第95話  『こんにちは』
  飛行場、トランジット待ちのスペース。
  暗転中にアナウンス。
  明転。
  ベンチに酒寄薫、その側にアトム。
アトム「すいません・・今のアナウンスはなんて言ったんですか?」
薫「え?
アトム「今のアナウンスです」
薫「ああ・・まだ飛行機、飛ばないみたいよ」
アトム「ああ・・そうなんですか」
薫「ねえ、もう四時間くらい待ってるのにねえ」
アトム「まあ、日本じゃないんですから、時間通りに進まないのもしょうがないですよ」
薫「そうね・・それは、誰に教わったの?」
アトム「お父さんとお母さんです」
薫「そう・・」
アトム「日本を出たら、日本の常識は通用しないんだからって・・時間通りに電車が来たり、飛行機が飛んだり、バスが来るってもんでもないし、シャワーからお湯が必ず出るとは限らないんだよって」
薫「ルドルニアは、そんな後進国ってわけでもないでしょう・・そのアトム君のお友達はどうしてルドアニアに行くことになったの?」
アトム「・・お父さんの転勤で二年前にルドルニアに・・」
薫「そうなんだ・・仲良かったんだね」
アトム「親友ってやつですよ」
薫「いいわね、親友か・・」
アトム「僕が日本で、あいつがルドルニアでって離れて暮らしてるけど、でも、メールはけっこういっぱいやりとりしているし、最近は、デジカメで撮った写真とかも送れるようになったんで、あんまり、遠くに離れているって感じはしないんですよ」
薫「そうか、デジカメの写真をメールか・・」
アトム「お姉さんは? 観光ですか?」
薫「ううん・・私も人に会いに行くの」
アトム「恋人とか?」
薫「(笑って)ちがうわよ」
アトム「彼氏?」
薫「(真面目に)違うって言ってるでしょう」
アトム「あや、すいません」
薫「妹がいるの」
アトム「へえ・・」
薫「同じ年のね」
アトム「え?」
薫「同じ年の妹がルドルニアにいるのよ」
アトム「なんっすか? 同じ年の妹?」
薫「私のお父さんはね、私が小さい頃からずっと日本とルドルニアを仕事で行ったり来たりしていたの・・それで・・それでってこともないんだけど、ルドルニアにも奥さんと子供がいたらしいの」
アトム「なんじゃそりゃ?」
薫「そうでしょ、そう思うでしょ、私もつい最近、そのお父さんが亡くなって、初めて知ったんだけどね、やっぱりその時、なんじゃそりゃって、思ったのよ」
アトム「ルドルニアの奥さん、と、子供・・」
薫「そう、だから、妹っていってもお母さんは違うんだけどね」
アトム「でも、お父さんは一緒」
薫「そういうこと」
アトム「じゃあ、お姉さんの妹さんはルドルニア人?」
薫「そうね」
アトム「日本語は?」
薫「全然・・まったくダメ」
アトム「お父さんは教えなかったの、日本語」
薫「教えても使う機会ないでしょう、ルドルニアじゃあ・・」
アトム「妹さんはお姉さんが日本にいるっていうのは知ってたんですか?」
薫「みたい・・なんだけど」
アトム「そのへんはよくわからない?」
薫「父がね、死ぬ間際に言い出しやがったもんだから、詳しいことがよくわからないのよ」
アトム「おまえには同じ年の妹がいるぞ・・って」
薫「そうそう・・体中にいろんなチューブつけられて、もう自分の力で生きてるっていうよりも、チューブで生かされているって感じでね・・うわごとのように言うもんだから、最初は妄想かと思ったんだけど、やけにディテールがリアルな妄想なんで、それでね・・調べてみたら」
アトム「ルドルニアにも家族があったんだ」
薫「最初はびっくりしてあわあわしちゃったけど、でも、お葬式とかすんで落ち着いていろいろ考える時間とかできてね・・地球上に会ったことない自分の妹がいるんなら、会いに行くべきじゃないかって思ってさ」
アトム「妹さんと会ったら、まず、なにを話したい?」
薫「なんだろう・・なんだろうね・・なんの話をするのかな、私は・・いろいろ考えたんだけどね・・やっぱ、会ってみないとわかんないかなって思って、出たとこ勝負っていうか」
アトム「どんな人か、顔とかは知ってるんですか?」
薫「(首を横に振り)ううん・・でも、父の話だと似てるらしいんだ、私に」
アトム「ルドルニア人で、似てるの?」
薫「血は争えないって、言ってた。別に争ってなんかいないんだけどね・・笑うよね、本当に似てたら・・(と、すでに笑い始めている)ふふふ・・・」
アトム「あ、待って、なに語で話すんですか?」
薫「それもねえ・・妹が英語とかできるといいだけど・・でも、私も英語いい加減だからなあ」
アトム「せっかく妹と初めて会うのに、言葉が通じないと大変じゃないですか」
薫「大変かなあ」
アトム「大変でしょう・・だって」
薫「なんかね、なんとなくわかるんじゃないかなって、どっかで思ってたりするんだけどね」
アトム「なんとなく、わかる?」
薫「一応、お父さんは一緒なんだから、血のつながりってのがあるわけでしょう?」
アトム「そりゃまあ、そうなんですけど」
薫「音声の出る電子辞書は持ってきたんだけど、なんか(と、電子辞書を使ってコミニュケーションしている動作をしてみる)二人で、会って、こんな、こんなことをしてもねえ」
アトム「せっかく初めて会うんだから・・」
薫「あとは・・すぐに使えるルドルニア旅の会話集・・これが本当にすぐに使えるのか・・ってとこなんだよね」
アトム「役に立つんですか、そういうのって」
  と、薫、その本を広げてみて。
薫「あなたは間違った電車に乗っています。ソーダィ、リ、デ、マニーヤ」
アトム「いやいや、乗りませんよ、間違った電車には」
薫「しかも、あなたは間違った電車に乗っています、っていうのはどういう状況の時に使うのかな・・私は間違った電車に乗っていますか? とかなら、まだありそうだけど」
アトム「あなたは間違った電車に乗っています、って、誰に向かって言うんですか?」
薫「わっかんない・・(と、また別の例文を読む)ル、ナルカ、ダー、ディスコ、サルーンフル、ラ。一番大きくてナウいディスコはどこですか?」
アトム「一番大きくてナウいディスコ・・・」
薫「カ、ルハンナ、ラ、ゲルフル」
アトム「それは?」
薫「泥棒はあっちに逃げました」
アトム「もっと使う可能性がある例文はないんですか?」
薫「これは僕の友達です」
アトム「え? なんて言うんですか?」
薫「レ、スッスル、ダミジョ」
アトム「ダミジョ」
薫「これはっていうのが、レ、スッスルらしいから、ダミジョってのが友達ってことかな」
アトム「ダミジョ」
薫「(アクセントやイントネーションを変えて何度か発音する)ダミジョ、ダーミジョ、ダミージョ? ん、やっぱりダーミジョかな」
アトム「ダーミジョ・・」
薫「一つ、言葉覚えたね」
アトム「友達、ダーミジョ」
薫「初めまして、私が姉です・・ってのはさすがにないな・・お会いできて嬉しいですってのはあるけど・・ラ、マスタリー、モジウル」
アトム「ラ、マスタリー、モジウル、妹・・あ、妹さんの名前ってなんていうんですか?」
薫「笑わない?」
アトム「え? 笑うってなんですか?」
薫「私ね、最初聞いた時、思わず笑っちゃったんだけど」
アトム「・・大丈夫です、今、心の準備ができましたから」
薫「ダイアナ」
アトム「・・ダイアナ?」
薫「私、名字、酒寄(さかより)っていうんだけどね」
アトム「酒寄ダイアナ」
薫「そうなの」
アトム「・・すごいですね」
薫「ね、すごいでしょう?」
アトム「なにがすごいのかよくわからないけど、なんかすごいですね」
薫「そうなのよ、すごいのよ」
アトム「ダイアナかあ・・」
薫「・・ラ、マスタリー、モジウル、ダイアナ」
アトム「お会いできて嬉しいです、ダイアナ」
薫「なんか、姉妹なのに他人行儀な感じだよね」
アトム「仕方ないですよ、初めて会うんですから。僕も、この前、妹が生まれたんです」
薫「へえ、そうなんだ」
アトム「十一歳下の妹です」
薫「そうなんだ・・お母さんに、妹か弟ができるよって聞いた時、どんなふうに思った?」
アトム「そりゃあもう、あれですよ。へえーって、ふえーって、ひょえーって・・」
薫「へえー、ふえー、ひょえー・・か」
アトム「僕にはもう兄弟なんてできないって思ってたから、一人っ子のまま大きくなって、一人っ子のままずっと過ごすんだ、って思ってたから・・妹か弟が生まれるって聞いて、ああ、僕はもう、一人じゃないんだって・・お父さんとお母さん以外に、僕の側に人がいるんだって思いました」
薫「それで、生まれたのが妹妹さんに初めて会った時、アトム君はどう思ったの?」
アトム「仲良くできるかなって・・・僕のことを好きになってくれるかな、ケンカをすることがあるのかなって、ケンカをすることもあるだろうけど、でも、すぐに仲直りできるといいな、って・・」
薫「そうね・・」
アトム「僕は君のことをできるだけ好きになるから、君も僕のことをできるだけ好きになってくださいって・・」
薫「そうね・・今、私も同じ事思ってる」
アトム「それで、妹か弟が生まれるって聞いた瞬間から、うちのお父さん、ずっと『こんにちは赤ちゃん』を歌い続けてたんです」
薫「『こんにちわ赤ちゃん』?」
アトム「そうです(歌う)こんにちわ、あかちゃん、私がママよって・・うちはお父さんが歌ってて・・でも、最初、あの歌の歌詞を聞いて変だなって思ったんですよ」
薫「変? 『こんにちわ、赤ちゃん』が?」
アトム「だって、自分の子供に、こんにちわって変じゃないですか・・おはようって言うのはわかるけど、こんにちは、って家族なのに」
薫「ああ、そうか・・そうねえ」
アトム「でも、妹が生まれてみてわかったんです、初めて妹の顔を見たとき、赤くて、小さくてなんだかしわしわの顔を初めて見た時、思わず僕、こんにちわって言ったんです。こんにちわ、初めまして・・僕が佐藤アトムです・・君のお兄ちゃんですって、だから、こんにちわ、赤ちゃんっていうのはあってるんですよ」
薫「こんにちわ、赤ちゃん」
アトム「僕が君のお兄ちゃんです、仲良くしてください、これからずっと仲良くしようねって」
薫「こんにちわ、私があなたのお姉さんです・・か」
アトム「そうです・・」
薫「もしかして、もう二度と会うことはないかもしれないけど、仲良くして下さい。離れて暮らしているけども・・たった一人の姉と妹なんだから、ずっと仲良くしようねって・・ね」
アトム「そうです」
  暗転していく。