第70話  『誰がために』
  宮崎家のダイニング。
  ちゃぶ台の上に切り取られたクリスマス ケーキが載っている。
  それを挟んで友也とひかりがいる。
友也「まあ・・それはねえ・・あれとして・・とりあえずケーキ、食えよ・・・」
ひかり「・・・・・」
友也「・・・・・・」
ひかり「・・・・」
友也「・・・・・」
ひかり「あのさあ・・・」
友也「なに?」
ひかり「私がなんであなたと結婚したか知ってる?」
友也「・・・いや」
ひかり「憲法第九条があったからよ」
友也「・・九条?」
ひかり「第九条・・戦争の放棄」
友也「いや、それは知ってるけどさあ」
ひかり「私はね、この国に憲法第九条があるから、あなたと結婚してもいいかなって思ったのよ。憲法第九条・・戦争の放棄」
友也「あ・・うん」
ひかり「なのにさ・・なんであなたがイラクへ行くの?」
友也「・・・・・・」
ひかり「・・・・・」
友也「・・・まあ、ケーキ食えよ・・ケーキ食ってから、話そうぜ」
ひかり「うん・・・」
  と、ひかり、ケーキの端っこを一口だけ 食べる。
ひかり「おいしいね」
友也「だろ?」
ひかり「はい・・」
友也「え?」
ひかり「ケーキ、食べたよ・・」
友也「どお? コンビニの店の前で売ってたケーキだからさ・・あれかもしれないけど・・」
ひかり「おいしいよ・・うん・・ケーキに罪はないからね」
友也「罪って、なんだよ」
ひかり「・・だからさ、九条はどうしちゃったのよ」
友也「どうしちゃったって、あるだろう、九条は・・なくなったって話、聞かないからなあ」
ひかり「あるんでしょ、日本には、憲法九条が」
友也「あるねえ」
ひかり「じゃあ、なんで、戦争に行くの?」
友也「うーん」
ひかり「なんで? ・・・あなたが!・・・戦争に行くの?」
友也「だからね」
ひかり「はい」
友也「だから・・まずね、これは戦争じゃない」
ひかり「戦争みたいなもんじゃない」
友也「戦争は終わったじゃない」
ひかり「うん・・」
友也「ね、だから、戦争に行くんじゃないの・・ね、戦争に行くんじゃないから、行ってもいいの」
ひかり「戦争終わっても危険じゃない、戦争やってるようなものでしょ。アメリカはね、終わったって言ってるよ、でもイラクも終わったって言ってるの?」
友也「どーだろ?」
ひかり「イラクは、まだまだぁ! って言ってるわけでしょ。イラクはまだ自分が土俵際でがんばってると思ってるわけでしょ?」
友也「土俵・・際か、どうかはわかんないけどね・・」
ひかり「まだ、がんばってるわけじゃない」
友也「まあ、ねえ・・なかなかあきらめないよねえ」
ひかり「なにしに行くの?」
友也「人道支援だよ」
ひかり「わかんない」
友也「え? なにが? 人道支援のなにがわかんないの?」
ひかり「なにするの?」
友也「イラクの復興だよ」
ひかり「人道支援?」
友也「学校を作ったりさあ・・」
ひかり「うん・・・」
友也「病院を作ったり・・状況をよく見たうえで、判断するからさ」
ひかり「あんたは小泉?!」
友也「ちがうよ、ちがうけどさ・・」
ひかり「・・ねえ、辞められないの」
友也「うん・・辞められないよ」
ひかり「どうして?」
友也「仲間がいるから」
ひかり「仲間?」
友也「見捨てて逃げらんないでしょう・・そんなの」
ひかり「どうして?」
友也「仲間とか見捨てたら、それで人間お終いなの・・それに、今、ここで自衛隊やめたら、一生、俺、負い目になっちゃうじゃない・・そんな負い目背負ってまで、生きていたくはないよ・・」
ひかり「なんで・・」
友也「な、わかるだろう?」
ひかり「なんで・・・」
友也「な、わかるだろう・・・」
ひかり「死んじゃうかもしれないでしょう」
友也「ああ・・死ぬこともあるかもね」
ひかり「どうすんの、そしたら」
友也「どうするって・・」
ひかり「残された私とさやかとはるかは?」
友也「ごめん・・ってとこかな」
ひかり「ごめんじゃ、済まないでしょう?」
友也「あと・・なんて言えばいい?」
ひかり「え?」
友也「あと・・なんて言えばいい?」
ひかり「いや、そういうことじゃなくて」
友也「・・だって、そんなの結婚する時もさあ・・・言ったじゃない。真理奈が生まれる時もさあ・・言ったじゃない・・言ったよねえ・・俺は言ったよね」
ひかり「言った」
友也「だからさ・・その時が来たんだよ」
ひかり「最高気温ってさ、知ってる・・」
友也「最高気温?」
ひかり「イラクの最高気温」
友也「いや・・」
ひかり「五十八度だって」
友也「五十八度?」
ひかり「五十八度って・・どうなの? お風呂より十五度ぐらい暑いよ・・」
友也「またえらい暑いな」
ひかり「過去最高気温だから、年がら年中五十八度ってわけでもないと思うけどね」
友也「それって・・なにで調べたの?」
ひかり「ネット」
友也「へえ・・そんなのわかるんだ」
ひかり「どんなとこに行くのかって・・気になるじゃない、やっぱり・・だから、調べてみたの」
友也「うん・・」
ひかり「イラクってどんなとこか・・」
友也「あとはなんかあった? イラクの豆知識」
ひかり「んとねえ・・チグリス河とユーフラテス河の合流するあたりに、バスラって街があって・・そこに木が立ってるの」
友也「木? なんの木?」
ひかり「リンゴの木」
友也「リンゴ?」
ひかり「リンゴの木」
友也「有名なの? そのリンゴの木は?」
ひかり「有名・・すごい有名」
友也「俺は知らないよ」
ひかり「世界一有名なリンゴの木」
友也「わかんない・・リンゴの木って言われても、そんなのアダムとイブのリンゴの木くらいしか思いつかない」
ひかり「・・・それ!」
友也「え?」
ひかり「それよ、それ」
友也「うそ・・」
ひかり「ほんと・・アダムとイブが食べたリンゴの木があるの?」
友也「え? だって、エデンの園でしょ、なんでエデンの園が地上にあるの?」
ひかり「エデンの園は地上にあったのよ」
友也「へえ・・あ、そう」
ひかり「しかも、イラクに」
友也「エデンの園があるの? イラクに・・エデンの園が実在したってのも知らなかったけど、それがイラクにあったとはねえ・・へえ・・」
ひかり「あとねえ、あれも書いてあった」
友也「なに?」
ひかり「昔さあ・・戦争に行きたくない人がさあ・・」
友也「うん」
ひかり「お醤油とか呑んだって話知ってる?」
友也「昔って、それ、第二次世界大戦とかの話だろう?」
ひかり「そう・・そうなんだけどね」
友也「醤油って、呑むとどうなるの?」
ひかり「健康診断でハネられちゃうみたいよ」
友也「そうなんだ」
ひかり「うん・・こんな健康状態じゃ、戦場には送り込めないって・・」
友也「・・おまえ、なに考えてんだよ」
ひかり「いや、そういう話があったみたいだからさ。心臓や、血圧に変化が出るんだって」
友也「なに? インターネットってそういうことまで書いてあるものなの?」
ひかり「うん、そうだよ」
友也「第二次世界大戦の時だろう?」
ひかり「そうみたいね」
友也「そりゃ、そういうのはさ・・聞いたことあるけど・・え? 醤油って、どれくらい呑むの?」
ひかり「さあ(と、首をかしげる)・・でも、呑むと確実に体壊すから・・いいかなって」
友也「なにがいいんだよ」
ひかり「誰がどうみても、しょうがないなあって」」
友也「それさあ、飲み過ぎてほんとに死んじゃうことってないの?」
ひかり「さあ・・(と、首をかしげる)・・」
  と、ひかり、テーブルの上にあったひっくり返してあるワイングラスを立て直すと、そこに醤油を注いでいく。
友也「なにやってんだよ」
ひかり「ねえ」
友也「なんだよ」
ひかり「お醤油呑むのと、イラク行くのと、どっちがいい?」
友也「なにバカなこと言ってんだよ、飲まないよ」
  ひかり、注ぐ手を止めない。
友也「醤油の致死量は? それも書いてあったろう、絶対書いてあったね、醤油の致死量は?」
  ひかり、しばらく注いでいる。
友也「誰がそんな、おまえ死んじゃうかもしれないもん呑むんだよ」
ひかり「体重六十キロの人で、一・五リットル。だいたい、二百cc呑めば体調はくずれる・・ただし、注意しなければならないのは・・薄口醤油は薄口にあらず、塩分は同じなので、要注意」
友也「おいおい・・」
ひかり「はい・・」
  そして、ひかり、友也にその醤油の入っ たグラスを勧め。
ひかり「(グラスの中を見て)こんなもん・・こんなもんで体調は不良になるって」
友也「おまえ、いい加減にしろよ」
ひかり「・・・」
友也「誰が呑むんだよ、こんなもん」
ひかり「あなたが・・よ」
友也「おまえ、本当に・・本気で俺にこれを呑んで欲しいと思ってるのかよ」
ひかり「思ってたら、どう?」
友也「・・それはさあ・・・・」
ひかり「・・・・・」
友也「・・・・・」
ひかり「本気でこれ呑んでって思ってたら? 本気で死なないでって思ってたら? 本気であなたを死なせない・・死なせたくないって思ってたら?」
  友也、そのグラスに手を伸ばす。
  そして、ちょっと口をつけた。
友也「・・(ぼそりと)まずっ・・まずいよ・・やっぱ・・醤油はストレートで呑むものじゃないよ・・」
  と、グラスを置く。
友也「この、まずい味は・・忘れないよ・・イラクに行っても忘れない・・俺は、行くから・・な」
ひかり「・・はい」
友也「しかし、あれだな・・俺は今、おまえにさ、命にかかわるような事が、なにかあったとしてさ、その解決策がたった一つで、それが醤油を呑むことだったとしてさあ・・たとえ、そうであったとしてもさ、俺はおまえに醤油を呑めとは言えないよ・・おまえ、ほんとに・・あれだな・・」
ひかり「・・・ごめんなさい」
友也「そっち・・」
  と、示したテーブルの上にコンビニの白い袋に入ったままのお子さま向けのシャンパンがある。
  ひかり、それを手渡す。
友也「醤油よりは、おれはこっちの方がいいよ・・ごめんな、酒呑めないから、いっつもこういう時は、お子さま向けのシャンパンでさ」
ひかり「ううん・・」
  と、友也、栓を固定してある針金を解きはじめる。
  その友也に。
ひかり「そう言うと思った、そう言うと思ってた」
  友也、その手を止めて、ひかりを見た。
ひかり「でも・・必ず・・必ず帰ってきてね・・元気で帰ってきてよ・・約束だからね」
友也「もちろんだよ・・」
  友也、再び、栓を開け始める。
ひかり「本当はね・・あなたは私達を守るため以外の理由で戦っちゃいけないのよ。もしも、自衛隊が軍隊ではなくって、本当に自分達を守る自衛のための組織なんだったら、そうでしょ、そうあるべきでしょ・・戦うのなら、私とさやかとはるかのために・・そのためだけに・・銃を持って・・」
友也「よし、行くぞ!」
  栓に力を入れた。
  ひかり、身を庇った。
  カットオフ、暗転!
  シャンパンの栓の抜ける音。
  それは砲火の音にも似て・・