第七十六話  『給湯室』
  コクヨの会社の給湯室。
  薫がお湯を沸かしている。
  そこへやってくる美穂子。
美穂子「あ、すいません酒寄さん。もういらっしゃってたんですか、先に。すいません」
薫「え、何?」
美穂子「今日、あたしがお茶当番なんですよ」
薫「ああ」
美穂子「ごめんなさい」
薫「ああ、いいのいいの。今ね、火にかけたばっかりだから。いいよいいよ、私やるから」
美穂子「いえ、まだ時間かかりますから、あ
たしやります」
薫「いいよいいよ、別に。そんなの気がつ
いた人がやればいいんだし」
美穂子「いや、でもあたしが当番だし、酒寄さんにやっていただくなんて、忍びないです。ちょっと仕事が押しちゃって。すいません」
薫「忙しいんでしょ。いいよ、私、暇だから」
美穂子「いえ、もう終わったんでやる事ないんですよ」
薫「そう?」
美穂子「ええ、やりますよ」
薫「でもさ、私やりかけちゃったから、来週代わってもらってもいいし、私が当番の時」
美穂子「ああ、なるほど。それでもいいです
けど、あたしもうやる事ないですし、酒寄さんの方が仕事ありそうだから。あたしここやります」
薫「うーん、いいんだけど‥‥」
美穂子「わかりました。じゃあ一緒にやりましょう」
薫「ああ、そうね」
美穂子「ええ、二人でやりましょう」
  ヤカンを眺める二人。
薫「もう、忙しくないの?」
美穂子「ええ、一通り終わりました」
薫「今日も、みんなでお昼食べに行くの?」
美穂子「ええ、行きますよ、いつも通りみんなで」
薫「そう。仲良いいよね、いつもね」
美穂子「ええ、あたしのデスク周り五人ぐらいで。いつもお昼食べに行ったりして、色々とつき合い多いんですよ」
薫「ふーん」
美穂子「酒寄さんはお昼は?」
薫「私? 私はいつもお弁当だから」
美穂子「お弁当ですか。今、お弁当の人っていないですよね」
薫「あんまり、いなくなっちゃったね」
美穂子「え、じゃあ一人ですか?」
薫「うん、そうだね。一人のことが多いかな」
美穂子「ああ、すいません。寂しいですよね。
早く誘えば良かったですね」
薫「あ、いのいいの。ほら、私、毎日外食する程余裕ないし」
美穂子「え、そうなんですか?」
薫「うん」
美穂子「だって酒寄さんの方が、あたしよりお給料、全然良いですよね?」
薫「そうかなあ」
美穂子「何年でしたっけ?」
薫「九年」
美穂子「うわー、貯めてそうですね」
薫「そうでもないよ」
美穂子「そうなんですか? 今度一緒に食べに行きましょうよ」
薫「そうね、また今度ね」
美穂子「あ、じゃあ今度は、あたし達が酒寄さんにつき合って、お弁当持って来ますから、お弁当大会やりません?」
薫「お弁当大会? おかずの交換したりとか? なんか学校みたい」
美穂子「みんなでワイワイやりましょうよ。
楽しいですよ、きっと」
薫「なんかね、私が入社した頃ってさ、こんなにみんな仲良くなかったの」
美穂子「え、そうなんですか」
薫「そう、だからすごい不思議。私が入社した頃って、会社は会社、プライベートはプライベートって感じで、もっと人間関係って希薄だったのね」
美穂子「そうなんですか?」
薫「最近ってさあ、みんな帰りも一緒に飲みに行ったりとかしてるじゃない」
美穂子「ええ、今日も行きますよ。もう約束あります」
薫「あ、今日もいくの?」
美穂子「ええ」
薫「そんなことって、なかったの。終わったらそこまでって感じ。お疲れ様でしたってそこまでって感じだった」
美穂子「それって寂しいじゃないですか。だ って一日の内で、会社にいる時間の方が長いわけですから、そこでの人間関係が、一番大事なような気がするんですけど」
薫「そうよね。でも、あんまり仲良くなり過ぎるとさ、楽しくなり過ぎちゃって仕事にならないとか、そういうことってない?」
美穂子「いや、ないですよ。みんなで持ちつ持たれつ、仕事の助け合いですから」
薫「ああ、そう?」
美穂子「ええ、仲間がいないとやってられないですよ」
薫「それが一番いいよね」
美穂子「ええ。‥‥昔はそんなだったんですかあ」
薫「うん、だから随分変わったなって思うよ、会社の中。昔は怖い先輩がいてさ」
美穂子「え?」
薫「今みたいにね、電話の周りでキャーキャー賑やかにやってたりすると、ビシッて言われちゃう」
美穂子「ヒー」
薫「うるさかったんだよお。ストッキングの色とかね、口紅の色とか。化粧が派手過ぎるって」
美穂子「そんな事まで言われるんですか? だって会社にそういう規則って、ないですよね?」
薫「うん」
美穂子「わー、今いなくて良かったー」
薫「ね、今って自由だよね」
美穂子「ええ。怖い人とかいなくて、気が楽ですよ。だってあたし達、化粧品の情報交換とかやってますもん」
薫「ああ、よくやってるよね。さっきも広げてたでしょ」
美穂子「ええ、新色が出たって話で、盛り上がったんですよ。ほんと、良かった、今、怖い人いなくて」
薫「ほんと、今楽よ、全然」
美穂子「そうですよね。良い人ばっかりですよね、仕事のフォローもしてくれるし」
薫「そうね。女の子ってさ、一からげに見られちゃったりするからさ、その辺は助け合わないとね」
美穂子「そうですよね」
薫「だって、男の人ってうるさい人いるじゃん」
美穂子「いますいます。あ、お茶当番、二人でやって正解ですよ」
薫「え、なんで?」
美穂子「ヤなんですよ、一人でやるの。あたしいっぺんに全員の分を持って行けないんですよ、重くて」
薫「うん」
美穂子「で、二.三回に分けて持って行くんですけど、後にまわされた人で、なんで俺のが後なのって顔する人とかいるんですよ。次長とか」
薫「ああ」
美穂子「うるさいんですよ、そんなチマチマしたことで」
薫「でも、男の人の叱り方と女の先輩の叱り方って、違うよね」
美穂子「ああ、男の人の方がチマチマしてますよね」
薫「ずれてるよね、男の人の叱り方って」
美穂子「お茶くみの苦労を知らないから」
薫「ね、わかってないよね」
美穂子「男の人も、お茶当番やればいいんですよ」
薫「え、男の人が?」
美穂子「みんな公平に、順番まわした方が良くないですか?」
薫「でも、男の人が給湯室に来てウロウロしてたら、うっとうしくない?」
美穂子「ああ」
薫「お茶くみも、プロ意識持ってやればいいんじゃない?」
美穂子「え? お茶くみにプロ意識持ってやるんですか?」
薫「って、先輩に教わった。言われてた。でもさ、そういうキツイ先輩って必要じゃないかな」
美穂子「いや、あたしは今のままで充分なんですけどね」
薫「でも、そういう人がいた方が、引き締まるには引き締まるんだよね」
美穂子「ああ」
薫「最近さ、コネ入社が多いじゃない?」
美穂子「‥‥ああ」
薫「ここ一.二年」
美穂子「え、コネ入社って何かまずいですか?」
薫「ちょっと違うなあって、気がきかないっていうか。なんて言うか、コネとか使っちゃう子だから図々しいっていうの? 図太い神経持ってるって感じ」
美穂子「そうですかねえ、あまり大差ないと思うんですけどね、他の人と」
薫「そう?」
美穂子「ええ」
薫「そうかなあ。意識の問題が、違うような気がするんだけどな、コネ入社の子って」
美穂子「でも、人間関係は大事ですよね、やっぱり」
薫「ああ、そうね。人間関係悪いと嫌んなっちゃうもんね」
美穂子「そうですよ。仲良いことが、一番ですよ」
  間
美穂子「お湯、沸きませんね」
薫「ああ、なかなか沸かないね」
  間
薫「私が入社したばっかりの時ってさ、マナー向上委員会ってのがあったの。社内マナー向上委員会」
美穂子「え? 何ですか、それ」
薫「あのね、目標なんかを作ったりするの、みんなで。電話を三コール以内に取りましょうとか」
美穂子「はあ」
薫「後ね、チェックするの。デスクの中に化粧品を置くのはやめましょうとか」
美穂子「は?」
薫「会社の備品を私物化するのは、やめましょうとか」
美穂子「そんな事いちいちチェックするんですか?」
薫「そう、チェックするの」
美穂子「え、化粧品も駄目なんですか? 自分のデスクなのに」
薫「自分のデスクだけど、会社の物しか置いちゃいけませんって」
美穂子「厳しいですねえ」
薫「外からわざと客のふりして電話をかけて、応対みたりとかね、あったのよ」
美穂子「え、せこい」
薫「なんかね」
美穂子「今、やってないですよね?」
薫「今はやってない、やってない」
美穂子「あー、びっくりした」
薫「今やったら、どうなるかなあ?」
美穂子「いやあ、大変ですよ。緊張して仕事どころじゃないですね、きっと」
薫「やっぱね社内は明るくないとね」
美穂子「それが一番大事ですね」
薫「でもさ、明るくて賑やかだからって、全員が楽しいとは限らないんだよね」
美穂子「ああ‥‥そうですよね」
薫「たまにキャアキャアやってる時に、部長とかがさ、なんか嫌な顔してるなって感じの時もあるよね」
美穂子「ああ‥‥。あたしのデスクまわりって、ちょっとうるさいですよね? すいません」
薫「私は気にしてないけどね」
美穂子「あ、そうですか。そんなに気になる程じゃないですよね」
薫「そうね、それ程じゃないよね。あのさ、こんな事しっかりしてる人に言っても仕様がないんだけどさ。濱さんはしっかりやってるから」
美穂子「いやいや、そんな、とんでもない」
薫「ちょっとさ、復活させてみようと思ってるの、社内マナー向上委員会」
美穂子「え」
薫「朝礼の時にさ、濱さん、あなたが提案してみてくれないかな?」
美穂子「あたしですか? なんで、あたしですか?」
薫「だってさ、みんなの中心みたいな感じじゃない。信望厚そうだし」
美穂子「ええ?」
薫「なんかね、階級っていうか、上から押しつけるのって嫌なの。私の方が先輩だからって、そんな‥‥」
美穂子「いや、そんな事はないです。第一あたし嫌ですよ。そんな事あたしが始めちゃうと、仲間うちからハブですよ」
薫「え、じゃあ私が始めちゃうと、私が嫌われちゃうってこと?」
美穂子「酒寄さんなら大丈夫です」
薫「え?」
美穂子「いや、こういうのは先輩からの方が、説得力がありますよ」
薫「そう?」
美穂子「ええ。先輩の方が信望あるし、立場的にハブになることもないし、いいと思います」
薫「そう。じゃあ今度の朝礼で、私言ってみようかな」
美穂子「ええ、ぜひ」
薫「でも、あまり気にしないでね。いつの時代でもさ、先輩が後輩にこういう風に思ってる、ってのはあるの」
美穂子「そうですか」
薫「まあ、今が特別ひどいってわけでもないしね。でもさ、あと五年もいたら濱さんだって、後輩に何か言ってるよ、きっと」
美穂子「やだ、五年もいませんよ」
薫「そうだよね」
美穂子「だって今二十四でしょ。まあ、あと二、三年したら寿退社ってとこかな」
薫「そうだよね」
美穂子「あ、別に今が腰掛け、ってことじゃないんですけどね」
薫「腰掛けじゃなかったら、なんて言うの?」
美穂子「なんでしょうね。あ、酒寄さん、お湯沸きましたよ」
薫「ちょっと待って」
美穂子「え?」
薫「もう少し待った方がいいよ。殺菌効果あるし」
美穂子「‥‥ああ」
  湯気のたつヤカンを眺める二人。
  暗転。