●『第六十話』
●『コンビニ・控え室』



『135』
  コンビニの控え室。
  だらっとパイプ椅子に貴理子がいる。
  やってくる拓弥。
  慌てて姿勢を正す貴理子。
  めんどくさそうに同じくパイプ椅子に座る。
拓弥「なに、話って・・」
貴理子「えっと、えっとですね」
拓弥「辞めたいとか言うんじゃないだろうねえ」
貴理子「え?」
拓弥「バイト、辞めたいとかそういうんじゃないんだろうね」
貴理子「え・・っと、当たりです」
拓弥「(うんざりする)おまえもかよ」
貴理子「すいません」
拓弥「ええ・・またぁ・・」
貴理子「すいませーん」
拓弥「理由は? なに? まあ、聞いたってそれでどうにか、なるもんでもないんでしょう? 辞める意志は固いわけでしょう」
貴理子「すいません・・」
拓弥「理由は・・まあ、聞くけどさあ」
貴理子「理由は・・嫌になっちゃったっていうか」
拓弥「嫌になっちゃったっていうか、で、辞められたらさあ、こっちもねぇ」
貴理子「嫌になっちゃった・・んですよ、すいません」
拓弥「仕事が?」
貴理子「バイトが・・バイトとか、したくないんですよ」
拓弥「え? え? どういうこと?」
貴理子「だから、バイトするのが嫌になったんです。もう、なんつーか働きたくないんですよ」
拓弥「なに言ってんの?」
貴理子「嫌なんですよ、バイト」
拓弥「そりゃ、そうかもしれないけどさあ」
貴理子「拓ちゃんさんは、嫌になりません?」
拓弥「嫌に・・って」
貴理子「私、もうダメなんです・・」
拓弥「バイトが?」
貴理子「働くこととか」
拓弥「え? どうすんの? そんな・・」
貴理子「どうしましょうかね・・いや、もう働くのが・・ダメなんですよ」
拓弥「ダメって・・」
貴理子「働きたくないんです」
拓弥「働かないと食えないだろう」
貴理子「もう・・ねえ・・いいでしょう、私は充分がんばりましたよ」
拓弥「なんだよ、それ」
貴理子「ね、がんばったですよね、がんばりましたよねえ」
拓弥「いや・・あ、あのねえ」
貴理子「がんばったと思うんですよ」
拓弥「いや・・んとねえ、なにから話そうかね」
貴理子「なにからでも」
拓弥「うん」
貴理子「どっからでも」
拓弥「うん・・そうだね・・んとねえ・・キリちゃんががんばったかどうかってところね、まず」
貴理子「はい」
拓弥「がんばったかどうか・・も、こっちとしては、分からないくらい、あっという間に、辞めちゃうとか言い出したって感じなのよ、正直ね・・正直なところよ」
貴理子「はい・・」
拓弥「もうさあ、辞めちゃうんでしょ」
貴理子「すいません」
拓弥「もう、僕がここでなに言っても辞めちゃうわけだからさあ・・もうここにいる一人のね、二十八歳のいちフリーターが言っていることだと思って聞いてもらいたいんだけどさあ」
貴理子「はい」
拓弥「どうなのよ、それは・・」
貴理子「はい?」
拓弥「もう働きたくないって・・僕はね、このバイトを十八からやってるからもう十年ね、ずっとこつこつやってきて、僕がこの店に入ってきてさ、この前数えたら、僕の後から入ってきて、僕よりも先に辞めていったバイトは百三十四人なのね」
貴理子「・・・はい」
拓弥「多いよね、百三十四人っていうのはさあ」
貴理子「どうやって数えたんですか? それ」
拓弥「指折り数えたんだけどね・・でも、そんなに大勢の人の中で、誰一人、もう働きたくないって辞めていった人はいませんよ、ああ、いませんでしたとも」
貴理子「私、思うんですよ」
拓弥「はい」
貴理子「人はなんで働かなければならないのか? って」
拓弥「なんで? (まじめな顔でテツトモして)なんでだろう?」
貴理子「まじめに聞いてください」
拓弥「大まじめだよ・・内心焦ってるくらいだよ」
貴理子「焦ってる? なにに?」
拓弥「あんたに、だよ。あんたの存在にだよ」
貴理子「私? 私はただ辞めていくだけですから」
拓弥「人生最大、最強の敵だね・・こんなところでボスキャラかよ」
貴理子「すいません」
拓弥「いや、もうそんな、謝まんなくていいよ。ボスキャラが謝るなよ」
貴理子「あ・・いや、そんなにおだてられても」
拓弥「おだててもいないよ」
貴理子「あ・・そうですか・・」
拓弥「働くのが嫌」
貴理子「ええ・・」
拓弥「それはさあ・・みんな嫌なんじゃないの?」
貴理子「そうなんですかね」
拓弥「そうなんじゃないの、ホントのところは」
貴理子「だったら、なんでみんな辞めないんですか? なんで、みんな黙って働いてるんですかね」
拓弥「ねえ・・」
貴理子「だって嫌なんでしょ」
拓弥「嫌だよ、嫌だけど・・それを言っちゃあ、お終いでしょう」
貴理子「なんでお終いなんですか?」
拓弥「それ言っちゃったら、ダメでしょう」
貴理子「拓ちゃんさんだって本当はそう思ってるわけでしょう」
拓弥「う・・うん?」
貴理子「私が言ってること、おかしいですか?」
拓弥「おかしい・・」
貴理子「なんのために生まれてきたんですかねえ・・働くためですか? 拓ちゃんさんは、ここでこうやってバイトするために命を授かったんですか?」
拓弥「授かった・・」
貴理子「バイトするために命を・・」
拓弥「いや・・え? ええ? 俺、今、なんかダマされてる? おかしいよね、言ってること」
貴理子「おかしいですか? 私?」
拓弥「いや、おかしくないのよ・・キリちゃんが言っていることはね・・それはそうかもしれないと思うからこそ、おかしいの・・」
貴理子「なに・・が?」
拓弥「変でしょう」
貴理子「変ですか?」
拓弥「変でしょう」
貴理子「変ですかねえ」
拓弥「ん・・」
貴理子「なんで生まれて来たら、バイトしなきゃなんないんですかね・・働かなきゃなんないんですかね」
拓弥「(思いついた)それはあれじゃないの、ねえ・・」
貴理子「え? なんですか?」
拓弥「働かないと死ぬからでしょう」
貴理子「ああ・・それがねえ・・」
拓弥「食えないでしょう・・食えないと死ぬでしょう・・死にたくないでしょう・・」
貴理子「ああ・・ねえ」
拓弥「死にたくはないでしょう」
貴理子「ん・・」
拓弥「死に・・たくは・・ないでしょう?」
貴理子「ん・・ねえ・・」
拓弥「え? なに、そこから?」
貴理子「どうなんでしょう」
拓弥「それはどうよ・・死にたくないから、生きる・・死んでもかまわない・・ってそれはおかしいでしょう」
貴理子「ん・・」
拓弥「生きようよ・・」
貴理子「まあ、言われなくても・・」
拓弥「そうでしょ・・そこは大丈夫ね・・生きること、これは重要ね・・人間やめちゃダメだね」
貴理子「バイトやめるのは・・人間やめることなんですかね」
拓弥「生きる・・ね。生きていたい・・これはさ、キリちゃんも、こう、心に持っている、なんていうの、基本的な感情ね・・生きていよう・・ね」
貴理子「まあ・・生きてますけど」
拓弥「生きるってことはさあ・・」
貴理子「バイトすることですか?」
拓弥「いや・・んと、そうなんだけど、そうじゃない・・あれ」
貴理子「拓ちゃんさん・・大丈夫ですか?」
拓弥「ん・・おかしいなあ。またしても、おかしいぞ」
貴理子「おかしいですか?」
拓弥「さっき、いや、これだって思ったのはねえ」
貴理子「どれですか?」
拓弥「ん・・」
貴理子「どこだったんですかねえ」
拓弥「ん・・・」
貴理子「私が言ったことですか?」
拓弥「ん・・ちょっと、ちょっと黙っててもらえる?」
貴理子「生きようよ・・」
拓弥「うん・・生きようよ」
貴理子「それはイコール、バイトすること」
拓弥「ちがう・・」
貴理子「でも、拓ちゃんさんはさっきからそう言ってますよ」
拓弥「確かに」
貴理子「言ってますよね」
拓弥「言ってる」
貴理子「で・・そうなんですか?」
拓弥「ちがうのよ・・え? マジック?」
貴理子「どこが引っかかってるんでしょうねえ、拓ちゃんさんの」
拓弥「どこが引っかかってるって、引っかかってるところはね、最初から分かってるの」
貴理子「それは、どのへんが?」
拓弥「キリちゃんの存在だよ・・あのね、働きたくないって正面切って言える人がここにいるってことね・・ぐらぐらしてくるんだよね」
貴理子「ぐらぐら?」
拓弥「そう・・不安になる・・なぜか分かんないけど、ものすごく不安になってくる」
貴理子「すいません・・」
拓弥「今まで信じていたものがさ・・がらがらと音を立てて崩れていく気がするよ」
貴理子「すいません」
拓弥「あのさあ、キリちゃんカレシとかいないの?」
貴理子「いませんねえ」
拓弥「カレシとかいないから・・」
貴理子「働かなきゃならない」
拓弥「ということを、職場でいうと立派なセクハラになるから、言ってはいけない・・と」
貴理子「いたら働くかなあ・・」
拓弥「いや、僕もね・・彼女はいるけど、別に彼女のために働いているわけじゃないから」
貴理子「今、僕もねって言いませんでした? 僕もねって・・あの、私はいないんですけど」
拓弥「うん、君にはいない、僕にはいる・・それではない・・そっち行っちゃダメだぞ拓ちゃん・・そうねえ・・例えば、いつからそういうふうに考えるようになったのかね、キリちゃんは、なんでそうなってしまったのかね」
貴理子「なんだろう・・いつだったかなあ・・」
拓弥「こりゃダメだって思ったのは」
貴理子「こりゃダメだ?・・あ、あれかな?」
拓弥「なに?」
貴理子「タイムカードを押すじゃないですか・・」
拓弥「来た時と帰る時にね」
貴理子「ガシャって音がするじゃないですか」
拓弥「うん・・・するよね」
貴理子「こうやって、タイムカード差し込むとガシャ! ガシャ! って」
拓弥「うん・・来た時間をね、カードに押す音だからね」
貴理子「ガシャ! ガシャ! ってね・・あの音を聞く度に、ガシャ! って、私の中のなにかが壊れていくっていうか、砕けていくっていうか?」
拓弥「なにが? なにが壊れるの? なにが砕けるの?」
貴理子「なんでしょう・・なにかですよ」
拓弥「なにが・・壊れるの? なにが砕けるの?」
貴理子「なんだろう・・私の中の大事だったもの・・かな」
拓弥「それは・・ちなみになんだったの?」
貴理子「いや、もう、壊れて、砕けちゃったから分かりませんけど・・あの・・分かりませんかねえ・・こういう気持ち」
拓弥「うーん・・分かりたいと思う気持ちと、分かりたくないっていう気持ちが半々だね」
貴理子「半々・・は、なぜ?」
拓弥「分かっちゃうとさ、キリちゃんみたいに、働きたくないやって思っちゃうかもしれないじゃない、ね」
貴理子「いやいや、拓ちゃんさんはほら・・私とちがうわけですから・・」
拓弥「俺はね・・ちょっとね、今、話聞いてて、揺らいじゃってるのね、なんかさ・・」
貴理子「ガシャ! ガシャ! ガシャ! ガシャ!・・って」
拓弥「うん」
貴理子「なんで、あの音はあんな音なんですかねえ」
拓弥「タイムカードの音か・・うん、言われてみれば、そうなんだよねえ」
貴理子「ガシャ! ガシャ! ガシャ!・・」
拓弥「うん・・」
貴理子「なにかが壊れるような、砕かれるような、残酷な音ですよねえ」
拓弥「働くのが嫌になるよね」
貴理子「そうですよ、最初からそう言ってるじゃないですか」
拓弥「タイムカード・・タイムカードねえ」
貴理子「もう、この音、聞きたくないなあって、そうだ、やめようって。そうだよって、なんで気づかなかったんだろうって、バイトって絶対やらなきゃなんないものじゃないって。やんなっちゃったぁ・・って。やらないと私、死んじゃうわけでもないしって」
拓弥「いや、死んじゃうって・・さっき話したじゃない・・ね、食えないと死んじゃうって」
貴理子「バイト辞めてですね・・死んじゃった人っています?」
拓弥「それは・・どうなの?」
貴理子「よく聞くじゃないですか、交通事故で何万人死んだとか、今年は何万人が自殺したとか・・でも、バイト辞めて何万人が死にましたとか、発表ないじゃないですか?」
拓弥「ないね・・」
貴理子「あれは、なんでないんですか?」
拓弥「・・いないからじゃないの?」
貴理子「いない? 私だけ? 私が最初」
拓弥「で、最後かもよ」
貴理子「ほんとですね」
拓弥「知らんけどね」
貴理子「いろいろお世話になりました」
拓弥「いいのかな、本当にそれでいいのかな」
貴理子「百三十五人目ですかね」
拓弥「え? あ、ああ、そうだよね」
貴理子「記録はどこまで伸びるんですかね」
拓弥「・・嫌なこと言うねえ」
貴理子「増えていくんじゃないんですかねえ・・私みたいな人」
拓弥「私みたいなどんな人?」
貴理子「気づいちゃう人」
拓弥「ああ・・」
貴理子「なぜ? って・・どうして? って・・ガシャ! って音が・・嫌だなあってガシャ! ガシャ! ガシャ! ガシャ! (小さな声になりながら、続けていく・・やがて、聞こえなくなる)」
  間。
拓弥「・・じゃあさあ・・今日さあ」
貴理子「はい」
拓弥「タイムカード、押さずに帰りなよ」
貴理子「え? でも・・」
拓弥「俺が・・押しておくよ」
貴理子「いいんですか?」
拓弥「いいよ・・」
貴理子「すいません」
拓弥「あの音はさ・・」
貴理子「ええ・・」
拓弥「嫌だよね・・」
貴理子「ええ・・」
拓弥「残酷な音だよねえ・・」
貴理子「ええ・・」
  暗転していく。