第91話  『アトムの自由研究』
  役所の会議室。
  上手奥にイーゼル、画用紙が立てられている。
  そして、長机にメモ帳を広げたアトムが座っている。
  そこにやってくる桃井。
桃井「お待たせしましたぁ! こんにちはぁ、野口小学校の佐藤アトム君ですね」
  アトム、面食らっている。
  が、笑い出す。
アトム「はははは・・」
桃井「あれあれ、どうしたのかな、ここは笑うところじゃないぞぉ、こんにちはぁ! こんにちはぁ、佐藤アトム君、市民相談室すぐやる課の桃井幸子です。よろしくね」
アトム「はははは・・(頭を下げる)よろしくお願いします」
桃井「今日はぁ、アトム君はすぐやる課について勉強しに来たんだよね」
アトム「(必死に笑いを堪えながら)うぷぷぷ・・お世話になります」
桃井「こちらこそよろしくお願いしますねー」
アトム「あの・・ですね、夏休みの自由研究をやんなきゃなんなくって・・」
桃井「それで・・市民相談室すぐやる課を選んでくれたんだね」
アトム「それしか・・残ってなかったんで」
桃井「残ってなかった?」
アトム「あとは、ショウジョウバエの増え方についてしか残ってなかったんです。ショウジョウバエと、すぐやる課だったら、すぐやる課の方がいいかなって思って」
桃井「ショウジョウバエかぁ」
アトム「ハエを増やしてもねえ」
桃井「クラスのみんなは他にどんな研究をしているのかなあ?」
アトム「んと・・『バターの作り方』とか『万華鏡を作る』とか『鉱石ラジオを作る』とか」
桃井「作る物ばっかりなの?」
アトム「これは工作の方」
桃井「ああ、そうね、夏休みの宿題って、工作か自由研究なんだよね」
アトム「自由研究は『鳩の模様の研究』とか、『果物で電気を起こす研究』とか、一番人気は『オオクワガタの生態』」
桃井「ああ、みんな好きだもんね、クワガタとか、カブトムシとか、テントウムシとかね」
アトム「でも、そういう人気のあるおもしろそうな物は、みんな他の人にとられちゃって・・ジャンケンで負け続けた僕が悪いんです」
桃井「え? でも自由研究はみんなが自由に研究していいものなんじゃないの?」
アトム「前はそうだったんですけど、昔、クラスの真面目な奴がやった自由研究を八月三十日とか三十一日とかに、クラス中のみんなが丸写しして提出するという騒ぎがあったらしくて、それ以来、自由研究の題材が他の人と重ならないようにって、ことで、夏休みに入る前に、題材だけはホームルームで決めるんです」
桃井「へえ、そうなんだ」
アトム「それですぐやる課についての自由研究をすることになったんですけど、すぐやる課のなにを調べれば自由研究になるのかわかんなくって・・だいたい、興味があってすぐやる課を選んだんじゃないし」
桃井「我々すぐやる課も、みんなに、どういう仕事をしているところなのかってことを知ってもらいたいわけですから、こうやってアトム君のように、自分から進んですぐやる課のことを勉強しに来てくれるのは大歓迎ですよ」
  そして、団扇を出す。
桃井「はい、これはすぐやる課に来てくれたお友達みんなにあげている記念品の団扇です」
アトム「どうもありがとうございます。ポイ捨てやめよう・・二千四年夏って書いてありますよ。余り物ですか・・」
桃井「うん、ちょっと役所でいっぱい作り過ぎちゃったから、すぐやる課でね、積極的に配るように言われたのよ・・」
アトム「すぐやる課が役所の中でどういうポジションなのかがうかがえるエピソードですね」
桃井「はーい、ではでは、市民相談室すぐやる課について、紙芝居で説明しまーす。はい、ここに『すぐやる課』に勤務するおじさんやお姉さん達がどんなお仕事をしているのか、描いてありまーす」
  と、イーゼルに立ててある画用紙を一枚めくる。
  『すぐやる課って、どんなとこ?』
桃井「はい、ここになんて書いてありますかぁ?」
アトム「すぐやる課って、どんなこと」
桃井「どんなこと? 本当にどんなことって書いてあるかなあ?」
アトム「すぐやる課ってどんなとこ」
桃井「はい、そうです、よく読めましたねぇ、すぐにやらなければならないことはすぐにやる、それが市民相談室すぐやる課。困ったことがあれば、まず、すぐやる課に相談してねー、困った時、市役所のどこに行けばいいのかわからない、そんな時、まず、すぐやる課! リーンリーンリーン、はい、すぐやる課です。電話にもすぐに出るすぐやる課ですよ。さーて! それではではでは、すぐやる課はどうして誕生したんでしょう? ここからはちゃっちゃっちゃっちゃっ・・すぐやる課、誕生物語ぃ!」
  と、一枚まためくる。
桃井「時に時代はまだ昭和と呼ばれている大昔、当時、私達の街は人口が急増し、昭和四十七年には十万人、五十二年には二十三万人を突破する勢いでした」
  アトム、笑っている。
アトム「ははははは・・」
桃井「その増えていく人口に対して、道路や水道の整備がおいつかず、いろんな苦情や問題が山積み、という状況でした」
アトム「はははは・・・」
桃井「おーい、なんとかしてくれー、これはどーすりゃいーんだぁ、街中にそんな声が渦巻いてたのです」
アトム「はははは・・・」
桃井「そんな中、増加かつ多様化する市民の声にすばやく対応し、いち早く解決する部署を設けようという話になったのです、そして、そこで誕生したのが、どこどこどこどこ・・じゃじゃーん! 市民相談室、すぐやる課だったのです。しゃきーん!」
  『すぐやる課』と書かれたプレートの画。
アトム「ははは・・芸達者な人だ」
桃井「それは・・誉めてくれているの?」
アトム「もちろんですよ」
桃井「喜んでいいのかな」
アトム「それで昭和五十二年の七月一日にすぐやる課が創設されたわけですね。そのあたりのことは、ネットで調べましたから、大丈夫です」
桃井「じゃあ、さっきお姉さんが紙芝居で説明したことっていうのは」
アトム「ええ、全部知ってます」
桃井「あ、ああ、そう・・それならそうと」
アトム「はい、質問です」
桃井「はい、なんでしょう?」
アトム「すぐやる課が普段やっている事にスズメ蜂の巣の駆除があると思うんですが、あれはどうやって駆除するものなんですか?」
桃井「あー、いー質問だねえ」
アトム「すぐやる課のホームページ見ても、スズメ蜂の巣の駆除をしていますって書いてはあるけど、どうやって駆除するのかまでは書いてないんですよ」
桃井「いー質問ですね。ええ、大変、いー質問ですよ」
  と、桃井、また別の紙芝居を取り出す。
桃井「スズメ蜂の巣の駆除については、こっちの紙芝居で説明しましょう」
アトム「え、それも紙芝居があるの?」
桃井「ありますよー」
アトム「なんでも紙芝居になってるんだ」
桃井「ここは私達の市の片隅にあるホロホロ君のおうち。ある日、ホロホロ君が見付けました。あ! 大変、大変、家の軒下にスズメ蜂の巣が!」
アトム「はははは・・・」
桃井「いつの間にかホロホロ君の家の軒下にこおおおんなに大きなスズメ蜂の巣が! ぶううーん、ぶううーん・・」
アトム「はははは・・・」
桃井「巣の周りを物凄い数の、こおおんなに大きなスズメ蜂が、群れて飛んでいます。ぶううううううん、ぶううううん・・」
アトム「はははは・・・」
桃井「危ない、ホロホロ君、すぐにその場から逃げなさい! もしも、もしも、万が一スズメ蜂に刺されたりしたら、運が悪いと死んでしまいます。きゃー! きゃー! きゃー! ホロホロ君、逃げてぇ! 早く逃げてぇ!」
アトム「はははは・・・」
桃井「ホロホロ君はおうちの中へと駆け込みました。お母さん! お母さん! ホロホロ君はお母さんを探しますが、お母さんは今日、準夜勤なのでおうちにはいません。ホロホロ君は、知らず知らずのうちに泣き出していました。うえーん、うえーん、いつの間にか、スズメ蜂の巣がぁぁ・・」
アトム「はははは・・」
桃井「その声を聞いて、寝たきりのおじいちゃんが起きてきました。どうしたんだ、ホロホロや」
アトム「はははは・・」
桃井「アトム君、アトム君、ここは笑うところじゃないぞ」
アトム「はははは・・だって、おかしいもん」
桃井「おかしいって、なにがおかしいの?」
アトム「(手を挙げて)はい! 質問です!」
桃井「はい、なんでしょう?」
アトム「桃井お姉さんは、なんでそんなしゃべり方ができるんですか?」
桃井「さあ、どうしてでしょーかー」
アトム「それで子供が喜ぶと思ってるんですか?」
桃井「喜びませんかね、精一杯やらせてもらってはいるんですけど」
アトム「なんか、違った意味で喜びますけど」
桃井「違った意味?」
アトム「桃井さんは結婚なさっているんですか?」
桃井「結婚?」
アトム「はい、結婚です」
桃井「それは・・なにかすぐやる課と関係あるのかな?」
アトム「どんな人が、どういう思いで、すぐやる課で勤務しているのかな・・と」
桃井「うん・・そうね・・そうね・・結婚はまだちょっと、いいかなって感じかな」
アトム「結婚は、すぐしない(と、メモをとる)桃井お姉さんは今、何歳ですか?」
桃井「二十・・八・・ですけど」
アトム「負け犬までカウントダウンですね」
桃井「よく知ってるわね、負け犬なんて言葉」
アトム「負け犬という言葉についてどう思いますか?」
桃井「別になんとも思っていません、負け犬というわけではありませんから」
アトム「・・そうですかね」
桃井「もちろん、勝ってはいませんが、負けているわけでもないというところでしょうか」
アトム「深いですね(と、メモをとる)勝ってはいないが、まけているわけでもない」
桃井「ちょっと、ちょっとアトム君、それはすぐやる課とは、あんま関係ないんじゃないかなあ」
アトム「あ、ああ、そうです。すぐやる課とは関係ありません」
桃井「そうでしょ、そうよね」
アトム「でも、僕の自由研究には関係あります」
桃井「え? どういうこと?」
アトム「自由研究のテーマ、決まりました」
桃井「え? それは、なあに?」
アトム「桃井お姉さんです」
桃井「私?」
アトム「はい、桃井お姉さんを自由研究します」
桃井「私を?」
アトム「ちょっと、最初の登場をもう一回やってみてください」
桃井「最初の登場?」
アトム「はーい、こんにちわーってやつですよ」
  と、桃井、やってみる。
桃井「お待たせしましたぁ! こんにちはぁ、野口小学校の佐藤アトム君ですね。こんにちはぁ! こんにちはぁ、佐藤アトム君、市民相談室すぐやる課の桃井幸子です。よろしくね」
  間。
アトム「それはどーゆーつもりでやっているんですか?」
桃井「どーゆーつもり・・って、なんて答えればいいの?」
アトム「あ、ちょっと、ちょっと待ってください。自由研究の発表の時に、僕がみんなの前でやって見せなきゃなんないから、ちょっと教えてください」
桃井「今の?」
アトム「そう、今のです」
桃井「そうねえ・・お待たせしましたぁ! こんにちはぁ! 野口小学校の佐藤アトム君ですねぇ!」
アトム「そこまでのポイントは?」
桃井「まず、子供の気持ちを掴むこと」
アトム「掴む・・っていうよりもびっくりしちゃいますよ」
桃井「それはね、どちらでもいいの」
アトム「笑いますよ」
桃井「いいの、それでいいんだから、笑ってもらえたら最高!」
アトム「それでいいんですか?」
桃井「アトム君も笑ってたでしょ、最初」
アトム「そりゃそうですよ、おかしいもん」
桃井「笑うでしょ」
アトム「笑いますよ」
桃井「笑ってもらえればいいのよ、初対面のさ、大人と子供なんだから、まず笑ってもらわないと。だって、私はすぐやる課の桃井幸子なんだから」
アトム「はい・・」
桃井「子供を目の前にして、すぐにやらなきゃなんないことってなんだと思う?」
アトム「なんですか?」
桃井「まず、笑ってもらうこと」
アトム「・・そうか」
桃井「そのためにはなりふり構わない・・なんでもやらなきゃなんない、だから、その時のために、なんでもできるようになっておく」
  と、再びホロホロくんの紙芝居の声になる。
桃井「ホロホロ君はおうちの中へと駆け込みました。お母さん! お母さん! ホロホロ君はお母さんを探しますが、お母さんは今日、準夜勤なのでおうちにはいません。ホロホロ君は、知らず知らずのうちに泣き出していました。うえーん、うえーん、いつの間にか、スズメ蜂の巣がぁぁ・・その声を聞いて、寝たきりのおじいちゃんが起きてきました。どうしたんだ、ホロホロや」
アトム「桃井お姉さん・・」
桃井「なあに?」
アトム「かっちょいいっす!」
桃井「そう?」
アトム「桃井お姉さんのこと、自由研究しますよ」
桃井「本当に? アトム君、本気で言ってるの?」
アトム「もちろんですよ、ちょっと惚れました。迷惑かもしれませんが、僕、桃井お姉さんに、ついていきまっせ!」
桃井「ふふふ・・(と、最初は照れ笑いだが、やがて、ちゃんと笑う)ははは・・」
アトム「まずやらなきゃなんないこと、笑ってもらうこと」
桃井「・・そういうことだよ、アトム君」
アトム「僕・・すぐにやらなければならないことが見つかりましたよ、お姉さんの研究です、すぐにやらなければならない事は、すぐにやります、野口小学校五年二組佐藤アトムです」
  と、桃井が親指を突き出して見せた。
  暗転していく中で、アトムもまた親指を立てて見せた。
  暗転。