第66話  『新東京物語』




  温泉旅館の和室。
  テーブルの上にはビールが三本。
  グラスは三つきているが、うち一つだけにしかビールが注がれてはいない。
  やがて入ってくる浴衣姿の初美と未知。
初美「ああ・・いいお湯だったねえ」
未知「ほんとにぃ・・」
  風呂上がりの二人、ドライヤーで乾かし たはずの髪がまだ、なんだかぺっとりと している。
未知「あれ、お兄ちゃんは・・」
初美「まだまだ、しばらく入ってるでしょう」
未知「え、そうなんだ・・そんなに長風呂だったっけ」
初美「長い、長い・・木曜日なんか特に長い・・」
未知「木曜日が? なんで? 日曜とかじゃなくて?」
初美「週プロの日だから」
未知「週プロ? プロレス?」
初美「週刊プロレス・・もう、プライドからK1からみちのくの事まで、すみずみ読んでよくのぼせてるから」
未知「そんなだったっけ?」
初美「そうよ、付きあい始めた時から、ずっとそうだったもの」
未知「へえ・・そうか・・お兄ちゃんの風呂の時間なんか気にしたこともなかったや」
初美「いくつまで龍ちゃんと未知ちゃんは実家にいたの?」
未知「いつだろ・・たぶん、私の方が早く家、出たんですよ」
初美「未知ちゃん・・」
未知「え? なんですか?」
初美「なんですかって・・そんなですますで話さなくても・・もう、ほら、お姉さんと妹なんだから・・」
未知「ああ・・すいません」
初美「ですますでさ・・話さなくてもいいように・・温泉来たんだからさ」
未知「え・・そういうことだったんですか?」
初美「今、決めたんだけどね」
未知「ああ・・喉乾いた・・」
初美「ビール飲めば?」
未知「でも、お兄ちゃんのだから」
初美「いいよ、そんなの」
未知「一本、空けてる」
初美「残り飲んじゃおうよ」
未知「ビール飲んで酔っぱらって、温泉入ったら、危ないんじゃないの」
初美「それもよくやってる・・」
未知「だって、そんな・・せっかく結婚したのに・・風呂場で脳溢血だよ・・初美さん、あっという間に未亡人だよ」
初美「未知ちゃん」
未知「はい・・ですますは付けなくてもいいけど、怖いことは言わないで・・」
未知「いやいや、脅かしてるんじゃないんですよ・・お父さんも脳溢血だったんですよ・・冬の朝、歯を磨いてて・・」
初美「歯を磨いてて・・脳溢血とかになるの?」
未知「ねえ・・びっくりですよ・・ちがった、びっくりだよねえ」
  と、未知、いいでしょう? とばかりに 初美を見た。
初美「無理もしなくていいからね」
未知「無理はしてないんですけど、なんか、緊張しちゃう」
初美「緊張もしてはいけません・・」
未知「なんか、きつぅ・・」
初美「温泉で緊張するべからず・・」
  やや間があって・・
未知「見たかったろうにねえ・・お父さんもお兄ちゃんのお嫁さん・・」
初美「いっしょにここでごはん食べるでしょ?」
未知「よければ・・」
初美「いいんだけどさ・・向こうの未知ちゃんの部屋に運ばれたりしないよね・・」
未知「あ・・どうだろ」
初美「どうするつもりなんだろう、こういうところってさ、すぐにごはん運んできて、すぐに下げて、すぐに布団敷きたがるじゃない・・龍ちゃんは、どうするんだろう・・ちょっと待っててね・・」
  と、出ていく初美。
  未知、それを見送り・・お盆に載っているビールを・・また一口呑む。
未知「ああ・・・」
  一人だと、飲み終えるとこんな声を出すらしい。
  と、床の間の電話が鳴る。
  すぐに出る未知。
未知「はい・・はい・・えっと、食事は・・はい、こちらで三人一緒に・・ええ、でも、まだ、もうちょっとしてからでも、いいですか・・はい、八時半まで・・(と、時計を探して見て)あ、はい、大丈夫です・・全然、大丈夫です・・はい、よろしくお願いしますぅ、はい、はい、どもですぅ」
  と、受話器を置いた。
  その間に、初美が帰って来ている。
  その初美に向かって報告。
未知「ごはん、八時半までに、だって」
  と、初美、テーブルの上の携帯を見て。
初美「楽勝じゃん」
未知「お兄ちゃんは・・」
初美「すぐそこのロビーにいた、東スポ読んでた」
未知「なんだ・・」
初美「まあ、いいんじゃない」
未知「いいか・・」
初美「いいよ・・」
  と、未知、ふふふと笑っているが、間がもたなくなり、
  ビールに手を伸ばし酌しようとする。
未知「ま、ま、姉さん、一杯どうぞ」
初美「お、ありがとさん・・」
  そして、注ぎ終わると。
初美「じゃあ、未知ちゃんにもひとつ」
未知「あ・・ああ、すいませんねえ・・どうも」
  二人、飲む。
初美「ふう・・」
未知「はあ・・」
初美「未知ちゃんが飲める人でよかった・・」
未知「そうですか?」
初美「(ちがうと首を振る)」
未知「あ、また、ですますで言っちった・・」
初美「なれないうちはねえ・・しかたないけど、こういう時間をたくさん作って、それを乗り越えていかないとねっ!」
未知「ああ・・(不自然なイントネーションで)そう・・ねえ」
初美「今、そうですねえって言いそうになってでしょ」
未知「言ってませんよ」
初美「言ってなかったけど、言いそうになったでしょ」
未知「大丈夫・・慣れてきたから・・言いませんよ」
初美「あれ?」
未知「ん? 言いませんよ、は、ですます?」
初美「どーだろ?」
未知「もうわかんないや・・」
  と、ビール瓶を手にした未知。
未知「まま・・じゃあ、もう一杯」
  と、またビールを注ぐ未知。
初美「まあ、今度、家に飲みにおいでよ、龍ちゃんがいない時にでも」
未知「ああ・・いいですね・・もうちょっと奴らが大きくなったら・・」
初美「ああ・・子供か・・」
未知「甥っ子・・甥っ子」
初美「子供かあ・・そうだよね・・偉いよね・・未知ちゃんは・・双子抱えてさあ」
未知「でも、外で人に会うと、全然、そんなふうに見えないって言われるから」
初美「そう言われて、どう思うの?」
未知「くそうって」
初美「なんか楽して生きてるって思われるのかな」
未知「そうみたい」
初美「でも、なんかそうだよね・・苦労してなさそうだもんね、未知ちゃんって」
未知「それがねえ・・なんかさ・・」
初美「でも、いいじゃない、その方が」
未知「そうですかねえ」
初美「そうだよ・・苦労してるのが、見てわかるような人よりも、全然いいよ」
未知「そうか・・」
初美「そうだよ、そんなの。苦労してるのがわかる人っていっぱいいるじゃない・・」
未知「あれは・・なんだろう・・」
初美「気の持ちようでしょう」
未知「でも、ものすごく大変なんですよ、双子は・・」
初美「だってね」
未知「もう、こっちが寝てるかと思うと、こっちが泣き出すし、泣き出すとせっかく寝てたのがつられて起きちゃうし・・おっぱいって、一人の赤ちゃんに交互にやるために、こう、二つあるわけじゃないですか、人間の場合」
初美「ああ・・そうだよね」
未知「だから、同時に二人にあげることが出来ないんですよ・・人間の体の構造上・・おっぱいが二つあってもねえ・・役に立たないんですよ、子供が二人いると・・なんか、二と二って数は合ってるんですけど、そうはいかないんですよ」
初美「そうか・・そんなこと考えた事もなかった」
未知「苦労しているんですよ、これでも」
初美「はははは・・」
未知「(苦悩)ああ・・ねえ・・」
未知「初美さんとこは・・子供はどーすんですか?」
初美「子供、ねえ」
未知「欲しい?」
初美「うん、欲しい・・かな」
未知「うん・・じゃあ・・ねえ」
初美「四十前だしねえ・・未知ちゃん、いくつ? だっけ、二十・・」
未知「六」
初美「ってことは、私の年になると・・あの双子は・・十三才・・十三才! 未知ちゃんの年で私が子供を産んでいたら、十三才の子にお母さんとか言われちゃうのか・・」
未知「そうだねえ・・そうなるねえ」
初美「どんな気持ちなんだろう、十三の子から見て、私みたいなお母さん」
未知「え? なんで? なにが?」
初美「いや・・私さあ、仕事しててもさあ、なにか人に物を頼まれると、がってんだ! とか言っちゃうんだけど、ほら、子供とかいたら、そういうこと言えなくなっちゃうじゃない」
未知「関係ない、関係ない」
初美「そう? そかな?」
未知「いいじゃない。お母さん、明日までにこのプリントのアンケート書いておいて」
初美「がってんだ!」
未知「参考書買うのに、お金が・・」
初美「がってんだ!」
未知「・・いいじゃない」
初美「いいかな」
未知「いいじゃない」
初美「いいよね」
未知「そんなお母さんが家にいる子なんて、クラスに誰もいないもん」
初美「がってんだ!・・(もう大丈夫だと思ってる)大丈夫かなあ」
未知「大丈夫、大丈夫・・」
  と、初美、ビール瓶に手を伸ばして、自分で注ぎはじめる。
未知「姉さん、私にもビールください」
初美「がってんだ」
  と、ビールを注いでくれる初美。
  二人、それを飲み干した。
  間。
初美「ふう・・」
未知「はあ・・」
初美「酔っぱらっちゃうね・・お刺身盛りが来る前に・・ここの宿の旦那さんがね、毎朝一本釣りしてくる魚なんだよ」
未知「ええ・・もう5回目ですよ、その話」
初美「ブランチ見ててさあ、すぐ電話しちゃったもん」
未知「お兄ちゃん、遅いね・・ちょっと呼んで来るね」
  と、立ち上がりかける。
初美「あ、いいの、いいの・・」
未知「いいの?」
初美「いいの、いいの・・ほっといていいの」
未知「ほんとに?」
初美「もうすぐ帰ってくるから」
  未知、なにを根拠に? という納得できない間・・
  に、気づいた初美。
初美「スポーツ新聞読むのに、どれくらいかかるか、知ってるから・・さっき後ろからのぞいたら、真ん中のエッチ記事んとこ読んでたから、もうすぐ・・ね」
未知「そうなんだ・・。こりゃ・・ですぎたマネを・・」
初美「いやいや・・」
未知「いやいや・・こちらこそ・・」
初美「・・未知ちゃんが龍ちゃんと暮らした時間もやがて追い越していくんだから・・」
未知「そうだね」
初美「私はそのつもりだよ」
未知「それはちょっと寂しいね」
初美「そういうもんかな」
未知「なんだろう・・この気持ち」
初美「嫉妬でしょう?」
未知「そうなのかな」
初美「妹が嫁に嫉妬するってのもあるんじゃないの?」
未知「それか」
初美「それだよ」
未知「でも・・不思議だねえ」
初美「なにが?」
未知「今までだって、こうやって、ビール飲んだことあるのにねえ」
初美「そうだねえ・・」
未知「なんで初めてなんだろう・・」
初美「なんでだろうねえ・・」
未知「ふふふふ・・・」
初美「はははは・・・」
未知「でも、よく結婚したよねえ、お兄ちゃんとなんか・・だってお兄ちゃんだよ・・龍之介だよ・・」
初美「人の旦那を謙遜するなよ」
未知「思わず謙遜したくなる、兄だから・・」
初美「ああ・・それはそうかもねえ」
未知「まあ、よろしくお願いしますよ・・私、子供は二人いるけど、兄弟は一人なんですよ」
初美「がってんだ」
未知「・・ほんとに」
初美「がってんだ・・」
  二人、ようやく、静かな笑みを交わしはじめた。
  暗転。