第23話  『未完の火の鳥』

  明転すると、スポーツクラブ。
  ウォーキングマシンの上を走っている、未知と杉本。
  もうすでに5、6キロ走っていて、汗ダクになっている。
  薄くBGMが流れている。
  スポーツクラブ。
  未知、隣の杉本が満面の笑みを浮かべているのに気づいた。
  しばらく知らん顔しているが、気になってしょうがない。
  そして、ついに、
未知「あ・・あの・・笑ってますよ」
杉本「え・・?」
未知「なんで笑ってるんですか?」
杉本「え・・・え・・笑ってます?」
未知「笑ってますよ」
杉本「あ・・ほんとだ・・」
未知「・・・ですよ」
杉本「なんか・・これ楽しくて・・どんだけ頑張っても、前にも後ろにも動かないんですよ・・」
未知「そりゃそうですよ」
杉本「そうなんですよね・・そうなんだけど・・それがねえ・・」
  と、未知、マシンを止めて下りる。
  くるりと周り、一瞬、客席に背を向けた。
  汗びっしょりのTシャツの下に透けて『火の鳥』の入れ墨が見えた。
  隣で走っていた杉本の目に留まる。
  杉本、すぐにマシンを止めて下り、自分のスポーツタオルを掴むと、未知の背中に掛けてやる。
未知「!」
  杉本、有無を言わさず未知を部屋の隅のベンチに座らせる。
  そして、その隣に自分も座った。
未知「(気づいた)あれ、もしかして」
  杉本、頷いた。
未知「見えてました?」
  杉本、頷いた。
杉本「このスポーツクラブダメなんですよ、そういうの・・入会の時もらったパンフレットに書いてあったでしょう・・読まなかったんですか?」
未知「パンフレット?」
杉本「読まなかったんですか?」
未知「いや、読んだんですけど・・」
杉本「書いてあったでしょ」
未知「読みましたよ・・自分の興味のあるところだけは・・」
杉本「今までは?」
未知「大丈夫でしたよ・・全然」
杉本「けっこう、けっこう大きな入れ墨ですよ」
未知「ああ・・まあ、ねえ・・」
杉本「ちょっと見せてもらってもいいですか?」
未知「あ、どうぞ」
  と、客席には見えないように、杉本に背をさらす。
杉本「これって・・」
未知「火の鳥」
杉本「ですよね」
未知「手塚治虫の」
杉本「ですよね」
未知「鳳凰編の」
杉本「ですよね」
未知「あれです」
杉本「なんで『火の鳥』を入れてるんですか?」
未知「えっと・・好きだったから」
杉本「え、いやあの・・好き・・は好きなんでしょうけど・・どうして『火の鳥』の入れ墨を入れたのか・・っていうことなんですけど」
未知「いや、なにがいいかって聞かれて・・やっぱ『火の鳥』かなって・・ほら、こういうのって、なんか変なのばっかじゃないですか・・」
杉本「変なの?」
未知「なんていうか・・よくわからないんですけど、気持ち悪い絵が多いじゃないですか・・その中から選ぶくらいなら、『火の鳥』みたいなものがいいなって・・どうせ入れなきゃなんないんならねえ」
杉本「入れなきゃなんない?」
未知「はい・・どうせ入れなきゃなんないんなら『火の鳥』かなって」
杉本「どうせ・・どうせ入れるならって、そういう・・え? どうせなら?」
未知「はい」
杉本「入れたくて入れたんですよね・・入れ墨」
未知「いや、私は特には」
杉本「え、そうなんですか?」
未知「はい」
杉本「じゃあ、誰が入れようって」
未知「彼氏が・・昔の彼氏なんですけど・・」
杉本「彼氏が・・入れようって」
未知「入れたいって」
杉本「それで『火の鳥』の入れ墨を? 彼氏に言われて?」
未知「自分からは言いませんよ・・だって、痛いのに」
杉本「ですよね・・だってこんな・・これはどうなってるんですか?」
未知「これはですね・・・(その部分を示し)ここに頭がありますよね、『火の鳥』の」
杉本「ええ・・」
未知「羽がずっとこの脇の方に回り込んでいて・・」
杉本「ええ・・」
未知「このおなかのあたりに、羽が散ってるんです」
杉本「へえ・・」
  そして、未知、立ち上がって。
未知「(太股の裏側)このあたりにおっぽがあって・・光がこう散ってるんですけど・・色が入ってるのは・・(腰のあたり)この辺までですね」
杉本「スジだけ」
未知「そうそう・・」
杉本「まだ途中なんですか」
未知「途中っていうか、たぶんずっとこのままなんじゃないかな・・」
杉本「・・お金かかりますからね」
未知「え?」
杉本「(拳を突き出し)このくらいで、三万円っていうじゃないですか、入れ墨代って」
未知「詳しいですねえ」
杉本「これで三万円っていうと・・だいたい」
未知「どれくらいなんですか、私の『火の鳥』は」
杉本「百万くらいですかね」
未知「百万」
杉本「ええ・・」
未知「私の『火の鳥』、百万円」
杉本「最初に見積もりしてくれるんじゃないんですか?」
未知「いや、そういうのは・・
杉本「あれ、やってくれますよ・・あと、入れ墨を入れたあと、後悔しないように、いろいろカウンセリングしたりとか・・」
未知「カウンセリング?」
杉本「入れ墨とかタトゥーとかって、まだまだ社会的に認められてないじゃないですか」
未知「ああ・・ねえ」
杉本「サウナとか、銭湯とか、プールとか・・入場お断りされちゃうところって多いじゃないですか・・そういうものと引き替えにしても、入れ墨を入れたいのか、とかね・・相談するんです・・とにかく、一度彫ったら一生消えないものですからね」
未知「ああ・・ねえ・・あんま考えなかったなあ・・そんなの」
杉本「『おまえ背中に火の鳥彫れ』って・・言われたから彫った・・」
未知「いや、彫れじゃなくて、彫らしてくれって・・」
杉本「彫らせて・・?」
未知「彼氏が」
杉本「彼氏が?」
未知「彫り師だったんです。彼氏」
杉本「え・・あ、そうですか」
未知「めざして勉強してたんです・・自分の体にも、もう(腕など)この辺とか(太股)この辺とか入れまくってて・・」
杉本「はあ・・」
未知「それで・・おまえの背中に彫らしてくれって」
杉本「それで・・はい、って?」
未知「まあ、彫りたいっていうから・・ねえ・・好きだったし」
杉本「好きだった・・」
未知「ええ・・好きでした・・すごくかっこよかったし・・」
杉本「彫り師の彼」
未知「はい」
杉本「あの・・そういう人と、どうやって知り合うんですか?」
未知「合コンでした・・」
杉本「合コン?」
未知「ええ・・大学の時、友達から一人女の子が足りないからって言われて・・和民の座敷でした・・」
杉本「和民で・・彫り師と・・」
未知「合コン」
杉本「はあ・・」
未知「他の人の背中彫っているところを見たこともありますよ・・彼の家の二階がアトリエになってて、いろんな人が彫ってもらいに来るんです。だから、そこでお茶入れたりとかしてましたから」
杉本「どうでした・・人に彫っているのを見て」
未知「かっこよかった・・彼。この辺、汗とか浮かべて、コリコリコリって」
杉本「ああ・・そっちが・・ね」
未知「なんか、おじいちゃんが彫り師で、業界ではけっこう有名な人らしいんですよ・・でも、彼氏のお父さんは跡を継がないで自動車工場やってて、それで彼氏が」
杉本「おじいちゃんの跡を」
未知「そうそう・・おじいちゃんもね、自分の息子が自動車工場を始めちゃったもんだから、もう跡継ぎがいないのかって思ってたらしいんだけど、彼氏が跡を継ぐって言い出したら、もう、喜んじゃって・・どんどん彫れ、どんどん彫れって・・私も会ったことあるんですけどね・・元気なじいちゃんで・・私の背中になにか彫らせてくれないかって言われて・・それで、それを聞いた彼氏がさすがに怒っちゃって・・この背中には俺が彫る! って、私の背中を取り合いして、大ケンカになっちゃったりして・・もう、大変だったんです」
杉本「それにしても・・よくこれだけのものを彫らせる気になりましたねえ」
未知「でも、これ彫っている最中に、ニューヨークへ修行に行くとか言い出して」
杉本「修行とかあるんですか?」
未知「和彫りだけじゃなくて、洋モノも勉強したいっていうから」
杉本「ああ、なるほど・・」
未知「でも、二年くらいで帰って来るって言ってたんですよ、その時は」
杉本「はい」
未知「そしたら、ある日、エアメイルが届いて・・結婚しましたって」
杉本「え? 向こうで?」
未知「そう、キャサリンっていう人と」
杉本「え、じゃあ(あなたは)?」
未知「それっきりになっちゃったんですよ」
杉本「帰って来ない?」
未知「たぶん・・まあ、日本に帰ってくることはあるでしょうけど、私の元に帰ってくることはないんじゃないかなあ」
杉本「この『火の鳥』はどうなるんですか?」
未知「どうもならない」
杉本「完成しないんですか?」
未知「たぶん・・」
杉本「未完のまま」
未知「未完の火の鳥」
杉本「いいんですか、それで」
未知「勝手にいじるわけにはねえ・・一応、彼の作品だし」
杉本「でも、あなたの背中じゃないですか」
未知「私の背中の・・彼の作品ですから」
杉本「でも、その彼氏は帰っては・・」
未知「うーん、ねえ・・」
杉本「ニューヨークで・・」
未知「結婚しちゃいましたからねえ・・あんにゃろ・・」
杉本「でも、作品がまだ完成してないんだから・・もしかしたら帰って来るかもしれないじゃないですか・・」
未知「ええ・・・」
杉本「あの作品をなんとしても完成させなきゃって・・」
未知「・・そんなこと思う人でもないんですけどね」
杉本「そうなんですか?」
未知「ええ・・けっこう、めちゃめちゃな人だし・・そこが好きだったってのもあるんですけどね」
杉本「・・あなたの背中にあるけれど、彼の作品なわけでしょう?」
未知「そうそう」
杉本「彫りかけの作品の事が気になるでしょう」
未知「でも、別れたっていうか、捨てちゃった女の背中にある作品ですからねえ」
杉本「・・・うーん」
未知「今の彼女の背中に、また彫ってるんじゃないかなあ」
杉本「・・いいんですか、それで・・」
未知「まあ、別に・・」
杉本「これ、鏡で見るたびに彼氏のことを思い出したりするわけですよね」
未知「ああ・・ねえ・・一日一回は・・思い出しますねえ・・」
杉本「ですよねえ・・」
未知「完成させようかって思ったこともあるんですけどね」
杉本「どうやって?」
未知「別の彫り師の人に頼んで」
杉本「でもさっき・・」
未知「それで彼氏に見せてやろうかって思ったんですよ。この『火の鳥』は確かに彼氏の作品だったけど・・私と一緒に捨てたわけですからねえ・・もう、私も『火の鳥』もあなたのものではないって・・思い知らせてやれるじゃないですか・・」
杉本「・・まあ・・」
未知「・・でも、やめました・・結局私は、捨てられちゃったけど、でも、彼氏が私のことを好きで、私も彼のことが好きで、大好きで・・その時に彫ったものなんだから・・・ここに彫られているのは手塚治虫の『火の鳥』だけど、私的には・・楽しかったあの頃を彫ったものなんですよ。だから、そんな楽しかった時間を今になってねえ・・否定してもしょうがないかなって・・」
杉本「・・それはそうです」
未知「わかりますかね・・こういう女の子の考え方」
杉本「・・わかります」
未知「その彼氏のことは今でも、好きだし・・もしも帰って来てくれるなら・・作品のことが気になってとか、やっぱりおまえのことが忘れられないとか・・まあ、理由はどれでもいいんです・・『火の鳥』を未完成のままにしておくのは・・その、どれでもいい理由は多いほどいいかなって思ったりもしてます。あいつの気持ちはねえ・・こっちがどう思っても変わるものじゃありませんからねえ・・だいたい(と、拳を突き出して)これで三万円なんですよね」
杉本「はい」
未知「そんなお金ありませんよ」
  未知、立ち上がる。
未知「これ(バスタオル)ちょっと借りてていいですか?」
杉本「あ・・ああ、どうぞ」
未知「もうちょっと(と、ウオーカーに乗る仕草をし)やりたいなあ・・」
  と、未知、ウオーカーにまた乗って足踏みし始めた。
  杉本、未知の後方に立ち、スポーツクラブの他の人達が『火の鳥』に気づかないか、と気が気ではない。
未知「なんか、わかった気がします」
杉本「なにが?」
未知「これやってると笑っちゃうって・・さっき」
杉本「あ、ああ・・」
未知「どんなに頑張っても、前にも後ろにも行かないじゃないですか・・」
杉本「ええ・・・」
  と、杉本もまたウオーカーに乗る。
未知「頑張っても・・進まないし、変わらない時は、笑っているのが一番かもしれませんね」
杉本「そうですよ・・そうなんですよ・・」
  二人、ずっと漕ぎ続けている。
  ゆっくりと暗転していく。