第30話  『元彼』



  歩道橋の下あたり。
  段ボールが幾つも積み重ねられている。
  車の行き来する音。
  やがて亜希が通りかかる。
  そして、通り過ぎかけたところで声。
声「亜希?」
  亜希、立ち止まってあたりを見回す。
亜希「?」
  ぱたん! と、その段ボールの一部が開いて、中嶌が顔を出す。
中嶌「亜希じゃん」
亜希「!」
中嶌「俺、俺、中嶌」
亜希「聡・・さん?」
中嶌「久しぶり・・」
亜希「・・あ・・ども」
中嶌「どこ行くの?」
亜希「ちょっと・・・」
中嶌「ちょっと、どこ?」
亜希「いや、今・・派遣のバイトしてて・・その・・あれで・・ちょっとお使いに・・」
中嶌「あ、そう・・久しぶりだね、ほんとに」
亜希「なにやってるの、聡さんこそ」
中嶌「ん・・俺、見ての通り」
亜希「なに?」
中嶌「俺、ホームレスになったんだ」
亜希「ホームレス?」
中嶌「ん・・(と、マイハウスを示し)これが、今の俺んち」
亜希「なんで? なんでホームレスなんかになったの?」
中嶌「なんでって、おまえのせいだよ」
亜希「あたしのせい? あたしのせいなの?」
中嶌「そうそう・・あ、おまえ、携帯の番号って変わった?」
亜希「変わった・・」
中嶌「教えてよ、また今度電話すっからさ」
亜希「あんたと別れてから変えた」
中嶌「何番?」
亜希「え・・ちょっと、待って、どーゆーこと? なんであたしのせいでホームレスなの?」
中嶌「うん・・そうねえ・・それ話すと長くなるけど・・時間あるの?」
亜希「一言でいうと? 一言でいうとなにが起こったの?」
中嶌「一言・・一言かあ・・時間ないの?」
亜希「ない・・ないよ」
中嶌「急いでるの?」
亜希「そう、急いでるの?」
中嶌「なにをそんなに急いでるの?」
亜希「だから、だから今、説明したじゃない。派遣のバイトのお使いの途中なんだってば・・」
中嶌「ちょっとお茶する時間とかないかな」
亜希「お茶? どこで、まさかその中じゃないでしょうね」
中嶌「あ、俺んちの方がいいの?」
亜希「いや、そういうことじゃなくて・・え、え? なにがあったか知らないけど、困ってるんならあたしの家に来る?」
中嶌「え? なんで?」
亜希「あたしの家でよかったら、来ない? 今日、泊めてあげるよ」
中嶌「いいよ、なに言ってんだよ」
亜希「だってこんなところにいるよりは、あたしの家に来た方がいいでしょう」
中嶌「いいよ」
亜希「来なよ」
中嶌「いいって・・俺にはここが似合ってるんだってば」
亜希「だって・・だってなんにもないじゃない」
中嶌「そう・・俺は今、持たざる者だからね」
亜希「どうすんの、この先」
中嶌「わかんないよ」
亜希「そんなんでいいの?」
中嶌「おまえだって・・どうすんだよこの先」
亜希「そんなの、わかんないけどさ」
中嶌「だろ。一緒だろ、おまえも俺も」
亜希「ちが・・ちがうよ。一緒じゃないよ」
中嶌「なにが違うんだよ」
亜希「あたしには家があるもん」
中嶌「それだけだろう・・他には? なにが違うの?」
亜希「それは、それが大きな違いでしょう」
中嶌「(笑って)小さい、小さい、そんな違い」
亜希「小さくはないでしょう」
中嶌「小さい違いだよ。それにそれ以外の違いはないわけでしょう」
亜希「え・・ええっ!」
中嶌「一緒だって・・人はね、みな地図のない人生を歩いていくんだよ」
亜希「手紙・・手紙とかは届かないじゃない」
中嶌「手紙?」
亜希「そう、手紙」
中嶌「今、メールあるから・・あ、そうだ、電話番号教えてくれってば」
亜希「携帯は持ってるの?」
中嶌「持ってるよ」
亜希「充電は? どうしてるの?」
中嶌「そこのコーラの自動販売機の裏で」
亜希「盗み?」
中嶌「拝借」
亜希「寒くないの? 寒いでしょ?」
中嶌「寒いよ、外だもん」
亜希「夜とかどうしてんの?」
中嶌「そりゃあもう暖かくして寝ないと」
亜希「お正月は?」
中嶌「え?」
亜希「年末年始」
中嶌「ああ・・大晦日は・・あれだ『紅白』観てた」
亜希「『紅白』?」
中嶌「中島みゆき、観た?」
亜希「・・観た、けど・・」
中嶌「やっぱね」
亜希「うん・・」
中嶌「あれさ、中島みゆきが歌ってる時が一番視聴率がよかったんだよ」
亜希「それは・・どこで知ったの?」
中嶌「スポーツ新聞」
亜希「買ってるの?」
中嶌「拾ってくんだよ、公園とかで」
亜希「拾ってるんでしょ」
中嶌「拾って、きちんと読んでさ、いろんなこと知ってる方が重要でしょう。今さ、亜希ちゃん、知らなかったじゃない、中島みゆきが『紅白』で最高視聴率だったってこと」
亜希「そんなの知らなくても生きていけるもん」
中嶌「そりゃそうだよ、そんなことは知らなくてもいいことだよ・・でもね、そうやって社会との接点がない生活はさ、できないんだよね。家があるからって亜希ちゃん、そういうとこ杜撰すぎない?」
亜希「なんで? なんで私、そんな・・ホームレスの元彼に、中島みゆきの『紅白』の視聴率がよかったことを知らないくらいで、そんな言われなきゃなんないの?」
中嶌「いやいや・・大事なのよ、そういうのがさ・・」
亜希「ねえ・・」
中嶌「え?」
亜希「なんで喪服着てるの?」
中嶌「あ・・ああ」
亜希「それももしかして拾ったの?」
中嶌「ち、違うよ・・なに言ってんだよ。ちょっと不幸があったんだよ」
亜希「誰か、亡くなったの?」
中嶌「うん・・ホームレスの仲間が、昨晩ね・・」
亜希「亡くなったの?」
中嶌「そう」
亜希「仲間?」
中嶋「仲間がね・・」
亜希「仲間って・・そのホームレスの仲間って何人くらいいるの? みんなやっぱり仲いいの?」
中嶌「みんな仲いいってわけじゃないよ。そりゃあさあ、人が集まれば、そりの合う奴、合わない奴ってのがいるわけじゃない」
亜希「それは、そうだけど」
中嶌「同じだよ、同じ人間同士の集まりなんだから」
亜希「仲間が亡くなったの?」
中嶌「そう」
亜希「なんで?」
中嶌「凍死」
亜希「寒くて・・死んだの?」
中嶌「そう・・かわいそうにねえ・・まだ四十五だったんだよ」
亜希「な・・なにそれ・・」
中嶌「仲間だよ、同じ路上生活のね」
亜希「凍死? 凍死? 凍死? え? 凍え死に?」
中嶌「ああ・・冷え込んだからなあ、今朝」
亜希「それで死んじゃったの?」
中嶌「そう・・」
亜希「死んじゃうの、そういうので」
中嶌「死ぬよ。人間、寒かったら死ぬんだよ、暑くても死ぬし、おなかすいたらいちころだよ」
亜希「聡さんも・・」
中嶌「そりゃそうだよ、俺だってそんなスーパーマンじゃないんだよ、段ボールマンなんだから」
亜希「段ボールマン?」
中嶌「この前、小学生が俺の家覗き込んで、そう言って走り去った」
亜希「段ボールマン」
中嶌「だって」
亜希「今、笑うところ?」
中嶌「ん、泣くところかな」
亜希「うち、おいでよ」
中嶌「なんで?」
亜希「なんでって、しょうがないじゃない」
中嶌「なにがしょうがないんだよ」
亜希「だって・・また出会っちゃったんだから・・出会ってみたら、こんなになっちゃってて・・」
中嶌「人はね、成長するからね」
亜希「成長してないじゃない」
中嶌「亜希は、どうなのよ」
亜希「どうって? なにが?」
中嶌「いや、俺の方の変化ってのはさ、まあ、見ての通りだけど、おまえの方はどうなんだよ」
亜希「どうって・・別に・・」
中嶌「彼氏とか、できた?」
亜希「できたけど」
中嶌「できたのか?」
亜希「できたけど、振られた」
中嶌「ああ、そう・・」
亜希「今、笑った?」
中嶌「え、笑うところじゃないの?」
亜希「違うわよ・・聡さんのそういうところが昔から嫌いよ」
中嶌「家は変わったけど、そういうところは変わってないってことか」
亜希「え? 待って・・ホームレス? ホームレス? なんで? え?」
中嶌「あ、本格的にパニックになってきたな」
亜希「ちょっと待って、あたしねえ、普通の人よりも認識するのに時間がかかるのよ」
中嶌「知ってるよ・・亜希もそういうところは変わらないなあ」
亜希「なんでこんなになっちゃったの?」
中嶌「なにから話せばいいのかってとこだけどねえ・・」
亜希「お金は? お金とかはどうしてるの?」
中嶌「うん、バイトしてる」
亜希「バイト?」
中嶌「うん、取っ払いのバイトに時々、行ってる」
  と、タイルを並べる動作をする。
亜希「それは、なに?」
中嶌「こうやって床にタイルを並べるバイトがあるんだ」
亜希「へえ」
中嶌「月の半分くらい働けばまあ、なんとかやっていけるんだよ」
亜希「家賃が、まるまる浮いてるんだからねえ」
中嶌「まあ、そういうこと・・家賃のために働く時間をもっと有意義に使えるってことじゃない」
亜希「そう・・え? そうか?」
中嶌「そうだよ」
亜希「バイト先にバレないの?」
中嶌「なにが?」
亜希「いや、ホームレスだって」
中嶌「バレないよ、そんなの・・だって、バイト先で知り合った人がさ、段ボールのおうちに住んでるなんて思わないでしょ、まず」
亜希「思わない、思わない」
中嶌「自分から言っても信じてもらえないんだから」
亜希「言ったの?」
中嶌「うん、仲良くなった人にはね」
亜希「俺、段ボールに住んでるんだって」
中嶌「そうそう」
亜希「それでなんて? そう言われた人って、どういうリアクションをとるの?」
中嶌「いいなあ、秘密基地みたいでって」
亜希「秘密基地?」
中嶌「秘密基地・・作らなかった? 子供の頃。隠れ家みたいなの」
亜希「作ったけど・・」
中嶌「あれだよ、あれ。あれをね、大人になってやってるなんて」
亜希「でもさ、その・・子供が作ってた秘密基地はさ、住むところじゃないでしょ」
中嶌「隠れ家・・だね」
亜希「聡さんのこの、家はさ、家なんでしょ・・あこがれないよ・・あたしは」
中嶌「家であり、隠れ家でもある。社会からの隠れ家」
亜希「隠れてないで出てこいよ。これはなに、引きこもりなんじゃないの?」
中嶌「ちがうよ、引きこもりとかさあ、そういう奴と一緒にはしないで欲しいなあ」
亜希「でも、段ボールの中に引きこもってるわけじゃない」
中嶌「こんな道ばたで、引きこもれないだろう・・引きこもるってのは、どっかに引きこもるから、引きこもりっていうんだろ。暗い部屋の中に閉じこもってるんだろ」
亜希「同じじゃないの」
中嶌「ちがうって。だって、俺なんか、よく空見たりしてるよ」
亜希「空見て・・ぼーっとしてるの?」
中嶌「ぼーっとはしてないよ・・あ、おまえホームレスってのは時間もて余して、ぼーっとしているって思ってるだろ・・違うよ、生きるか死ぬかってところで、生きてるんだからさあ、俺達は」
亜希「それで、空見てるの?」
中嶌「そうだよ」
亜希「それで・・どうなるの?」
中嶌「お天気ってさ、戦うものなんだよ」
亜希「戦う?」
中嶌「暑さと戦う、寒さと戦う、雨と戦う」
亜希「おかしいよ」
中嶌「天気に敏感でないと、やっていけないんだよ。だから、空を見る。空にはね、表情があるからね、それを見る」
亜希「どうしてこうなっちゃったの?」
中嶌「いや・・」
亜希「え、聞くよ、聡さん。聞きますとも、聞かせてよ、でないと今晩嫌な夢見そうだもの。なにかに追いかけられ続ける夢、よく見るんだから」
中嶌「だって時間が」
亜希「時間はさあ・・」
中嶌「いや、どうだろ」
亜希「なにが、どうだろなの? 一言では言えないの?」
中嶌「一言ではとてもとても」
亜希「どうすれば・・」
中嶌「あ、いや・・やっぱり今日、ここでは会わなかったことにしよう」
亜希「なんで?」
中嶌「いや、やっぱりね、もう僕と君は住んでる世界が違うみたいだから」
亜希「住んでる世界じゃないでしょう、住んでる場所が違うんでしょう」
中嶌「いや、ごめん、ほんと、ごめん。悪かったよ」
  と、中嶌、また段ボールハウスへと入っていく。
亜希「待って、行かないで」
  中嶌、背中越しに亜希を一瞥するが、そのまま段ボールハウスの中に入っていく。
亜希「聡さん」
  亜希、呼びかけて様子を見てみるが段ボールの家から返事はない。
亜希「聡さん・・さ・とし・・さん」
  と、亜希、段ボールハウスに近づくが。
亜希「これは・・どこをノックするの?」
  うろうろする亜希。
亜希「聡さん・・ちょっと・・機嫌直して出てきてよ」
中嶌の声「もういいから俺に構うな」
亜希「いや、でも、そういうわけには・・」
中嶌の声「俺なら大丈夫だからさ」
亜希「大丈夫って、大丈夫かもしれないけどさあ・・」
中嶌の声「元気でな」
亜希「(つぶやく)引きこもりじゃない、やっぱり」
  と、中嶌、冒頭と同じように顔を出した。
中嶌「引きこもってないって」
亜希「引きこもりって言われるのはそんなに嫌なんだ」
中嶌「だって引きこもりじゃないもん」
亜希「ホームレスって言われるのは平気なの?」
中嶌「平気だよ、だってホームレスなんだから」
亜希「どうしちゃったの・・ほんとに・・どうしよう・・あたしの彼氏が、ホームレスになっちゃったよ」
中嶌「彼氏じゃないだろう、彼氏だった人がだろう」
亜希「そうだよ、彼氏だったんだよ。それはもう、そうだよね。どうしようもない事実だよ」
中嶌「まあ、つきあってたんだからなあ」
亜希「だったらさあ」
中嶌「なんだよ」
亜希「あんたも私の彼氏だったんだったら、ホームレスなんかになるなよ、なってくれるなよ」
中嶌「彼氏だった彼女だったってのは、もう関係ないだろう・・昔の話なんだから」
亜希「関係ないんだったら声かけてこないでよ」
中嶌「いや、ああ・・びっくりさせてごめん」
亜希「びっくりしたから言ってるんじゃないの、まあ、びっくりもしたんだけど、そーゆーことじゃないの」
中嶌「ごめんな、声をかけて」
亜希「いや・・そんな・・違うの、あのね。私、今まで、いろんな男の人とつきあっては来たけどね、別れた後は、ちゃんと自分の家に住んでるわよ。段ボールに住んでるのは聡さんだけよ」
中嶌「まあ、だろうねえ」
亜希「そりゃあさあ、聡さんの事、好きだって言ってつきあってもらってさ、そのあげくに振っちゃった私はさ・・悪いと思うよ。でもさあ、でもね、気持ちが離れて行ってしまったんだから、突然さあ、好きになったりするし、好きになったことに気づいたりするし、同じくらい突然、好きじゃなくなったりするもんじゃない」
中嶌「亜希、なに言ってんだよ」
亜希「いや、言わして、言わしてよ。たとえそんなふうに好きじゃなくなってさあ、別れてもさあ、別れた人がさあ、別れた人がどこかで元気に生きていて欲しいと思うわけじゃない。思うでしょ。あたしは思うのよ。そう思わない?」
中嶌「思うよ」
亜希「思うでしょ、思うよね」
中嶌「俺は、元気だよ」
亜希「うん・・それは、わかったけど・・」
中嶌「俺だってさあ・・亜希の姿がここの隙間からちょっと見えた時にさ、思ったんだよ」
亜希「・・なにを?」
中嶌「別れた男がさ、元気に暮らしていることを・・知ってて欲しいなって・・」
亜希「元気そうだよね・・」
中嶌「元気だよ、俺は、元気だよ」
亜希「大丈夫?」
中嶌「大丈夫」
亜希「ほんとに大丈夫?」
中嶌「ほんとに大丈夫」
亜希「ほんとにほんとに大丈夫?」
中嶌「ほんとにほんとに、大丈夫」
亜希「もし・・もしも、またね」
中嶌「なに?」
亜希「また、もしあたし、見かけたら・・声、かけてね」
中嶌「でも、関係ないんだろ・・」
亜希「関係はないけど・・気にはなるのよ・・一度好きになった人なんだから」
中嶌「わかったよ、ありがとう・・」
亜希「お使い、行くね」
中嶌「ああ・・」
亜希「じゃあ・・」
  と、亜希、去っていく。
  中嶌、段ボールの中に立ちつくして。
  ゆっくりと暗転していく。