第28話  『橋桁の落書』



  橋桁の下。
  やってくる作業服姿の東。
  壁を見て立ち止まる。
  すぐにやってくる『すぐやる課』の龍之介。
龍之介「ここだよ」
  と、壁を見て。
龍之介「あ! なんで?」
東「これ?」
龍之介「うっそ・・」
東「この橋桁一面の落書きを・・消すの? このびっしりの落書きを・・消すの? 今日? やるの? ほんとにやるの?」
龍之介「三日前だよ」
東「え?」
龍之介「三日前に俺、全部消したんだよ」
東「三日でこんなにびっしり?」
龍之介「うそぉ・・何人で書いてるんだ?」
東「十五、六人はいるんじゃないの?(と、示し)ほら・・字が違うしさあ」
龍之介「駅の伝言板でも、こんなに書かないだろう」
東「卒業文集の寄せ書きだよ・・」
龍之介「いや、三日前にもね、通報があって・・すぐやる課ですか、落書き消しにきてください・・すぐに来てください」
東「うわ・・安請け合いするんじゃなかった・・これは、すぐやる課の仕事だよ・・俺達、住民課の仕事じゃないよ」
龍之介「今日は手伝ってくれるって言ったじゃない」
東「いや・・こんなのだとは思わなかったからさあ」
龍之介「俺だって・・三日前に全部消したから・・ちょろちょろとまた書かれちゃったかなって思ったんだよ」
東「すぐ終わるから、マンガ喫茶で二時間くらい時間つぶして、役所戻ろうって・・」
龍之介「ほんとほんと・・そのつもりだったんだってば」
東「それでこれか・・」
龍之介「(読み上げる)幸せになりたい・・って」
東「こんな・・こんな人の来ないところに書いても誰も読まないだろうが」
龍之介「人知れず幸せになりたいんじゃないの」
東「それは・・それでなればいいなじゃい、人知れず幸せに」
龍之介「書かずにはおれない、魂の叫びだ」
東「橋桁一面に・・魂の叫び?」
龍之介「(読み上げる)周りの物すべてがまぶしく見える・・こんなところにいるからだろう」
東「(読み上げる)会いたいよお・・」
龍之介「誰に?」
東「さあ・・」
龍之介「(読み上げる)がんばれ」
東「(読み上げる)がんばれ」
龍之介「こっちにもある(読み上げる)がんばれ」
東「ここにも小っちゃく(読み上げる)がんばれ・・みんながんばれ」
龍之介「がんばれ系だ」
東「すごいなあ・・みんなでみんなを励ましあってる」
龍之介「・・どんなヤツらなんだろう・・こんな所で魂の叫びを上げている奴らって」
東「(読み上げる)誰か俺を見つけて・・だって(読み上げる)誰か俺を見つけて・・」
龍之介「見つけよう」
東「え?」
龍之介「これ書いた奴、見つけよう」
東「どうやって?」
龍之介「だってこれ、三日前に全部消したのにまたこれなんだよ・・また誰か書きに来るって・・」
東「それを捕まえるの?」
龍之介「そう・・それで、そいつらに消させる」
東「ああ・・そうねえ」
龍之介「いいアイディアだろ」
東「うん・・俺が消さなくていいなら、それが一番だよ」
龍之介「手伝いに来たんだろ」
東「そうだよ」
龍之介「すぐやる課に」
東「そうだよ」
龍之介「こんな仕事はねえ・・まだ全然、いい方だよ」
東「そんなに大変なの、すぐやる課って・・」
龍之介「もうねえ、あんたら住民課には計り知れない仕事だよ」
東「うわ、同じ役所の役人とは思えないねえ」
  と、二人、座り込んだ。
龍之介「(読み上げる)今月電話代が・・ああ!(読み上げる)俺も俺も・・払えない(読み上げる)私、止まった・・」
東「どう見ても、この十五人は会ってないね・・人同士は・・」
龍之介「だよねえ。こいつら、この橋桁でコミニュケーションをとってるんだよ」
東「会っちゃいけないんだ、逆に」
龍之介「そうそう・・この橋桁の壁の表面だけの繋がり・・」
東「ああ・・寂しいねえ!」
龍之介「寂しいねえ」
東「猛烈に寂しいねえ!」
龍之介「そういう奴らなんだよ・・パソコンをね打っている・・いや違うよ」
東「書きに来てるんだよここまで」
龍之介「そうだよな・・部屋にこもりきってるわけでもなく、こんな橋の下にやってきて・・」
東「書いてる」
龍之介「書いてる・・わかんねえ・・そこがわかんねえ」
東「しかも、それが十五人も」
龍之介「わかんねえ・・なんだよ、それ」
東「家を出てきて・・書き込む」
龍之介「カキコしてる」
東「橋桁に」
龍之介「・・わかんねえ」
東「掲示板だ」
龍之介「そうだよな・・文字通り掲示板だ」
東「(読み上げる)消すな・・消さないでくれ」
龍之介「こっちにも(読み上げる)消さないでお願い」
東「(読み上げる)消したら殺す」
龍之介「なんか消しに来てるすぐやる課が悪者みたいじゃん、これじゃあよお」
東「(読み上げる)好きだって言いたい」
龍之介「言えよ」
東「(読み上げる)会いたいよお」
龍之介「会えよ!」
東「自分がすり減っていく・・」
龍之介「俺もすり減るよ」
東「あ、これこれ(と、示す)」
龍之介「なになに」
東「行動を起こそうよ」
龍之介「呼びかけだ」
東「行動を起こそうよ」
龍之介「なんの行動を起こすか書いてないけど」
東「行動を起こそう」
龍之介「呼びかけだ」
東「こっちはほら(読み上げる)ビデオの録画に失敗した」
龍之介「いちいちここに来て言わんにゃならんのかね、これは」
東「よっぽど大事な番組だったんだよ」
龍之介「(読み上げる)今の私が、自分の人生の中で一番高いと思う」
東「高いって・・なにが?」
龍之介「値段だろう」
東「値段か・・ストレートだなあ」
龍之介「女子高生がさ・・十六、七の奴・・今が一番人生で苦しい時だよねって、テレビで言ってたんだよ」
東「ん・・」
龍之介「そしたら、もう一人の奴が・・私はねえ、もう峠は越えた・・だって・・こいつもたぶん十五、六歳じゃないの?」
東「そうなのかなあ」
龍之介「まあ、待ってりゃくるだろう」
東「(読み上げる)人は一人で泣きながら生まれて来(き)、一人でまたひっそりと死んでいく」
龍之介「その通り・・」
東「・・泣きながら生まれてきたの?」
龍之介「そんな・・そんなの覚えてないよ!」
東「ははは・・」
龍之介「でもさ・・」
東「なに?」
龍之介「産湯がね、気持ちよかったのは覚えてる」
東「おまえわかりやすいな」
龍之介「なにが?」
東「嘘つくときに目つきが変わるの」
龍之介「そんな・・・・」
東「(と、指さす)・・・」
龍之介「そう?(読み上げる)お金がなくて、逃げていく幸せばっかり・・」
東「金はないだろう・・金はないんだよ、十代は・・金がないから十代なんだよ」
龍之介「(読み上げる)電話代が払えない・・電話止まった」
東「払えないだろうなあ・・中学生や高校生で・・」
龍之介「俺なんか、電話ほとんど使わないけどさあ」
東「ああ・・」
龍之介「メールもしないけどさあ」
東「ああ・・」
龍之介「月、八千円はいくもん」
東「中学、高校の月八千円はきついよなあ」
龍之介「でも、俺でそうなんだからさ・・(と、壁を示し)こいつらは、月、二万とか三万とかいっちってるんじゃないかなあ・・」
東「月、二万とか三万とか・・」
龍之介「電話代でだよ」
東「なにも残らないよなあ・・電話してるだけなんだから」
龍之介「それってすごいよなあ・・残るかどうかで言ったら・・なにも残らないじゃない」
東「あれだよ・・友情が残るんだよ」
龍之介「友達の輪か・・」
東「友達の輪が残る」
龍之介「のかなあ」
東「ちがうか・・残るもんじゃないかもな・・」
龍之介「維持費じゃない、維持費。友達の輪の維持費だよ」
東「高いんだね・・友達は」
龍之介「これ(読み上げる)逃げろ!逃げるな!」
東「どうしろって言うんだよ」
龍之介「青春だねえ」
東「ああ、ねえ・・逃げろ、逃げるな・・良い言葉だなあ」
龍之介「そうだよ・・俺の中学高校の時もこんな感じだった・・」
東「(読み上げる)逃げろ!逃げるな!」
龍之介「そうそう・・逃げるのもあり、逃げないでふんばるのもあり・・やりかたはいっぱいある、でも、はたしてそれのどれが正解なのか・・あの頃はわかんなかったねえ」
東「ははは・・全部正解なのにねえ」
龍之介「そうそう・・実は気の持ちようでね」
東「(読み上げる)逃げろ、逃げるな!」
龍之介「はははは・・」
東「で、どうしたの?」
龍之介「え、なにが?」
東「逃げたの? 逃げなかったの?」
龍之介「ん・・逃げおくれた」
東「なんだ、それ」
龍之介「そうか・・」
東「え?」
龍之介「俺の青春になくて、こいつらの青春にあるもの」
東「そのココロは?」
龍之介「電話代」
東「座布団一枚」
龍之介「それは、あれ? くれるの、とられるの?」
東「はははは・・」
龍之介「友達はそんなに高くなかったよな」
東「だね」
龍之介「維持するものでもなかったし・・」
東「そうだよね」
  間。
龍之介「トンちゃんさあ・・」
東「うん・・」
龍之介「もしも、トンちゃんだったらさあ」
東「うん」
龍之介「ここになんて書く?」
東「ああ・・」
龍之介「書かずにはおれない魂の叫び・・」
東「なんだろう」
龍之介「ないの? 座右の銘とか・・」
東「あるよ」
龍之介「なに?」
東「そして、人生はつづく、微笑みではなく涙とともに・・いくつもの傷口に唇をおしあてて」
龍之介「なにそれ・・」
東「フランスの古い詩」
龍之介「へえ・・」
東「笑うなよ」
龍之介「笑ってないじゃん」
東「いや・・ほら、俺も自分でわかってるんだよ・・」
龍之介「なにが?」
東「フランスの古い詩とか、口にしている自分がさ・・」
龍之介「そうかな・・おかしくはないよ・・っていうか、そういうのがすっと出てくるってのはかっこいいよ」
東「中学くらいの時はね・・恥ずかしかったんだよ・・きどってんじゃねえよ俺って」
龍之介「中学ぐらいの時なの? その唇がどうたらってのを覚えたの」
東「そう」
龍之介「長いつきあいだ・・その言葉とは」
東「だね・・・久しぶりに口にしたよ」
龍之介「あ・・そう」
東「なんかなじんできたなあ・・・そして、人生はつづくって感じだもんなあ」
龍之介「年とるとねえ・・昔は恥ずかしかったことが、かっこよくできるようになったりするんだよねえ」
東「オヤジ、オヤジとか言われてかっこ悪くなるだけじゃないんだねえ」
龍之介「そりゃそうだろ」
東「そして・・人生はつづく・・微笑みではなく涙とともに・・いくつもの傷口に・・唇をおしあてて」
龍之介「そして・・人生はつづく・・微笑みではなく涙とともに・・いくつもの傷口に・・唇をおしあてて」
東「憶えた?」
龍之介「憶えた」
  間。
東「来ないな・・これ書いた奴」
龍之介「来ないね」
東「どうする?」
龍之介「どうしようか」
東「消そうか」
龍之介「消しましょか」
  二人、立ち上がった。
  だが、その場を動くことなく、立ちつくしたまま。
  ゆっくりと、暗転。