第14話  『15万枚のつづき』




  マンガ喫茶。
  テーブルの上に手塚治虫漫画全集を積んで、端から読んでいる拓弥。
  その側で、掃除している店長の猿渡。
  しばらくして、拓弥がその店長に気づく。
  そして、店内を見回す。
  すでに店内には拓弥一人しかいないよう。
拓弥「あ・・あの・・」
猿渡「はい?」
拓弥「ここって・・何時までですか?」
猿渡「十時です」
拓弥「二十四時間営業じゃないんですか?」
猿渡「ええ・・」
拓弥「もう十一時じゃないですか」
  と、拓弥、帰り支度を始める。
拓弥「すいません、てっきり二十四時間だと思ってたんですけど・・言ってくだされば」
猿渡「あ、いいですよ、もう少し」
拓弥「いや、でも、もうボク一人みたいですし」
猿渡「・・熱中していらしたみたいだから、声かけるのがなんとなくね」
拓弥「あ・・あの・・すいません」
猿渡「あ、いいですよ、もう少し・・」
拓弥「いや、そういうわけには・・」
  と、猿渡、拓弥が手にしている漫画をのぞき込んで、
猿渡「あと、どれくらいですか?」
拓弥「いや、今、読み終わったところです」
猿渡「『W3』」
拓弥「はい・・」
猿渡「ものすごいどんでん返しでしょう・・これ」
拓弥「ええ・・ちょっと、鳥肌もんですね」
猿渡「はいはい・・わかります、わかります」
拓弥「なかなかないですからね、手塚治虫全集あるところって」
猿渡「でしょうねえ」
拓弥「全部・・揃ってますよね、手塚治虫」
猿渡「はい・・その全集は・・全部揃ってます」
拓弥「(感心してる)すごいな・・」
猿渡「まあ、ねえ、趣味でやってるような漫画喫茶ですから」
拓弥「にしても・・充実してますよ、手塚本が・・ちょっとこれ、しばらく通わないと、ですよ」
猿渡「全集だけで四百冊ありますからね。全部読むとなると結構かかりますよ」
拓弥「いや、全部読みますよ・・読破します」
猿渡「うれしいことを言ってくださる」
拓弥「いやいや」
猿渡「親の反対押し切って、仲の悪い兄から借金してまで漫画喫茶を始めたかいがあったというものですよ」
拓弥「大変だったんですねえ」
猿渡「いえいえ、その苦労も報われました・・こういう方がいらっしゃるんだから、世の中には・・まだまだ捨てたもんじゃない」
拓弥「いや、まだそんな・・」
猿渡「いや、だってねお客さん」
拓弥「はい・・」
猿渡「手塚先生のファンだって人も世の中多いんですけど、たいていねえ、『ブラックジャック』とか『火の鳥』とかまあいって『ブッダ』『ジャングル大帝』とかそんなもんでしょう」
拓弥「一般的にはね」
猿渡「しかも、アトム、アトムって言っても、アトムのアニメを知ってるだけで、原作のアトムを読んだことがあるって人は一握りですからね・・(拓弥に)読みました?」
拓弥「もちろんですよ・・なに言ってるんですか、店長、読んでますよ、それ当たり前じゃないですか。『アトム』読まずに手塚先生の作品を語るなんて」
猿渡「わかってらっしゃる」
拓弥「そうですよ」
猿渡「あれ全部読んだ人がいらっしゃるなんて。、最後にアトムがねえ」
拓弥「太陽にね」
猿渡「突っ込んでいく」
拓弥「あ、やめてください・・今、思い出しても涙が・・」
猿渡「同じです。やめましょう」
拓弥「切ない」
猿渡「切ないんです」
拓弥「あれでアトムが終わりだと思うと」
猿渡「ねえ、みんなそう思ったんですよ」
拓弥「思いましたよ」
猿渡「ねえ、そしたら、帰ってきちゃって」
拓弥「へ?」
猿渡「三つ目になって」
拓弥「なんですか、それ」
猿渡「あれ、『アトム』の別巻は?」
拓弥「・・・(知らないよ)いえ」
猿渡「・・あの最終回の後ですよ」
拓弥「そんなのあるんですか」
猿渡「・・・そんなもんなんですよ、みんな」
拓弥「(心から)すいません!・・すいません、勉強不足でした!」
  と、なんだか真剣に謝っている。
拓弥「知らなかった・・・いや、知ろうとしていなかったんです。こういうのを知らないってのはやっぱ、罪ですよね」
猿渡「いや、それは・・」
拓弥「そうですよね」
猿渡「そうなんですけどね」
拓弥「うわ・・うわぁ・・」
猿渡「いや、今の若い人にいってもわからないことですからね」
拓弥「いや、言ってください。今までそういうことをきちんと言ってくれる大人がいなかったんですよ」
猿渡「手塚先生についてきちんと」
拓弥「教えてくれる大人が」
猿渡「(ちょっと得意)あ、ああ・・ねえ」
拓弥「今、生まれて初めて師と呼べる人に出会えた気がします」
猿渡「やめてくださいよ、そんな・・」
拓弥「いや、本当ですよ」
猿渡「私はただ・・ほら、手塚先生の漫画で育って、ここまで大きくなって・・それで、手塚先生の漫画を少しでも多くの人に読んでもらいたいと思って、今日まで生きてきただけですから」
拓弥「すばらしいじゃないですか」
猿渡「いやいやいや、私にできることはそんなことくらいです」
拓弥「でも・・あれですよね、そんなに手塚先生の漫画がお好きでいらっしゃるのに」
猿渡「ええ・・」
拓弥「こうやって、いろんな人が読んで、ぼろぼろになったり、コーヒーの染みがついたりして、汚れていくのって・・抵抗はないものなんですか?」
猿渡「手塚先生は生涯において、大人から子供までより多くの人に読まれることが漫画の使命であると、おっしゃってましたからね」
拓弥「店長はその志を継いで」
猿渡「ええ・・ですからここに置いてある四百冊の手塚治虫全集はより多くの人に手にとってもらって」
拓弥「はい」
猿渡「うちにおいてある同じく四百冊の手塚治虫全集を読むときにはきちんと手を洗って読むようにしてます」
拓弥「はい?」
猿渡「だから、家のコレクションは誰にも触らせませんよ、もちろん」
拓弥「もしかして・・同じものがご自宅にもあるんですか?」
猿渡「もちろんです」
拓弥「四百冊?」
猿渡「他にもありますけど・・それこそ『アトム』百九十三話全部入っているDVDボックスとか」
拓弥「ほんとですか?」
猿渡「ええ・・でも、TV版の『アトム』はフィルムが残っていない回もあるので、正確には百八十一話なんですけどね」
拓弥「いや、そういう細かいところを聞いているんじゃないんですけど」
猿渡「まあ、人に聞かれたときに、手に入る物はとりあえず全部揃ってるよ、と言えるように・・」
拓弥「すごいですねえ・・」
猿渡「いや、すごいのは手塚先生です。十五万枚の漫画を描き残したんですから」
拓弥「十五万枚なんですよね」
猿渡「十五万枚です」
拓弥「『鉄腕アトム』があり」
猿渡「初期の三部作『メトロポリス』『来るべき世界』『ロストワールド』」
拓弥「『三つ目がとおる』」
猿渡「短編集も傑作が多いんです。『ライオンブックス』に『タイガーブックス』『ザ・クレーター』『夜よさようなら』」
拓弥「ボクは少女漫画読まないんですけど、あれだけは読みました」
猿渡「『リボンの騎士』」
拓弥「はい」
猿渡「TV化された『バンパイヤ』『どろろ』『ミクロイドS』『海のトリトン』『サンダーマスク』『マグマ大使』」
拓弥「みんな手塚先生の原作なんですね」
猿渡「長編の圧倒的なストーリーテーリング『陽だまりの樹』『アドルフに告ぐ』『ブッダ』『きりひと讃歌』『奇子(あやこ)』」
拓弥「読みます・・とにかく読まないと話になりませんね」
猿渡「『火の鳥』は?」
拓弥「読んでますよぉ」
猿渡「あれは・・もうすばらしい」
拓弥「すばらしいです」
猿渡「・・ぜひ最後の現代編まで描き続けてもらいたかったですねえ」
拓弥「え、ちょっとまってください、なんですか、現代編って」
猿渡「火の鳥は未来と過去からどんどんどんどん近づいていって、最後に現代編になって一つの物語として繋がるんですよ」
拓弥「ああ・・そうなんですか・・」
猿渡「そして、最後の現代編で、アトムが出て来るんです」
拓弥「アトム? アトムって鉄腕アトムですか?」
猿渡「もちろんそうです。アトムの最終回。太陽にアトムがつっこんでいく。あそこに繋がります。『火の鳥』の最後は太陽の中で火の鳥とアトムが出会うんです。あの灼熱の太陽の中で」
拓弥「太陽で火の鳥と出会う?」
猿渡「そうですよ・・それで、アトムは新しい生命体に生まれ変わるんです」
拓弥「なんでそんな事知ってらっしゃるんですか?」
猿渡「いやいや、確かな筋からの情報ですから」
拓弥「すごいなあ、アトムが出て来るんだ」
猿渡「知りたいですか、この話」
拓弥「えっ!」
猿渡「まだあるんですよ、これはまだプロローグなんですから」
拓弥「ええ!」
猿渡「アトム編の」
拓弥「ええ・・こっからはじまるんだ」
猿渡「そうです、そこから始まるんです」
拓弥「だって手塚先生は亡くなられたじゃないですか」
猿渡「お客さん、全国にはたくさんの手塚先生のファンクラブがあるんですけど、そのどれかに入ってらっしゃいますか?」
拓弥「あ、いや、すいません。入ってないです」
猿渡「あ、入ってないんですか・・あの、手塚先生のファンクラブの一つに、虫のしらせという会があるんですけど」
拓弥「・・虫のしらせ」
猿渡「いつも手塚先生のお亡くなりになった二月九日に集いがあるんですけど、よろしかったら、いらっしゃいますか?」
拓弥「えっ!・・いいんですか!」
猿渡「ええ、もう」
拓弥「それはどこで?」
猿渡「ここです」
拓弥「え?」
猿渡「うちでやります。ごく少人数の人達の会なんです」
拓弥「いいんですか、私のような若輩が」
猿渡「いや、もちろんです。手塚ファン大歓迎ですから」
拓弥「え・・ええ・・そうですか」
猿渡「ただし・・その会にはコードネームが必要なんですよ」
拓弥「はあ・・あの・・どういう?」
猿渡「手塚先生の漫画に登場するキャラクターの名前をそれぞれにつけるんです。ちなみに、私はアセチレンランプです」
拓弥「じゃあ・・じゃあですね、ボクはロック」
猿渡「いや、それはもう、いらっしゃいます」
拓弥「あーそうですか、じゃあ、ヒゲオヤジ」
猿渡「それは会長さんです」
拓弥「ブラックジャックも、もうありませんよね」
猿渡「はい、もちろん」
拓弥「・・あとはなにが残ってるんでしょうか」
猿渡「はい、あと残っているのは、そうですね、有名なところだと、ヒョウタンツギぐらいですね」
拓弥「それ、いいです。ヒョウタンツギ・・よく残ってましたね。ヒョウタンツギ」
猿渡「みんな、いやがるんですけど」
拓弥「いやじゃないですよ」
猿渡「じゃあ、ヒョウタンツギで」
拓弥「はい、ヒョウタンツギです」
猿渡「ヒョウタンツギ君、じゃあ、二月九日に、ここで、夜の十二時開始です」
拓弥「ずいぶん遅くやるんですね」
猿渡「ええ」
拓弥「だいたいあれですか、みなさんが集まると、手塚先生はこういう事を言ってらっしゃったとか、こういう隠れた名作を手に入れましたとか・・」
猿渡「いえ、もっと本格的につっこんだ話しを」
拓弥「えっ、どういう?」
猿渡「いや、手塚先生のファンですよね・・聞きたいですよね、話しを」
拓弥「ええ、なんでも聞きたいです」
猿渡「あのですね・・みんなで輪になります」
拓弥「はい」
猿渡「それで真ん中にヨリシロの人を一人置くんです」
拓弥「えっ、なんですかヨリシロって」
猿渡「あのー、えっと、まあイタコみたいなもんです。それで手塚先生の霊を下ろして、楽しくおしゃべりをするんです」
拓弥「・・・・・・」
猿渡「あ、まあ、チャネリングみたいなもんですね、簡単に言うと」
拓弥「・・・・・・」
猿渡「で、これはちょっと、秘密クラブなんで、絶対に他言はしないでいただきたいんですけど、あなたには特別、心意気に打たれて、今、お話しました・・・いいですか?」
拓弥「・・・変わった事をやってるんですねえ」
猿渡「ええ、でも、生の声が聞けますよ」
拓弥「本当に、手塚先生?」
猿渡「ええ、そうですよ、さっきのアトム編の話も」
拓弥「その時に?」
猿渡「ええ、去年」
拓弥「うそ。あの、それってお金とかかかるんですか?」
猿渡「全然、いりませんよ、そんなの。手塚先生を心から愛している人達の集まりなんですから」
拓弥「あ、そうなんですか」
猿渡「ええ」
拓弥「本当に霊が来るんですか?」
猿渡「はい、あと、石ノ森章太郎先生や亡くなった方の藤子不二雄先生とかも、他のイタコの方に」
拓弥「降りていらっしゃる」
猿渡「はい」
拓弥「じゃあ、トキワ荘の話なんかも・・」
猿渡「もちろんです」
拓弥「ほんとうに?」
猿渡「ええ・・手塚先生と石ノ森章太郎先生が話しているところが見れるんです」
拓弥「えーっ!」
猿渡「すごいことですよ、それって・・イタコ同士ではありますがね」
拓弥「いや、行きます、行きます、行きますよ」
猿渡「じゃあ、忘れないように、二月九日十二時に」
拓弥「あの・・本当に、霊が?・・」
猿渡「ええ・・来ます、来ます、疑っちゃダメですよ・・で、そん時は来たらヒョウタンツギです、って言って下さい」
拓弥「わかりました、ヒョウタンツギです」
猿渡「そしたら、お通ししますから」
拓弥「はい」
猿渡「それじゃあ、ヒョウタンツギ君、今日はもう閉店ですから」
拓弥「はい、アセチレンランプさん、今日はどうもありがとうございました」
  と、荷物を持って立ち去ろうとする拓弥。
  だが、立ち止まって。
拓弥「あの」
猿渡「なんですか?」
拓弥「手塚先生は今、天国でどうしていらっしゃいますか?」
猿渡「手塚先生は今でも天国で、休むことなく漫画を描き続けていらっしゃるそうです」
拓弥「そうですか」
猿渡「ええ」
拓弥「そうですよね」
猿渡「ええ」
拓弥「そうだろうと思ってました」
猿渡「ええ・・」
拓弥「ブラックジャックがいつも言う、最後の一言を思い出しますねえ」
猿渡「あれですか・・」
拓弥「ええ・・・その一言が聞きたかった」
  二人、立ち尽くして、
  暗転。