第105話  『失踪』
  明転すると役所の「すぐやる課」の部屋。
  デスクに座っている新。
  その前で直立不動の龍之介。
新「ねえ、柳沢君」
龍之介「はい」
新「そもそも・・すぐやる課のモットーってのがあるでしょう」
龍之介「すぐやる課のモットー」
新「あるでしょう」
龍之介「あります」
新「なんなの? すぐやる課のモットーって?」
龍之介「すぐにやらなければならないことは、すぐにやります。市民相談室、すぐやる課です」
  言いきってちょっとほっとしている龍之介。
新「で、ね、柳沢君」
龍之介「はい、課長」
新「すぐやる課はすぐにやらなけれればならないことをすぐにやるところなんですね」
龍之介「はい」
新「すぐにやらなければならないことをすぐにやればいいだけで、すぐにやらなくてもいいことはやらなくてもいいですよ」
龍之介「はい、もちろんです」
新「わかってる?」
龍之介「わかってます」
新「スーパーの正丸で買い物をするのはすぐにやらなければならない、すぐやる課のお仕事なんですか?」
龍之介「いや、おばあさんに、どうしてもって言われたもんで」
新「どうしても?」
龍之介「頼みますって・・言われちゃっちゃっちゃ・・」
新「じゃあ、おばあさんにお使い頼まれたとして、それはすぐにやらなければいけないことなんですかね」
龍之介「地域の人が困ってるんですから」
新「でも、困ってるといえば、みんな困ってるわけでしょう」
龍之介「ええ・・まあ、そうなんですけどね」新「みんな、猫の手も借りたいと思っているわけですから」
龍之介「猫の手・・ですかね、すぐやる課は」
新「猫の手にするも、しないも柳沢君の行動ひとつににかかってるんじゃないですか」
  と、新の携帯に着信した。
新「あ、ちょっと待ってくださいね」
龍之介「あ、はい、どうぞ(と、携帯を示す)・・」
  新、携帯に出る。
新「はい、もしもし・・新でございます・・はい・・そうなの・・まだ見つからないの・・ええ、ええ・・」
  黙って様子を伺っている龍之介。
新「いいの、いいのよ、頼ってくれていいの、ね、幸人(ゆきひと)は上海なんだから、今、美沙子さんが頼れる人は私しかいないんだから、ね、いいの、いいのよ。警察は? いいじゃない、いい顔されようが、されまいが、そんなこと気にしている時じゃないでしょう。警察には警察の仕事をしてもらいなさい。そのための警察なんだから、いいのよ、頼りなさい人に、力を借りなさい、いろんな人に、美沙子さん、あなた一人では無理なんだからね、いいわね・・」
  と、電話が終わった。
  携帯を閉じる新。
龍之介「真人君・・どうかなさったんですか?」
新「ええ・・ちょっと」
龍之介「ちょっと?」
新「行方不明に」
龍之介「行方不明って・・」
新「養護学校から一度、家に戻ったらしいんですけど」
龍之介「どのあたりですか? ちょっと探しに行ってきますよ」
新「待って下さい」
龍之介「はい?」
新「柳沢君、待って下さい」
龍之介「・・・はい」
新「どこへ行くんですか?」
龍之介「え? だから、真人君を捜しに・・」
新「それは、すぐやる課の仕事ですか?」
龍之介「え?」
新「それは、すぐやる課の仕事ですか?」
龍之介「え・・ええ、もちろんですよ・・これをすぐにやらなくて、なにをすぐにやるっていうんですか? だって、あれじゃないですか、お孫さんが一人、失踪しちゃってるんですよね」
新「ええ・・そうです」
龍之介「すぐにやらなくてどうするんですか?」
新「いなくなった子供を捜すのは、すぐやる課の仕事ですか?」
龍之介「違うんですか?」
新「違いますよ」
龍之介「どうしてですか?」
新「人がいなくなったら、探すのは警察です。これは警察の仕事です」
龍之介「それはそうです、それはそうですよ。まず警察です。でも、うちらがやっていけないってことはないじゃないですか」
新「やっていけないことはないです。でも、やらなければならないことをやるのが、すぐやる課なんでしょう」
龍之介「やらなければならないでしょう」
新「なんでもかんでもやればいいってもんでもないでしょう」
龍之介「なんでもかんでもってことじゃないじゃないですか、これは」
新「今、警察が探してくれています、私はここで待ちます」
龍之介「探すのは一人でも多い方がいいと思いますが」
新「もしも、そうしているうちに、本当にすぐやる課の仕事が発生したら、どうするつもりですか? 本当にすぐやる課でなければできない仕事ができたとしたら」
龍之介「じゃあ、なにか電話がありましたら、僕の携帯に電話を下さい、そこから現場に直行します」
新「いけません」
龍之介「どうしてですか!」
新「これは私事(わたくしごと)です。私事に、自分の部下を使うわけにはいきません」
龍之介「真人君も・・真人君のお母さんも市民でしょう。市民が困っているんならですね・・」
新「いけません」
龍之介「今、目の前にすぐにやらなければならないことがあるんです」
  と、また携帯に着信した。
新「はい、私です・・」
  と、その間に龍之介は立ち去ろうとする。
新「待ちなさい! 柳沢君」
  龍之介、立ち止まる。
新「いけません、ここにいなさい、いてください(そして電話に)もしもし、ごめんなさい、ちょっとこちらもごたごたしていて・・ええ・・ええ・・」
  龍之介、立ちつくしたまま、その電話のやりとりを聞いている。
新「はい・・はい・・もちろん、そうです。警察の方達も探してくださるでしょうけど、あなたが一番動かなければダメですよ。ええ、怒っているわけじゃないのよ。ごめんなさいね、今まだ仕事中だから、はずせないの・・行ってあげたいのは山々なんだけどね」
龍之介「行ってきます」
  と、出ていこうとする。
新「待ちなさい、柳沢君!」
  そして、携帯に、
新「ごめんなさい、こっちの話です。いいのよ、そんなのは、申し訳ありません、って美沙子さんが頭を下げればすむことなのよ、私もあとで行って頭を一緒に下げればすむことなのよ。プライド? プライドなんて真人の前でどれだけの意味があるの? プライドがなにかしてくれるの? 迷惑かければいいのよ、みんなに。だって、だってあなたは大変なんだから。私も一生懸命やってますけど、でも、それでも足りないんです、だから助けてくださいって、言っていいのよ。そうね、そうよね、それはそうよね。これまで他人に迷惑かけちゃいけないって言われては来ただろうけどね、でも、時と場合によるのよ、そんなものは。いいわね・・美沙子さん・・」
  と、そこで新の言葉が途切れる。
  新、龍之介に向かってぼそりと、
新「切られちゃいました・・難しいわね、伝えるのは・・よかれと思っているんですけどね・・」
龍之介「本当に行かなくていいんですか」
新「・・結構です」
龍之介「どうしていいんですか?」
新「今、身内が手伝ったら、あの人はずっと頑ななまま、一人でなにもかも背負い込んで(しょいこんで)しまうからです・・」
龍之介「・・・・」
新「人に迷惑をかけること、甘えること・・それをやっていいことを・・覚えてもらわないといけないんですよ」
龍之介「・・それでいいんですか? 今、優先しなければならないことは、それなんですか?」
新「・・・・・」
龍之介「今、新課長が・・今すぐにやらなければならないことは、それなんですか?」
新「私はこれだと思います」
龍之介「本当に、それでいいんですか?」
新「柳沢君」
龍之介「はい」
新「いつもいつもあなたは本当にしつこいですね」
龍之介「はい」
新「・・本当に」
龍之介「こういうことはなるべくしつこく食い下がるようにしています」
新「とても・・良いことだと思います」
龍之介「・・でも」
新「いいんです・・私もいつまで、いなくなったら探しにいくとか、そういうことができるか・・わかりませんからね・・その時・・ってのもあるんですよ」
  と、また携帯が着信した。
新「はい・・はい・・そう、よかったわね・・」
  新は龍之介に電話をしながら「どうもありがとう、御心配おかけしました」というジェスチャーをする。
新「だから言ったでしょう・・あなたが取り乱しちゃダメなのよ・・必ず見つかると思って探すことです・・はい、はい・・私にお礼なんていいんですよ・・私はなにもしてません・・なにもしてませんから・・はい、はい・・それよりも真人は泣いているんでしょう。こんな電話なんかしてないで、側に行って泣かなくていいと言ってあげなさい。大丈夫だと言ってあげなさい。それは美沙子さん、あなたにしかできないことなんですからね・・あ、それから、美沙子さん! いい? くれぐれも、どうやってここに来たのか、とか、どうしてここにいるのかとか聞いちゃダメよ。真人はいるんだから、いることを良しとするのよ、いて良かったんだから、それで十分なんだから・・いいわね、切りますよ、はい・・はい・・」
  電話を切る新。
  そして、龍之介に向かって。
新「桃山小学校のトイレで発見されたそうです」
龍之介「ああ・・よかったですね」
新「ええ・・ほっとしました・・」
龍之介「え? 桃山小学校?」
新「桃山小学校で」
龍之介「桃山小学校? 養護学校のトイレじゃなくて?」
新「ええ・・桃山小学校のトイレに勝手に入ってたそうです」
龍之介「そうですか」
新「そのトイレがですね・・洗剤がぶちまけられてたそうなんですよ。水に濡れたトイレットペーパーが散乱してて・・その中で真人は泣いていたそうです。それで、見つけてくれた小学校の先生が、これは君がしたの? って聞いたら、真人は「知らない」って答えたって・・「知らない」って・・」
龍之介「そうですか」
新「ガラスを割ったり、ドアを蹴ったり、便器を壊したりってことじゃなくて、洗剤とトイレットペーパーがぶちまけられていたって・・トイレは、洗剤やトイレットペーパーやなんかの・・綺麗なもので、汚されていたんですよ」
龍之介「でも、小学校に、なんでまた」
新「桃山小学校は・・真人が・・行くはずだった小学校なんですよ」
龍之介「・・そうですか」
新「そこに行けば・・」
龍之介「友達がいると思ったんですかね」
新「そうね、そうでしょうね」
龍之介「離ればなれになっちゃったから、ですかね」
新「だから・・トイレでそんなことを」
龍之介「・・でも、そのトイレにいた真人君は「知らない」って言ってるんですよね」
新「(頷いて)真人はね・・」
龍之介「じゃあ、知らないんじゃないんですかね・・それを誰がやったかは誰も知らないでしょう」
新「・・みんな知ってるのに?」
龍之介「・・誰にもわからないじゃないですか」
  間。
新「・・いてくれてよかった、本当に・・いてくれて」
  間。
  と、テーブルの上の飲みかけの紅茶のカップに手を伸ばした新。
  突然、その新の手の中でカップが震え、激しい音を立て始める。
  まるで新がカップをソーサーに小刻みに叩き付けて割ろうとしているかのよう。
  カチャカチャ! カチャカチャ! カチャカチャ! カチャカチャ! カチャカチャ! カチャカチャ! カチャカチャ! カチャカチャ! カチャカチャ! カチャカチャ! カチャカチャ! カチャカチャ!
  驚いてその音を立てる手を見る龍之介。
龍之介「!」
  だが、驚いているのは龍之介だけではない、自分の手の震えが止まらない新もまたそんな自分自身に驚いている。
  カップの中に入っていた残りの紅茶もすでにテーブルの上に飛び散っているが、それでもまだ「震え」は止むことがない。
  龍之介、新の側まで歩いて行き、その震える手を片手で上からゆっくりと包み込むようにして掴み、震えを力づくで止めた。
  カップが立てる音も・・止む。
龍之介「・・・大丈夫です、見つかったんですから」
新「ええ・・」
龍之介「もう、大丈夫です」
新「ええ・・」
  龍之介、手の震えが完全に治まったことを確認して、押さえていた手を離した。
龍之介「片付けに行きますけど・・いいですか?」
新「片付け?」
龍之介「そのトイレの・・誰がやったかわからない、桃山小学校のトイレの。これはすぐやる課の仕事ですから」
新「どうして、すぐやる課の仕事なんですか?」
龍之介「だって、これは警察の仕事でもないし、その小学校の先生がやらなければならない仕事でもないじゃないですか・・もちろん、その場にいた真人君の両親がやることでもない。だって、真人君は「誰がやったんだ」と聞かれて、知らない、と答えてるんですから・・誰かがやる義務があることではない。それでも、そのままじゃあ、明日、学校に来た小学生達がみんな困るでしょう」
新「・・・・・」
龍之介「これは、すぐやる課がすぐにやらなければならないことなんじゃないんですかね。・・これをすぐやる課がすぐにやらなくて誰がやるって言うんですか?」
新「そうですか」
龍之介「そうですよね」
新「はい・・そう言っていただけると」
龍之介「すぐやる課は市民の通報がないと、出動しちゃいけないんですかね」
新「そんなことはありません」
龍之介「ですよね」
新「よろしくお願いします・・・」
龍之介「すぐにやらなければならないことはすぐにやります。市民相談室、すぐやる課です」
  立ちつくす二人。
  明かりが変わり、曲が入る。
  龍之介、踵を返した瞬間。
  暗転。