第118話  『再就職セミナー』
  酒寄のバー『ソロモン』。
  カウンターに座っている龍之介。
  薫に向かって、
龍之介「甘かったね」
薫「(笑っている)・・」
龍之介「甘かったよ、本当に、全然、甘々(あまあま)だったね」
薫「(適当に)はい、はい・・・」
龍之介「そうねえ、簡単にできるもんじゃないんだよね、そもそも、転職なん
てのが」
薫「でも、世の中、転職ブームっていうかね、みんな、けっこう、気軽に転職
するようになったんじゃないんですかね、昔よりは」
龍之介「昔よりはね・・」
薫「よく見かけますけどね、雑誌でも、ネットでも、電車の中吊りでも」
龍之介「そう、そう、本当にそうなのよ」
薫「収入アップとか」
龍之介「そうそう」
薫「休日が何日増えますとか」
龍之介「そうそう」
薫「今の仕事に本当に満足していますか? とか、ねえ」
龍之介「そうそう、本当にそう」
薫「そうですよ、ねえ」
龍之介「そりゃあね、収入アップしたいわけじゃない」
薫「ええ・・」
龍之介「休日もね、増えたらいいわけでしょう?」
薫「ええ・」
龍之介「そして、今の仕事に満足しているのか?」
薫「ええ・・」
龍之介「(自問自答のようになっている)今の仕事に満足しているのか?」
薫「それはどうなんですか?」
龍之介「満足してるのかと聞かれたらね」
薫「どうなんですか?」
龍之介「満足してないわけじゃない」
薫「じゃあ、いいじゃないですか」
龍之介「でもね」
薫「はい」
龍之介「満足してないわけじゃないっていうのは、満足しているという事では
ないのよ」
薫「また微妙なとこですよね」
龍之介「微妙、微妙なとこなのよ。満足していないかという事ではないけど、
でも、高校を卒業して、かれこれ二十年。役所に勤めてきてふと振り返った
り、前を見たりするわけよ・・」
薫「はい・」
龍之介「振り返るっていってもあれよ(と、本当に振り返ってみせる)こうや
って振り返ってみるわけじゃないのよ」
薫「ええ、わかってます」
龍之介「前を見るっていっても」
薫「(と、自分の顔の前に手のひらを持ってきて、視界を一部分しか見えない
ように遮ってみせる)こうやって前を見るわけでもないんですよね」
龍之介「そう、そう、そうなのよ、でね・・」
薫「ええ・・」
龍之介「あ、その前に、もう一杯、フォアローゼズもらえる、ロックで」
薫「もう今日はこのへんにしておいた方がいいんじゃないんですか? けっこ
う酔ってらっしゃいますよ」
龍之介「あ、そう?」
薫「珍しく」
龍之介「あ、そう?・・」
薫「よっぽどショックだったんですかね、やっぱり」
龍之介「ショックだったね、再就職企業説明会、っていうからさ、なんかね
え、こんな会議用のテーブルとかを挟んでね、会社の資料とか出してくれて、
面談みたいな形のものを想像していたのね」
薫「はいはい」
龍之介「でもね、場所がビッグサイトって聞いたときに、そんな会議用の長机
で面談なんてしょぼいもんじゃないと気付くべきだったんだよ、俺は・・も
う、そっからなに、世間知らずじゃない」
薫「でも、想像つかないですよ、さっきからもう何度もその話、伺ってますけ
ど」
龍之介「ね、想像つかないでしょ、モーターショーってわかる? 新しい車の
発表会、あと、ゲームショー」
薫「新しいゲームの発表会」
龍之介「あんな感じなの、もう、各社とも、ド派手なブースでさ、会社案内の
ビデオを大きな液晶のスクリーンに映し出して、自分の企業のPRよ。その説
明を聞くために用意されているパイプ椅子だって、五十席、六十席なんて中堅
企業だもの。大きいとこは百席とか用意して、整理券がないと入れないんだも
の。もちろん、来てる人間もハンパじゃない数なの。押し合いへし合い。世の
中、こんなにも再就職を考えているのかって、もうそれがまずびっくり。俺な
んかね、その職を求める人の荒波に揉まれる一匹の子羊」
  薫、お愛想で笑っている。
龍之介「それでね、十時ちょうど、十一時ちょうど、とかって、会社の説明が
一時間おきに四十分づつあって、ちょっと席が空いている企業の説明を聞いて
みようと思ったんだよね。家のね、材木を扱っている会社なんだけどね、業界
四位なんだって」
薫「大きいですよね、業界四位って」
龍之介「一位がね、松下電工、ナショナルね。年間の売り上げが、二六00億
円だって」
薫「(笑って)二六00億・・」
龍之介「でね、その会社の人が、うちは一位の松下電工さんから大きく引き離
されておりまして、現在六三0億でございます、だって」
薫「ダメなんですか? 六三0億だと?」
龍之介「ダメみたい。これから、伸ばしていくためにも、良い人材が必要なん
ですって」
薫「六三0億から、がんばって、二六00億の松下電工さんを超える人を」
龍之介「求めて、再就職セミナーにブースを出して求人しているわけだよね」
薫「まあ、一番肝心なのは、人材ですからね」
龍之介「そういう所にね、今度の土日に『再就職のための会社説明会』が、あ
るんだ、へえ、ビッグサイトかあ・・どれどれ、ちょっくら行ってみるべか
な、って冷やかしみたいなつもりで出掛けていったわけだわさ」
薫「なんで、そんな変に訛ってるんですか」
龍之介「いや、そういう気分だからさ・・したら、まあ、どえりゃーことにな
っとたわけさ」
薫「再就職を希望する人の波」
龍之介「(自分を指差して)に、揉まれる一匹の子羊」
薫「それはもうわかりましたって」
龍之介「でね、その会社の説明が四十分あるんだけど、普通ね、ってうか、俺
はね、会社の説明っていうのは、会社が持ってる箱根の保養施設が、とかさ、
有給休暇がどうで、とかって話になるかって思ってたら、全然ちがうの」
薫「ニュージーランドだったんですね」
龍之介「そうそう、そうなの、そうなのよ」
薫「ニュージーランド」
龍之介「話はニュージーランドなわけ。その会社はね、木材を確保するために
ニュージーランドの北の方の島に、琵琶湖くらいのおっきい森林の、樹を育て
る権利っていうのを買い取って持ってます、というところから話は始まるの。
それで、その樹がね苗木から植えて成長して伐採できるようになるまで、三十
年かかるのね、だから、その琵琶湖面積の森を三十に分割して、一年一ブロッ
クを伐採したとしたら、すぐにそこにまた樹を植える」
薫「三十年かかるから、三十のブロックに分けて、一年づつミッションを達成
していくんですね」
龍之介「そうそう、そうよ、そうなのよ。どうかね、これは・・・ちょっと
ね、食らったっていうか、目からウロコっていうかね・・びっくりしたよ。い
きなり『我が社はニュージーランドの植林権を持っておりまして、三十年計画
で、緑を絶やすことなく、良質の木材を入手、販売する独自のルートを持って
おります』って」
薫「すでに今からもう三十年後の会社のことを考えてるってことですからね」
龍之介「ねえ・・だって、そんなねえ、俺なんか三十年後、今、自分が勤めて
いる役所がどうなっているか、なんて、考えたこともなかったからさ」
薫「普通は考えませんよ」
龍之介「だよね」
薫「目の前のことに追われて、なんとかそれをやり過ごすので精一杯ですよ、
みんな」
龍之介「だよね、だよね」
薫「そうですよ」
龍之介「でも、やっぱ民間はそうなのかなあ、そうでないとやっていけないの
かなあ、ってね」
薫「環境のこととか、考えてるところまでが、企業のイメージになってきまし
たからね」
龍之介「でも、三十年後にね、今の会社に自分がいるかどうかっていったら、
もう、その今、樹を植えた人は退職するかどうかってとこでしょう?」
薫「三十歳で植えたら」
龍之介「六十で伐採。ね、ほら、六十定年だったら、もう三十で植えたものの
伐採に立ち会えるかどうか」
薫「それはでも、ロマンのある仕事ですね」
龍之介「ロマン・・・ねえ」
薫「三十年前に自分が植えた樹を伐る時の気持ちってどうなんでしょうね」
龍之介「仕事で植えた樹が育って、それを伐るやいなや、自分が定年を迎え
る、わけでしょ」
薫「やり遂げた・・感はありますよね」
龍之介「仕事を続ける目標があって、それに向かってって、達成して、終わ
る。考えたこともなかったからなあ、朝起きて、とりあえず遅刻しないで行っ
て、残業しないようにがんばって、それで給料日までの日にちを数えて、月曜
だといって、うんざりし、金曜になたら、もう金曜かよって、驚いたりして、
でも、すぐにまた月曜がやってきて」
薫「うんざりして」
龍之介「ねえ・・仕事にロマンなんてないって思ってたし、同じないなら、他
のことでもって、思ってたところだったからねえ」
薫「なおさら食らっちゃったんですね」
龍之介「もう、もう、本当にねえ」
薫「ええ・・」
龍之介「宇宙には行けないんだな、って」
薫「・・宇宙ですか」
龍之介「そう、月に降り立つ事はできないんだなって」
薫「(わかった)ああ・・」
龍之介「その材木の会社もね、共にそうやって夢を現実にしてくれる仲間を求
めてああいう再就職のエキスポみたいなのやってるわけだろうけど、でも、そ
こには行けないなあ、もうって、とこだね」
薫「もう・・・ダメですかねえ」
龍之介「時間だけはね・・どうしようもないじゃない」
薫「ですね・・それは」
龍之介「まったく自分と違った生き方をしている人間がいる。今日、俺はその
男を・・気が付いたら四十分、突っ立って見ていた。そのね、彼の話の琵琶湖
の森林の話もさ、それはそれでおもしろかったけど、自分とまったく違う環境
でね、文字通り、そこで生きている人間に出会うっていうほどのものじゃない
けど、そんな人間にお目に掛かるチャンスってのは意外とないものなんだな、
とか、そんな事ばっかり考えてた。さっきのね、もう、自分が月へ行く事はな
いだろうっていう事もそうだし、
  龍之介、その場のちょっと沈んだ雰囲気を壊すように明るく、
龍之介「まあねえ、そんなことを考えたわけだ。再就職セミナーに行って」
薫「結果、良かったってことじゃないですか。再就職するとか、しないとかっ
て問題ではなくて」
龍之介「そうそう、そうなのよ」
薫「思いがけないところで、思いがけぬ経験をした」
龍之介「不思議なもんだね、すごい旅してきたって感じ。会社説明会だよ、で
も、なんだか、行ったこともない、そのニュージーランドの森林の中に自分が
立っている姿を、無理矢理想像してみてた。静かで、ひんやりとしていて、目
に入る物のほとんどが緑色をしていて・・そこで働くってなんなんだろうっ
て。もちろん、木を伐採して、植林してそれで仕事が終わるわけではなくて、
枝を掃ったり、樹木がちゃんと育っているかどうか、体調っていうの? 樹木
の健康に気を遣ってさ・・そんな仕事をしている人間の顔って、いったいどん
なんなんだろうって・・ね」
薫「その、説明会でスピーチしていた人は日本の東京の人事部の人でしょうか
らね」
龍之介「ねえ、まあ、そりゃあ、研修でその森林を見に行くってことはあるか
もしれないけど、そこでずっと働いている人はまた別にいるわけでしょう。三
十年、気の遠くなるような仕事。でも、確実に、木は育つ。自分の仕事が・・
文字通り成長していくのを目の当たりにできるわけだからね」
薫「それはそうですね・・いろんな理由をつけたところで、自分がやっている
仕事が形となって、大きくなっていくのを自分の目で見ることができる人って
のは、そうそういませんもんね」
龍之介「それは・・幸せだろうねえ」
薫「いい顔になるんでしょうねえ・・そういう仕事をして、そういう人生を送
っている人っていうのは・・」
龍之介「あのさあ」
薫「ええ」
龍之介「尾崎豊っていたじゃない」
薫「尾崎豊」
龍之介「尾崎」
薫「好きですよ、尾崎豊、カラオケで歌えますよ」
龍之介「え? カラオケで尾崎、歌ってるのって想像つかないけど」
薫「持ち歌は『ノラ』なんですけど」
龍之介「『ノラ』演歌じゃない」
薫「演歌歌謡ですよ」
龍之介「どう違うの?」
薫「演歌よりの歌謡曲、歌謡曲というよりは演歌って言われちゃうような曲で
すよ」
龍之介「『ノラ』ね、『ノラ』なら歌ってる姿がわかる」
薫「若い人は知りませんからね『ノラ』なんて・・だから、若い人がいる時は
ガクトとか無理して歌うんですけど・・」
龍之介「尾崎あたりの世代だと」
薫「『I LOVE YOU』を」
龍之介「ああ、『I LOVE YOU』ね」
薫「中島美嘉バージョンで」
龍之介「また、ひねりを加えてくるね」
薫「だから、好きですよ、尾崎」
龍之介「うん・・・尾崎のさ『シェリー』って曲のさあ『俺はうまく笑えてい
るか』『俺の笑顔は卑屈じゃないかい』って、思わず、あの歌詞を思い出しち
ゃってさあ」
薫「『俺はうまく笑えているか』」
龍之介「そう思って自分自身のことを振り返って考えた時・・正直、怖くなっ
た。笑えてないんじゃないかって」
薫「そんなこともないと思いますけどね」
龍之介「そんなこともない・・そんなこともないよなって・・うまく笑えてな
いことはないよな、って自分で確認して、本当に胸をなで下ろしたんだけど
ね。俺はうまく笑えているか・・」
薫「良い歌詞ですよね」
龍之介「恐ろしい言葉だよ」
薫「うまく笑えていない人にとってはね」
龍之介「怖いよね」
薫「でも、うまく笑えているじゃないですか
。笑顔、素敵ですよ」
龍之介「営業上のお世辞でも、今はありがたい」
薫「そんな・・そんなことありませんよ」
龍之介「いや、ほんと、今の言葉、ありがとうって感じ」
薫「私、微妙に嘘はつかないことにしてるんですよ、たとえ仕事中だとして
も」
龍之介「なに、微妙にって」
薫「どうしても、自分の心に反することを言わなきゃなんない時ってあるじゃ
ないですか、こういう仕事やってたりすると」
龍之介「ああ、まあ、ねえ・・」
薫「でも、そういう時でも、微妙に、意味がわからないように、本心から言っ
てないように言うようにしてるんです」
龍之介「(おもしろがっている)へえ・・」
薫「時々ね、嘘ついて、お客さんの話に寄り添って、そうですよね、はいは
い、って言っていれば、済むのになあ、って思ったりもしますよ」
龍之介「でも、それはやらないんだ」
薫「それをやり始めると、どこまでもそうなっていく。自分の私生活でも、そ
れをやり始めてしまうようになるんです」
龍之介「ああ・・そうかもね、それはね・・わかる気がする」
薫「だから、営業上の世辞ではなくって」
龍之介「うん」
薫「ちゃんと笑えてると思いますよ」
龍之介「ありがとう」
薫「・・ニュージーランドの森林の中にいなくても、笑える人は笑えると思い
ますよ」
龍之介「そう・・そして、問題は明日もちゃんと笑えているかってこと」
薫「そうですね」
龍之介「明日の、俺の笑顔が、卑屈じゃないかい? ってことだね」
薫「そうですね・・」
龍之介「もう一杯、もらえる?」
薫「まだ、お呑みになります?」
龍之介「山崎を・・ロックで」
薫「はいはい・・」
龍之介「明日のために・・」
  ゆっくりと暗転していく。