第97話  『南十字星はいづこ』
  ホテルのプールサイド、夜。
  デッキチェアが二つ、そして、それぞれにサイドテーブル。
  デッキチェアに寝ころんでいるカン、本を読んでいる。
  やってくる拓弥、手にはトロピカルドリンクのグラス。
拓弥「満天の星ってのはこういうことかね」
カン「キレイ?」
拓弥「綺麗だね」
カン「だろうねえ」
拓弥「え? なんで、カンちゃん見えないの?」
カン「眼鏡、部屋に忘れてきた」
拓弥「なんで?」
カン「だって、星とか、そんなにねえ、見たりしないじゃない」
拓弥「ああ、まあねえ、東京にいたらねえ」
カン「眼鏡、とってこようかな」
拓弥「どれくらい見えるの?」
カン「そうね・・東京で眼鏡掛けて空を見ているくらいは見える」
拓弥「・・南の島に来たって感じだよ」
カン「あっという間にビールがぬるくなるし」
拓弥「っていうか、あれだよね、ここの蝿って、なんか元気良くない?」
カン「あ、それ思った」
拓弥「東京の蝿よりも元気いいよね」
カン「なんかパワフルなんだよね、蝿が」
拓弥「蚊もでかいし」
カン「まるまるしているんだよな、蝿が」
拓弥「食べ物がいいのかなあ」
カン「蝿の?」
拓弥「うん・・」
カン「食べ物だったら日本の方が良いような気がするけど・・余り物もいっぱいあるし」
拓弥「そうか・・それはそうだよな・・あ、でも、添加物とか合成着色料とかがさ、蝿には悪いのかもよ」
カン「あ、なるほどね」
拓弥「やっぱり自然が一番だよ」
カン「蝿も丸々太って元気だしね」
拓弥「なに読んでるの?」
カン「『狂骨の夢』・・京極夏彦」
拓弥「え、どういう話?」
カン「・・葉山の山中で男女集団自決が起きるんだけどね、それに絡まって縺(もつ)れるようにして老作家が殺されるの、その老作家の妻はね、情緒不安定で、死者が何度も復活しては自分の元を訪れるって言ってて、その度に死者を殺してはその首を切ることを繰り返してしまうんだよ。死者が復活するし、前世の記憶がからんでいたり、黄金のドクロ事件ってのもあってね・・」
拓弥「もういい、もういい、もういいです、そのくらいで勘弁してください」
カン「おもしろいんだけどなあ」
拓弥「それはあれ、ここに来て、この薄暗いプールサイドで読まなきゃなんないものなの? そんなことしているから目が悪くなって眼鏡がないと、この文字通り降るような星々が見れなくなっちゃうんじゃないの?」
カン「うーん・・人生、なにを取るかだよね」
  と、拓弥、空を見る。
拓弥「あんま、東京で夜、空なんか見ないけど、でも、星の並びが変わると、こんなにも違和感があるものなのかな」
カン「見知らぬ夜空、見慣れぬ星空」
拓弥「本当だねえ・・どこをどう見ていいのか・・」
カン「どれがどういう星座かわっかんないなあ」
拓弥「・・一番長い星座の名前って知ってる?」
カン「いや・・」
拓弥「ガチョウをくわえたキツネ座」
カン「な、なに?」
拓弥「ガチョウをくわえたキツネ座」
カン「ほんとに?」
拓弥「ほんと、ほんと」
カン「それは、タモさんも、MEGUMIも・・ビビるも・・はしのえみも・・みんなへーだね」
拓弥「でも、さすがだよね、荒俣宏さんは知ってた」
カン「ああ、やっぱりね」
拓弥「ガチョウをくわえたキツネ座・・」
カン「ふうん」
拓弥「通称、こぎつね座」
カン「それ、最初からこぎつね座でいいじゃん!」
拓弥「どれがガチョウをくわえたキツネ座なんだろう?」
カン「ガチョウはまず、どれ?」
拓弥「ガチョウとキツネってどっちが大きいの?」
カン「キツネじゃないの?・・あ、でも、通称はこぎつね座なんだ」
拓弥「こぎつねだったら、ガチョウの方がでかいだろう? 自分よりでかいガチョウをくわえてるのかなあ」
カン「キツネにくわえらえたガチョウ座、ってこと?」
拓弥「あ、あれは? あれ、ガチョウに見えない?」
カン「見えない・・」
拓弥「そうか」
カン「眼鏡ないから」
拓弥「とって来なよ、もったいないよ、八万九千円のツアーだよ! いろいろ経験しないと、見て、食べて、八万九千円分の体験をしないと」
カン「なんか、セコイんだよな」
拓弥「え、なに?」
カン「あ、いや、星の並びがガチョウに見えるってのもものすごい想像力だよなあって・・」
拓弥「うん、無理矢理、想像しているけどね・・こじつけと言っても過言ではない・・あ、でも、あれがあるんじゃないの?」
カン「なに?」
拓弥「南十字星!」
カン「あ・・ああ、そうか・・南だもんね」
拓弥「見えるよね」
カン「南十字星・・どれ?」
拓弥「見えるの?」
カン「南十字星でしょう? 見えるでしょう・・いや、逆に他の細かい星が見えない分、きわだって見えるはず」
拓弥「あ、ああ、そうか・・」
カン「四つの星なんでしょ?」
拓弥「この満天の星から四つだけ選ぶの?」
  と、庭の方を見て。
拓弥「あれは・・なにしてんだろ?」
カン「水撒いてんでしょ・・」
拓弥「なんで夜、水撒くの?」
カン「朝とか昼に撒くと土の中に水が浸透する前に蒸発しちゃうからじゃないの?」
拓弥「ああ・・そうか・・」
カン「すごいな、スプリンクラーが埋め込まれてるんだ、等間隔に」
拓弥「ホースで水撒いてたら、朝になっちゃうよ、こんな広い庭の木から芝から全部に水やろうと思ったら・・それでも、一仕事だよなあ、水撒くだけでも・・」
カン「聞いてみたら」
拓弥「え?」
カン「あそこで水撒いている人に」
拓弥「ああ・・ホテルの従業員なら知ってるか・・どれが南十字星か・・(と、呼ぶ)エクスキューズミー」
  と、従業員がやってくる。
カン「あ、俺、ビールも頼みたい、タクちゃんは?」
拓弥「あ、俺もビール・・でも、もう一杯、ブルーハワイいっちゃおうかな・・ビールは日本でも飲めるしね」
カン「シンハね、シンハ」
拓弥「え?」
カン「シンハビール一つね」
拓弥「・・あの、ですね・・南十字星・・を、探してるんですけど」
  よくわからないよう。
拓弥「(さらにゆっくり)南十字星・・を・・探している・・んですけど」
  よくわからないよう。
カン「日本語、ダメなんじゃない?」
拓弥「南十字星って・・」
カン「サザンクロス・・」
拓弥「(天を指さして)サザンクロス、サザンクロス」
  わからないよう。
拓弥「(カンに)サザンクロスで合ってるよな」
カン「うん・・(英語で)ういーあー、るっきんぐふぉーさざんくろす・・」
拓弥「サザンクロス、わかんないかな・・サザンン・・」
  と、拓弥とカン、二人で手をクロスさせて。
拓弥「クロスゥ!」
  一応、ポーズは決めてみるが、
カン「これはちょっと・・」
拓弥「ますます伝わりづらい方法をとったかもしれないな」
カン「あ、いや(と、再びポーズを決めて)こういうポーズをしてくれってことじゃないんです」
拓弥「上、です、オーバーです、空ですスカイです」
カン「スター、スター」
拓弥「サザンクロス・・」
カン「・・サザンクロス」
拓弥「わかんないかなあ・・(カンに)わかんないものなの?」
カン「いや、いやいやいや、そんなことはない」
拓弥「絶対知ってるよな」
カン「たぶん」
拓弥「たぶん・・絶対知ってる・・僕らの国には北斗七星っていうのがあって、柄杓の形をしていて・・この国には南十字星というね、星座があるんですよ・・(そして、カンに)って言ってやって」
カン「あ、いやいや、そんな英作文ができるようなら、もっとましな人生を歩んでいますよ」
拓弥「北斗七星・・は、柄杓の形で・・(カンちゃんに)柄杓って、英語でなんて言うの? せめて柄杓だけでも・・」
カン「柄杓? 柄杓って・・」
拓弥「ああ・・もうちょっと英語をちゃんとやっていればよかったよ」
カン「柄杓はHISYAKUじゃないの?」
拓弥「北斗七星ってのはなんていうの?」
カン「北斗七星?」
拓弥「なんか、ブルートレインかなんかでなかったっけ? 北斗七星をネーミングしたやつ」
カン「北斗七星号じゃないの」
拓弥「ダメだ、まんまかよ」
カン「北海道の特急列車でしょ」
拓弥「そんな余計な知識は今、いらないんだよ・・北斗七星だよ、北斗七星」
カン「あの・・北斗神拳伝承者の胸にもあるんですけど」
拓弥「それもわからんと思うよ」
  そして、諦めながらも二人、最後に一言。カン「・・サザンクロス」
拓弥「サザンクロスなんですけど・・」
  しかし、わからない、と言われてしまったよう。
拓弥「オーケー」
カン「グッドナイト」
拓弥「グッドナイト」
  と、去っていくその従業員を見送る。
拓弥「・・俺達の英語力のせいかな?」
カン「いや・・どうだろ・・ちがうと思うけどなあ」
拓弥「ちがうよな」
カン「ちがうよ」
拓弥「知らないことをを聞いちゃったかな」
カン「知らないみたいだったよね」
拓弥「南十字星を・・知らない?・・なんで?」
カン「北斗七星ってさ」
拓弥「うん」
カン「誰に教わった?」
拓弥「え? ん・・学校じゃないの?」
カン「だよね」
拓弥「そうだよ、四年生くらいの時に、星座早見盤とかもらってさ・・」
カン「こぐま座にあるんだ、とかね」
拓弥「おおぐま座だろう、北斗七星は」
カン「あれ、そうだっけ?」
拓弥「おおぐま座のしっぽのところが北斗七星だろ」
カン「言われてみればそうだったような気がする」
拓弥「あの時、星座早見盤見て、星座とか覚えて、これはいったい役に立つ時がくるのか? ってどっかで思ってたけど、でも、まあ、知っててよかったってことかなあ」
カン「鶴亀算とかね、未だに知っててよかった、ああ、それは鶴亀算で解けばすぐに答えは見つかるよ、っていう機会は未だに訪れないけどね」
拓弥「学校で教わったんだよな・・星座って」
カン「そうだよ・・学校行ってなかったら、知らないよな、南十字星なんて」
拓弥「子供の時・・空見て、ああ、あれが南十字星だって、そういうのはなかったのかな」
カン「夜、空を見る暇があったかってことでしょう」
拓弥「ああ、そうか」
カン「現に、今の今だって、ホテルの庭の植木や芝にスプリンクラーのスイッチ入れて、水撒いているんだから」
拓弥「空は見ないか」
カン「見てる暇、なかったのかも・・これまで」
拓弥「これからもかな」
カン「たぶんね」
拓弥「南十字星はどれですか? あれだよ、あれが南十字星なんだよ、って・・俺達には北斗七星があって、ここには南十字星があるんだよ・・そんな話はできないのか」
カン「できたらいいのにね」
拓弥「学校か・・」
カン「・・そういえばさ」
拓弥「なに?」
カン「『銀河鉄道の夜』ってあるじゃん」
拓弥「ああ・・」
カン「あれ、最後、どこ行くか知ってる?」
拓弥「最後・・ってどこだっけ」
カン「南十字星なんだよ」
拓弥「え? そうだっけ?」
カン「そう、さっきサザンクロスって言って思い出した・・銀河鉄道は北からずっと南に向かって走るんだよ、はくちょう座にある白鳥の停車場から始まって、南十字星にたどり着く。それで、最後に車掌が言うんだよ、まもなくサザンクロスです、みなさん降りる準備をしてくださいって。それでもジョバンニとカンパネルラの二人は降りないで、銀河鉄道で二人っきりになるんだ。列車の窓の外に見える天の川が見えてて、その一部がね「真っ暗な孔が本当にあいている」ように見える「石炭袋」ってのが出てくるんだよ」
拓弥「石炭袋?」
カン「南十字星の近くに暗黒星雲があるんだ。たぶんそのことを宮沢賢治は書いたんじゃないかって言われてるんだけど」
拓弥「暗黒星雲ねえ・・よく知ってるね、そんなこと」
カン「もしかしたら、一生使うことのない無駄な知識なんだけど」
拓弥「今日、使う機会があったじゃん」
カン「石炭袋のことをね宮沢賢治は、その底がどれほど深いかその奥に何があるかいくら眼をこすってのぞいてもなんにも見えず、ただ眼がしんしんと痛む、って書いてるんだよ」
拓弥「へえ・・」
カン「その後で「カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ」とジョバンニが言うとカムパネルラはもうどこかに消えてしまっているんだ」
  そして、拓弥、南の空を指さした。
拓弥「あった」
カン「なにが?」
拓弥「あれ」
カン「え?」
拓弥「あれだよ」
  カンも認識した。
カン「ああ・・」
拓弥「あれが南十字星だ」
  暗転していく。