第73話  『ガラパゴス』
  桃井さんち。
  こたつに入っている詩織と桃井幸子。
  詩織、こたつの上に広げた旅行雑誌やパンフレットを見ている。
  幸子は、寝転がっている。
詩織「南極は、南極」
幸子「南極? 南極行けるの?」
詩織「あるよ、ツアーが。南極の氷で水割りを呑みませんか・・だって」
幸子「へえ」
詩織「氷の中に封じ込まれた、太古の空気がプチプチと音を立てて、ウイスキーの中で・・いやあ、ちょっとよくない? これ、これにしなよ」
  幸子、起きあがってくる。
幸子「いくら、いくら、いくら?」
詩織「百八万円」
幸子「だーっ!」
詩織「でも、南極だよ・・それくらいするんじゃないの?」
幸子「水割りが百八万円?」
詩織「いや、水割りが百八万円じゃないって」
幸子「ぼるねえ・・っていうか、そんな金ないし」
詩織「オーロラも見れるって」
幸子「オーロラを見ながら水割り、百八万円か・・」
詩織「百八万円の水割りのウイスキーって、なんだろう・・やっぱりホワイトとかかな」
幸子「なんで?」
詩織「南極なだけに、ホワイト」
幸子「そういうのがおもしろくてしょうがないんでしょう」
詩織「なんでだろう、最近特にそうなんだよね」
幸子「年とったってことでしょう」
詩織「やっぱ、そうか」
幸子「うーん、悩むなあ」
詩織「どこ行ってもさ」
幸子「うん」
詩織「二人でずっとホテルの部屋にいるんじゃないの?」
幸子「たぶんね」
詩織「最後だから、ずっとエッチしてると思うよ、二人でさ」
幸子「そうじゃないかと思うんだけどね」
詩織「だから、ヒロコちゃんもさ、どこでもいから、さっちゃんが決めてって言ってるわけでしょ」
幸子「そうなんだよね・・」
詩織「・・そのさ」
幸子「うん」
詩織「さっちゃんの新しい彼氏にはなんて言うの?」
幸子「前から約束してた、友達と行く旅行」
詩織「ああ・・まず疑わないよな、普通の男だったら」
幸子「うん、まったく、微塵も疑ってない」
詩織「そらそうだわ」
幸子「うん・・目の前に連れていって、私が付き合っていた前の彼女ですって言っても、それでも信じないと思うよ」
詩織「そうだよね・・あ、そうですかって挨拶しないよね、そういうので」
幸子「うん、そうそう」
詩織「彼氏とはエッチしたの?」
幸子「うん・・した」
詩織「え? 男って初めてだっけ」
幸子「そう・・二十五にして・・初めての男性経験。すっごい緊張した」
詩織「あれ? 女は?」
幸子「十四から」
詩織「ふーん」
幸子「でもさあ、なんていうんだろう・・女の子同士の方が全然いいんだよね。男とヤッテてさあ、二時間ってあんまヤんないじゃない」
詩織「え? そう?」
幸子「え? やる?」
詩織「うん、私は平均そんなもんかな」
幸子「あ、そう、私ヤんないんだけどさ」
詩織「うん、まあ、そんなの人それぞれだからね」
幸子「でも、ほら、相手が女だと平気で四時間ぐらいやったりして、もうぐったりして、その後、なんにもしたくなくなるんだよね」
詩織「へえ・・」
幸子「男ってほら、出たらおしまい、ってとこあるじゃない」
詩織「ああ・・」
幸子「女同士だと、そういう、なんて言うの、区切りがないんだよね。ゴールがないっていうか・・ずっと続いちゃうからさ。深みがちがうっていうか・・」
  詩織、パンフレットの束の中から一枚に目をつけ。
詩織「これは? これはどう?」
幸子「え? なに?」
詩織「イースター島」
幸子「イースター島って、あのモアイの?」
詩織「モヤイ?」
幸子「モ・ア・イ」
詩織「モヤイ?」
幸子「モ・ア・イ」
詩織「そうそう、そのモアイ見に行くの、よくない?」
幸子「イースター島って、どこにあるの?」
詩織「んと・・ニュージーランドと南アメリカの間」
幸子「行くまでが大変じゃん」
詩織「七泊八日でね・・イースター島に二泊だって」
幸子「七泊八日で、イースター島に二泊で、あとは?」
詩織「移動」
幸子「やだよ、そんなの・・」
詩織「あ、ほら、ガラパゴス諸島も近くにある・・近くって行っても、日本一つぶんくらい離れてるけど・・ガラパゴス諸島、これもちょっと寄ってくるってのは? いいよ、ガラパゴス」
幸子「ガラパゴスのなにがいいの?」
詩織「ガラパゴスだよ、ダーウィンの・・進化論の、ほら」
幸子「知ってる名前並べてるだけでしょ」
詩織「ちっがうよ、ちっがうって、な、なに言ってんの? 優性遺伝でしょ、メンデルでしょ、法則でしょ」
幸子「ああ、もういい、ありがとう、ごめん、もういいって」
詩織「(読み上げる)ガラパゴス・・ほら、合ってるじゃない。ダーウィンが進化論を書くきっかけとなった島」
幸子「メンデルは出てこないでしょう」
詩織「メンデルは・・メンデルってなんだっけ? あ、ああ・・作曲家だ」
幸子「ちがうでしょう」
詩織「ちがうの?」
幸子「ちがうと思うよ」
詩織「今、不安になってるでしょう?」
幸子「なってる・・作曲家だったかもしれない」
詩織「メンデル・・次はメンデルの十八番、ピアノ協奏曲です」
幸子「全然違和感がない」
詩織「(また読み上げる)イグアナは暖かい岩の上におなかをのせて、その熱で海草を消化します」
幸子「イグアナか」
詩織「モアイよりもイグアナに落書きだな」
幸子「なんて?」
詩織「こう・・おなかのここんとこに『ただ今、海草消化中』って」
幸子「なんのために?」
詩織「わかり易いじゃない、今、なにしてるか?」
幸子「誰に? 誰にわかり易いの?」
詩織「ああ・・消化中だって・・そのぼーっとしてるかのようで、消化中のイグアナを見て、二人でぼーっとしてるってよくない?」
幸子「うーん・・そうねえ」
詩織「でもさあ、そんな別れる前に、二人で旅行に行きたいって言ってもさあ、もしも、そんな旅行していてまた気持ちが変わったら、どうするの? 縒りを戻すってことになっちゃったらさあ」
幸子「いや、間違いなくヒロコはそっちを狙ってると思う」
詩織「だよねえ」
幸子「なんか、そういうところズル賢くって、頭いいなって思っちゃうんだよね。五つも下なのに、時々、年上に見えること、あるもん」
詩織「え? ヒロコちゃんって今、いくつなの?」
幸子「二十歳・・になったばっか」
詩織「へえ・・」
幸子「でも、女とそういう事するようになったのって十三とか言ってたから」
詩織「十三、十三で、そっちかよ」
幸子「そう・・バトミントン部の先輩に迫られてだって」
詩織「レディースコミックみたいな子だな」
幸子「どうしようかな、そうなったら・・」
詩織「そん時はほら、あれよ、彼氏、捨てちゃえばいいんじゃないの?」
幸子「簡単に言うねえ」
詩織「簡単じゃん。今はほら、メールとかあるし」
幸子「メールか・・そうか、そうなったら、メールすればいいか・・」
詩織「そうだよ」
幸子「そうか? 本当にそうかよ」
詩織「そうだよ、そう、そう・・」
幸子「そしたら、また・・この生活が続くのかぁ・・なんか、ようやく脱出できると思ったのに」
詩織「甘かったかもね」
幸子「いつまで続くのかなあ・・」
詩織「知らんけど、そんなのは」
幸子「やっぱり男とは縁がなかったのかなあ、私は」
詩織「いやあ・・縁がないって言えば、私だって、ねえ・・ははは・・」
幸子「でも、これから、まだ分からないじゃない」
詩織「そうかぁ?」
幸子「そうだよ、ほら、電撃結婚とかして、それも、出来ちゃった婚でさあ」
詩織「そんなになにもかも一時に起きるかなあ」
幸子「わかんないじゃない」
詩織「わかるよ」
幸子「なんでよ」
詩織「わかるよ・・もう、なんとなくさあ、これまで生きてきた、なんていうの? 勘みたいなもんがあるじゃない・・もうねえ、なにも起きないよ、私には・・家ねえ、なんか長生きの家系なのよ。私のおばあちゃんもまだ生きてるの・・この前やっと、ひいおばあちゃんが亡くなったくらい・・」
幸子「へえ・・ひいおばあちゃんか・・」
詩織「無駄に長生きってことだねぇ」
幸子「お母さん・・・ごめんね・・・孫の顔、見せらんなかった・・」
詩織「孫かあ・・孫ってあれなんでしょ・・」
幸子「なに?」
詩織「かわいいんでしょ?」
幸子「そうなの?」
詩織「かわいいっていうよ・・」
幸子「ごめん、お母さん・・」
詩織「孫の顔か・・見たいのかなあ・・見たいだろうなあ・・それは・・」
幸子「だからほら、できちゃった婚だよ」
詩織「できちゃった婚か」
幸子「・・電撃結婚よ」
詩織「はははは・・あり得ねえ」
幸子「あり得ないかもしれないけど、できる訳じゃない・・シオリンは。私達はさあ・・できちゃった婚とかできないからね」
詩織「ああ・・できちゃった婚ができないのか?」
幸子「できちゃわないから。できないよ、できちゃた婚・・ねえ・・なんで女同士だと子供できないんだろう?」
詩織「ああ・・なんでだろうねえ・・そんなの考えたこともないよ」
幸子「なにかに逆らってるってことかね・・女同士の恋愛は」
詩織「逆らってる? 」
幸子「やっちゃいけないことなのかねえ・・ふう・・」
詩織「そんなことないってば」
幸子「子供欲しいなあ」
詩織「諦めなさい」
幸子「でも、ほら・・女として生まれてきて・・」
詩織「女として生まれてきて・・女を愛し」
幸子「子供ができず・・」
詩織「なに言ってんのよ・・子供産むだけが女じゃないじゃない・・」
幸子「でも、ほら、そうすると遺伝子がさあ・・」
詩織「いいのよ、遺伝子なんか・・遺伝子のために生まれてきて、遺伝子のために自分の人生を無駄にすることなんてないじゃない。人は遺伝子の入れ物じゃないんだからさ」
幸子「そうかなあ」
詩織「そうだよ・・・そうなんだよ。もうねえ、私の遺伝子はね、私でおしまい。以上って感じ。おばあちゃん、お母さんと続いてきて、私でおしまい」
幸子「すごい何億年も受け継がれてきたんだよ、遺伝子って」
詩織「そんなの私、知らないもん」
幸子「地球が生まれた時からさあ」
詩織「そんな、そんな地球が生まれたのは、私のせいじゃないもん」
幸子「・・地球が生まれて・・どれくらい? 四十六億年だっけ?」
詩織「よくわかんないけど、それくらいじゃないかな」
幸子「それでさあ・・最初は単細胞から始まってさあ、まず海の生き物になってさあ、それで、陸に這い上がってきて、それで、哺乳類が生まれてさあ・・爬虫類とか両生類とかになって・・ん? ちょっと順番違うかもしれないけど、それで、恐竜とかも出てきて・・・氷河期で絶滅してさあ・・」
詩織「いいんだって、そんなの・・恐竜がさあ・・氷河期の冷たい土を踏んでさあ、冷たい風に耐えてきたのもさあ・・・みんなみんなヒロコちゃんとさっちゃんが出会うためだったんだよ。そのずーっと後でね、二十一世紀の初め頃になって・・さっちゃんが・・悩みながら一緒に暮らすためだったんだよ。猿が道具を手にして・・火を使うようになって・・道具で敵を殺して、仲間を守って、子供を育てて、家族を守ってさ、村を作って、国を作って、殺戮して、強奪して、子供を産んで、育てて、殺して、殺されて、奪って、奪われて・・そんなあれやこれやがいっぱいあって、それでさ、そのあげくに出会ったんだよ・・ヒロコちゃんとさっちゃんは・・」
幸子「そうねえ・・」
詩織「だから、好きにしていいんだよ・・・好きにすればいいんだよ」
幸子「そうか」
詩織「そうそう・・あ、これは?」
幸子「え? なに?」
詩織「カナダ、ケベック・・マンモスの牙・・・」
幸子「マンモス?」
詩織「マンモスの牙、触れるって・・マンモスの牙触ってさ・・すまないねえ・・氷河期の冷たい土を踏んで、冷たい風に耐えてもらったのに・・」
幸子「こんなになっちゃいました・・って」
詩織「そうそう・・」
幸子「遺伝子はちょっと、後に残せそうにありませんって・・」
詩織「そうそう・・」
幸子「いくら?」
詩織「七泊八日・・十二万五千円」
幸子「手頃だね」
詩織「でしょ・・」
幸子「見せて、見せて・・」
  と、詩織、パンフを見せる。
  そして、別のパンフをなにげにめくりながら・・
詩織「猿が道具を手にして・・火を使うようになって・・道具で敵を殺して、仲間を守って、子供を育てて、家族を守ってさ、村を作って、国を作って、殺戮して、強奪して、子供を産んで、育てて、殺して、殺されて、奪って、奪われて・・そんなあれやこれやがいっぱいあって、それでさ、そのあげくに出会ったんだよ・・」
幸子「うん・・」
詩織「好きにしていいんだよ、そんなの・・」
幸子「うん・・」
  ゆっくりと暗転。