龍之介「普通、普通…」
  別れることなく、そのままでゆっくりと暗転していく。