第77話  『君が代は』
  道端。
  ランドセルを背負った小学校四年生のアトムとミホがこちらに背を向けて座っている。
ミホ「こんなはずじゃ、なかったんだけどねえ」
アトム「うん」
ミホ「ちょっと甘くみてたよ」
アトム「そうかなあ」
ミホ「いや、ホントにねえ、自分の至らなさっていうの? 実感したよ」
アトム「ん・・でも、ミホちゃんはさあ、よくやってると思うよ。将来のこと、今からちゃんと考えてさあ、着実にやってるわけだからさあ」
ミホ「計画立ててても、計画通りにいかなかったら、人はそれを計画倒れって呼ぶわけだからさ」
アトム「ま、それはそうなんだけどね」
ミホ「五年生の勉強がさ、こんなに難しいとは思わなかったよ」
アトム「五年生の勉強、難しい?」
ミホ「難しいね、ついてけないもん」
アトム「でも、それはさあ、しょうがないんじゃないの? だって、ほら、僕達はまだ四年生なんだから」
ミホ「いやいやいや、四年生だからって、五年生の勉強が難しくてついていけないって言ってちゃねえ・・」
アトム「そうなの?」
ミホ「そうでしょ、そんなの」
アトム「そうなのかなあ」
ミホ「もう四年生なんだよ、僕らは。四年にもなって、五年の勉強が難しいって言ってたらおかしいでしょう」
アトム「え? え? え? 五年の勉強は五年になってやればいいんじゃないの?」
ミホ「五年になったら六年の勉強しなきゃなんないでしょ」
アトム「六年の勉強は六年になってからじゃだめなの?」
ミホ「そしたらさ、そしたら中学受験の受験勉強はいつやるの? 六年生の勉強なんて四年生の終わりまでに終わらせるのが理想なんだよ」
アトム「そうか・・」
ミホ「学校のペースに合わせてたら、確実に落ちこぼれていくんだよ」
アトム「僕なんかあれだよ、学校のペースにもついていけてないよ」
ミホ「うん、アトムはいいじゃない」
アトム「いいのかな」
ミホ「君の得する性格がそれを補ってあまりあるから大丈夫だよ」
アトム「そうかなあ・・」
ミホ「だね」
アトム「学校のさあ」
ミホ「うん」
アトム「今、授業でやってることって、全部去年、塾でやっちゃったことなんでしょ」
ミホ「そうだねえ」
アトム「どういう感じなの? 全部やったことをまたやってるんでしょ」
ミホ「懐かしいね、なにもかも」
アトム「懐かしいんだ」
ミホ「いろんなことを思い出すよ。ああ、あの頃、あんなことあったとか、あんなこと考えてた、とか、あんなことやっちゃったぁ、とかねえ」
アトム「みんな勉強してんのに、ミホちゃんは一人でそうやって思い出に浸ってるんだね」
ミホ「そう、あの頃はさ」
アトム「うん」
ミホ「(しみじみ)若かったなあって」
アトム「若いって、そりゃ若いよ、去年のことでしょう? だって三年生じゃない、小学校三年生は若いでしょう」
ミホ「バカやってたよ、ほんと」
アトム「ミホちゃん、去年の今頃、私よりもちっちゃかったもんねえ」
ミホ「そうだったよね、びっくりだよね」
  と、ミホ、ここで初めて立ち上がった。
  そして、ミホ、アトムをしばし見下ろしている。
ミホ「あの頃、ちっこかったよね、私」
  アトムも立ち上がった。
  しかし、ミホの背には全然かなわない。
ミホ「あのねえ・・私ねえ・・」
アトム「うん」
ミホ「驚かないでね」
アトム「なにが?」
ミホ「驚かないでね、約束して、絶対に驚かないって」
アトム「(なにがなんだかわからないが、とりあえず)う、うん」
ミホ「この三ヶ月でね」
アトム「うん」
ミホ「私の身長ね」
アトム「うん」
ミホ「・・・十二センチも伸びてるの」
アトム「十二センチ・・(驚いた)十二センチ!」
ミホ「(ゆっくりと頷いて)すごいでしょう?」
アトム「すごい! すごいすごい! 十二センチ? 三ヶ月で?」
ミホ「うん、でも、驚くところはここじゃないの」
アトム「ん?」
ミホ「いい? あのね、三ヶ月で十二センチってこと、一ヶ月だと?」
アトム「四センチ」
ミホ「一年だと?」
アトム「かける十二で、四十八センチ」
ミホ「でしょう?」
アトム「一年で四十八センチ? 来年の今頃はさらに四十八センチ伸びてるってことなの?」
ミホ「(頷いた)すごでしょ」
  と、ミホ、自分の四十八センチ上空を示し。
ミホ「このへんよ、このへん、五年生の今頃は」
アトム「え、じゃあさあ、じゃあさあ・・」
ミホ「六年生でしょ」
アトム「うん」
ミホ「六年生の今頃でしょ」
アトム「うん」
ミホ「今よりもい九十六センチ高くなってるはず」
アトム「すごい」
ミホ「すごいでしょ」
アトム「すごすぎる・・道とか歩いてて、すれ違ってもお互い気がつかないかもしれないよね」
ミホ「ついでに言っておくとね、中学校を卒業する時は、今よりも二メートル四十大きくなってるのよ。二メートル四十になってるんじゃないの、今よりも二メートル四十大きくなってるの。さらに、高校を卒業する頃には三メートル八十四くらい、今よりも大きくなってるの」
アトム「二メートル四十と、三メートル八十だとあんまかわんないようなきがするけどねえ」
ミホ「なんで・・私の体になにが起こったんだろう?」
アトム「ミホちゃんはさあ、なんていうか、がんばり過ぎなんだと思うよ。中学の受験だってさ、着々とがんばってるし、一生懸命だし・・」
ミホ「それとこれとなにが関係あるの?」
アトム「あのさあ、ヨーロッパとかアメリカとかで、精神医療が発達しているのってなんでだか知ってる?」
ミホ「な? なに? ヨーロッパの、なに?」
アトム「精神医療」
ミホ「精神・・医療?」
アトム「ほら、よくあるじゃない、精神分析とかカウンセリングとかさ、心のお医者さん」
ミホ「あ、ああ・・」
アトム「ヨーロッパの人とかアメリカの人とかって、体大きくてごついけど、心がそれに追いついていないからなんだよね。体の割に心は小さくて、繊細で、敏感だったりするから、体と心のバランスが崩れちゃって、苦しんだりするんだって、なにかで読んだことがあるよ・・言ってること、わかる?」
ミホ「う、うん・・・」
アトム「ミホちゃんの心、がんばり過ぎてるんじゃないかな」
ミホ「だから? だからかな、私の身長が伸び続けてるのは・・」
アトム「それが本当の原因かどうかわかんないけど、でも、ボクなんかほら、適当に生きてるから、こんなふうに適当な大きさなんだよ」
  と、アトム、立ち上がってみせる。
ミホ「うん・・言われてみれば、ホント、すごく適当な大きさだ」
アトム「ね、そうでしょ」
ミホ「ホントに? ホントにホントなのそれ・・そんな話聞いたことないよ」
アトム「まあ、人間なにを信じて生きるのかってことだよ」
ミホ「でも、でも・・西村先生は、もっとできるはずだからがんばれって」
アトム「もっとできるはずの、はずってなんなんだよ。西村先生になにがわかるんだよ。だいたいさあ、授業中静かにできない子はウサギ小屋で騒いできなさいってさ」
ミホ「でも、はい! って言って自分からウサギ小屋に入っちゃうのがいけないんじゃない?」
アトム「だって、行けっていうから、行ったのにさ、それでまた起こられるなんて・・」
ミホ「それはどっちもおかしいって・・」
アトム「ボクはさあ、佐々木先生の方がよかったなあ」
ミホ「担任?」
アトム「佐々木先生、もう帰ってこないのかなあ、学校に」
ミホ「絶望的だって言ってた、うちのお母さん」
アトム「PTA情報か」
ミホ「先生に復帰するのは相当難しいって・・」
アトム「そっか、やっぱなあ・・大騒ぎだったもんね、卒業式終わって春休み中」
ミホ「謝っちゃえばいいのに」
アトム「謝る? でも、佐々木先生は悪くないじゃん。卒業式で『君が代』歌うなって言っただけだよ」
ミホ「うん・・まあ、言うのは自由だからねえ」
アトム「それでなんで佐々木先生は、ボクらの担任をはずされちゃうんだよ」
ミホ「佐々木先生、ねえ・・好きだったな、私も」
アトム「佐々木先生・・帰ってきてよ」
ミホ「帰ってこないよ・・もう」
アトム「佐々木先生・・・ボクら『君が代』歌えるよ。そんなの歌うのなんてなんでもないよ。佐々木先生がいなくなる方がつらいよ・・悲しいよ・・帰って来て欲しいよね、佐々木先生・・・帰ってきてよお、佐々木先生・・・『君が代』歌うくらいなんでもないよ・・そんなの歌ったくらいで、ボク達はなんにも変わらないよ・・そんなんじゃ、なにも変わらないのに・・ボク達、大丈夫なのに・・」
  アトム、『君が代』を歌い始める。
アトム「君が代は、
ちよにやちよにさざれいしの
巌(いはほ)となりて」
アトム・ミホ「こけのむすまで」
  暗転。