第32話  『タイル並べて』



  建設現場の休憩所。
  十時の休憩になったところ。
  安夫が煙草に火をつけ上手そうに吸っている。
  と、やってくる善之。
安夫「お、お疲れ、お疲れ」
善之「あ、ども・・」
  と、善之、安夫の側に座る。
安夫「どお?」
善之「大変っすね、ここ」
安夫「大変だろ?」
善之「(曖昧に)ええ・・・」
安夫「あ、言っとくけどさ」
善之「はい」
安夫「便所。便所はなあ・・ぐるっと回ってそこ・・一カ所しかないからなあ。おまえ今、六階にいるんだっけ?」
善之「はい、今、六階っす」
安夫「六階だとさあ・・早めに行かないと・・」
善之「はあ・・」
安夫「詰まってんだよ・・うんこの方」
善之「はあ・・」
安夫「流れねえから」
善之「はあ」
安夫「大変なんだから」
善之「でも、朝、してきましたから」
安夫「え、おまえ、一日一回?」
善之「はい」
安夫「いいなあ・・俺、現場じゃ絶対に三回は行くから」
善之「・・へえ」
  と、安夫、手を挙げて挨拶する真似をして。
安夫「ちょっと・・って」
善之「へえ」
安夫「・・職長は?」
善之「職長?」
安夫「いたろう・・うるさい」
善之「あ、ああ・・」
安夫「現場監督みたいなの」
善之「ええ・・」
安夫「あれ、職長って言うんだよ・・職安の職に長崎の長・・で、職長」
善之「ああ・・途中でいなくなっちゃいましたよ」
安夫「聞いた? いろいろ」
善之「ええ・・まあ、基本的なことは?」
安夫「休憩が?」
善之「十時から十時十五分」
安夫「ふん」
善之「お昼が十二時から一時」
安夫「ふん」
善之「あとは三時から三時十五分」
安夫「ふん・・トイレは」
善之「(と、指さし)そこ」
安夫「ふん・・」
善之「うんこの時は早めに」
安夫「そう・・それは俺が教えた」
善之「ありがとうございます」
安夫「なんでも聞け、わからないことがあったら」
善之「はい・・いやあ、でも、助かりました・・ちょっと今、仕事探してたもんで」
安夫「グッドタイミング」
善之「不景気ですよね」
安夫「だね」
善之「はい」
安夫「でもね・・金はねえあるところにはあるんだよね・・このビル、まえは日本生命が持ってたんだけどねえ・・目黒の区役所が買い取ったの・・・アイ・ティ用に」
善之「あ、そうなんですか」
安夫「それで(自分達を示し)改装してるわけ」
善之「ああ・・そうなんですか」
安夫「床デコボコだし、壁は斜めってるし・・ねえ・・よく買ったよねこんなの・・俺が目黒区役所にいたらさあ・・こんな物件には手を出さなかったね。いや、ほんとよ」
善之「はあ・・」
安夫「これねえ・・いくら金かけて改装してもダメよ・・こんなのはダメ」
善之「ダメっすかねえ」
安夫「ダメ。ダメだね」
善之「でも、駅から近いですけどねえ」
安夫「それだよ、それにだまされたんだよ、目黒の区役所も。それに目がくらんだんだ」
善之「そうなんですかねえ・・」
安夫「だって、床にさあ、タイル並べてても、合わないだろう、壁際。壁、斜めってるから」
善之「そうなんですよね・・」
安夫「あれ、無理に合わせなくてもいいから」
善之「そうなんですか」
安夫「だって合わないだろう」
善之「そうなんですよね」
安夫「あれは、ほっときゃいいんだよ・・あとは職人さんがやるから」
善之「ああ・・そうなんだ」
安夫「まあ、わかんないことがあったら、俺に聞けばいいからさあ」
善之「まだなんか全部わかんないって感じですかね」
安夫「初日はね、どこの現場でもそうよ」
善之「なんか、タイル床に並べろって言われてねえ・・(とやってみる)こんなんでいいのかなって・・隣の奴に聞こうと思っても」
安夫「隣は隣で遠くにいるんだよな・・」
善之「そうなんです」
安夫「遠くの隣で・・黙々と(と、タイルを並べるのをやってみせる)これだ」
善之「(もまたやってみせ)これですから」
安夫「ここの現場はねえ・・一日(とやってみせる)これ・・ずっとこれ・・みんながこれ・・黙々とこれ・・ね・・あとねえ、弁当五百円・・って聞いた?」
善之「あ、聞きました」
安夫「五百円で二種類」
善之「二種類しかないんですか?」
安夫「そう・・どっちを選んでもいいの」
善之「二種類か」
安夫「そう、どっちを選ぶかは(善之を示し)自由」
善之「二種類か」
安夫「今日はねえ・・煮込みハンバーグと海鮮丼」
善之「海鮮丼って・・弁当なんですか?」
安夫「そうだよ・・ここだけの話なんだがな・・」
善之「はい」
安夫「煮込みハンバーグはイシイのハンバーグなんだよ」
善之「そうなんですか?」
安夫「おお・・わからないことがあったら俺に聞け」
善之「それで五百円も取るんですか?」
安夫「手間賃だよ、手間賃・・間に人が入ると・・なんでも金がかかるんだよ・・一番高いのが人件費なんだから・・なんでもね・・前さあ、地下鉄の現場があったんだけど・・そこではね、同じ物が三百五十円だったよ」
善之「ボッってませんか? その弁当」
安夫「ぼられてる・・」
善之「じゃあ、外に食べに行きますよ」
安夫「そう思うだろ」
善之「はい」
安夫「そうするとね・・昼寝の時間がなくなるのよ・・やってみればわかるんだけどね」
善之「うわ・・」
安夫「きついぞ、昼寝ないと」
善之「ですね」
安夫「他に楽しみないんだから、こんなとこ・・俺、ここで昼寝なかったら死んじゃうね・・俺、今、七階やってるんだけどさ、飛び降りちゃうね、たぶん」
善之「百五十円ぼられても、昼寝をとったほうがいいってことですよね」
安夫「弁当食って・・上で寝る。昼休みはそうやって有効利用しないと、な。疲れちゃうぞ、こんな現場・・なんかさあ、時々ね・・ほんとに時々なんだけど・・寂しい気持ちになるんだよ・・忘れもしない、ここの六階に初めて上がった時。なんにもできてなくてさ、埃だらけでさ、電源もなくてさ、暗くてさ・・ばーっと空間が広がってるの。そこにだよ・・一個づつ・・あの、こんなちっちゃなタイル並べるんだよ、これから俺は。なんにもないから余計に広く感じるんだよね、ああいう時って・・この床に俺はい一個づつ丁寧にちっちゃなタイルを並べるのかって思うとさあ・・ここは、どこだろうって・・寂しい気持ちになっちゃってさあ・・もう、一刻も早く昼寝したかったね。ない? そういうの」
善之「でも・・バイトですから・・」
安夫「そうだよ、そりゃそうなんだけどね」
善之「バイトってそういうもんじゃないですか」
安夫「お、割り切ってるねえ」
善之「割り切らないと」
安夫「心のスイッチ切ってるねえ」
善之「切らないと」
安夫「割り切り、いい方なんだ」
善之「はい」
安夫「俺はねえ・・」
善之「はい」
安夫「割り切れない」
善之「そうなんですか?」
安夫「そうなの」
善之「大変じゃないですか」
安夫「大変だよ」
善之「どうしてるんですか」
安夫「ん・・だから昼寝」
善之「ああ・・それで・・」
安夫「なんともならない」
善之「ああ・・やっぱりねえ」
安夫「寝ていてもなにも解決しないんだよねえ」
善之「それはそうですよ」
安夫「そんな気持ちにならなかった? 今日、朝、八時に集まって、ラジオ体操して、それからタイル並べて・・二時間ちょっと・・」
善之「いや、並べるのに精一杯でしたから」
安夫「うらやましいなあ、いっぱいいっぱい、無我夢中」
善之「はい」
安夫「俺なんか余裕できちゃったからさあ・・いろんなこと考えちゃうんだよね・・ほんと余計なことなんだよ・・ただタイルを並べてればいいんだよ」
善之「そうですよ・・そういう仕事なんだから」
安夫「っていうふうに思えない、俺がいるの・・こうやってタイルを並べながら・・なにか違うって」
善之「まっすぐ並べればいいんですから」
安夫「いや、タイルの並べ方じゃないの・・タイルの並べ方はもう目をつぶっても間違わない・・間違っているのはさあ・・俺がここにいること・・ここでタイルを並べていること・・」
善之「でも、タイル・・朝から並べて、こう見て・・おお、きれいに並べたなあ・・やるなあ俺って・・さっき、休憩に入る前に思って」
安夫「思った?」
善之「ん・・ちょこっと」
安夫「前向きだなあ・・・」
善之「いいじゃん、いいじゃんって」
安夫「自分を誉めたりしてるんだ」
善之「だって、そうやってなんつーか、ちょっとでも自分のやっていることを・・なんていうんだろ、確認していくっていうか」
安夫「自分が並べたタイル、見て?」
善之「それで、よくやったなあ、俺、って」
安夫「思えない」
善之「でも、並べたわけじゃないですか・・ヤックンさんが」
安夫「並べたよ」
善之「だから、それは・・」
安夫「でもそれは、並んだタイルでしょう」
善之「ですよ」
安夫「並んだタイルはさ、タイルが並んでいるだけだよ・・目の前に、タイルが並んでいて、後ろにはこれからタイルを並べなきゃいけない床があるんだよ」
善之「そうですよ」
安夫「それだけじゃない・・それのなにが『よくやったな、俺』なの?」
善之「いや・・いやあ・・」
安夫「がんばってもがんばっても、まだまだ並べなきゃならないってことでしょう」
善之「それはねえ」
安夫「いつまで?」
善之「はい?」
安夫「いつまで続くの?」
善之「いや、終わるまで」
安夫「これはさあ・・いつ終わるの?」
善之「終わりはありますよ・・だって全部で十二階じゃないですか」
安夫「この建物は、でしょ」
善之「ですよ」
安夫「この建物が終わったら、また次の現場に行って(と、やってみせる)これだよ」
善之「それは・・そういう仕事なんですから」
安夫「うん・・もちろんね、わかっているよ・・わかっているんだけどね・・」
善之「それが嫌だったら、辞めるしかないじゃないですか?」
安夫「辞めて・・どうするの?」
善之「違うバイトを探すしか」
安夫「違うバイトって・・ほんとに違うバイト?」
善之「え? どういうことですか?」
安夫「違うバイト探して、でも、また現場行って今度はタイルの代わりに壁紙とかさあ、配管とかさあ・・いや、できないわけじゃないんだよ、壁紙だって、パーティションだって、配管だって、電気工事の助手だってできるよ、もちろん、できるけどね・・それはほんとうに違うバイトなの?」
善之「まあ・・それはねえ」
安夫「バイトをさあ、探す怖さってのもあるでしょう」
善之「あります。それはあるんですよね・・俺ができるっていうか、俺を雇ってくれるところがあるのか・・って」
安夫「思うでしょ」
善之「ええ・・」
安夫「昔はさあ、思わなかったでしょ」
善之「最近、ですね」
安夫「バイト探してさあ、また始めなきゃって思うわけじゃない。一から」
善之「ありますねえ」
安夫「あるよな」
善之「ええ・・」
安夫「おお、善之君でもそうか」
善之「三十越しましたからねえ」
安夫「俺、三十五、越したもん」
善之「でも、他にできないんだったら、タイル並べるしかないじゃないですか」
安夫「・・・(善之を見た)」
善之「それってでも、後ろ向きなんでしょうかね」
安夫「そうなんだけどね・・それしかないんだけどね」
善之「
安夫「いや、迷ってるんだよ・・ここにきて迷ってるんだよ・・俺、年取ると迷わなくなるもんだとばっかり思ってたんだよ。年とったらバイトなんかしなくてよくなるんじゃないかって思ってたんだよ」
善之「甘いなあ」
安夫「(また善之を見る)・・・」
善之「甘いっすよ、ヤックンさん」
安夫「甘いか」
善之「甘いっす」
安夫「甘いよなあ・・ダメだと思ってるだろ」
善之「へ? なにがですか?」
安夫「俺のことダメダメだと思ってるだろう」
善之「いや、思ってませんよ」
安夫「いや、思ってたね」
善之「ちがいますよ」
安夫「だって今、なんか考えてたろ」
善之「え・・ああ・・今ですか」
安夫「そう、今」
善之「いや、今はねえ・・どっちにしようかなって」
安夫「なにを?」
善之「だから、イシイのハンバーグか、海鮮丼か・・」
安夫「あ・・ああ・・」
善之「まあ、昼までまだ二時間あるから・・ゆっくり考えようかな」
安夫「ああ・・まあ、時間はたっぷりあるからなあ」
善之「そうですよ・・」
安夫「行くか」
善之「行きましょうよ」
安夫「っしゃ!」
  と、安夫、立ち上がった。
  ふっきったように歩き出し。
  暗転。