第89話  『将棋クラブにて』
  沢井町将棋クラブ。
  将棋盤を挟んでアトムとまっきんが対峙している。
  彼らの周りにも何脚かの将棋盤が配置されている。
  明転してしばらく、まっきん、よくわからない音を発しながら、長考に入っている。
  この時の盤面の駒の並び。
まっきん「ん・・ん・・んにょ・・にょ・・」
  そして、ようやく一手を打った。
  すかさず、アトムが一手を返す。
  思いもつかない手にまっきん、
まっきん「お、おい!」
アトム「(平然と)はい・・」
まっきん「そうか・・ん・・そうだよな」
アトム「(平然と)はい」
まっきん「そうだったら、そうだよな・・」
アトム「(平然と)はい」
まっきん「ん・・」
  まっきん、やや迷っているが、次の一手を打つ。
まっきん「これで・・(打つ)どうだ!」
  アトム、間髪入れずに打ち返す。
まっきん「ん!」
  まっきん、やや考えているが、次の一手を打つ。
まっきん「うりゃ!」
  アトム、即座に打ち返す。
まっきん「おっと! おっとぉ!」
アトム「はい」
まっきん「え? ええっ?」
アトム「王手ですよ」
まっきん「ん・・・」
アトム「王手」
まっきん「ん・・・(身もだえするように)ん・・ん・・」
アトム「もうダメですよ、いくら考えても、詰みましたから」
まっきん「ん・・待った」
アトム「えぇ! 待ったですかぁ?」
まっきん「ちょっと、三つ前からやっていい?」
アトム「ダメですよ、三つ前なんて!」
まっきん「じゃあ、二つ前」
アトム「二つぅ?」
まっきん「(ある駒を示し)ここでこう来たのが失敗だったんだよ、だからさ」
アトム「いや、もっと前から、もうおじさんの負けは見えてましたよ」
まっきん「もっと前って、どの辺」
アトム「(まっきんの手元を示し)この辺ですね」
まっきん「最初の方か」
アトム「(再びまっきんの手元を示し)そのあたりで、これは勝てるなと確信しました」
まっきん「ほんとかよ」
アトム「(と、駒を何枚か戻していき)ここでこうきたときに、ちょっとおじさんの方が優勢になったでしょう」
まっきん「うん、俺はあの時、この一局、もらったって思ったよ」
アトム「この辺はちょっと遊ばせてあげたんですよ、あんまりにもいっきに僕が勝手もねえ・・」
まっきん「え? なに? じゃあ、俺はこの辺で手心を加えてもらっていたわけ?」
アトム「まあ、そういうことです」
まっきん「強ええなあ・・」
アトム「アマチュア二段ですから」
まっきん「アマチュア二段?」
アトム「ええ・・まあ」
まっきん「ええ、まあって、それ、あれだろ、早く言ってくれよ」
アトム「言いませんよ、そんなの、自慢するこっちゃないですから」
まっきん「いやいやいや、充分自慢できることだろう」
アトム「さあ、もう一局、いきましょうか」
まっきん「だって、だってアマチュア二段なんだろ」
アトム「そうですよ」
まっきん「勝てないじゃない」
アトム「そんなのわかんないじゃないですか」
まっきん「わかるよ」
アトム「だって、勝負ですよ、時の運って言うじゃないですか」
まっきん「だってアマチュアとプロじゃ」
アトム「プロじゃないですよ、小学生ですから」
まっきん「プロみたいなもんだよ、俺から見たら」
アトム「小学生ですってば・・わかりました飛車と角落としますよ、僕は」
まっきん「ほんとに?」
アトム「それでどーでしょー」
まっきん「ん・・もう一声!」
アトム「ずるい大人だなあ」
まっきん「銀」
アトム「銀落とすぅ? (ちょっと考えてみる)銀なしか・・」
まっきん「あと、金」
アトム「そんなに落としたら、王様は誰が守るんですか!」
まっきん「いや、これでようやく互角になった気がする」
  と、まっきん、駒を並べ始める。
アトム「まあ、いっか・・」
  と、二人、駒を並べながら、
まっきん「でも、すげえなあ・・アマチュア二段か・・アマチュア二段の小学生って会ったことないよ」
アトム「けっこういますよ」
まっきん「けっこうって、どれくらい?」
アトム「たぶん、全国に二百人くらい・・」
まっきん「二百人」
アトム「はい」
まっきん「二百人しかいないの?」
アトム「でも、その二百人の中の何人がプロになれるかっていうとね・・」
まっきん「将棋のプロになるにはさ・・奨励会に入って、勉強とかしなきゃなんないんでしょ」
アトム「ああ、まあ、そうですね」
まっきん「あれは誰でも入れるの?」
アトム「いや、試験があるんですよ」
まっきん「試験?」
アトム「筆記試験がまずあるんです」
まっきん「筆記もあるの?」
アトム「ありますね」
まっきん「筆記? 筆記って? テストじゃん」
アトム「まあ、筆記はいいとしても、奨励会を受ける受験生同士での対局があるんです。それで六戦中四勝しなければダメなんですよ」
まっきん「六戦中、四勝か・・けっこうきついね」
アトム「それもきついんですけど、それで勝って次に奨励会の先輩、三人と対局して一回勝てれば、晴れて合格ってことなんです」
まっきん「きついなあ・・」
アトム「勝負の世界ですからね、小学生も中学生もありませんよ」
まっきん「まあなあ・・」
アトム「それで奨励会に入ると月二回、例会ってのがあって、朝から晩まで東京と大阪にある将棋会館で将棋をさすんです」
アトム「奨励会に入って会員になったらプロの卵として、対局の記録係や初心者の指導したりして修行するんです。それで、まずは三段になって半年間のリーグ戦で上位二人に入らないと、プロって言われている四段に昇段できません」
まっきん「本当に修行だねえ」
アトム「二十一歳までに初段、三十歳までにプロにならなければ退会になりますしね」
まっきん「年齢制限もあるんだ」
アトム「そうなんですよ」
まっきん「やっぱなあ、好きじゃないとできないね、それは」
アトム「別に、こうやって将棋さすのは好きなんですけど・・でも、そこまでやるほど好きなのかって・・わからないから」
まっきん「でも、もったいないじゃない、そんなに将棋が強いのに」
アトム「もったいないかなあ」
まっきん「と、思うけどねえ」
アトム「そう言われると、ちょっと心が揺らぐなあ・・ん・・・ん・・・ん」
まっきん「お! 長考に入ったか、人生の長考・・」
アトム「あ、僕の番でしたっけ」
  と、あっさりと打つ。
アトム「はい」
まっきん「お! そうきたか・・ん・・ん・・」
アトム「ん・・ん・・まだ十一歳なのに、これだ! って決めちゃって、他にもっとやりたいことができたらどうすりゃいいんだって思うじゃないですか?」
まっきん「そうか、それもそうだよな・・十一とか十三とか、そんな年で、自分の進路を決めなきゃなんないなんて・・俺のクラスの生徒なんか、来年の春には卒業ってのに、夏になっても、まだ受験する大学を決められないとか、自分の進路が決められない奴がゴロゴロいるのに・・」
アトム「おじさん、先生?」
まっきん「うん、高校のね」
アトム「へえ・・」
まっきん「十一じゃなにも決まんないよな・・他になりたいものとかあんの?」
アトム「ん・・ホリエモンの部下」
まっきん「ホリエモンの部下?」
アトム「そう、ホリエモンの右腕とか言われる有能な部下」
まっきん「あ、ああそうなんだ」
アトム「ライブドアの次の社長とか囁かれるの」
まっきん「やっぱ最近の子供だねえ、なんかなりたいものとかやりたいことってのが妙に具体的なんだよな。」
アトム「あとはねえ・・ソニーに入ってロボットを作る」
まっきん「ロボットね! 人型ロボット!」
アトム「そうです」
まっきん「二足歩行のねロボット」
アトム「そうです」
まっきん「愛地球博だ」
アトム「なんかロボットについて知ってることを、順番に言ってるでしょう」
まっきん「ロボットだろ・・気がついたら二十一世紀だもんな・・例えばさ、この俺の目の前に今、アトムがいたっておかしくはないんだからさ」
まっきん「本当にいたら、ちょうど君ぐらいの大きさで、人工知能がついているから頭がよくて・・」
アトム「うん」
まっきん「十万馬力で・・」
アトム「それは・・ちょっと」
まっきん「ロボットを作りたいか、おじさんの子供の頃はロボットを作りたいっていうのは夢だったけど、今はもう職種なんだよなあ」アトム「あ、でも、アイボってあるでしょう、犬型ロボットの」
まっきん「ああ、ちょっと前に流行ってた」
アトム「あのもうちょっと大きい奴をつくりたいんですよ」
まっきん「大型犬?」
アトム「いや、犬じゃなくて」
まっきん「なに?」
アトム「馬」
まっきん「馬?」
アトム「そう、ロボットの馬、人工知能のついた馬」
まっきん「(感心している)へえ・・」
アトム「アイバって言うんです」
まっきん「駄洒落かよ」
アトム「いや、本気なんですよ。授業中、ノートにいっぱい落書きしてるんです、僕のアイバのデザインを」
まっきん「アイバ、ホリエモンの右腕、プロの将棋さし・・確かに、今これだ! って決めらんないよな・・」
アトム「考える時間が欲しいですよ」
  と、まっきんがまた打つ。
  アトム、即座に打ち返す。
まっきん「将棋はさ、考えて打ってる?」
アトム「もちろんですよ」
まっきん「早いんだよな・・まあ、プロになれそうだけど、あえて、その道を選ばないアマチュア二段だからなあ」
アトム「まだ、十一ですから、長い目で見てやってくださいよ」
まっきん「俺も十一の頃は、なにも決められなかったから、人のことは言えないよ」
アトム「僕だけじゃないですよね」
まっきん「ん・・あ、でも」
アトム「なんですか?」
まっきん「十一だろう」
アトム「そうですよ」
まっきん「俺も、そういえば十一の時に決めたな・・自分の進路」
アトム「先生になるって?」
まっきん「あ、いや、そうじゃなくて・・もっと単純なこと」
アトム「え? なんですか?」
まっきん「自分に素直に生きようって」
アトム「へえ」
まっきん「好きな者を好きと言おうって」
アトム「へえ・・」
まっきん「そうだな・・それだけ、その時に決めた」
アトム「好きなモノを好きと言うか・・」
まっきん「そういうこと」
アトム「好きな人にはね・・言ってはみたももの・・」
  と、まっきんがある駒を進めた。
まっきん「好きな人って、なに?」
アトム「(盤面を見て)あ、あーあ」
まっきん「なに、なんだよ」
アトム「これでもう僕の勝利が確定しました」
まっきん「う、嘘、嘘だろう?」
アトム「あと、四手で王手ですよ」
まっきん「あ、え? もう? もうかよ!」
アトム「飛車、角、金、銀を落としてますからね、僕も久々に必死になりましたよ。僕の闘志に火をつけましたね」
まっきん「あっという間じゃねえか」
アトム「こんなに桂馬を大活躍させたのは初めてだなあ」
まっきん「ちょっと待った!」
アトム「待った、なしです」
まっきん「待った、待った」
アトム「やりなおしはダメですよ、人生は一度きりなんですから」
まっきん「人生もね、将棋もね、待ったありなの、知らないの、そんなことも」
アトム「そんなの初めて聞いたよ、ずりーよ、そんなの、ずりー」
まっきん「ずるくない、ずるくない、人生ってのはね、何度でもやり直すことができるの。ちがうと思ったら引き返す、ね」
アトム「そうじゃないでしょう」
まっきん「だから、あれだよ、君もさ、やってみればいいんだよ、こんなに将棋が強いんだったらさあ」
アトム「将棋の道・・ですかぁ?」
まっきん「そう」
アトム「ん・・でもなあ」
まっきん「なに?・・将棋は好きなんだろう?」
アトム「それは好きだけど、でも、そうやって朝から晩まで将棋漬けになって、やりたくない時も将棋をしなきゃななくなっちゃったら、なんか・・嫌いになるんじゃないかって」
まっきん「そんな未来のことを今、不安に思ってもしょうがないじゃない」
アトム「まあ、それはそうなんですけどね・・大丈夫かなあ」
まっきん「可能性があるんだから掛けてみればいいんだよ」
アトム「可能性か・・」
まっきん「大丈夫・・あのね、まだ若くて、無名で、お金もない・・っていうことは無限の可能性があるってことなんだよ」
アトム「うん・・」
まっきん「いい言葉だろう?」
アトム「・・・うん」
まっきん「宮崎駿さんが言ってた言葉なんだけどね」
アトム「人の言葉かよ」
まっきん「でも、いい言葉だろう?」
アトム「うん・・まあ」
まっきん「さすが宮崎さんだよな」
アトム「う・・うん」
まっきん「やってみればいいのに・・せっかくそんな才能があるんだからさ」
アトム「うん・・」
まっきん「そして、ダメだったら、引き返す、人生に待ったをかける」
アトム「うん」
まっきん「そして、将棋にも待った」
  と、まっきん、駒を動かそうとする。
アトム「あ、なにすんですか!」
まっきん「だから、待った」
アトム「ダメだってば!」
まっきん「どうして?」
アトム「待ったはなしです」
まっきん「そんなことはないって・・言ってるだろう、ダメだったら引き返す、それもありなんだよ、人生」
アトム「人生はそうかもしれないけど、それとこれとはちがうじゃないですか」
まっきん「ちがわないよ」
アトム「ちがいますよ」
まっきん「あのね、最後は人と人の話合いになるんだよ、なんでもね、一生懸命頼んでみると、なんとかなるものなんだよ」
アトム「なんか、いい話でごまかして、待ったかけようとしているだけでしょう?」
まっきん「そんなことないよ」
アトム「いいや、そうだ。絶対そうだ」
まっきん「まあ、それはそれとしてさ、その道に踏み出してみる勇気、そして、ダメだったら、引き返して出直す、これも勇気。恥ずかしいことじゃ全然ないんだよ。こんな事を教えてくれる大人は、そんなにいないよ」
アトム「待ったかけたいだけなんでしょう」
まっきん「それはそう、確かにそう、待ってもらいたい、ちょっと前からやり直させて欲しい・・だからね、頼むよ、ちょっと待った」
アトム「ほらあ」
まっきん「頼むよ」
アトム「しょうがないなあ」
まっきん「お願いしますって」
アトム「・・・一回だけですよ」
まっきん「もちろん、もちろんだよ」
  と、駒を並べ始める。
まっきん「ね、やり直しってできるもんだろ」
アトム「う・・うん・・ってここで頷いていいのかなあ?」
まっきん「最後は人と人なんだから・・」
アトム「うん」
まっきん「けっこうどうにでもなるもんだよ」
アトム「あ、それ違います。さっき、こうでした」
  と、アトム、駒を直す。
まっきん「あれ、そうだっけ?」
アトム「ずりー」
まっきん「あれ、そうだっけ?」
アトム「そうですよ」
まっきん「ごめんごめん・・そうね、間違った自分から素直にあやまるってことも人生においては大事だね」
アトム「もういいですよ、はい、一回だけですよ、やり直しは」
まっきん「いやいや・・何度でもやり直せるんだってば・・」
  暗転していく。