第85話  『別れの準備』
  喪服の拓弥。
  中学校の制服姿の朝子がベンチに並んで座っている。
  斎場のロビー。
  間。
朝子「拓ちゃんは、結婚はしないの?」
拓弥「ん・・・今はね」
朝子「いつかはするの?」
拓弥「うん・・しなきゃあ・・なんないかもしれないんだよね」
朝子「でも、もう同棲してるんだから、今更、結婚しなくてもいいってことはないの?」
拓弥「うん・・・うん・・そういう意見もあるね。俺の中にはね」
朝子「咲美さんの中には?」
拓弥「ないね」
朝子「へえ、結婚したいんだ」
拓弥「したい、らしいね」
朝子「へえ・・・」
拓弥「かなりしたいらしいね、しかも、熱烈にね」
朝子「へえ・・」
拓弥「猛烈にね」
朝子「でしょう」
拓弥「まあ、でもねえ、ほら、男と女の間にはいろんな、いろんな、いろんな事があるからね」
朝子「そうだよね・・・いろいろあるよね」
拓弥「それ、朝子はわかって言ってんの?」
朝子「(頷いた)ん」
拓弥「朝子って、もしかして彼氏とかいるの?」
朝子「いるよ」
拓弥「・・・(なるべくショックを隠そうとして平静を保ちながら)いるんだ」
朝子「いるよ、そりゃ、いるでしょ・・もしかして、とかさ・・失礼だよ」
拓弥「失礼か?」
朝子「うん・・」
拓弥「それは失礼しました」
朝子「彼氏がいて驚いてたら、大変だよ、私の友達なんか、二股かけてる子とかいるよ」
拓弥「ああ、そう・・・」
朝子「うん、多いね、二股かけてる子」
拓弥「なんだよ、それ・・なに、今、中学生の間で流行ってるの、二股って」
朝子「流行ったりするもんじゃないよ、二股とかって・・やむにやまれなくてするもんなんだからね・・」
拓弥「うん、うん・・うーん、もちろんわかっていってるんだよ、冗談っていうかね」
朝子「笑えねー」
拓弥「うん、うん・・笑えない冗談ね」
朝子「そういう笑えない冗談聞いて咲美さんは怒らないの?」
拓弥「怒るね」
朝子「何て言って怒るの?」
拓弥「ヒロシを一から勉強しろ!」
朝子「ヒロシ?」
拓弥「『ヒロシです・・』」
朝子「似てないよ・・一から勉強してそれ?」
拓弥「い、いやいや、似てるかどうかってことじゃないんだよ、ね、モノマネを勉強しろってことじゃないんだからさ」
朝子「ヒロシか・・似てるんだよね」
拓弥「似てるって・・誰が?」
朝子「私の彼氏」
拓弥「本当に?」
朝子「(一度、拓弥をきちんと見て、頷いた)」
拓弥「あ、そう・・あ、そうなんだ・・ヒロシはあれでいて結構、多くの女の子の心を掴んでいるんだね」
朝子「うーん・・まだ本人に似てるって言ったことはないんだけどね・・」
拓弥「え? ちょっと待って、彼氏ってのはいくつ?」
朝子「同じ年だよ」
拓弥「中二か・・中二でヒロシか・・」
朝子「田山のおじさんってもう四十過ぎなんでしょ」
拓弥「ああ、そうかな、そうね」
朝子「子供三人もいるのに、田山のおじさんの方がよっぽど中学生みたいな顔してるよね」
拓弥「童顔なんだよな、昔から・・」
朝子「ねえ・・」
拓弥「童顔の癖に、もう酔っぱらってたからな・・行かなくていいの? お母さんとこ・・」
朝子「ん・・ちょっと、なんて言っていいか、わかんないから・・わかってたことなのに・・」
拓弥「お父さんには、告知とかは、したの?」
朝子「あ、そんなの、だってガンセンターに行ってたくらいだから」
拓弥「ああ、そうか」
朝子「ガンセンターはガンの人達ばっかでしょ」
拓弥「まあねえ」
朝子「ガンセンターだからね」
拓弥「そのガンセンターって名前は・・なんとかならなかったのかね・・」
朝子「私も死ぬならガンで死にたいな」
拓弥「え? なんてこと言うのよ、中学二年生が」
朝子「え? じゃあ、拓ちゃんはどうやって死にたい?」
拓弥「死にたくないよ」
朝子「死にたくないって・・みんな死ぬんだよ、最後には」
拓弥「そりゃそうだけどね」
朝子「ガンはさ・・準備する時間があるじゃない」
拓弥「準備・・」
朝子「別れるまでの準備が・・ね、できるでしょ・・交通事故とか脳溢血とかさ、突然死んじゃうわけじゃないから」
拓弥「・・準備ってどんなこと・・したの?」
朝子「最後にね・・お父さんとお風呂に入ったんだ」
拓弥「お風呂?」
朝子「五年ぶり・・っていうか、もう絶対に一緒に入ることなんてないって思ってたけど・・」
拓弥「・・けど?」
朝子「一緒に入ってくれって言うから」
拓弥「お父さんが?」
朝子「恥ずいからヤダそんなの、って思ったんだけど・・でも、なんだかここでヤだって言ったら後悔するかもって、ふっと思ったの。あるでしょ、そういうの。なんか・・なんか、これは・・もしかしたら、って思うの」
拓弥「ま、まあ、あるけど・・・」
朝子「だから、別にいーけどって言った」
拓弥「それで一緒に入ったの?」
朝子「うん・・」
朝子「でも、やっぱり恥ずいからお父さんに背中向けて体洗ったりしてたら、お父さんが後ろで言ったの。おまえ・・これから、もっともっと綺麗になっていくんだろうなあ・・って」
拓弥「ああ・・そう・・」
朝子「・・それを聞いた時、ああ、この人、もう、死ぬんだなって思った」
拓弥「そう・・・」
朝子「お父さん、朝子に一緒に風呂入ろうっていって、嫌だよそんなのいやらしいって言われたらどうしようかと思ったよって」
拓弥「うん・・・」
朝子「裸見られるの嫌だっていうんじゃないかって・・でも、見たかったんだよね、最後に、私の裸・・」
拓弥「それは・・わかる気がするよ。目に焼き付けたんだろうね」
朝子「ね・・そうやってさ、ガンだとそういうことができるんだよ・・準備ができるから・・しかも、私に、死ぬ時期が近いことも、そうやって感じさせてくれた・・」
拓弥「そうか、そういうことか」
朝子「拓ちゃんは・・どんなことしたい?」
拓弥「死ぬ前に?」
朝子「準備・・するとしたら」
拓弥「例えばどれくらいあるの? 俺に残された時間は」
朝子「三ヶ月くらいあるとしたら?」
拓弥「三ヶ月か・・」
朝子「三ヶ月あったら、けっこういろんなことできるよ」
拓弥「できるね・・とりあえず・・身の回りの整理とか・・するかな」
朝子「身の回りの整理?」
拓弥「せっせと買い集めた、がちゃがちゃとかね・・」
朝子「がちゃがちゃ・・」
拓弥「あるでしょ、百円とか二百円とか三百円とかで、がちゃがちゃって回して、こういうちっこいフィギアがでてくるやつ」
朝子「うん・・それは知ってるけど・・そのがちゃがちゃの整理?」
拓弥「ん・・待てよ、整理しても、俺が死んだら、あの山のようながちゃがちゃはどうなるんだ?」
朝子「どうするの、そういう集めたゴミたち」
拓弥「ゴミ! ゴミって言うな! ゴミって!」
朝子「捨てられちゃうでしょう・・とっとけないし、そういうの」
拓弥「俺が捨てらんないもんでも、他の人は簡単に捨てちゃうだろうな・・え、ええっ! もったいないよ! 俺の血と汗と努力の結晶の・・」
朝子「がちゃがちゃ・・」
拓弥「うん・・え? どうしても、それは捨てられてしまうものなの?」
朝子「どっかにとっておいてもしょうがないでしょう、そんなの」
拓弥「愛でる俺は死んでるからね」
朝子「欲しい人は持っていってくださいって」
拓弥「記念館を作る」
朝子「拓ちゃんが生きている時に集めたがちゃがちゃの・・」
拓弥「記念館」
朝子「ないな・・」
拓弥「そうねえ、裕次郎記念館もね、裕次郎にまつわるものが集められているわけで、裕次郎が集めてた日本酒のラベルとか、マッチ箱とかが飾ってあるわけじゃないしねえ」
朝子「がちゃがちゃの他にはないの? 残す物とか」
拓弥「ないね・・幼稚園の時に描いた画とかね」
朝子「三十年近く生きてきて、幼稚園のころに描いた画か・・」
拓弥「それはさあ・・それはいいだろう・・」
朝子「咲美ちゃんにはなんていうの?」
拓弥「咲美、サキミーね、そうね・・そういうの大事だよね・・失業の時に励ましてもらったりはしてるからね」
朝子「なんて言うの?」
拓弥「出会えてよかったよ、とかね・・」
朝子「愛してるとかは?」
拓弥「うん、言うね・・死ぬまで好きだとかね」
朝子「それ、すぐだよ」
拓弥「あ、ああ、そうか、すぐだよね、それは」
朝子「そうそう・・」
拓弥「朝子はどうするの? その残された時間で・・」
朝子「今まで会ったことのある人に全員に会いにいく」
拓弥「全員に会う?」
朝子「そう・・全員会う」
拓弥「会えるの? 全員に?」
朝子「可能な限り、会う」
拓弥「会って・・それで?」
朝子「楽しい話をする」
拓弥「ああ、そうねえ」
朝子「楽しい話だけする。それで笑って別れる」
拓弥「それは、いいかもね」
朝子「お父さんともね、最後の方は楽しい話だけしかしなかった・・だから、笑って別れられた・・」
拓弥「ああ・・そう・・」
朝子「楽しい話だけして、それで笑って別れるんだよ・・」
  と、焼き場の人のアナウンス。
アナ「岩崎家のご遺族のみなさま、収骨の準備が整いましたので、第二収骨室にお集まりください」
拓弥「行かないと・・」
朝子「お父さん・・焼けたか・・・」
  暗転。