第45話  『武蔵のダルマ』

  明転すると拓弥の部屋。
  ベンが正座して落ち着かなさそうに座っている。
  と、すぐに拓弥がコーヒーの入ったカップを持って入ってくる。
拓弥「まだ、引っ越しの荷物が整理できてないんだよ。自分で場所作って」
ベン「うん・・勝手に座らせてもらってるけど」
  と、拓弥も座る。
ベン「あのさあ・・宮本武蔵って知ってる?」
拓弥「宮本武蔵?」
ベン「そう」
拓弥「『バガボンド』の?」
ベン「そう」
拓弥「今年の大河ドラマの?」
ベン「そう」
拓弥「宮本武蔵でしょ?」
ベン「そう・・・」
拓弥「二刀流の」
ベン「そう・・巌流島の・・」
拓弥「宮本武蔵でしょ・・」
ベン「ちょっと大変なことになっちゃってさ・・宮本武蔵のことで」
拓弥「え?」
ベン「ちょっとお知恵を拝借に来たの」
拓弥「宮本武蔵? 宮本武蔵とベンちゃんがなんの関係があるの?」
ベン「いや、俺じゃなくてね・・俺の祖先がちょっと関係があったんだ」
拓弥「宮本武蔵と?」
ベン「仲良かったみたいなんだ」
拓弥「宮本武蔵と? 仲良かった?」
ベン「そう、御先祖様がね・・」
拓弥「ええっ! なんで?」
ベン「いや、なんでだかはよく知らないんだけどね・・とにかく仲良かったんだ」
拓弥「うん、うん、それで?」
ベン「それで・・宮本武蔵って剣術家だったけど、それだけじゃなくて、絵も描いてたの、知ってる?」
拓弥「ん? 絵?」
ベン「そう、山水画とか、布袋さんとか、鷺・・鳥の鷺ね」
拓弥「うん、わかるけど」
ベン「それを描いてたんだよ」
拓弥「ああ・・言われてみれば、なんか歴史の教科書で見たことがある気がするよ」
ベン「ほんとに?」
拓弥「うん・・水墨画みたいなのだったけど・・違うかな・・達磨法師とかの画じゃなかったかな」
ベン「そう! それ! それなんだよ」
拓弥「それが・・なに?」
ベン「実は家にもあるんだ・・」
拓弥「え? え? え?」
ベン「家にね・・宮本武蔵の描いた絵があるんだ」
拓弥「宮本武蔵の描いた絵?」
ベン「そう、うちにね先祖代々伝わってるんだけどね」
拓弥「代々?」
ベン「そう、門外不出の・・宮本武蔵のダルマ」
拓弥「すげえ!」
ベン「いや」
拓弥「すげえ! すげえじゃん!」
ベン「いや・・大きな声出さないで・・これ、世間に知られるとまずいんだよ」
拓弥「なんで?」
ベン「いや、武蔵の描いたダルマだよ。いくらの値がつくと思う?」
拓弥「わからん・・そんなの・・ものすごい額じゃないの?」
ベン「ものすごい額なんだよ・・」
拓弥「億とか・・」
ベン「軽くいっちゃう」
拓弥「すげえ!」
ベン「すごくない」
拓弥「なんで、すげえじゃん・・へえ・・なんかベンちゃんを見る目が変わってくるなあ・・資産家なんだ」
ベン「御先祖様から代々伝わっているものではあるからねえ・・資産といえば資産かな」
拓弥「うん・・え? 宮本武蔵っていつの時代だ?」
ベン「千六百年あたり」
拓弥「ってことはもう四百年近くベンちゃんちでは受け継がれている・・」
ベン「そういうこと」
拓弥「へえ・・」
ベン「ってことは考えてみて」
拓弥「なにを?」
ベン「相続税」
拓弥「え?」
ベン「相続税がさ・・単純におじいちゃんからオヤジに、オヤジから俺に・・これでいくらになると思う」
拓弥「ものすごい額だ」
ベン「だから、ちょっと(と、口元に人差し指を当てて)ね」
拓弥「うん・・わかった・・わかった、そりゃ大変だ・・」
ベン「いや、大変なのはこれじゃないんだ」
拓弥「え? 相続税じゃないの?」
ベン「ちがうの、それはまあ、今まで通り黙っていればいいんだけど」
拓弥「え? そういうもんなの?」
ベン「見る? 武蔵のダルマ」
拓弥「うん・・」
ベン「見ればわかるんだ、なにが大変か」
  と、ベン、傍らに置いてある卒業証書を入れるような筒から、おもむろに丸めた紙を取りだす。
拓弥「持って来たの?」
ベン「持ってきた」
  と、広げてみせる。
  そこに描かれているのは開運ダルマ。
拓弥「え?」
ベン「これが・・宮本武蔵が描いたダルマ」
拓弥「うそ・・」
ベン「ほんとだよ・・」
拓弥「だって・・え? 嘘だよ。だってこれ、ダルマって、開運ダルマじゃない」
ベン「そうだよ」
  と、その作品を床に置く。
拓弥「待って、待って・・宮本武蔵が描いたダルマって達磨法師を描いたものだったじゃない」
ベン「でも、開運ダルマも描いてたの」
拓弥「嘘だ・・騙されてるよ」
ベン「騙されてる? 誰に?」
拓弥「これがねえ・・ほんとなの? ほんとに本物なの?」
ベン「そうだよ。ここ見て『二天』って入ってるでしょ」
拓弥「ああ、ハンコみたいな」
ベン「これが武蔵のさ・・署名」
拓弥「ああ、そうなんだ」
ベン「この署名の部分だけは鑑定してもらったんだ、昔」
拓弥「それで、本物だって?」
ベン「それは折り紙つき。朱文額印っていうんだって・・よく知らないけど」
拓弥「あ、そう・・」
べン「武蔵がね、二十代で描いたものだろうと」
拓弥「あ、そんなことまでわかってるんだ」
ベン「江戸にね、その頃に立ち寄ってるんだよ。巌流島ってほら、瀬戸内海の方じゃない。のちのちそっちに行っちゃうんだけどね」
拓弥「江戸にいる間に、ベンちゃんちの御先祖様と仲良くなったってことだ」
ベン「そう」
拓弥「すごいよなあ・・宮本武蔵とどんな話してたんだろうね、ベンちゃんの御先祖様は」
ベン「たぶんね・・俺が思うにねえ」
拓弥「うん」
ベン「くっだらない話してたんだと思うよ。まだ、ほら、武蔵も若くてさ、ケンカっ早い頃だからさあ」
拓弥「ああ・・じゃあ、今でいうと哀川翔みたいな」
ベン「哀川翔・・はちょっと違うと思うけど」
拓弥「まあ、そういう感じだったんだろ」
ベン「千六百四年に江戸で夢想流棒術の夢想権之助と技を競ってるんだけど、その試合にうちの御先祖様が立ち会ったっていう日記が残ってるんだよ」
拓弥「その日記も貴重じゃない」
ベン「いや、そんな市井の庶民の日記なんて二束三文なんだって」
拓弥「しかし、開運ダルマがあったのかなあ、その頃に」
ベン「中国のさ、明の時代にはもうすでにあったらしいんだ」
拓弥「調べてるねえ」
ベン「家宝だからさ・・」
拓弥「ねえ、これ・・このダルマの片目・・マジックで描いてない?」
ベン「気づいた?」
拓弥「これ・・だって、この左目はマジックで描いてあるよ」
ベン「そう、そこはマジック」
拓弥「なんで? 宮本武蔵の時代にマジックはないでしょう、やっぱ騙されてるんだって」
ベン「違うの・・宮本武蔵が描いたのは、片目だけ入った開運ダルマだったの」
拓弥「え? じゃあ、これは? このマジックでもう片方の目を描いたのは誰?」
ベン「俺」
拓弥「ベンちゃん?」
ベン「俺が描いた・・五歳の時に・・俺がマジックで描き込んだ」
拓弥「なんて・・なんてことするんだよ!」
ベン「拓ちゃん・・」
拓弥「なに?」
ベン「どうしよう・・」
  間。
拓弥「どうしようって・・」
ベン「どうしよう・・」
拓弥「なんて・・なんてことするんだよ」
ベン「しかたないだろう、五歳だったんだよ。知らなかったんだよ、宮本武蔵なんて・・蔵の中でさ、こんな小汚い紙にダルマさんの絵が描いてあるのを見つけてさあ、それがそんなに大変な物だとは思わないじゃない。今、こうやって見てもさあ、言われてみなきゃそんなに価値のある物だって分からないでしょう」
拓弥「それで、片目入れちゃったの?」
ベン「だって、ダルマが描いてあってさあ、片目なんだよ、かわいそうって思うじゃない。思ったのよ、五歳の俺は。拓ちゃんだって五歳だったら思ってたはずだよ」
拓弥「そうかな・・」
ベン「そうだよ・・そんな薄暗い蔵の片隅に丸めて置いてあるダルマの画に、目がないんだよ、それをマジックで描き足してあげるってのはさ、これは親切ってもんでしょう・・」
拓弥「わかった、わかった、別に責めてないからベンちゃんを・・」
ベン「反省はしてるんだから・・」
拓弥「これ、べんちゃんの家の人は知らないの?」
ベン「知らない」
拓弥「なんで、家宝なんじゃないの? 年に一度は虫干ししたりとかしないの?」
ベン「五年に一度くらいはするんだけど・・」
拓弥「バレなかったの?」
ベン「バレない。俺が隠したから」
拓弥「隠した? どこに?」
ベン「自分の部屋の屋根裏・・だって、見つかったらどんだけ怒られるか分かんないじゃない」
拓弥「そりゃそうだけど」
ベン「それでほら、うちの蔵からある日、忽然と姿を消したわけじゃない。でも、まさかうちのお父さんとお母さんは、俺がそんなものを隠したりするわけないって思ってるから」
拓弥「疑われなかったんだ」
ベン「そう」
拓弥「それからずっとこの武蔵のダルマは屋根裏にあったの?」
ベン「いや、小学校を卒業した時、卒業証書を入れた筒をくれたんで、武蔵のダルマはその中に入れておいた」
拓弥「ああ・・まあ、小学校の卒業証書の筒は滅多に開けないからねえ」
ベン「どうしよう」
拓弥「どうしようって・・今まで通りに黙ってるしかないじゃない」
ベン「それがね、そういうわけにもいかないんだ」
拓弥「なにが?」
ベン「いや、ちょっと大変なことがあるんだ」
拓弥「うん、わかったよ」
ベン「いや、これから話すんだよ、その大変なことっていうのを」
拓弥「え? 大変なことって、このダルマの目玉のことなんじゃないの?」
ベン「うん、それも関係していることなんだけど・・・大いに関係している大変なこと」
拓弥「大変なことがまだあるの? え、このダルマだって十分っていうか、十二分に大変じゃない」
ベン「おじいちゃんがね、死にそうなんだ」
拓弥「ベンちゃんの?」
ベン「(頷いた)」
拓弥「今は・・」
ベン「病院」
拓弥「うん、それで?」
ベン「死ぬ前に、『武蔵のダルマ』が見たいって」
拓弥「でも、ベンちゃんの家では盗まれたことになってるわけでしょ」
ベン「そうなんだけど・・武蔵のダルマを見るまでは死んでも死にきれんって・・どうしよう」
拓弥「どうしようって」
ベン「おじいちゃんはさ・・」
拓弥「うん」
ベン「俺、好きだからさ、最後のね、その望みっていうのをきいてあげたいんだよ」
拓弥「もちろん、おじいちゃんは、この武蔵のダルマに目玉が入っているのを知らない・・」
ベン「知らない」
拓弥「もしも、これ見せたら・・」
ベン「びっくりして、死んじゃうかもしれない」
拓弥「それは・・」
ベン「どうしよう」
拓弥「ん・・」
ベン「早く持ってこいって言ってんだよ」
拓弥「おじいちゃんの視力は?」
ベン「しりょく?」
拓弥「目だよ。目が悪かったら、ほら、遠くから見せて、サッと隠せば」
ベン「目は、良い」
拓弥「さっと隠せば」
ベン「いや、じっと見たいって言うよ。しかも言い出したらきかない、がんこじじいなんだ」
拓弥「こうやって目の部分を手で持っている」
ベン「不自然だよ」
拓弥「なんかベンちゃんも考えなよ」
ベン「俺もうダメ、なんにも考えらんない」
拓弥「ダメだよベンちゃん、諦めちゃだめだって」
ベン「おじいちゃん、悔いが残るだろうなあ」
拓弥「うーん」
ベン「家族のみんなからも恨まれるだろうなあ」
拓弥「ベンちゃん」
ベン「もうお盆も正月も・・実家には帰れない」
拓弥「ベンちゃん、マイナス思考はよくないよ」
ベン「だって、こんなの見せたら、おじいちゃん、ぽっくりだよ」
拓弥「マジックだからなあ」
ベン「修正液・・」
拓弥「白くなっちゃうでしょう。白内障の開運ダルマになるよ」
ベン「もうどうしようもないよ」
拓弥「ベンちゃん、諦めないの。新しく描けばいいんじゃないの?」
ベン「描いた」
拓弥「描いたの?」
ベン「うん」
拓弥「いつ?」
ベン「高校くらいの時、武蔵のダルマを小学校の卒業証書の筒の中に隠していることの罪悪感に押しつぶされそうになってね」
拓弥「贋作だ」
ベン「代わりにって、思って」
拓弥「それは?」
ベン「いや、俺、もともと画家になろうか、落語家になろうか、迷って落語家になっちゃった人だからさあ、画は昔からうまいのよ」
拓弥「そうなの?」
ベン「だって、ほら、見てごらん拓ちゃん」
  と、武蔵のダルマの自分がマジックで描き入れた部分を示し。
ベン「五歳の子供が描いたにしては、かなりきれいな丸でしょう?」
拓弥「あ、そうだ、言われてみれば、そうだ」
ベン「この時からデッサン力も抜きんでてたんだから」
拓弥「じゃあ、完璧なものが描けたんでしょう?」
ベン「完璧すぎた」
拓弥「完璧すぎた?」
ベン「俺が武蔵のダルマ描いてたら、おじいちゃんに見つかっちゃったんだ。そしてね、おじいちゃんが言ったんだ」
拓弥「なんて?」
ベン「おまえ、武蔵よりうまいな」
拓弥「ダメだよ、ベンちゃん、上手く描いたら・・」
ベン「でも、おまえのダルマには武士の心がないって」
拓弥「正直に話すしかないだろ」
ベン「そうかなあ」
拓弥「おじいちゃんのところに持っていくしかないだろう」
ベン「う、うん」
拓弥「それで正直に話すんだよ」
ベン「それしかないか」
拓弥「それしかないよ」
ベン「だよなあ」
拓弥「そうだよ」
ベン「なんて言おう」
拓弥「だっておじいちゃん、死にそうなんだろ」
ベン「そう」
拓弥「言い残すことがあったらダメだよ。ベンちゃんさっき言ったじゃない。おじいちゃん好きだって」
ベン「うん」
拓弥「言うしかないじゃない」
ベン「うん」
拓弥「こうやっておじいちゃんが病室で寝てるわけでしょ。そこに勉ちゃんが行って・・」
ベン「おじいちゃん・・武蔵のダルマだよ」
拓弥「(おじいちゃんを真似て)あ・ああっ・・・。驚くよな」
ベン「驚くよ。盗まれたと思ってたわけだから」
拓弥(また真似て)「おお・・どこに・・どこにあったんじゃ」
ベン「これ、盗まれたんじゃないんだよ、俺が隠してたんだよ、ずっと。ごめん、ごめんねおじいちゃん。俺、これにマジックで目を描いちゃったんだ」
拓弥(真似たまま)「あ・・ああ・・」
ベン「ごめん、おじいちゃんほんとにごめん。おじいちゃんさあ、俺が欲しいっていったら、なんでも絶対に買ってくれたじゃない。どこから金がでてるのか分かんなかったけど、ゲームウォッチも山のように買ってくれたじゃない。俺さあ、おじいちゃんが俺にしてくれたように、俺の孫がさ、ゲームウォッチ欲しいって言ったら買ってやるつもりだよ。その頃はさ、ゲームウォッチじゃなくて、なんかよくわからないものが流行ってると思うんだけどさあ。おじいちゃんが俺にゲームいっぱい買ってくれたおかげでさ、クラスのみんながうちに集まってさ、そいつらとはさ、今でも仲良くてさあ。俺さあ、友達がさ、いっぱいいすぎちゃってさあ、年末年始なんかさあ、忘年会と新年会のはしごしなきゃなんない、うれしい悲鳴の日々なんだよね。おじいちゃんのおかげで、俺、友達いっぱいいるんだよ。俺、おじいちゃんになにかさ、たまにはお返ししようと思ってさ、おじいちゃんになにか欲しい物ある? って聞いたら、おじいちゃんがさ、言ったじゃない。お返しはおまえに孫ができたら、その孫におじいちゃんがおまえにしてやったようなことをしてやれって。おじいちゃんも、おじいちゃんのおじいちゃんにそう言われたからって。悪いと思ってるよ。うちの家宝だよ。おじいちゃん俺、俺ね、もしも俺の孫が、俺が大事にしてるものをさ、台無しにしてしまったらさ、俺、許すよ。許してやるつもりだよ。だからさ、おじいちゃん、ごめん。俺を許して。五歳の俺がやったことを許してくれるかな。それでさあ、怒られるのが怖くてさあ、ずっと隠してたこともさ、許して欲しいんだ。悪いと思ってるよ。おじいちゃん、宮本武蔵好きで、よく俺に話してくれたじゃない。俺、その話を聞く度に、胸を痛めていたんだよ。ごめん、ほんとにごめん。俺ね、ダルマに目を入たのはね、いたずらでやったんじゃないんだよ。かわいそうって、本当に思ったんだよ。ダルマにさ、片方しか目がなくてさ、かわいそうってほんとに思ったんだよ。俺、マジックでぐりぐり描いたらさあ、ダルマがありがとうって言ってるように思ったんだ。ほんとだよ、おじいちゃん。俺に孫ができてさ、俺がさ大切にしているものをさ、台無しにしたとしてもさ、俺、怒らないよ。だって、俺の孫はさ、これでいいんだと思ってやったんだからさ。ダルマのためにって思ったんだからさ・・おじいちゃん、俺、孫ができたらさ、大事にするよ。大切にするよ。かわいがるよ。おじいちゃんが俺にしてくれたみたいに」
拓弥「・・ベンちゃん・・行こうか、おじいちゃんの病院へ」
  ベン、頷いた。
  ゆっくりと暗転。
●各話タイトル『武蔵のダルマ』