第31話  『走れメロス metro ver.』
  ゼッケンをつけた拓弥と勉が走っている。



  

  町内マラソン。
  明転の後、しばらく走っているが、やがて、勉の足が止まる。
  拓弥、それに気づき。
拓弥「どしたの・・」
  勉の消耗は相当激しいようる
拓弥「どしたの、勉ちゃん」
勉「もういい・・もういいよ・・拓ちゃん、もう俺、棄権するわ」
拓弥「なんで・・あと5キロくらいじゃない」
勉「いや・・もう限界・・・もうここまで・・・」
  拓弥、その場で足踏みをしながら勉の側で。
拓弥「はい、行くよ・・走るよ、ゴールまで」
勉「いや、もうもうダメ」
拓弥「ダメじゃないよ・・走るよ・・」
勉「もう、勘弁して・・俺はね・・」
拓弥「なに?」
勉「ここまで走った俺をほめてやりたいよ」
拓弥「ゴールしなきゃ意味がないよ」
勉「いいよ、拓弥ちゃん・・先に行って」
拓弥「なに言ってんだよ・・俺がゴールしても意味ないんだよ・・これは勉ちゃんが
ゴールしなきゃダメなんだから・・俺のマラソンじゃないんだから、勉ちゃんのマラソンなんだから」
勉「俺はね、ここで棄権する。棄権させてもらう」
拓弥「約束したんだろう」
勉「飲みの席でね」
拓弥「飲みの席だろうと、約束は約束だろう」
勉「初対面の人間との約束だよ」
拓弥「初対面でもさあ・・」
勉「約束は約束」
拓弥「そうだよ、そうだろう」
勉「でも・・もういい」
拓弥「約束は?」
勉「もういい」
拓弥「よくないでしょう」
勉「もういい」
拓弥「待ってるんだろ、彼女が」
勉「どうだか」
拓弥「なんで? なんでだよ」
勉「待ってるかどうかわかんないじゃん」
拓弥「待ってるよ」
勉「なんでそう言い切れるの?」
拓弥「待ってると信じたから、このマラソンに参加する気になっただろう」
勉「でも、もういい、その気持ちも萎えた・・俺は棄権する・・拓ちゃん走りたいなら走ってていいよ」
拓弥「俺は走りたくないよ・・勉ちゃんにつきあってるだけなんだからさ」
勉「ありがと・・ありがとね・・でもね・・もう拓ちゃんも走らなくていいよ・・俺がもう走らないんだから・・」
拓弥「なんで走らないんだよ」
勉「もう走れない・・もう歩けない」
拓弥「なに子供みたいなこと言ってるんだよ」
勉「ああ! よっこらしょっと」
  と、座り込む勉。
  周りを走る拓弥を見上げ。
勉「拓ちゃん、なんでそんなに元気なんだよ・・昨日、六時から十二時まで飲んで、それから三時までカラオケ行って・・」
  拓弥、ついに足を止めた。
拓弥「俺だって、きついよ、体・・昨日あのの後、ぶっ倒れるように寝たもん」
勉「俺・・寝られなかった」
拓弥「なんで? あんなにべろべろに酔っぱらってたのに」
勉「なんつーか、胸が高鳴って」
拓弥「胸が高鳴って?」
勉「歩美ちゃんの事が気になって・・もう、こうやって瞼を閉じると、あのぽっちゃりとした顔が浮かんでは消え浮かんでは消え・・会いたいなあ・・さっき別れたばかりだけど、猛烈に会いたくて、会いたくて・・布団に横になったんだけど、全然、寝付けなくて・・気が付くと身悶えしてるんだよ・・こう枕を抱きかかえて・・」
拓弥「そんなに?」
勉「うん」
拓弥「そんなに好きになっちゃったの?」
勉「うん」
拓弥「惚れっぽいっていうか・・だって、それって昨日の明け方の話でしょう」
勉「うん」
拓弥「昨日、飲み屋で歩美ちゃんのグループに加わったのって」
勉「十時過ぎぐらいかな」
拓弥「六時間も経ってないじゃない」
勉「あのね、こういうのはね、時間じゃないのよ・・恋に落ちるのはね・・一瞬なの・・わかる拓ちゃん、こういうの」
拓弥「わかるよ、そんなの・・俺だって人を好きになったことあるもん」
勉「一目惚れ」
拓弥「うん、あるよ、そんなの」
勉「ビビっと来たの」
拓弥「ビビっとね」
勉「久しぶりだよ、あんなにビビっと来たのは」
拓弥「言ってたもんね、最初に一緒にトイレに立った時に」
勉「え? 言ってた? 俺」
拓弥「言ってたよ・・覚えてないの?」
勉「覚えてない・・全然、まったく覚えてない」
拓弥「トイレのさあ、手を洗うところでさ、勉ちゃんが、歩美ちゃんってかわいいよね、俺、ビビっと来ちゃったよ、ほんと、なんていうか出会いってあるんだねえ、ビビっと来た、ビビっと来たって」
勉「ああ、そう」
拓弥「ビビっと来たっていう表現もどうかと思ったけどね」
勉「ビビっとはビビっとだよ・・」
拓弥「恋に落ちたわけね」
勉「そうだよ」
拓弥「じゃないかと思ったけど」
勉「え? 拓ちゃんは言わない? ビビっと来たって」
拓弥「言わないけど」
勉「向こうのテーブルの女子が騒がしいからさあ・・」
拓弥「女子って」
勉「女子のグループだよ」
拓弥「注意しにいったら、一緒に飲むことになって」
勉「あれはなんでなの?」
拓弥「なんでだろう」
勉「あのさあ・・後学のために聞いておきたいんだけど、なんでうるさいよって注意しにいって、一緒に飲みましょうって話になるの?」
拓弥「なんだったんだろう」
勉「拓ちゃん、そういうのほんと上手だよねえ」
拓弥「そうなのかな」
勉「こうさあ・・昨日ね、昨日の話ね、拓ちゃんが俺の隣にいて、その隣に歩美ちゃんがいたじゃない・・」
拓弥「そうそう、俺に話しかけるふりして、ずっとこっち側の歩美ちゃんに話かけてたよね」
勉「あの席順はもう、偶然にしてはできすぎだよね・・俺、拓ちゃん、歩美ちゃん」
拓弥「ちがうよ、あれは最初、俺、勉ちゃん歩美ちゃんの並びだったんだよ」
勉「そうだっけ?」
拓弥「覚えてないの?」
勉「全然・・」
拓弥「二回目のトイレの時にさ、ほんとは歩美ちゃんの方を向いて話したいんだけど、勉ちゃんがこう(そっちに)向けなくて、ついつい大きな声で俺に話しかけているふりして歩美ちゃんに届くように話してたじゃない」
勉「そうだった・・気もする」
拓弥「それを見かねて場所を代わろうって、俺が提案したんだよ」
勉「そうだったんだっけ」
拓弥「覚えてない?」
勉「全然」
拓弥「もう、俺は眼中になかったんだね」
勉「ないない」
拓弥「ないよな・・」
勉「ビビっと来たらもう・・俺、その子しか見えなくなるから」
拓弥「そんなに好きなんだろう・・」
勉「昨日の・・話さ」
拓弥「過去形かよ」
勉「昨日は、なんであんなに盛り上がったんだろう」
拓弥「ビビっと来て、恋に落ちてたからだろう」
勉「そうなんだよな・・」
拓弥「歩美ちゃんがさあ、言ったじゃない。私が好きなのは、早くなくてもいいからゴールに向かって突き進む人が好きとか言ったからさあ」
勉「(飲み屋のテーブルの)ここに張ってあったんだよな」
拓弥「市民マラソンのポスターが張ってあって・・参加者募集、飛び入り歓迎」
勉「ビビっと来た女の子にさあ・・ゴールに向かって、突き進む人が好き、一つのことを一生懸命やる人が好き・・って言われてさ・・ふと目をやるとこっちにさあ」
拓弥「市民マラソンのポスターだよ・・しかも、明日十時スタート・・これに出るから、ゴールで待っててくれ・・って言っちゃう のが勉ちゃんだよなあ」
勉「(反省と後悔の)ああ・・ああ・・」
拓弥「かっこよかったよ勉ちゃん」
勉「(自嘲と脱力の)ははははは・・・」
拓弥「走ろうよ、ゴールまで・・勉ちゃん」
勉「はははは・・」
  と、笑いながら首を横に振った。
拓弥「なんで?」
勉「彼女はゴールで待ってないと思うよ」
拓弥「なんで?」
勉「なんでって?」
拓弥「なんで待ってないと思うの?」
勉「なんで待ってるの?」 
拓弥「だから・・飲み屋の約束かどうかなんて関係ないんだって・・歩美ちゃんに向かって、君のためにさあ・・四十二・一九五キロを走ってくれる男はそうそういない、でも、俺は明日、歩美ちゃんのために、マラソンを完走するよ・・だから俺は歩美ちゃんのために走るって言ったのは勉ちゃんだよ」
勉「なんか・・なんか他のことにすればよかった・・もう、後戻りできない」
拓弥「後戻りなんてしたくないよ、今、三十七キロ地点だよ・・後戻りするくらいなら、ゴールしようよ」
勉「いや、いや、そういう意味じゃなくってね」
拓弥「さあ、立って走ろう」
勉「いや・・」
拓弥「なんでだよ」
勉「待ってないって」
拓弥「必ずね・・歩美ちゃんも待ってるって・・」
勉「いやあ・・」
拓弥「なんで、そんなに好きになった子を信用できないんだよ」
勉「信用したいけどさあ・・裏切られるのも怖いんだよ」
拓弥「そんなに・・あれなの? 女でひどい目にあってきたの?」
勉「拓ちゃんにはわからないかもしれないよ」
拓弥「わかんないよ」
勉「そうだよ」
拓弥「わかるとかわからないとかはさ、いいから、とにかく今は待っていると信じて走るんだってば」
勉「もういいんだってば」
拓弥「なんでいいんだよ」
勉「どうせさあ・・待ってないよ」
拓弥「なんでどうせなんだよ」
勉「ゴールはしたもの・・虚しい気持ちで家に帰るんだよ」
拓弥「わかんないじゃない」
勉「飲みの席の約束だよ」
拓弥「だからなんだよ」
勉「そんなの約束じゃないよ」
拓弥「約束は約束だよ。ちがう? 約束は約束だよ」
勉「うん」
拓弥「約束は約束だろ」
勉「ああ・・わかった、わかった・・約束だけどさあ」
拓弥「だけどなに?」
勉「俺はもう走れなねえ・・体力の限界だもの」
拓弥「勉ちゃんは会いたくないの?」
勉「いや・・だから足がね・・」
拓弥「会いたくないの?」
勉「もう自分の意志では動かせないのよ」
拓弥「会いたくないの?」
勉「・・まだやっぱり会いたいんだよ」
拓弥「だからゴールまで走れば会えるって」
勉「会えるかな・・」
拓弥「会えるよ・・それでいいじゃない、二人でビールでも飲めば」
勉「ビールか」
拓弥「うまいぞ」
勉「(またしても身悶えしている)ああ・・・ああ・・」
拓弥「それはなにに身悶えしているの? 歩美ちゃんに会えるから? それともビールが飲めるから?」
勉「両方」
拓弥「よし、じゃあ走ろう・・」
勉「ん・・・でもなあ・・いるかなあ」
拓弥「ゴールすればわかるよ」
勉「でも、いなかったらさあ・・俺は四十二・一九五キロを絶望に向かって走ったことになるんだよ」
  その座り込んだ勉の周りを駆け足しながら、拓弥は中島みゆきの『ファイト』のサビを歌い出す。
拓弥「ファイト・・戦う君の・・」
勉「・・もういいって」
拓弥「(歌っている)・・・」
勉「拓ちゃん・・」
拓弥「(歌っている)・・・」
勉「拓ちゃんはなにを根拠にそんなふうに歩美ちゃんを信じてるの?」
拓弥「だってさ・・その方がおもしろいじゃん」
勉「なにが?」
拓弥「飲み屋でたまたま知り合った男と女がいてさ、その場で盛り上がった約束のために、男は女のためにフルマラソンを完走する。そして、女はそんな男の約束を信じて、ゴールでずっと男を待っている」
勉「ああ・・その通りになればねえ」
拓弥「なんか、そういう事があってもいいと思うんだよね・・そんなさあ、大した事じゃないんだけど・・ちょっとした夢みたいな事がさ・・あってもいいと思うんだよね・・なんか暗い話ばっかりなんだもん・・TVつけてもさあ」
勉「なんか・・俺は拓ちゃんのエンターティメントなの?」
拓弥「ま、そんなとこかな」
勉「(大きな大きな溜息をつく)はあああ」
拓弥「行こうぜ、早く」
勉「(再び溜息)はああ・・・」
拓弥「んじゃこれはどうだ・・」
  と、拓弥、中島みゆきの『地上の星』を歌い始める。
拓弥「(歌っている)・・」
勉「ああ・・ダメだ・・その歌を聞くと」
拓弥「(歌っている)・・・・」
勉「なんか、がんばらなきゃって気になってくる」
  拓弥の歌声、次第に大きくなっていく。
勉「(耳を押さえて)やめろ、やめてくれぇ」
  と、拓弥の携帯にメールが着信した。
拓弥「あ、メール来た」
勉「それはなに? 今、誰からメールが来たの?」
拓弥「これ? これは応援メール」
勉「応援メール?」
拓弥「咲美ちゃんから」
勉「ああ・・・ねえ・・」
拓弥「俺はほら、彼女いるから」
勉「ああ、そうですか・・そうでしょうとも」
拓弥「(と、メールを読む)まだゴールしないの?」
勉「え・・」
拓弥「咲美から・・・ゴールにいるって」
勉「え?」
拓弥「俺のこと、ゴールで待ってるから早く来いって」
勉「あああああ! いいなあ」
拓弥「おまえの歩美ちゃんも待ってるはずだよ」
勉「拓ちゃんの彼女の咲美ちゃんはゴールで待っているんだろう」
拓弥「そうだよ」
勉「必ず待っているんだろう」
拓弥「そうだよ」
勉「じゃあさあ!」
拓弥「なに?」
勉「じゃあさあ、咲美ちゃんに頼んで、歩美ちゃんがそこにいるかどうかを確かめてもらえないかな」
拓弥「ええ?」
勉「頼むよ・・ゴールの咲美ちゃんにさ・・まわりに歩美ちゃんがいるかどうか・・」
拓弥「どうやって確認するの・・」
勉「どうやってって」
拓弥「会ったことないんだよ、咲美と歩美ちゃんは」
勉「あ・・ああ・・」
拓弥「ね・・そんなことできないでしょ」
勉「(続いている)あ・・ああ・・」
  だが、この「ああ・・」は突然、発見の思いつきの「ああ!」に変わる。
勉「ああっ!」
拓弥「なに?」
勉「昨日、拓ちゃん、携帯で写真撮ったじゃない。あれを咲美ちゃんに送れば・・」
拓弥「・・・・・・」
勉「頼む・・」
拓弥「・・考える事は同じだな」
勉「・・・・もしかして」
拓弥「そう・・その方法があったんだよ」
勉「じゃあ」
拓弥「でも!」
勉「え?」
拓弥「彼女がゴールにいるかどうかは言えない」
勉「どうして?」
拓弥「もしも、ここで彼女がゴールにいるかいないかを言ったとしたら、それは勉ちゃんが彼女の約束を信じたことにはならないだろう」
勉「でもさあ・・」
拓弥「それじゃあ全然いい話になんないじゃない」
勉「拓ちゃんは・・いい話にしようとして、ずっとここまで・・三十七キロを走ってきたわけ?」
拓弥「そうだよ・・さっきから言ってるじゃん。勉ちゃんと歩美ちゃんの出会いを劇的なものにしたいがために・・俺はここまで走ってきたんだよ」
勉「なんで?」
拓弥「え? 昨日の勉ちゃんがかっこよかったから・・明日、朝十時からおまえのために四十二・一九五キロを走るからゴールで待っていてくれないかって・・」
勉「・・・・」
拓弥「そう言った勉ちゃんがかっこよかったから」
勉「・・・・」
拓弥「だって俺、よく風俗行くじゃん・・それはさあ、そういう目的があって行くんだけどさ・・もちろん・・でもさ・・汗かいて、体張ってガールフレンドを獲得するなんてさあ・・忘れちゃってたからさあ・・ちょっと、新鮮だったなあ」
勉「大きなお世話だねえ」
拓弥「後悔はしてないよ」
勉「それで」
拓弥「ん?」
勉「いるの? 彼女は・・いるんだね」
拓弥「・・言えない」
勉「いるんだね」
拓弥「言えない」
勉「だから、拓ちゃんはずっと俺の側について走って・・さっきからずっと励ましてるんだね・・そうだろ、そうなんだろ」
拓弥「言えない」
勉「・・どうして?」
拓弥「勉ちゃんが信じるのは俺ではなくて・・彼女なんだよ・・さあ、走ろう」
勉「最初から・・言ってくれれば・・」
拓弥「言わない・・絶対に言わない」
  勉、ゆっくりと立ち上がり、屈伸運動を始めた。
勉「ゴールまでは」
拓弥「五キロ」
勉「五キロか」
拓弥「元気出てきた?」
勉「うん・・」
拓弥「まずさあ、信じないと・・好きになった人をさ・・歩美ちゃんを信じないと」
勉「うん・・(わざとらしく大げさに)歩美・・ゴールで俺のこと待っててくれるかなあ」
拓弥「わざとらしいなあ」
勉「さあ、行こうか」
拓弥「そうこなくちゃ!」
  二人、走り出した。
  暗転。