第38話  『はきだめの犬たち』

  

  明転。
  競馬場。
  龍之介と安夫。
龍之介「ガシャコン! さあ、ゲートが開いた。バトルフラワーが好スタート、おおっと・・おおかたの予想を裏切って、バトルフラワーがハナを切るのか、いやいや、やはりやってきた、やってきた戦前の宣言通り、シバノカンタがハナを切って行く、バトルフラワーが二番手で折り合いをつけました。三番手にトーマスキカンシャ、四番手にロッキーセブン、二番人気、シンボリエンペラーはここにいた、ここにいた。好位五番手を追走。そのすぐ後ろに三番人気カリスマポケットだ。正面スタンド前を、まだまだ一団となって各馬通過していきます。シバノカンタがスローペースに持ち込んでいく。おっと! ここで我慢できなくなったのか、バトルフラワーがシバノカンタを捉えて先頭に立った。これは作戦か、後続馬は動くに動けない。動けないまま二コーナーを回っていく。向正面、ここでペースがいったん落ち着くか・・いやいや、なんとシバノカンタ、バトルフラワーをかわして飛び出していく。またしても、またしてもシバノカンタが気持ち良さそうに、ハナを切っていきます。さあ、三コーナー入口、シバノカンタが後続につけた距離は十馬身。バトルフラワーを筆頭に、トーマスキカンシャ、ピンクゴールド、カリスマポケットと有力どころが一斉にシバノカンタに襲いかかる。シンボリは動かな。動けないのかシンボリエンペラー。四コーナー出口、さあ、四コーナー出口。シバノカンタのリードは十馬身から五馬身に詰まってきたぞ。このまま呑み込まれてしまうのか。いやいやがんばるか、がんばれカンタ、泣いても笑っても、残り三百十メートル。中山の坂はどんなドラマを作るのか。バトルフラワー伸びない、バトルが伸びない、トーマスとロッキーセブンに呑み込まれた。同じくカリスマポケットもいつもの伸びを欠いているぞ。おーっと来た! 来た来た来た、シンボリエンペラー鬼脚を使って、ものすごい勢いで上がってきた。来た来たシンボリ、しかし先頭ではあえぎながらもシバノカンタが粘っている。カンタかシンボリか、シンボリかカンタか、カン?・・カ・・カ・・」
安夫「シンボリかカンタか、カンタかシンボリか、シンボリかカンタかシンボリが差したところで、ゴオオオオル!」
  人々が投げ捨てた馬券が雨のように降ってくる。
  二人、その雨を浴びながらしばしたたずんで。
安夫「し・・・・」
龍之介「げほげほ・・」
安夫「なんだ・・カリスマ」
龍之介「ああ・・・ああ・・・・・ああ・・」
  と、龍之介、しゃがみ込む。
安夫「七―八・・万馬券だ」
龍之介「げふげふ・・」
安夫「一万四千二百円だ・・」
龍之介「いくらもってんだよ」
安夫「え?」
龍之介「あといくらある?」
安夫「七百五十円」
龍之介「電車代引いたら?」
安夫「百二十円」
龍之介「百二十円・・俺も二百円、なかったな・・百四十円かな・・ま、いいや、発泡酒買おう。発泡酒のロング缶買って帰ろう・・二人で発砲酒な・・ビール買えねえや、今日は発泡酒な」
  と、立ち去ろうとする。
安夫「待てよ」
龍之介「なに?」
安夫「帰るの?」
龍之介「帰るよ、どうすんの、いて」
安夫「最後のレースは?」
龍之介「できねえだろ」
安夫「やらないの?」
龍之介「できねえだろって・・百二十円と百四十円で、どうやって馬券買うんだよ」
安夫「だから帰るの? やんねえの? 最終」
龍之介「百二十円と百四十円だって言ってんだろうがよ。何点買えるんだよ。買えねえだろう、一点しか。百円で一点買ってどうするんだよ」
安夫「金あったらやるの」
龍之介「当たり前だろ」
安夫「あったらやるよね」
龍之介「やるよ」
安夫「絶対やるよね。やりたいよね次のレースも」
龍之介「やりたいよ」
安夫「だってここで帰ったら負け犬だもんね」
龍之介「負け犬だよ・・俺は負け犬なんだよ・・言うなよ、今、負け犬の気持ちを噛みしめてるんだから」
安夫「負け犬の気持ち、噛みしめる・・」
龍之介「苦いね・・負け犬の気持ちってのはよ」
安夫「このままじゃ終われねえよ」
龍之介「金がねえんだよ・・しょうがないだろう、博打なんだから・・負けたら帰るんだよ」
安夫「やろうよ・・お兄ちゃん、いくらあったらやる?」
龍之介「いくらでもやるよ・・」
安夫「でも百円じゃやらないんだろ」」
龍之介「百円で万馬券がでても、一万四千二百円だろう・・今日、いくら負けてると思ってるんだよ・・いくら負けた?」
安夫「俺は三万三千」
龍之介「俺は六万四千・・」
安夫「取り返そうよ」
龍之介「百円じゃ無理だよ・・一万・・いや、五千円でもいいけど、せめてそれくらいなきゃなあ」
安夫「金あったらやるんだね。金あったらやるって、お兄ちゃん今、そう言ったよね」
龍之介「お前、なに強気になってるんだよ・・百円しか持ってない俺達がよ・・百円では十四点も買えませんよ」
安夫「わかってるよ、そんなことはわかってるんだよ。百円じゃ一点しか買えない、そうだよね」
龍之介「そうだって言ってんだろ!」
安夫「でも、一万四千二百円あったら?」
龍之介「え?」
安夫「一万四千二百円あったら、やるでしょ」
龍之介「やるよ」
安夫「やるよね」
龍之介「やるよ、やりてえよ」
安夫「そうでしょ、それでこそお兄ちゃんじゃない」
龍之介「お前、金、持ってんのかよ。おまえまさか・・」
安夫「そのまさかだよ・・」
龍之介「お前、電車賃賭ける気か?」
安夫「ちがうよ・・それはやっちゃいけないんだよ」
龍之介「じゃあ、なんだよ、金があるのかって聞いてんだろ、さっきから」
安夫「金はない」
龍之介「なに言ってんだよ、お前さっきから」
安夫「でも、そこの窓口に持っていけば、一万四千二百円になる物は持ってる」
龍之介「・・お前・・(気づいた)」
安夫「じゃん!」
  と、馬券を取りだす。
安夫「当たり馬券」
龍之介「今の?」
安夫「そう」
龍之介「今のレース、お前当たったの?」
安夫「当たった・・百円買ってた」
  と、龍之介、その馬券をむしり取って見る。
龍之介「俺の予想じゃねえかよ、これ」
  と、馬券を捨てる。
龍之介「俺が予想したんじゃねえかよ。俺がさっき迷いに迷って切ったやつじゃねえかよ。なんでお前こんな馬券買ってんだよ」
安夫「百円、買っておいたんだよ」
龍之介「お前、よくそんなもの買うなぁ・・ちょっと待て、ちょっと待て、これはお前あれだろ、俺が最後の最後の最後まで迷って切ったやつだろう。これ、さっき・・」
安夫「そうだよ」
龍之介「さんざんバカにしてたろうがよ」
安夫「そうだよ」
龍之介「こんなの絶対に来ない、買う奴の気が知れねえって言ったのはどこのどいつだよ」
安夫「俺」
龍之介「だったら、なんで買ってんだよ」
安夫「魔が差した」
龍之介「ふ、ふ、ふざんけんなよな! 魔が差して、なんで俺の予想を買うんだよ。恥ずかしくねえのか、俺の予想の果てに、切ったものを百円買って、一万四千二百円。ついたな、ついたな、ついたなお前。」
安夫「万馬券だよ、万馬券」
龍之介「万馬券ってお前、喜んでどうするんだよ」
安夫「いやいやいや・・喜べないところもあるんだけどねえ・・どう、お兄ちゃん、次のレースこれで一緒にやろうよ」
龍之介「ちがうよ、もうこれは俺の予想でもなんでもねえよ。なんで俺が予想して切り捨てたものを買うんだよ。お前、なんの予想しているつもりなんだよ、ばかやろう」
安夫「でもね、来たんだよ、七―八がさ」
龍之介「だからなんなんだよ」
安夫「確かに、これはお兄ちゃんが最後の最後まで悩んで悩んで切ったものだよ。お兄ちゃんがどんだけ悩んだか、それを俺は側で黙って見てたよ、確かにね」
龍之介「黙ってねえじゃねえかよ、バカだカスだ言いながら見てたじゃねえかよ、うるさいんだよ、お前はいちいち」
安夫「でも、来たんだよ、この馬は」
龍之介「わかってるよ、今、見てたんだから」
安夫「来たんだよ、勝ったんだよ、速かったんだよ、一番だったんだよ」
龍之介「わかったよ、うるせえって。嬉しいのかばかやろう、人の予想で百円買って、それが万馬券になって、だからなんなんだよ。嬉しいのか、それで?お前の競馬はなんなんだよ。競馬はなんなんだよ、え! 言ってみろばかやろう、競馬はなんだ? お前にとって競馬ってのはなんなんだよ! 今、ここで言ってみろよ、ばかやろう。競馬ってのはなんだよ、お前にとって」
安夫「夢とロマン」
龍之介「そうだろう、それだろろう」
安夫「そう、そうだよ」
龍之介「夢とロマンだろう、それがなんだよ、人の予想で百円買って、それが万馬券だ? それが夢とロマンか」
安夫「夢とロマンだよ、でもね、夢とロマンだけじゃ競馬は続けられないんだよ」
龍之介「なに言ってんだよ、お前」
安夫「競馬はねえ、馬と金なんだよ、結局は」
龍之介「馬と金って・・それは競馬というものの説明だろう」
安夫「お兄ちゃん、口ではどんなこと言っててもねえ、おら!(と馬券を突き出し)これがなきゃ次のレースはできねえんだよ。最終レースができなかったら、負け犬で終わるんだって。口の中が苦いまま電車に乗って、揺られて帰るの? いいの、それで? そんなんでいいの? お兄ちゃんはそういうことのために生まれてきたの? この負け犬が! へなちょこだよ、そんな人生。どうするの? え? ちょっと、なにか言ったらどうなの? 負け犬だって遠吠えくらいできるでしょうが! そうだよ、俺はねえ、今、偉そうに言ってるけど、確かにね、こんな馬券買って恥ずかしいよ、そんなことはわかってるよ。俺の予想じゃないよ、お兄ちゃんの予想だよ。お兄ちゃんが予想して切った馬券だよ。でも、俺はなにかあると思ったんだよ。なにかあるとは思ったけど、でもそこに千円つぎ込む勇気がなかったんだよ。千円つぎ込んでいたら、十四万だよ。十四万をね、今、手にしていたら、お兄ちゃんと二人で飲みに行ってるよ。お兄ちゃんに発泡酒好きなだけ飲ませてあげてるよ」
龍之介「なんでそこでも発泡酒なんだよ」
安夫「あげ足とるなよ、そんなことが言いたいんじゃないんだよ。どうするの? これがあるんだよ、目の前に。なのに、なに? 帰るの? お兄ちゃんは負け犬のまま、しっぽを丸めて帰るの? え?」
龍之介「・・帰る」
安夫「なにい?」
龍之介「帰るよ、そりゃ帰るよ。それはだって・・じゃあ、その予想はいいよ。俺が捨てた予想だよ。そんなの俺の予想でもないよ。でもその金はヤッ君の金じゃねえかよ」
安夫「小さいよ、お兄ちゃん」
龍之介「いいんだよ、俺は小さい人間なんだよ」
安夫「小さいよ、お兄ちゃん、そんなにケツの穴が小さくてどうするの?」
龍之介「ケツの穴か?今、ケツの穴の話だったんかい!」
安夫「百姓だよ、そんなの」
龍之介「なんだよ、百姓って」
安夫「あるんだからさあ、ぱーっといこうよ、ぱーっと」
龍之介「いいよ、それはお前の金なんだから、お前が好きに遣えばいいだろうが、ばかやろう」
安夫「このわからずやが!」
龍之介「やればいいだろうが、俺は見ててやるからよ」
安夫「はいそうですか、ってやれるか、この馬券で」
龍之介「なに言ってんだよ、お前は」
安夫「これはお兄ちゃんの馬券じゃねえかよ」
龍之介「ぐちゃぐちゃ言ってねえで、やりゃあいいだろうがよ。俺が捨てた予想をだよ、捨てたんだよ、俺は。その予想を違う人間が百円買ってだよ、当たったお金は受け取れません」
安夫「だからさあ、今、何回も何回も何回も言ってんじゃん。謝ってるじゃん」
龍之介「謝ってもいねえし、よお」
安夫「恥ずかしいんだよ」
龍之介「俺もお前も恥ずかしいよ。さっきから俺達は何を怒鳴り合ってるんだよ。周り見てみろよ、みんなこっち見てるじゃねえかよ」
安夫「人の目を気にしてる時じゃないんだよ。これを一緒に使って、負け犬がもう一度立ち上がるためにね」
龍之介「お前に恥を知れって言った俺が、そんなものを恵んでもらって使ったらさ、俺も恥を知れってことになるだろうがよ」
安夫「恥は知っていこうよ」
龍之介「どういう競馬なんだよ・・競馬だよ、競馬しにきて恥を知ってどうするんだよ。競馬くらいは夢をもってやりたいから、やってるんだろう」
安夫「そうだよ、でも、夢を見るためにはね、夢を見続けるためにはね、我慢だって必要だし、恥をかくことだってあるんだよ。継続は力なり、これだよ、お兄ちゃん」
龍之介「力になってねえだろうがよ、俺達は」
安夫「今やめたら、そうだよ、今帰ったらそうなるでしょう」
龍之介「いいよ、俺はもう今日は発泡酒飲んでおしまいにするよ。俺は帰るよ」
安夫「ここにあるものをなんで使わないんだよ。今、目の前にある現金。これがあれば、負け犬がもう一度リングに立てるんじゃねえかよ」
龍之介「負け犬は犬だろう、なんでリングが出てくるんだよ」
安夫「だから、そんなことを言っても始まらないんだって」
龍之介「だから、お前が勝手にやればいいんだって」
安夫「だから、それじゃあ、お兄ちゃんの立場がね」
龍之介「だから、立場ってのはなんなんだって?」
安夫「だから、時間がないんだから」
龍之介「だから、お前がやればいいだろうがって」
安夫「それ以上、言うな、殴り合いになるだろうが」
龍之介「競馬場で殴り合ったらみっともないだろうが」
安夫「俺達さあ、ずっとやってきたんじゃねえかよ」
龍之介「なにをだよ」
安夫「毎週、毎週さあ・・」
龍之介「もう次のレースの予想なんか、飛んじゃったもん。忘れちゃったもん。もうなにしていいかわかんねえもん」
安夫「よーし、じゃあ、思い出させてあげましょう」
  と、安夫、新聞を広げる。
安夫「さーて、いこうか・・十二レース」
龍之介「知らないよ」
安夫「いくよ」
龍之介「知らないって」
安夫「聞きなよ・・ぐちゃぐちゃ言わないよ・・さあ、十二レース、ゲートが開いた!」
龍之介「開かないよ」
安夫「おいおいおい・・子供じゃないんだからな、大人の真剣勝負なんだからな。勝負だよ、勝負」
龍之介「もう勝負しない」
安夫「バカ!」
龍之介「なんだよ」
安夫「お兄ちゃんのバカ!」
龍之介「なに言ってんだよ、お前は」
安夫「ここでやるんだよ、自分を曲げてでも、ここでやらなきゃならないんだよ、ここでやるんだって。俺と一緒に戦っていこうよ。世の中の全てのを敵に回してもさ、俺はお兄ちゃんと一緒なら、百人力だよ」
龍之介「お前、自分でなに言ってるかわかってないだろう」
安夫「やろうよ、やるしかねえよ、ここまで来たらさ」
龍之介「・・・・いいよ」
安夫「やるんだよ」
龍之介「俺はいいって・・」
安夫「おいおいおい・・どこがそんなに石頭なんだ?」
龍之介「石頭は頭だよ、ばかやろう。石頭は頭だろうがよ」
安夫「さあ、十二レース、ゲートが開いた。ガシャコン! なにが来る、なにが来る、なにが来る?」
龍之介「来ないよ」
安夫「もういいよ、一人力だけど、俺一人でやるよ。ガチャコン! おおかたの予想通り、十番人気、テキヤイチバンが、ハナを切っていく・・」
  龍之介の方を見るが反応がない。
  安夫、続ける。
安夫「ハナを切っていいのか・・テキヤイチバン・・切れるのかテキヤイチバン」
  また、反応を見る。
龍之介「・・・・」
安夫「最後の直線。テキヤイチバンが逃げ切ってゴール! よし決まり・・」
  と、また安夫、これでいいのかと、龍之介を見る。
龍之介「買いに行けば?」
安夫「お兄ちゃんのガシャコンがないと、このレースはがんばれないんだよ」
龍之介「知らねえよ、そんなの」
安夫「ああ、わかったよ。一人でやるよ。がんばれ俺、がんばれ、俺・・さあ、ゲートが開いた。なにが行く、なにが行く。テキヤイチバンがやっぱり飛び出した。無駄だとわかっていても、やはり飛び出した。これは間違いないでしょう。続いて続いて、ジンギ、サンダーホイナー、メグロポリス、ホッカイニホンカイと、先行馬集団が固まって・・・えーっ、先行していく」
龍之介「へたくそ。実況で予想することねえだろ」
安夫「二番人気グリグリーンは好位六番手を追走。すぐ後ろにナナイロドリーム、ヨナカノサバイバー。そして、一番人気、フライングシューズは、最後方定位置をキープ。今日もあざやかな追い込みを決めるのか? それと併走して、キタノスパシーバが・・・走っている・・」
龍之介「できねえならやるなっつーの」
安夫「えーっとなんだ? 今、どこまで走ったっけ? えーっと、テキヤイチバンがまだまだ逃げる。逃げる・・・でもこの馬は逃げ切れないだろうなあ・・」
龍之介「逃げねえよ・・・」
安夫「逃げないの?」
龍之介「知らないよ」
安夫「今、逃げないって言ったよね」
龍之介「言ってないよ」
安夫「いや、言ったよ」
龍之介「言ってないよ」
安夫「そっか・・テキヤイチバンは、わけもわからず走っている」
龍之介「お前だよ」
安夫「来た来た、有力どころが・・ホッカイニホンカイ、ホッカイニホンカイ」
龍之介「お前、まだあんな馬、好きなのか」
安夫「好きなんだよぉ」
龍之介「ん・・毎度のことだ、買っとけ」
安夫「おお!」
龍之介「そのかわり来やしねえぞ、だからやめとけ」
安夫「え? テキヤイチバンは、もういないのか・・いないんだよね」
龍之介「テキヤイチバン? スタートから二百メートル逃げて、もう姿はねえよ。まるでバックしているかのような勢いで、置いてかれてる」
安夫「そして、メグロポリス、メグロポリス、今日はかからず。ここまでずっと我慢してきました」
龍之介「かかるよ」
安夫「そして・・・え?」
龍之介「かかるよ」
安夫「か、か、かかるの?」
龍之介「かかるだろう、メグロポリスは」
安夫「ま、また?」
龍之介「あいつテレビに映りたいばっかだからよ」
安夫「え? 馬が?」
龍之介「騎手だよ、ばかやろう」
安夫「藤田のばかぁ。藤田のばかぁ・・二回言ってやったから」
龍之介「いいから」
安夫「騎手が目立ちたいばっかりに、かかってしまったメグロポリス。そして、ホッカイニホンカイ、ジンギ、そして、サンダーホイナー、ヨナカノサバイバー、どんどん距離を詰めていく。メグロポリスのリードはなくなった。さあ、最終コーナー、最後の直線だ。このまま先行馬集団で、決まるのか?」
龍之介「フライングシューズは?」
安夫「一番人気、フライングシューズのエンジンがかかったぞ。他の差し馬達も、動き出すぞ」
龍之介「どっから行くんだよ、どっから」
安夫「え?」
龍之介「内か、外か、内か、外か」
安夫「ああっ・・そっか、そっか。わかった、外から、外から」
龍之介「外はいっぱいだろう」
安夫「じゃあ、内だ! 芝の荒れている内々を、グリグリーンが思い切って」
龍之介「来ねえ! あいつにそんな度胸はねえ。先行はどうなるんだよ。前にいる連中がどんな奴か考えろよ」
安夫「止まっちゃう・・?」
龍之介「前が止まったら、差し馬、みんな詰まっちゃうだろう」
安夫「内は芝が荒れてるし・・・」
龍之介「いるだろう、もう一頭の追い込み馬が。なんのために今までケツを、トロトロついて来たんだよ」
安夫「あー、あー、わかった!」
龍之介「おー」
安夫「ダートが得意の」
龍之介「おお!」
安夫「度胸がある」
龍之介「おお!」
安夫「キタノスパシーバ」
龍之介「そーゆーことだよ、ばかやろう!」
安夫「来た、来た、来た、キタノスパシーバがやって来た! でも一番人気のフライングシューズは?」
龍之介「強いよ」
安夫「来るんだ、来るんだ」
龍之介「フライングシューズの前が、ぱかっと開くんだよ」
安夫「真ん中ぱーっと開いた」
龍之介「最後の直線。フライングシューズの前が、まるでモーゼの十戒のように、道が開いた。真ん中を通って、フライングシューズ、ものすごい脚を使って、ごぼう抜き。内々を突いて、思い切って芝の悪いところを通っているキタノスパシーバが、まるでフライングシューズの影武者のように、ぴったりと馬体を合わせてくる。粘るサンダーホイナーを、フライングシューズとキタノスパシーバの二頭が同時に捕らえた。そのままの勢いで、二頭が揃ったところで・・」
安夫「ゴーォォォル!!!」
  間。
安夫「見えたね・・俺達のゴールが」
龍之介「オッズは?」
安夫「五十二倍」
龍之介「一万四千二百円で・・」
安夫「七十万」
龍之介「よし! 発砲酒、浴びるほど飲むぞ」
安夫「しゃ!」
  二人、身を翻した。
  暗転。