第26話  『学力低下』



  予備校の講師面接現場。
  杉本の手元には猿渡の履歴書。
  その履歴書から顔を上げた杉本。
杉本「あ、どもども」
猿渡「すいません、よろしくお願い致します」
杉本「猿渡・・快さん」
猿渡「はい」
杉本「教育学部、社会科学科・・」
猿渡「はい」
杉本「河合塾でも教えてらした」
猿渡「ええ、あの・・もう十年くらい前なんですけど・・」
杉本「あ、はい・・教員免許も持ってらっしゃる」
猿渡「はい」
杉本「社会」
猿渡「はい、そうです」
杉本「なるほど」
猿渡「まあ、一応ですね・・教員の採用試験とかは受けてはみたんですけど・・落ちちゃって・・それで河合塾でしばらく修行を積もうかと思いまして」
杉本「河合塾で、二年間」
猿渡「はい、そうです」
杉本「じゃあ、大丈夫ですね」
猿渡「はい、経験はある程度ありますんで・・なんとかなるんじゃないかなと思いまして」
杉本「社会の先生を希望なされているんですけど・・うちではちょっとちがう事を教えていただくことになりますが・・」
猿渡「はい?」
杉本「社会ではなく」
猿渡「ああ・・別な・・でも、数学とかだと、ちょっと」
杉本「あ・・もちろん・・大丈夫だと思います・・日本語なんで」
猿渡「え?」
杉本「日本語を教えていただきたいんです」
猿渡「国語ですか?」
杉本「いえ、国語ではなく、日本語を」
猿渡「・・ここの生徒さん達は・・日本人ですよね」
杉本「そうです・・もちろん」
猿渡「ですよね」
杉本「大学受験を目指す高校生です」
猿渡「ですよね」
杉本「そうです」
猿渡「それで、日本語を」
杉本「はい・・でも、社会を教えてらしたんなら、大丈夫ですよね。生徒さんの前でお話できますよね」
猿渡「あ、いや、それはできますけど・・」
杉本「じゃあ、合格ということで・・・」
猿渡「あ、いや、あの・・」
杉本「(構わず)よろしくお願いします」
  と、立ち上がる杉本にすがるように、
猿渡「あ、いや、ちょっと、ちょっと待ってください」
杉本「は? なにか?」
猿渡「その日本人の高校生に日本語を教えるってのは・・」
杉本「いや、普通に日本語を教えていただいて・・」
猿渡「日本語を?」
杉本「日本語を説明していただく」
猿渡「社会科の内容をですか?」
杉本「いえいえ・・生徒さん達が日本語の意味を聞いてくるので、それに答えていただく」
猿渡「日本語の意味?」
杉本「はい・・できますね。猿渡快さん、合格です」
  と、杉本再び立ち上がろうとする。
猿渡「あの、すいません。なにを教えればいいのか、よく見えてないんですけど・・」
杉本「はい」
猿渡「日本語の授業という単位があるんですか?」
杉本「いえ・・それはありませんよ・・生徒さんがわからない日本語を解説していただければいいんです」
猿渡「それは国語と、どうちがうんですか?」
杉本「国語以前・・のことを教えていただきたいんです」
猿渡「国語・・以前」
杉本「最近の生徒さん達って、携帯やパソコンで文字を打つじゃないですか。だから、自分でまず字が書けないんです。漢字が読めない」
猿渡「はあ・・じゃあ、漢字を教えるところから」
杉本「も、そうなんですけど・・単語の意味を知らない」
猿渡「はあ」
杉本「単語の組み合わせ方を知らない」
猿渡「はあ」
杉本「文章が綴れない」
猿渡「はあ・・でも、それじゃあ・・」
杉本「日本語にならないんです」
猿渡「はあ・・・」
杉本「例えば」
猿渡「はあ」
杉本「しばしば・・ってありますね」
猿渡「ああ・・しばしば・・しばしば訪れる・・」
杉本「はい、そうです・・その、頻繁に、という意味を知らないので、こっちがしばしばっていうと」
  と、杉本、目をしばしばさせる。
猿渡「? !(気づいた)目をしばしば・・」
杉本「こうやっちゃうんです」
猿渡「驚きですねえ」
杉本「だから、英語の授業で、ジェーンはしばしばお店を訪れるって・・日本語に訳すじゃないですか・・」
猿渡「はい」
杉本「これがもうわからない」
猿渡「英語の意味がわからないから、日本語に訳すんだけど」
杉本「訳した日本語の意味がわからないんです」
猿渡「大変じゃないですか」
杉本「そうなんです・・だから猿渡先生には日本語に訳した文の意味を生徒さん達に説明していただければと思ってるんです」
猿渡「はあ・・なんとなく・・自分の使命っていうか役割っていうかが、わかってきました」
杉本「英語の先生の隣で」
猿渡「英語の先生の隣で・・ボクが日本語の説明をする」
杉本「そうです、そういうことです」
猿渡「じゃあ、あれですか? 英語の授業だけど、英和辞典、和英辞典」
杉本・猿渡「国語辞典」
杉本「が必要なんです」
猿渡「噛んで砕いて・・」
杉本「生徒さん達から質問がきますんで、それに答えていただければいいんです」
猿渡「あの・・日本語がわからないんですけど、って言われたら」
杉本「こういう意味なんだよって」
猿渡「説明してあげればいいんですか」
杉本「そうです、そうです」
猿渡「はあ・・日本語を教える」
杉本「はい」
猿渡「いや、予備校塾講師募集ってのを見た時に、久々に社会科の先生として教壇に立てるかなと思ったんですけど」
杉本「社会科どころじゃないんですよ・・現場は」
猿渡「みたいですねえ」
杉本「けっこう、みんなやられちゃうんですよね」
猿渡「やられちゃう?」
杉本「異文化コミュニケーションに」
猿渡「異文化コミュニケーション」
杉本「ええ・・もう生徒さん達を同じ日本人だとは思えませんから・・あれはもう異文化だと思わないと・・」
猿渡「それはそうですよね・・日本語を理解していない、日本語が使えないとなると」
杉本「それはもう日本人であって日本人ではありませんからねえ」
猿渡「はあ」
杉本「ええ」
猿渡「(急に怖くなって)ホントなんですか、それ」
杉本「ホントです・・ホントの話しです・・覚悟してくださいね」
猿渡「でも・・じゃあ、わかり合えないじゃないですか」
杉本「(笑って)わかり合えませんよ・・そんなの。コミュニケーションの道具であるはずの日本語が使えないんですから」
猿渡「それは・・でも」
杉本「猿渡さんは・・マンガ喫茶も経営なさっている」
猿渡「はい・・」
杉本「手塚治虫先生がいらっしゃいますよね」
猿渡「はい、大好きです」
杉本「手塚まではなんとかなんです」
猿渡「え?」
杉本「優秀な生徒は読むことができます」
猿渡「手塚・・まで?」
杉本「治虫・・治虫って、病気が治るの、あの字ですよね」
猿渡「さんずいに台」
杉本「あれと昆虫の虫が並んでいるわけでしょう」
猿渡「はい・・手塚先生は、本名はそのさんずいに台の一文字なんですけど、ご本人が大の昆虫好きで、虫の字を加えてペンネームになさったんです」
杉本「さんずいに台と昆虫の虫の字が並んでるんです・・こうなるともうお手上げです」
猿渡「え? ええっ!」
杉本「治虫が読めない」
猿渡「治虫が?」
杉本「読めませんね」
猿渡「え! だって、手塚治虫ですよ」
杉本「それが読めない」
猿渡「それは学校で教わるものじゃないじゃないですか・・手塚先生ですよ・・マンガ家ですよ、マンガの神様ですよ・・」
杉本「学校で教えないからなんですかね・・治虫が読めない・・下手すると虫の仲間だと思っちゃってる」
猿渡「え? マンガなんて今どきのお子さんだって読むじゃないですか・・手塚治虫なんて、自然に憶えるものでしょう」
杉本「マンガ・・読みません」
猿渡「読まないんですか?」
杉本「マンガ読んでるの、見かけます?」
猿渡「それは・・うちはマンガ喫茶ですから」
杉本「多いんですか?マンガ読んでいる中高生」
猿渡「いますよ」
杉本「我々の中高生の時代には、月曜日はジャンプ、水曜日はサンデーとマガジン、金曜日はチャンピオンを授業中に回し読みしてましたよね」
猿渡「はい・・ボクは『ブラックジャック』が載っているチャンピオンを購入する係でした」
杉本「あんなふうにみんながマンガを読んでいますか?」
猿渡「それは・・」
杉本「一部でしょう・・」
猿渡「はい」
杉本「それは一部なんです・・マンガを読んでいる生徒さんはいないわけではない、でも、それはほんの一部・・」
猿渡「子供の頃は・・マンガなんか読んでないでちゃんとした本を読みなさいって」
杉本「言われましたよね」
猿渡「ええ」
杉本「ちゃんとした本はおろか、マンガだって読まないんです・・とにかく・・マンガの吹き出しが読めない」
猿渡「漢字が読めないんですから・・いくらマンガが画で表現されていても」
杉本「理解が困難なんです」
猿渡「理解が困難・・・」
杉本「志半ば(こころざしなかば)」
猿渡「・・ああ・・ええ・・志半ばにして倒れ・・とか」
杉本「そうです・・志半ば(こころざしなかば)、しはんば」
猿渡「・・・そんな、そんな風に読んだら意味わかんないじゃないですか・・伝わらないじゃないですか」
杉本「意味、関係ないんです。そんな風に読むんです」
猿渡「いや、それは読めてないじゃないですか」
杉本「そんなふうに理解してます」
猿渡「理解? それを理解っていうんですか?」
杉本「そこで猿渡さんの出番です」
猿渡「はい?」
杉本「生徒さんが手を挙げます。先生、しはんばってなんですか?」
猿渡「ああ・・それでボクが説明してあげる」
杉本「そうです」
猿渡「それは・・それは、なんて説明すればいいんですかね・・っていうかどこから、なにを説明すればいいんですか?」
杉本「猿渡先生の腕の見せどころですね」
猿渡「それは・・それは・・」
杉本「先生、しはんばってなんですか?」
猿渡「こっちがなんですか? って聞きたくなりますねえ」
杉本「でしょ」
猿渡「(困り果て)はい」
杉本「異文化コミュニケーションのスタートです」
猿渡「・・・はい」
杉本「噛み砕いて説明してあげる」
猿渡「はい」
杉本「できますよね」
猿渡「・・はい・・たぶん」
杉本「合格です」
猿渡「はい・・・(全然うれしくはないが)よかった・・ありがとうございます」
杉本「すぐに慣れると思いますよ」
猿渡「そうですかね」
杉本「とにかく、心のなにかのスイッチを切ればいいんです」
猿渡「心のスイッチを切る?」
杉本「な、わかるだろ、これくらいわかるよな、と思わないことです」
猿渡「はい」
杉本「あとですね」
猿渡「はい」
杉本「『なになにを使って文章を作りなさい』って問題、あるじゃないですか」
猿渡「はい」
杉本「もしも、なになになら・・」
猿渡「はい」
杉本「猿渡先生ならなんて答えますか?」
猿渡「・・もしも、雨だったなら傘を持って行こう」
杉本「そうです・・でも、うちの塾の生徒は、『もしもし、奈良県の人ですか?』」
猿渡「・・・・」
杉本「もしもし、奈良県の人ですか?」
猿渡「もしも・・なら・・という言葉は入ってますよね」
杉本「もしもし、奈良県の人ですか?」
猿渡「でも・・でも、それはどういったシチュエーションの時に使うんですか?」
杉本「いや、わかりません。異文化の人が見よう見まねで使っている日本語ですから・・」
猿渡「しかも、もしもなになになら、のなになにの部分に、『し』しか入ってないじゃないですか・・もしもし、奈良県の人ですか?・・」
杉本「手強いですよ・・覚悟してくださいね」
猿渡「・・・はい」
杉本「『あたかも』・・を使って単文を作りなさい」
猿渡「あたかも」
杉本「牛乳が冷蔵庫にあたかも」
猿渡「・・・訛ってるじゃないですか」
杉本「いや、ほんとにあったんです。そういう解答が」
猿渡「・・・これは・・うかうかできませんね」
杉本「覚悟してくださいね・・あとは、『うって変わって』」
猿渡「・・・うって変わって」
杉本「彼は麻薬を打って変わってしまった」
猿渡「間違ったことは言ってないんですけどね」
杉本「・・中途半端に意味をなしているのが気持ち悪いという例です」
猿渡「それはあれじゃないんですか、生徒さん達がウケ狙いとかで」
杉本「本気です・・」
猿渡「ですか」
杉本「彼らはマジで書いてます」
猿渡「・・だんだん、怖くなってきました・・授業は・・聞いてるんですか」
杉本「だいたい」
猿渡「だいたい?」
杉本「だいたいは・・」
猿渡「授業中にメールばっかりしているとか」
杉本「それはまあ、普通に・・」
猿渡「普通・・なんだやっぱり」
杉本「携帯に着信したら、生徒が廊下に出ますから」
猿渡「え? 授業中に携帯を切ったりはしないんですか?」
杉本「それはねえ・・さすがに」
猿渡「さすがにって・・」
杉本「そういう決まりを作っちゃうと、生徒が確実に激減しますから」
猿渡「そうなんですか」
杉本「それだけはできないんです」
猿渡「・・ん・・それはそうでしょうねえ」
杉本「でもですね・・うちはしつけがきちんとしています」
猿渡「着信したら、廊下にでる」
杉本「そのように指導をしていますから」
猿渡「え? それは・・きちんとしている方ですか?」
杉本「そうですよ・・だって、授業中にみんながそれぞれ話し始めたら、授業にもなんにもなんないじゃないですか。せっかく猿渡先生が日本語の意味を解説してくださったとしても、誰も聞いてないんじゃねえ・・」
猿渡「それはまた・・虚しい」
杉本「じゃあ、そういうわけで、合格! ということで・・」
猿渡「いえ、あの・・合格って言われても」
杉本「でも、塾講師の面接にいらっしゃったわけでしょう?」
猿渡「それはそうなんですけど・・しかし、ちょっと、お話をうかがっていて、自信が」
杉本「大丈夫ですよ・・そんな・・言葉が通じないだけで、生徒さん達はおとなしいもんですから」
猿渡「そうなんですか?」
杉本「まだ、ここは良い方です」
猿渡「え、そうなんですか?」
杉本「学校はもっとひどいことになっています」
猿渡「・・・(呆然と)そうなんですか?」
杉本「ええ・・ここはまだコミュニケーションが・・ほんの少しですが、成立する可能性がある所です」
猿渡「じゃあ、普通の公立高校は・・」
杉本「(ゆっくりと首を横に振った)・・・」
猿渡「そうなんですか?」
杉本「ええ・・」
猿渡「教えられてたんですか? 普通の公立高校で」
杉本「教えています、今も」
猿渡「今も?」
杉本「ええ・・昼は、私は公立校の教師なんです」
猿渡「(と、ちょっと声をひそめた)じゃあ、ここは」
杉本「アルバイトです」
猿渡「ああ・・・」
杉本「やっぱりねえ・・昼間の仕事が・・人間相手じゃないもんですから・・精神的にねえ・・」
猿渡「ああ・・・」
杉本「まいっちゃって・・それで・・ここに」
猿渡「ここはまだ」
杉本「人間的ですから」
猿渡「ここが・・人間的」
杉本「ええ・・ここはまだましなんですよ」
猿渡「そういうもんなんですか・・」
杉本「だから、ここで悲鳴をあげていたら、本当の教育の現場は・・」
猿渡「・・務まらない」
杉本「(静かに頷いた)・・」
猿渡「ああ・・本当に来るところまで来ているんですね・・日本は」
杉本「ええ・・だから、時々ふと思いますよ。日本人はいつから・・こんなに狂ってしまったんだろうって」
猿渡「狂って・・しまったんでしょうか?」
杉本「狂ってるって・・思いませんか?」
猿渡「・・思いたくはありませんがね」
杉本「私も・・認めたくはありませんよ・・」
猿渡「・・あの・・さっきは」
杉本「はい?」
猿渡「自信をなくしたって言いましたけど・・」
杉本「はい」
猿渡「やらせてください」
杉本「・・(ふっと明るくなる)そうですか」
猿渡「ここはまだ・・ましなんですよね」
杉本「ええ・・」
猿渡「これでも」
杉本「はい」
猿渡「ここでがんばらせてください」
杉本「よろしくお願いします」
猿渡「よろしくお願いします」
  二人、頭を下げた。
猿渡「なんだか・・・」
杉本「はい?」
猿渡「海外青年協力隊に来たみたいですね」
  杉本、笑って。
杉本「そんな生やさしいものじゃありませんよ・・これは戦争です」
猿渡「戦争?」
杉本「日本はいつのまにか、内戦に突入したんです・・学校はもう戦場です」
猿渡「ああ・・そうですか」
杉本「これは異文化との戦争です」
猿渡「まさか・・塾講師のバイトを探していて、戦争に行き着くとは思いませんでしたよ・・大変なことに・・なったもんです」
杉本「お察しします・・」
  暗転。

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