第93話  『一万匹のホタル』
 
  小学校体育館
  暗転中に。
桃井「柳沢さん、こっちです、こっちに早く、体育館の方に早く来て下さいぃぃ!」
  明転するが、明転したような気にならないくらいの薄暗さ。
  そこに龍之介が駆け込んでくる。
  龍之介、手に団扇を持っている。
  (この団扇は適当なところで背中の腰に挟んじゃってください)
龍之介「桃井さん、桃井さん! どこですか?」
  龍之介、あたりを見回し。
龍之介「うわ、なんだこりゃ!」
桃井「柳沢さん、足下、足下気をつけてください!」
  と、龍之介、足下にも、無数にいることに気付いて、用心しはじめる。
  そして、桃井がやってくる。
桃井「足下、踏みつぶさないでくださいよ」
龍之介「あ、踏んだかな、俺、踏んだ?」
  と、龍之介、足下を見ている。
桃井「大丈夫ですか?」
龍之介「大丈夫・・みたい・・すごいな・・床もプラネタリウムみたいに光ってるよ」
桃井「怒らないで下さい、怒らないでくださいね、本当に・・」
龍之介「俺が怒る怒らないの話じゃないでしょう、どうすんですかこれ」
桃井「どうしましょう」
龍之介「一万匹・・全部、逃げたんだ」
桃井「はい」
龍之介「一万匹のホタルが・・この体育館に・・」
桃井「(もう、泣きそうになっている)怒らないでくださいね、怒らないで下さいね」
龍之介「怒りゃしませんよ、これはもう笑うよ」
桃井「笑うって、笑うって、笑うってなんですか?」
龍之介「笑うよ・・これ」
桃井「笑ってる場合ですか?」
龍之介「笑う以外になにができるんだよ、なにかできることあるの? 一万匹のホタルを目の前にして・・」
桃井「せっかくホタルを見るんだから、体育館を暗くした方がいいかなと思って、二階の窓も一階の窓も、みんな暗幕を引いたんです・・そしたら、体育館が真っ暗になっちゃって」
龍之介「そりゃそうですよ、暗幕は真っ暗にするためのものなんですから」
桃井「それで、この壇上に降りてきて、電気のスイッチを探していたら・・一万匹のホタルが詰まった箱に躓いて・・」
龍之介「そこでしょう、そこ、いつも桃井さんはそうなんだから、暗幕引いて真っ暗にする前に電気をつけておかないと、暗い中で電気のスイッチを探したら、そういうことになるでしょう」
桃井「そうです、そうなんです、そうなんですよ、今、考えると、そうするべきだったんですよ」
龍之介「それで、ホタルの箱に躓いて(と、目の前の下を示し)箱が転がって・・」
桃井「壇上から落ちて・・がっしゃーんって音がして、箱が割れて・・ホタルが全部・・一万匹のホタルが、ざーっと流れるように床に散らばって・・花火を横向きに打ち上げたみたいでした。それで、次の瞬間、光の渦がわーっと立ち上がって、体育館全体に広がって行ったんです」
龍之介「飛んだんですね、ホタルが」
桃井「体育館一杯に・・」
龍之介「(と、下を見て)箱の中、まだホタルが残ってるんじゃないですか? ほら、光の塊になってる・・」
桃井「(と、手で塊の大きさを作り)残ってるっていっても、こんなもんですよ」
龍之介「二百匹くらいはいるんじゃないですか?」
桃井「回収しますか?」
龍之介「二百匹回収してもね・・」
桃井「車に一応、虫取り網が積んでありますけど・・」
龍之介「網? 網で捕るんですか? だって、このホタル、掃除機で吸い込んで捕獲したんですよ、それでも一時間近くかかったわけですから・・(と、携帯を開いて時間を見る)もうすぐ、小学生を連れたお父さん、お母さんが、ホタルをもらいにやってきますよ・・それまでに全部、このホタルを回収できると思ってるんですか? しかも、網で・・」
桃井「なんて言いましょう・・小学生達が来たら・・」
龍之介「さっきから、ずっと僕もなんて言うか、ものすごい勢いで考えてるんですけど」
桃井「言い訳のしようがないですよね・・明らかな私の過失ですから」
龍之介「いや、まって下さい、そんなに簡単に諦めないで」
桃井「・・始末書物ですね」
龍之介「まあ、そうねえ・・それはそうかもしれませんけど・・」
桃井「給料とかに響きますかね、減給とか」
龍之介「ホタル一万匹を体育館に放した件で」
桃井「そうです・・・」
龍之介「できる限り、僕も弁護しますよ、桃井さんのこと」
桃井「本当ですか?」
龍之介「当たり前でしょう、そんなの。どれだけの数のスズメ蜂の巣を二人で捕ったんですか、どれだけの数の詰まった側溝を掃除したの・・」
桃井「数えきれません」
龍之介「そうでしょ、桃井さんは我らすぐやる課の大切なメンバーなんですから」
桃井「本当ですか?」
龍之介「本当ですよ、本当ですとも。だいたい、市民が困って電話してきたことじゃないんですよ、元々が。緑が沼でホタルがかつてないほどの異常発生を見せたから、地主の池田さんが、善意でね、このホタルを子供達に見せて上げたいんだけど、どうすればいいでしょうか? って電話をしてきたところから始まったわけじゃないですか」
桃井「そうです・・そうなんです、始まりはそうでした」
龍之介「ね、だからね、このホタルの捕獲、並びに体育館での配布っていう仕事がね、厳密に言って、本当にすぐやる課の仕事だったのかというとね、ちがうわけでしょう、これは」
桃井「そうですよね、そうなんですよね」
龍之介「それはですね、言ってみれば、善意の電話だったわけじゃないですか、その善意の電話に対してね、我々すぐやる課が善意で答えたわけですよ」
桃井「そうですよね、そうなんですよね」
龍之介「その善意が桃井さんのおかげでちょっと裏目に出てしまったと、こういうわけじゃないですか?」
桃井「悪いのは全部、私なんです」
龍之介「いやいやいや、桃井さん、顔を上げて下さい、僕はね、責めているわけじゃないんです、弁護する方法を考えているんですよ」
桃井「わかってます、ありがとうございます、柳沢さん、私、本当にいい上司に恵まれたと思います」
龍之介「・・なんか、あれですね」
桃井「え? なんですか?」
龍之介「こんだけのちっちゃな光がチカチカしながら、動き続けていると、なんていうの? 遠近感がまったくなくなってくるよね。距離がわからなくなるっていうか」
桃井「天井も床もプラネタリウムみたいですよ」
龍之介「ロマンチックですね」
桃井「そうですね」
龍之介「いや、生きていて、こんなものが見られるなんて思いもしませんでしたよ」
桃井「それは・・そうですね」
龍之介「これはあれですね」
桃井「なんですか?」
龍之介「これはこれでいいんじゃないんですかね。こんな体験、誰が失敗しない限り、誰も体験できないんだから」
桃井「まあ、それはそうなんですけど」
龍之介「偉大なる大失敗ですよ」
桃井「偉大なる大失敗・・」
龍之介「すぐやる課がこの夏、子供達に送る、最高の失敗じゃないですか」
桃井「そうですかね、本当にそうですかね?」
龍之介「これは胸を張っていい、失態じゃないですかね」
桃井「胸を張っていい、失態?」
龍之介「そう・・そうですよ。過程はどうであれ、最終的にここに来た子供達が、わあっ、キレイだ! って思ってくれればいいことじゃないですか、それを緑が沼の池田さんも願ったことなんですから」
桃井「そうですかね」
龍之介「世界中のどこに、一万匹のホタルが放し飼いになっている小学校の体育館があるっていうんですか?」
桃井「ないと思います」
龍之介「ないでしょう、あるはずはないんですよ、なぜなら、世界中で桃井さんみたいなポカをやる人は桃井さん一人しかいないからですよ」
桃井「それは私もそう思います」
龍之介「そもそも、すぐやる課はなんのために創設されたと思ってるんですか?」
桃井「市民のみなさんの幸せと笑顔のためです」
龍之介「そうです。ということはあれですよ、桃井さんのこの大失敗によって、市民のみなさんが喜んでくれたとしたら?」
桃井「そんなにうまくいくでしょうか?」
龍之介「いきますよ、いかせますよ」
桃井「無理矢理、前向きに考えるって、いいですね」
龍之介「ね、いいでしょう。僕はそうやってこれまで生きてきましたから・・そもそも、あれですよ、体育館の中で放し飼いにしているって思うからいけないんですよ、この体育館が巨大な虫かごになったって思えばいいんじゃないですか」
桃井「体育館の中が巨大なホタルの虫かごになる・・」
龍之介「だって、そうでしょう? 我々は今、虫かごの中にいるんですよ。なかなかありませんよ、虫かごの中に入るなんて」
桃井「虫かごの中の虫の気持ちも同時に体験できるってことですね」
龍之介「そうです、そういうことです、さあ、子供達がホタルをもらいに来たら、なんて言いましょうかね。飛んでいるホタルやら、壁にしがみついているホタルはいいとして、床のホタルですよね・・」
桃井「踏んづけちゃうのはかわいそうですからね」
龍之介「なにかで仰いであげたりすると、飛んで逃げるものなんじゃないですか?」
桃井「あ、そうですよね、ホタル狩りって団扇とか持っていきますもんね」
龍之介「団扇・・」
桃井「団扇、あるじゃないですか」
龍之介「ポイ捨て禁止の団扇ですか?」
  と、龍之介、その団扇を取り出す。
龍之介「これがあれば百人力ですよ桃井さん」
  と、桃井、正面に向かい。
桃井「みなさーん、こんにちはー! すぐやる課の桃井幸子お姉さんでーす。今日は、市民相談室すぐやる課が、みんなの体育館をおっきな虫かごにしてみましたよー。どーですかー、ほーら、上を見ても下を見ても、右と向いても左を向いても、ホタルホタルホタルホタル・・ゆらゆらと揺れる淡い光。キレイですねえ、はい、立ち止まってないで、どんんどん中に入ってきちゃってくださいねー、あ、でも、足下にもホタルさん達はたくさんいますから、注意して、踏んづけちゃわないようにしてくださいね、もしも、ホタルさんがいっぱいで足の踏み場がないようだったら、入り口でお兄さんが配っている団扇でもって・・」
  と、隣に立っている龍之介が団扇を取り出して、床を扇ぐ真似をする。
桃井「床を扇いでみてください・・そうすると、ほら、ホタルさん達はびっくりして飛び上がってくれます・・そうやって、自分の進む道を作ってください。いいですね。はい、携帯で記念撮影をするお父さん、お母さん、必ずフラッシュは切ってください。フラッシュを光らせると、ホタルの光はうまく映りませんからね・・でも、なるべくなら、携帯に写真として残すのではなく、みんなの目に焼き付けて帰って下さいね。今日一日限りのホタルの体育館です。これから先、もう一回、ホタルの体育館に行ってみたいな、と思っても、もう絶対に行くことも、見ることもできません。万が一、また緑が沼でホタルが大量に異常発生したとして、万が一、またこの体育館に一万匹のホタルが運び込まれたとして・・それでも、そのホタルを全部体育館の中に放つことはないでしょう。そんな勇気のある人がこの先、また現れるとはとうてい思えません。今、この闇の中でゆれる一万の淡い光を・・目に焼き付けて下さればと思います。胸に焼き付けて下さればと思います」
龍之介「九月一日にみんなが提出する絵日記の中に、真っ黒に塗りつぶされた絵が必ず混じっていることでしょう。よく見ると、その真っ黒な絵には、幾つもの小さな白い点が散らばっているのです。それがこの夏、体育館という巨大な虫かごの中に立ちつくし、虫達を仰ぎ見たという思い出の・・絵日記なのです。小学生のみなさんにはまだちょっとわからないかもしれませんが、お父さんやお母さんになら、わかっていただけると思います。こうしてホタルの乱舞する、この時間は、やがて、きれいな思い出として、きちんと心の中に残る時間になるでしょう。変な言い方かもしれませんが、今のこの瞬間がやがて、思い出となって胸に残るであろうという『予感』を感じる時があります。これはきっと自分の胸に長い間残り、そして、ふとした瞬間に思い出すんだろうと、感じる時があります。さあ、みなさん・・夏休みです。いい夏休みを送ってください、素敵な夏休みを送ってください・・これから先、ふとした瞬間に思い出すことの多い、夏休みを・・すぐにやらなければならないことはすぐにやります。やらなくてもいいことも、時々やります」
桃井「市民相談室」
龍之介「すぐやる課です」
  曲、カットインして、暗転。