第125話   『再検査』
  検査衣に着替えた柳沢龍之介と中山浩。
  固いグレーの長椅子に座っている二人。
  手に検査票を持っている。
龍之介「・・・でもねえ」
浩「え?」
龍之介「いや、本当にね、一人じゃなくてよかったよ」
浩「ああ・・ねえ」
龍之介「このさ、待たされているなんとも言えない時間があるじゃない」
浩「これねえ」
龍之介「もたないね、一人だとね」
浩「余計なこと、考えちゃうからね」
龍之介「考えるね」
浩「なんたって再検査だからね」
龍之介「再検査、なにかあるから再検査なわけでしょう?」
浩「なにもなけりゃねえ」
龍之介「呼ばれないでしょう、ここには」
浩「現に、俺たちだけだからね」
龍之介「よかった、でも、俺だけじゃなくて、俺達で」
浩「はははは・・」
龍之介「なに笑ってんだよ」
浩「いやさあ」
龍之介「なんだよ」
浩「意外と小心者なんだねえ、柳沢さんは」
龍之介「意外とじゃないよ、目一杯、小心者だよ、小心者が服着て歩いているようなもんなんだからさ」
浩「俺も俺も」
龍之介「おまえは違うだろう?」
浩「違わないよ」
龍之介「いや、違うよ、だって堂々としてるじゃん。俺なんかよりも全然」
浩「フリだよ、フリ」
龍之介「俺、そんなフリすらもできないもん」
浩「再検査かあ」
龍之介「再検査」
浩「どうしょうかねえ」
龍之介「どうするって、なにが?」
浩「これでなんかあったら」
龍之介「言う、それを言う? それを言っちゃいますか?」
浩「今、柳沢さんが側にいてくれたら、言える気がする」
龍之介「あんま、頼らないで」
浩「なんで、いいじゃないですか」
龍之介「やめて、頼らないで、俺も、今、ぐらぐら来てるんだから」
浩「ぐらぐら? なにが?」
龍之介「だから、自分のさ、自我っていうの?」
浩「自我?」
龍之介「自我だね、自我」
浩「自画・・自賛?」
龍之介「いや、してない、自画自賛はしてない」
浩「まあ、体もね、これまでよくがんばってきてくれたんだな、と、こういうところで、改めて、再確認しますよねえ」
龍之介「健康だったんだねえ、今までは」
浩「最近は、若いっていうか、おまえ子供だろうっていう奴だって成人病になっちゃう時代だからなあ」
龍之介「それはなんの慰めにもなってねえよ」
浩「成人の俺たちが成人病になるのは、まあ、当たり前っちゃ当たり前だよなあ」
龍之介「だって(中山は)いくつよ」
浩「三十八」
龍之介「俺、四十だもん」
浩「でも、あれだね」
龍之介「なに?」
浩「三十八になろうが、まったく衰えを見せないもんなんだね」
龍之介「体力が?」
浩「(静かに首を横に振って)性欲」
龍之介「(納得した)ああ・・ねえ」
浩「年取るとさ、衰えていくもんだとばっかり思ってたんだよね」
龍之介「まあねえ」
浩「変わんないもんだねえ」
龍之介「確かに、衰えはみせないね・・気配もない・・」
浩「恐ろしいね」
龍之介「恐ろしいって」
浩「だって、そうでしょ? (自分で本当に自分にびっくりしている)衰えないんだもん。十代の頃と変わんないんだもん」
龍之介「性欲が?」
  浩、ゆっくりと頷いた。
龍之介「(笑っている)・・・」
浩「え? そうじゃないですか?」
  龍之介、同意の頷きを繰り返しながら、
龍之介「そうね、そうそう、そうね」
浩「そうでしょ」
龍之介「そうね、衰えないね」
浩「性欲」
龍之介「性欲・・」
浩「これはいつまで続くの?」
龍之介「知らないよ、そんなことは」
浩「だって、四十でしょ」
龍之介「そうだよ」
浩「二つ先輩じゃない」
龍之介「年でいったらね」
浩「でも、先輩は先輩でしょう?」
龍之介「うん・・じゃあねえ、先輩としてね、言うけどね」
浩「はい」
龍之介「二年経っても確実になんの変化もないね」
浩「性欲は」
龍之介「そう、性欲に関してはね。変わらない・・」
浩「なんか・・・聞くんじゃなかったな」
龍之介「春になってさ」
浩「ええ・・」
龍之介「街を歩いている女の子のスカートが短くなってさ」
浩「(もうすでに言わんとしている事がわかっているので、笑い始めている)ええ・・」
龍之介「足とか、こんな見えてたりするじゃない、足の綺麗な子がね、黒のさこんな、模様っていうの、なんていうの、柄っていうの、こんなさ、ストッキングとかになるわけじゃない」
浩「エロい子いますよね」
龍之介「たまらないわけよ」
浩「おまえ、どういうつもりなんだ、って子」
龍之介「たまらないわけよ」
浩「春!」
龍之介「春! ね!」
浩「春が来たぞ、と」
龍之介「(しみじみと)ああ・・良い季節が来たなぁ・・と。思うわけじゃない」
浩「これからまた、夏に向けて、さらに状況は良くなっていきますからね」
龍之介「その、こうねえ、春がやって来て、良かったなぁぁ・・っていう、胸のときめきのね・・根本にあるものがね」
浩「(しみじみ)性欲ですよね」
龍之介「衰えぬ性欲がね、春を感じるんだよね」
浩「ですねえ・・・」
龍之介「どうするよ」
浩「なにがですか?」
龍之介「(と、検査表を示し)この結果がさ・・」
浩「(わかっているが)え?」
龍之介「知らない間に、家族とか呼ばれたりとかしててね」
浩「やめましょうよ、そういう怖い話するの」
龍之介「いや、心の準備としてさあ」
浩「準備、したくないですね。好きな言葉、青天の霹靂ですから」
龍之介「そうなんだ」
浩「ええ・・漢字で書けませんけどね」
龍之介「ああ・・俺も、それは書けないけどね。青天の霹靂かあ」
浩「もう(と、検査票を示し)再検査っていうんで充分、青天の霹靂ですよ、ほんと」
龍之介「本人に知らせないからね、本当にもうダメなときは」
浩「柳沢さん、キャバクラとか行ったことあります?」
龍之介「ない」
浩「(しみじみ)結局、行くことはなかったわけだ、キャバクラには・・」
龍之介「いや、まだ、終わったわけじゃないよ。そうと決まったわけじゃないだろう」
浩「それはそうなんですけどね」
龍之介「これから行きゃあいいじゃねーかよ」
浩「そうなんですけどね」
龍之介「そうだよ」
浩「・・・キャバクラ・・どんなとこなんでしょうね」
龍之介「あのねえ、そんなねえ、そんな思ってるほどいいとこじゃないと思うよ」
浩「でも(柳沢さんは)行ったことないでしょう?」
龍之介「うん・・」
浩「じゃあ、わかんないじゃないですか、どんなとこか」
龍之介「わかんない?」
浩「わかんないでしょう? 行ったことないんだから」
龍之介「ああ、そうか、でも、それはそれでいいのかもな」
浩「なにが、ですか・」
龍之介「そのね、中山の中にある、キャバクラがね、きっと世界中のどのキャバクラよりも素敵なキャバクラなんだと思うよ。最高のね、キャバクラの中のキャバクラ、トップ・オブ・キャバクラだと思うよ」
浩「(想像して)・・そうですかね」
龍之介「でも、そんな楽園は、存在しないんだけどね」
浩「そうですかね」
龍之介「それは・・キャバクラっていうよりはシャングリラだろうね」
浩「シャングリラ」
龍之介「理想郷」
浩「理想郷・・」
龍之介「シャングリラとしてのキャバクラ・・自分の胸の中にしかあり得ない、場所」
浩「キャバクラですよ」
龍之介「理想郷としてのね・・」
浩「もう、そろそろじゃないですか」
龍之介「え?」
浩「結果」
龍之介「もう、いいかげん、呼ばれる頃だよなあ」
浩「さあ、性欲の神様が、なんていう答えを我々に用意しているのか?」
龍之介「生き続けて、エロい妄想を抱き続け」
浩「かなわぬ、心の奥底の欲求と闘いながら。それでも生きて行けとおっしゃるのか」
龍之介「それとも、とっとと、十字架のようにのしかかる性欲とおさらばし、人生ともおさらばするのか・・」
浩「で、どっちがいい?」
龍之介「生きていたいね」
浩「自分のこの・・スケベな心と共に」
龍之介「ねえ」
浩「いつまでも、ねえ」
龍之介「ねえ」
浩「どこまでも」
龍之介「ねえ・・ストッキングのさ、こう、なんつーの、模様っていうかね」
浩「柄っていうかね」
龍之介「それを目の端で、垣間見る」
浩「春があと、何度、巡ってくるのか・・」
龍之介「ねえ・・」
  ゆっくりと暗転していく。