第7話   『マツリボンバイエ』

  明転。
  場外馬券場。
  そこで競馬新聞を広げてしゃがみ込んでいる安夫と龍之介。
  二人とも予想の真っ最中。
安夫「ん・・・」
龍之介「・・・ん・・」
  安夫、頭をかきむしり、
安夫「禿げるぅ・・」
龍之介「よし」
  やがて、
安夫「よしと・・・・・決まった!」
龍之介「おう」
安夫「よし! 完璧!」
龍之介「決まった?」
安夫「決まっちゃったよ」
龍之介「よし、じゃあ、ちょっとヤッ君の予想聞かてもらおうか」
安夫「このレースは難しいよ・・まずはね、軸」
龍之介「軸はなんでしょうか?」
安夫「本命」
龍之介「おう・・」
安夫「から流して・・」
龍之介「流して」
安夫「この本命から、八点」
龍之介「軸からおまえ、八点流すの?」
安夫「うん・・少ない?」
龍之介「少ない? 少なかないよ。だっておまえ、十四頭立てで軸から八頭っていったら九頭だろう。おまえ十四頭中、五頭しか消してねえってことじゃねえかよ」
安夫「なにがあるかわかんねえよ、このレース」
龍之介「いや、わかんねえけどさあ・・」
安夫「それでね、それで俺は禿げる思いをして、五頭切ったんだよ」
龍之介「いや、禿げる思いってのもあれだけど・・」
安夫「やっぱりさ、今がないと明日がないからさ」
龍之介「(呆れ返り感心している)さすがヤッ君、出たとこ勝負だねえ」
安夫「お褒めにあずかり光栄です」
龍之介「バイト暮らしのやけくそな生き方がそのまま反映されているね」
安夫「え? どーゆーこと?」
龍之介「いや、まじめなようで無計画でさ・・」
安夫「さっきのレースの勝ちを全部ぶち込むよ」
龍之介「なおかつ無謀」
安夫「じゃあさあ、お兄ちゃんの予想聞かせてよ、お兄ちゃんの」
龍之介「あのさあ、ヤッ君さあ、お兄ちゃんってのやめない?」
安夫「なんで?」
龍之介「だって、俺、ヤッ君のお兄ちゃんでもなんでもないんだしさあ」
安夫「俺、そんなの全然平気だから」
龍之介「いや、ヤッ君が平気でもさあ。同い年なんだしさあ。しかもさあ、ただでさえヤッ君の方が老けて見えるのに」
安夫「そうかなあ、俺にはしっくりきてるんだけどなあ・・」
龍之介「そお?」
安夫「それで、兄さんはどんな馬券買うのよ」
龍之介「俺はお兄ちゃんなわけね」
安夫「うん・・」
龍之介「お兄ちゃん予想な」
安夫「はい」
龍之介「お兄ちゃん予想。一番、九番」
安夫「九番ね」
龍之介「九番は外せないよね」
安夫「あとは?」
龍之介「一点、全額」
安夫「全額?」
龍之介「全額・・」
安夫「来るかなあ・・」
龍之介「来ます」
安夫「お兄ちゃんさあ」
龍之介「なに?」
安夫「役所勤めの公務員でしょ」
龍之介「そだよ」
安夫「お堅いお堅い職業でさ」
龍之介「うん」
安夫「なんで、そんな博打みたいな買い方するかな」
龍之介「博打だろ、競馬は」
安夫「それを言ったらそうだけどさあ」
龍之介「いいんだよ、安い給料をこつこつこつこつためて、大勝負・・これがあるから、毎日市民のどうでもいいクレームに頭下げていられるんだよ」
安夫「そういうもんかなあ・・」
龍之介「おまえの方こそ、バイトバイトでぷらぷらぷらぷらしてるのに、なんだよ、この安全策は。冒険はないのか、夢はないのか、え? 男ならどーんと」
安夫「ん・・・人生で冒険してるからかな」
龍之介「競馬ってなに?」
安夫「夢」
龍之介「馬券ってなに?」
安夫「ロマン」
龍之介「だろ?」
安夫「そうなんだけどね・・でも、一番九番は来ないよ」
龍之介「来るって・・これは俺の夢なんだから夢が来なくてどうするの」
安夫「お兄ちゃん、夢は逃げるものでしょ」
龍之介「嫌なこと言うなあ・・じゃあ、じゃあ、じゃあねえ、これ、当たったら、俺がおごってやるよ」
安夫「(一瞬かなり喜ぶ)ほんとに?」
龍之介「今晩あれ、バイトなの?」
安夫「大丈夫、大丈夫」
龍之介「ほんとに?」
安夫「俺なんか三百六十五日融通きくから」
龍之介「よし・・今日、俺が勝ってその金で呑みに行こう」
安夫「呑みに?」
龍之介「おお、行こう」
安夫「やだよ」
龍之介「なんでだよ」
安夫「だってお兄ちゃん、暴れるんだもの。この前だって大変だったんだから」
龍之介「なにが・・」
安夫「向こう、大学のアメフト部だよ。しかも七人」
龍之介「おう」
安夫「向かっていくかな・・」
龍之介「憶えてねえ」
安夫「俺が結局頭下げるんだもの。すんません、すんませんって」
龍之介「俺は役所以外じゃ頭下げねえからな、絶対」
安夫「それで、謝ってる俺の後ろでゲラゲラゲラゲラ笑ってるの」
龍之介「おもしれえ・・そんなおもしろいのなんで憶えてないんだろ」
安夫「だからやなの、呑むのは」
龍之介「俺が勝って、俺がおごってやるって」
安夫「役人がさ」
龍之介「うん」
安夫「役人に捕まるよ」
龍之介「そんな、そんなことないって」
安夫「だいたい、前々から思ってたんだけど、お兄ちゃんよく役人やってるよね。なんで市役所に勤めようと思ったの?」
龍之介「え? 人に勧められて」
安夫「誰? そんな無茶なこと言い出したのは」
龍之介「高校の時の担任の先生」
安夫「またなんで?」
龍之介「いや、俺、本当は学校の先生になりたかったのよ」
安夫「学校の先生?」
龍之介「女子高の先生・・したら担任に止められて」
安夫「わかるわかる」
龍之介「なんで?」
安夫「不純な動機丸出しじゃん」
龍之介「まあ、ねえ・・んでも、その前に、出席日数も足りなかったから、卒業も危なかったんだけど、その担任がさ、おまえが留年してこの学校に残るのは迷惑だって、卒業させてくれたんだよ・・そのかわりに欠員のでている市役所に行けって」
安夫「いい先生だね」
龍之介「そうか? 俺、先生にはことごとく嫌われてたんだけど」
安夫「扱いづらいからじゃないの」
龍之介「(どこが、と突っ込もうと思うがやめて)最後はもう、俺、空気みたいにさあ、いないものとして扱われてたんだよ・・つらかったねえ。あの頃に戻ったら百万円やるって言われてもやだね」
安夫「ま、結果良かったんじゃないの?」
龍之介「市役所ね」
安夫「市役所」
龍之介「休み多いしね」
安夫「うらやましいよ・・」
龍之介「休み多いといえばさあ」
安夫「なに」
龍之介「七番・・マツリボンバイエ」
安夫「ああ、マツリボンバイエね」
龍之介「これすごいよね」
安夫「走っては休み、走っては休み・・」
龍之介「でも、勝ってるんだよな・・勝って骨折して、休んで、勝って、骨折して・・」
安夫「ここんとこ負け負け」
龍之介「骨が折れるくらいがんばって、勝って休んで・・」
安夫「偉いねえ・・俺、そんなにがんばれないよ」
龍之介「走れば勝てる」
安夫「勝てたら骨折」
龍之介「ガラスの足・・爆発したらすごいんだよ」
安夫「前のレースもね」
龍之介「あれは驚いたね」
安夫「四コーナー回って・・」
龍之介「十馬身はあったよ」
安夫「あったあった」
龍之介「マヤノトップガンを」
安夫「まくってまくって・・」
龍之介「ギリギリ差して」
安夫「マツリボンバイエしかできないよ、あれ、三十三秒だもん」
龍之介「それで骨折・・」
安夫「ねえ」
龍之介「いや、俺ね、ほんとの事いうと引っ掛かることは引っ掛かってたのよ」
安夫「マツリボンバイエ」
龍之介「マツリボンバイエ」
安夫「俺も、俺も・・でも、ここ二、三走悪いしなあ」
龍之介「だから人気薄にはなってるんだけど・・」
安夫「みんなもういないものとして予想してると思うよ」
龍之介「痛いね・・俺、そういう、なに、立場っていうの・・痛いほどよくわかるね」
安夫「ああ、いやだった高校時代が思い出されるんだ」
龍之介「そうそう・・」
安夫「骨折かあ・・大変だったろうなあ・・俺もさあ、最近、腰やっちゃって」
龍之介「なに、大丈夫なの?」
安夫「ぎっくり腰。ツルって滑って、ギクってやっちゃった」
龍之介「なに、ウンコでも踏んだの?」
安夫「まさか」
龍之介「その年でウンコ踏むとへこむよね」
安夫「マツリボンバイエもへこんだろうな・・骨折して・・」
龍之介「でも、這い上がった」
安夫「俺も今さあ・・這い上がり中なんだよ・・腰痛から・・」
龍之介「(どうでもよく)まあ、がんばれ」
安夫「マツリボンバイエ応援したいねえ・・」
龍之介「ここ二走がなあ・・八着、十一着だからなあ」
安夫「みんな諦めてるんじゃないかな・・」
龍之介「なあ」
安夫「ダメだダメだって思われてるんだろうなあ」
龍之介「もうおまえはいいよって言われてるんだよ」
安夫「言われてるねえ・・つらいねえ」
龍之介「向いてねえとかね」
安夫「へこむねえ・・」
龍之介「今日はどんなレースかなあ」
安夫「ハイペースよ」
龍之介「ハイペースでしょう、今日は」
安夫「お兄ちゃんと読みは同じでなんでこんなに馬券は違うのかね」
龍之介「ハイペースだと、折れるくらいがんばっちゃうかな」
安夫「マツリボンバイエ」
龍之介「マツリボンバイエ・・がんばらねえかな」
安夫「そうなった時はこいつ、目がある」
龍之介「あるよな」
安夫「先行馬、潰れたとしたら・・」
龍之介「展開的には、あるかな」
安夫「あるある・・」
龍之介「ちょっとやってみるか」
安夫「うん」
龍之介「ガシャコン。さあゲートが開いた。何が行く、何が行く」
安夫「シバノカンタ」
龍之介「1番シバノカンタ、大方の予想どおりこの馬が逃げを打つ。2番手、三番手に」
安夫「ユキノウタヒメ、ブエノスアイレス」
龍之介「12番ユキノウタヒメ、8番ブエノスアイレスが続く順調な滑り出し。出遅れは? 出遅れはいるか?」
安夫「マツリボンバイエ・・?」
龍之介「出遅れ・・たのは・・7番マツリボンバイエ・・」
安夫「あ、でも作戦かもしんないよ」
龍之介「作戦かもしれない、これは作戦かもしれないぞ。一番人気、前年度チャンピオン9番ピンクゴールドはどこにいる?」
安夫「六番手、好位」
龍之介「ピンクゴールドは六番手。良い位置につけております。大きなアクシデントもないまま1コーナーをきれいな弧を描いて回っていきます。」
安夫「あっ、でもさ、メグロポリス、たま〜に掛かっちゃったりするんだよね」
龍之介「ん・・え〜と、ここで一頭飛び出した、飛び出した」
安夫「飛び出しちゃったぁ?」
龍之介「4番メグロポリス、掛かった掛かった。騎手が必死で押さえている。行った行った、大逃げを打つ構えだ」
安夫「でも逃げ馬じゃないからねぇ」
龍之介「おいおい、おまえは逃げ馬じゃないぞ。大丈夫なのかメグロポリス」
安夫「第2コーナー」
龍之介「ピンクゴールドは?」
安夫「好位置キープのまま」
龍之介「ここにいました、ピンクゴールド。一番人気を背負って遅れるわけにはいかないと、好位置キープのままペースをあげていく」
安夫「責任感強いんだよ、この馬」
龍之介「責任感が強いぞピンクゴールド・・学級委員みたいなやつだな」
安夫「各馬つられるようにして、徐々にペースを上げていく」
龍之介「ハイペースだよ」
安夫「ハイペースの展開で向正面を通過。メグロポリスを先頭に馬群は徐々に詰まってきた」
龍之介「マツリボンバイエも?」
安夫「マツリボンバイエはまだまだ一頭ポツリと置かれている」
龍之介「どのくらい?」
安夫「先頭からシンガリまでは、たぁっぷり二十馬身」
龍之介「二十馬身も! マツリボンバイエ大丈夫なの?」
安夫「でもさ、そろそろ先行馬が落ちて来るんじゃない?」
龍之介「おっと、こうしている間にもメグロポリスわずかなリードのまま府中の杜に差し掛かる。さあ、先頭集団がこの辺りで、そろそろ疲れてきたか。無謀な逃げを打ったメグロポリスは?」
  安夫、手で×を作る。
安夫「府中の杜に飲み込まれちゃったよ」
龍之介「メグロポリスの姿はもう見えない。ユキノウタヒメは?」
  安夫、手でバツを作る。
龍之介「ユキノウタヒメはいっぱいいっぱいだ。シバノカンタは?」
安夫「こいつは粘るぞ」
龍之介「シバノカンタは粘るぞ」
龍之介・安夫「カンタは粘るよね!」
龍之介「シバノカンタを先頭に、第4コーナーに差し掛かる! 馬群が一気に詰まってきた。ピンクゴールドは?」
安夫「スパート! スパートッ!」
龍之介「ピンクゴールド、馬群を割って、良い手応えで上がってくる」
安夫「シバノカンタはここまでだね・・」
龍之介「え、シバノカンタは・・ここ・・まで?」
安夫「(うなづく)」
龍之介「ここまでか。頑張った、よく頑張ったぞ、シバノカンタ」
安夫「差し馬だよ、差し馬来るよ」
龍之介「このあたりで後方から差し馬集団が動き出す。前をかわしてエンドオブデイズ、内々をついてマチカネマイマイ、この二頭が・・」
安夫「ホッカイ、ホッカイ」
龍之介「ホッカイ?」
安夫「ホッカイニホンカイ」
龍之介「外から・・ホ、ホッカイニホンカイ? 本当か? 今日は調子がいいのか?」
安夫「好きなんだよ!」
龍之介「好きなのか? ホカイニホンカイが。好きなんだったらしょーがない!」
安夫「よし行け」
龍之介「この辺で差し馬も出揃って第4コーナーを回ったがしかし、ハイペースのためか、各馬伸びを欠いているぞ。ピンクゴールドは、それを尻目に後続をグングン突き放す。このまま一人旅になってしまうのか。誰か一人旅を止めるヤツはいないのか、いないのかっ!」
安夫「(つぶやくように)先行つぶれちゃったろ・・・だぁーっ! 大外、大外っ!」
龍之介「大外」
安夫「大外、大外」
龍之介「大外、芝の一番きれいなところを通って、ものすごい脚をつかって、黒い馬体が突っ込んできた。これは何だ、これは何だ」
安夫「マツリボンバイエ!」
龍之介「マツリボンバイエー。来たか来たか、ここで来たか。出遅れたのはやはり作戦だったのだ。ガラスの末脚炸裂だっ! 残り二百メートルを切った。マツリボンバイエがピンクゴールドに、ものすごい勢いで一完歩、一完歩差を縮めて襲いかかって来たぞ。二頭の壮絶な叩き合い!」
安夫「やめろ、やめてくれ。もう走るな。お前の痛みはオレが知っている」
龍之介「しかし、まだまだ勢いは止まらない」
安夫「金のために体を犠牲にするな。そんなことをしたら、女に頭を下げることになるぞ」
龍之介「さぁ、このあたりでマツリがピンクに馬体を合わせる」
安夫「差せ、差せ!」
龍之介「乗っているのは騎手じゃない。叩いているのはオレの苦い高校時代の思いだぁ」
安夫「差せーっ!」
龍之介「ついにここでマツリがピンクをとらえたか」
安夫「そのまま、そのまま」
龍之介「ざまあみろ、ざまあみろ。オレを見下したヤツらめ、馬群に沈め! そのまま、そのまま」
安夫「マツリか、ピンクか・・」
龍之介「ピンクか、マツリか・・」
安夫・龍之介「マツリか!ピンクか!」
龍之介「ピンクだ。(見てられないと目を覆い)ピンクピンクピ〜ンク・・」
安夫「ゴール!」
龍之介「勝ったのは・・・」
安夫「マツリ・・」
龍之介・安夫「ボンバイエー!」
  二人、ガッツポーズのまま立ち上がる。
安夫「来たよぉ・・・」
龍之介「来ちゃったよ・・・」
  二人、脱力。
安夫「お兄ちゃん・・何、買うの?」
龍之介「ヤックンは?」
安夫「7番、9番」
龍之介「一点?」
安夫「(いばって)一点。何言ってんの、お兄ちゃん。競馬は?」
龍之介「・・夢」
安夫「馬券は?」
龍之介「ロマン・・・」
安夫「勝つのは?」
龍之介「マツリボンバイエ・・・よし、7番、9番、一点な」
安夫「全額」
龍之介「オッズは」
  二人、電光掲示板を仰ぎ見た。
安夫「八十二・五倍」
  二人、へこむ。
  だが、瞬時に回復し。
龍之介「よし」
安夫・龍之介「行くか」
  二人、身を翻して歩き出した。
  暗転。