第55話  『長引きそう』





  各駅停車の停まるような小さな駅の駅事務室。
  その片隅に座っている淳子。
  少し離れた場所に立ち、携帯で電話をしている拓弥。
拓弥「ごめん・・ホントごめん・・うん、野暮用・・うん、何時になるかは・・ちょっと見えないんだよね・・うん・・そういうことで・・ガンちゃんにも伝えておいて・・うん、片づき次第、直行するから」
  と、電話を切った。
淳子「・・・素直に認めれば、早くすむんじゃないの?」
拓弥「・・認めないよ」
淳子「・・・長引かせたいの?」
拓弥「・・触ってないもん」
淳子「・・厚かましい」
拓弥「・・・どっちがだよ」
淳子「駅員さんとかどこ行っちゃったの? なにこの駅は、加害者と被害者をさ、一つの部屋で待たせるってどういうこと?」
拓弥「加害者って言うのやめてください」
淳子「どうして?」
拓弥「まだ、そう断定されたわけじゃないでしょう」
淳子「加害者じゃなかったら、ここにはいないでしょう?」
拓弥「ここにいれば加害者ですか?」
淳子「なに逆ギレしてんの?」
拓弥「逆じゃないよ、マジギレしてんだよ」
淳子「警察来たら、言えば?」
拓弥「言われなくても言いますよ」
淳子「触ってないって主張すれば?」
拓弥「・・なにが悲しゆうて、あんたなんか触るんだよ、電車で」
淳子「・・・こっちが聞きたいよ」
  と、淳子が対面の壁を指さした。
  拓弥がその方向を見たのを確認して、読み上げ始める。
淳子「書いてあるでしょ・・あそこに・・東京都の迷惑防止条例第5条何人も、婦女に対し、公共の場所又は公共の乗物において、婦女を著しくしゅう恥させ、又は婦女に不安を覚えさせるような卑わいな言動をしてはならない。違反した者は、五万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する」
拓弥「五万円・・かよ」
淳子「払うことになるよ」
拓弥「なんで? おかしいって・・なんでやってもいないことを認めたあげくに五万円も払うんだよ」
淳子「素直になれば? やったでしょ?」
拓弥「最初から素直です」
淳子「なによ、触ったくせに・・」
拓弥「どこを?」
  と、淳子示し。
淳子「触ったじゃない」
拓弥「どこですか?」
淳子「なに言ってんの? 自分からさあ、こうやって、押しつけるようにしてさあ・・汚らわしい」
拓弥「込んでたんだからしょうがないでしょう」
淳子「しょうがないってどういうことよ」
拓弥「当たったかもしれないけど、触ってはいません!」
淳子「あれは当たったとか、そういうのじゃありません。触ってました。間違いないです、触ってました」
拓弥「それは・・さあ、ホントに俺なんですか?」
淳子「あんた、絶対、あんた」
拓弥「なんで?」
淳子「なんでってわかるわよ、そんなの」
拓弥「わかるわよ? 感覚なの? 証拠じゃないの?」
淳子「証拠って、私の感覚がなによりの証拠じゃない」
拓弥「・・・それは証拠じゃないでしょう」
淳子「証拠でしょう?」
拓弥「言いがかりでしょう」
淳子「だって、あんたしか後ろにいなかったじゃない」
拓弥「いっぱいいたじゃない。だって満員電車だったでしょ。俺とあんたしか乗ってなかったら、そりゃ俺の手が当たったかもしれないって思うけどさあ・・何十人って一緒に乗ってたじゃない。乗車率、百二十くらいだったよ。それでなんで俺だって特定できるの? 押し合いへし合いしていたじゃない」
淳子「触られて、振り返ったら目が合ったじゃない」
拓弥「目は合うよ・・こっちじっと睨んでるんだもの、なにかと思うでしょ!」
淳子「触ってるから、睨んだんでしょ」
拓弥「睨まれてるからびっくりしたんだよ」
淳子「ああ言えば、こう言う・・」
拓弥「話に具体性ないじゃない」
淳子「ものすごく具体的でしょう」
拓弥「どこが? だって、男が触ったとは限らないでしょう?」
淳子「女が触ってどうするのよ」
拓弥「そんなの知らないよ」
淳子「女は触りませんよ。触ったのはあんたなんだから」
拓弥「ちょっと待ってよ、ホントにさあ」
淳子「なにが・・」
拓弥「だいたい、どこをどう触ったっていうんですか、さっきからこの辺触った、この辺触ったっていってますけどね・・警察来てもそんなにいい加減な事、言うつもりなんですか?」
淳子「だって、私窓際に立ってたんですよ。こうやって背を向けて・・」
拓弥「僕はどこにいたんですか」
淳子「だから後ろでしょう」
拓弥「後ろのどこですか?」
淳子「(すぐ後ろ)だからここでしょう」
拓弥「後ろ、すぐ後ろだったんですね」
淳子「後ろから触ったんじゃない」
  と、拓弥、自分のリュックを担いで胸にかける。
拓弥「俺はこうやって電車に乗っていましたよね。これは間違いないですよね」
淳子「(言われている意味がわからない)え、ええ」
拓弥「電車に乗る時はリュックが(後ろ)こうだとそれこそ人の邪魔になりますから、ね」
淳子「まあ、ねえ・・」
拓弥「このままで立って触ろうとしますよね」
  と、寄っていく。
拓弥「先に荷物が当たるんですよ」
淳子「(と、荷物に押されて)あ、あ・・」
拓弥「この荷物が当たっている記憶はありますか・・これ、どうですか、これ」
淳子「あ・・ああ・・」
拓弥「相当なもんですよね」
淳子「違う・・」
拓弥「違うって・・なにが?」
淳子「触られてて・・私がこう立ってましたよね。ドアがこっち・・それで、振り返ったとき・・」
  と、ゆっくり振り返ってみる。
淳子「私が見たのは(指さす)こっちを向いているあなたの顔だった」
拓弥「そうです、それは合ってます。僕はこっちを向いていました・・僕の前には野球帽の小柄な男性がいました。今どき、野球帽をきちんと被っている人ってどんな仕事の人なんだろうって思ってたんです。それで、どうも嫌な視線を感じたんで、こっちをむいたら、あんたと目が合った」
淳子「だから、ドアに向かって立つ私に対して、この方向であなたは立っていたから、荷物は当たらなかった・・手を伸ばせば簡単に私の(腰)ここを触ることだってできる」
拓弥「どっちの手で?」
淳子「こう向いて立ってるんだから、右手でしょう」
拓弥「僕は左利きです」
淳子「そんな・・そんなの関係ないでしょう・・右でも左でも・・」
拓弥「どうせ触るなら利き腕で触るもんじゃないのかなあ? より自由に動くし・・」
淳子「そんなの知りませんよ」
拓弥「触られて抵抗はしなかったんですか?」
淳子「しましたよ、もちろん」
拓弥「どんなふうに?」
淳子「一度手で払いのけましたよ」
拓弥「どうやって?」
淳子「(と、やってみせる)こうやって」
拓弥「僕は左利きです。だから腕時計は右にしてるんです。この時計に触れませんでしたか?」
淳子「そんなの憶えてません」
拓弥「僕である証拠はなにもないじゃないですか・・言いがかりです」
淳子「あなたじゃないという証拠もないでしょう」
拓弥「そんな証拠あるわけないでしょう」
淳子「触ったんでしょうが」
拓弥「じゃあもういいですよ・・触りました」
淳子「え?」
拓弥「触りました・・認めりゃいいんでしょう?」
淳子「なんで突然、認めるのよ」
拓弥「長引かせたくないからさ」
淳子「素直じゃない」
拓弥「最初から素直だって言ってるでしょう」
淳子「・・・そういうことよ」
拓弥「物理的には触れないところにはいましたけど、触りましたよ」
淳子「どういうこと?」
拓弥「五万円払って、開放されたいってことですよ。わけのわかんないあなたとこれ以上、関わりたくはないってことですよ」
淳子「認めるんでしょう」
拓弥「認めますよ」
淳子「触ったんでしょう」
拓弥「・・まあ、交通事故に合ったようなものだと思わないと」
淳子「本当に、本当に触ってないの?」
拓弥「触っていません。でも、認めますよ」
淳子「ちょっと待って、そういうものじゃないでしょう」
拓弥「なにが・・ですか」
淳子「ちょっと待ちなさいよ。そんなの、本当にやっていない人にね・・」
拓弥「金払えばいいんでしょう」
淳子「そういうことじゃないでしょう」
拓弥「なんで? (と壁に書かれている紙を示し)そこに書いてあるんでしょう? 婦女子に五万円って」
淳子「本当に本当にやってないの?」
拓弥「やってません・・でも、認めます」
淳子「じゃあ、あの手はなんだったの?」
拓弥「知りませんよ、そんなの」
  と、淳子、自分のバックの中を探り始める。
淳子「あ・・あれ?・・うそ」
拓弥「なんですか?」
淳子「財布がない」
拓弥「知りませんよ・・」
淳子「あれ? あれ?・・」
拓弥「忘れてきたんじゃないんですか?」
淳子「いや、スイカで駅に入ったから、あの時はあった・・・ない・・(そして気づいた)スられた」
拓弥「え? ホントですか?」
  と、淳子、拓弥を見た。
拓弥「なんですか、ちょっと! 僕じゃありませんよ! そんな目で見るのやめてくださいよ。僕じゃあありませんよ。なんでもかんでも僕のせいか!」
淳子「いつ?・・電車の中で?」
拓弥「あ!」
淳子「なによ!」
拓弥「帽子被ってた、あいつじゃないかな」
淳子「見たの?」
  と、立ち上がって帽子掛けの側に行き。
拓弥「この辺にいた」
淳子「ちょっと待って・・」
  と、ここで初めて淳子は拓弥の側に立ち、事件の現場の再現をする。
淳子「私がこっち向いていて・・もぞもぞと触られて・・振り返った」
  と、振り返る。
淳子「睨んだ」
拓弥「睨まれているのに気がついた」
  と、二人の目が合う。
拓弥「そして、僕の手を掴んだ」
  淳子、掴む。
拓弥「そして、僕が言った。なんですか」
淳子「なんですかじゃないわよ」
拓弥「ちょっと、なにするんですか?」
淳子「それはこっちの台詞よ」
拓弥「この時、バックはどっちにありました?」
  バックを持っているのは左手。
淳子「こっちです」
拓弥「もう一度・・あなたは手を掴んだ。そして、僕が言った。なんですか?」
淳子「なんですかじゃないわよ」
拓弥「ちょっと、なにするんですか?」
淳子「それはこっちの台詞よ」
拓弥「・・余裕でバックから財布を抜き取れますね」
淳子「バックの事なんかまったく頭になかった・・」
拓弥「あいつだ・・ここにいた」
淳子「どんな奴でした?」
拓弥「小柄な男でした・・野球帽を被っていて・・ここんとこ刈り上げてたんで、あ、カリアゲ君みたいだって思ったんです」
淳子「顔は?」
拓弥「目がぎょろっとしてて・・」
淳子「憶えてます?」
拓弥「ええ・・顔を見たのは一瞬だったけど、なんか印象に残る顔してたから」
淳子「似顔絵とか・・」
拓弥「え?」
淳子「似顔絵とかに協力してください」
拓弥「・・なんで?」
淳子「だって、そいつしかいないじゃないですか」
拓弥「いないですね」
淳子「そうですよね。ここにいたんですから」
拓弥「でしょうね」
淳子「だったら・・」
拓弥「でも、だからって・・僕がなんで、あなたに、協力しなくちゃなんないんですか?」
淳子「だって・・」
拓弥「さっき、あんた僕のことを汚らわしいとか言ってたじゃないですか」
淳子「じゃあ・・・いいです」
拓弥「僕が触ったってまだ思ってんですか?」
淳子「触ってないとわかったわけでもありません」
拓弥「しつけーなー」
淳子「掏摸とグルかもしれないじゃないですか」
拓弥「なに言ってんだ、あんた・・落ち着いて、冷静に考えてみなよ。痴漢働いて、女が怒って痴漢を捕まえている間にしか、掏摸ができないような掏摸じゃ、どうしようもないだろう?」
淳子「それは・・そうかも・・知れません」
拓弥「財布、大事な物入ってるんでしょ」
淳子「ええ・・」
拓弥「カードとか早く止めないと」
淳子「ええ・・」
拓弥「似顔絵に協力しましょうか・・・」
淳子「・・・・」
拓弥「その代わり・・」
淳子「・・・・・・・」
  と、再び電話が鳴った。
  拓弥、出る。
拓弥「あ、もしもし、津村君? あ、聞いた? うん・・えっとねえ・・今ねえ・・問題が解決しそうだったんだけどね・・ちょっと新たなね・・また別の問題が・・うん、面倒だけど・・時間かかるかもしれない・・」
  と、しゃべり続けているうちに。
  暗転。