第5話   『泣く競馬』
  明転。
  安夫の部屋。
  安夫が変な格好で横たわっている。
  ドアの外から声。
未知「入るよぉ」
安夫「うん・・」
  と、入ってくる未知。
未知「大丈夫? 大丈夫?」
安夫「うん」
未知「なにしてんの?」
安夫「いや、くつろいでんの」
未知「なんで寝てないの? ちょっと」
  と、安夫、起きあがろうともがく。
未知「なに、ベッドにも入れなかったの?」
安夫「寝るよりもね、こうしている方が楽なのよ」
未知「あ、そうなの?」
安夫「くつろいで、くつろいで」
未知「湿布、買ってきたよ」
安夫「ああ、ありがと」
未知「びっくりしたよ、もう・・カップラーメンとか置いとくよ」
安夫「うん・・」
未知「うわ、汚ったねーなー」
  と、未知、湿布を持ってきて、
未知「貼る?」
安夫「いや、いい、今、サロンパスお札みたいに貼ってるから」
未知「自分で?」
安夫「うん」
未知「どれどれ・・」
  と、未知、安夫の後ろに回り込んだ。
安夫「触るな」
未知「見せてみ」
安夫「触るなぁ」
未知「見せてみ」
安夫「(怒って)ちょっと待て」
未知「なんだよ」
安夫「痛いのよ・・ちょっとそっとしておいて」
未知「ごめんごめん」
安夫「座りなよ、ね」
未知「じゃあ、お邪魔します・・」
  と、未知、座る。
安夫「なに、あらたまって・・元我が家じゃない」
未知「(見回して)汚いなあ・・こんなに汚かったっけ、ここ」
安夫「あのなあ・・来てからもう汚い汚いって・・俺、病人だよ・・動けないんだからしょうがないだろ」
未知「大丈夫?」
安夫「バイト先でさ、なんでか知んないんだけど、ウンコ踏んじゃってさ、この年でウンコ踏むとへこむな・・それでさ、ウンコ踏んでツルっといって、ギク! だよ・・それからそのまま」
未知「それでギックリ腰になったの?」
安夫「いやいやまいったよ」
未知「もう、なんだよ、それ・・」
  と、未知、倒れ込むが、すぐに、
未知「信じらんないよ、もう・・・あ、汚たね・・」
  起きあがる。
未知「幾つよ」
安夫「三十五」
未知「お兄ちゃんと一緒か」
安夫「年には勝てないねえ」
未知「(ボソりと)ヤッ君・・ちょっと禿げた?」
安夫「あのさあ、そういうのって、病人に向かって言っていいのかな」
未知「あのさあ、これちょっと前に倒してごまかしてるけどさあ・・」
  と、未知、安夫の前髪をあげてみる。
安夫「殺すよ」
未知「ごめんなさい・・」
安夫「親しき仲にも殺意ありってほんとだね」
未知「なにそれ」
安夫「昔の人はよく言ったもんだ」
未知「用事ってなんだったの?」
安夫「用事?」
未知「動けない俺の代わりにって・・一生のお願いって、電話で」
安夫「あ・・ああ」
未知「なに? まさか馬券買いに行けとか言うんじゃないでしょうね」
安夫「・・・んにゃ」
未知「なにそれ」
安夫「だって馬券買ってこいなんて言ったら怒るでしょう?」
未知「うん」
安夫「怒るよねえ」
未知「うん」
安夫「怒るんじゃないかとは思ったんだけど・・ほら俺、動けなかったらお金入ってこないじゃない」
未知「お金貸せばいいの?」
安夫「バカ、金借りるためにわざわざ電話で呼び出したんじゃねえよ」
未知「そうよね、別れた旦那に電話で呼び出されて、金むしりとられたら、私もねえ」
安夫「そうだろ」
未知「そうそう」
安夫「長い間人間やってきたんだけどさあ・・できることとできないことがあることに気づいたんだよね」
未知「単刀直入に言いなさいよ」
安夫「馬券買ってきてください」
未知「もおおおお、私は馬券のためにわざわざここまで来たの?」
安夫「いやいやいや・・自信はあるんだ」
未知「自信とかそういう問題じゃないのよ」
安夫「ああっ! 腰が!」
  と、安夫、倒れ込む。
未知「食べる物もないっていうから来てやったんじゃないの!」
安夫「食べる物ないもん」
未知「ダメダメじゃん」
安夫「ダメダメだよ・・そんなダメダメの俺のたった一つの取り柄・・競馬の予想。俺からこれとったらほんとなんにも残んないよ」
未知「ああ・・・(悲嘆)こんなのと結婚してたかと思うと自分が許せない・・」
安夫「だって・・結婚してって言ったのそっちだよ。俺なんか定職もないんだからさ・・・」
未知「だから嫌なの・・今、自分が・・」
安夫「落ち着いて話あおうよ。なにかあると思うんだ」
未知「なにがあるのよ」
安夫「二人の妥協点がさ」
未知「ないって」
安夫「あるって。だから聞こうよ、これは当たるな、当たると思うよ。この馬券買ってみようよ」
未知「絶対行かない。だって競馬ってあれじゃない」
安夫「なに・・聞きましょうか」
未知「競馬って馬かわいそうじゃない」
安夫「あのね、この人達はね」
未知「人じゃない、馬でしょう」
安夫「あのね、この馬さん達はね、走るために生まれてきてるの」
未知「あんなとこ走るのに?」
安夫「そう、あの広々としたところを」
未知「自分が走るところは、こんなもんじゃないの。もっと大草原とかにいたほうがいいでしょ、馬なんだから」
安夫「大草原なんかにいて、楽しいの?」
未知「楽しいでしょ」
安夫「競馬場で走るからこそ、リレーションシップっていうの? 新しい人間、馬関係ってのが生まれるわけじゃない。競馬場だったら、お友達も来るでしょう。十八頭集まるんだよ。馬が喜んで走り、俺も喜び、万々歳。悪いことはなに一つないよ」
未知「私にはなにかいいことあるの?」
安夫「あるよ・・」
未知「なにが?」
安夫「そりゃ、あれだよ」
未知「今、考えてるでしょ」
安夫「すき焼きにしようか、今日は」
未知「私が作るの?」
安夫「誰が作るの? 俺は無理だろう。こうしてるのもいっぱいいっぱいなんだから」
未知「そうだけど」
安夫「好きな酒買ってきていいぞ」
未知「ほんとに?」
安夫「これ、買ってきてよ・・ね。三万。当たると十二倍だから三十六万。ね」
未知「当たるの、そんなの」
安夫「当たるよ。当たらないと死んじゃうもん俺。当てなきゃ・・命がけなんだから・・なんならおまえも賭けてみるか。一万くらい持ってない?」
未知「あるけど・・」
安夫「やるか」
未知「だめ」
安夫「なんで?」
未知「私のお金じゃないんだもの・・」
安夫「誰のお金なの?」
未知「ん? 彼氏」
安夫「彼氏?・・みっちゃん、なに? 彼氏って」
未知「あれ、言ってなかったっけ?」
安夫「なに彼氏、できたの?」
未知「うん」
安夫「聞いてないよ」
未知「あれ、そうだっけ」
安夫「いつ」
未知「一ヶ月くらい前かな」
安夫「あちゃ・・・彼氏はいくつなの」
未知「三十五」
安夫「・・ああ・・ああ、そう、それ聞いたからってね、事態は前にも後ろにもいかないんだけどね」
未知「ヤッ君・・大丈夫?」
安夫「うん、大丈夫、大丈夫・・ちょっと混乱してるだけ・・ここはどこだ? なんてね・・」
未知「ほんとだ、混乱してる」
安夫「フリーター?」
未知「そんなわけないじゃん。三十五でフリーターなんてそうそういないって」
安夫「そうだよな」
未知「サラリーマン・・」
安夫「そんなの・・なんで相談しないの?」
未知「ヤッ君に?」
安夫「そうそう」
未知「彼氏が」
安夫「できそうだよとかさ」
未知「できたよとか?」
安夫「そうそう・・・」
未知「もうさあ、なんの関係もないんだよ、私達」
安夫「きついな・・」
未知「腰?」
安夫「真実・・・あ、ちょっと横になろう」
未知「寝てな、寝てな・・」
  そして、安夫、腰を気遣いながら横になる。
安夫「ちょっとここ(腰のあたり)さすってくんないかな」
未知「どこ・・」
  と、未知、さすってやる。
安夫「結婚するの、その彼氏と」
未知「するする」
安夫「結婚しちゃうんだ」
未知「うん」
  安夫、さすっている未知の手を握った。
  未知、その手を平手打ちする。
安夫「いやあ、そうかあ・・結婚か」
未知「はいおしまい・・じゃ、私帰るわ」
  と、未知、立ち上がりかけるのを安夫が止めた。
安夫「待って、待って・・」
未知「なに?」
安夫「良いこと思いついちゃった」
未知「なによ」
安夫「聞きたい?」
未知「別に」
安夫「あのさあ・・まあ、座って」
  未知、座る。
  その未知の手を再び掴む安夫。
  そして、同じくはたかれた。
安夫「なんだよ・・どうせ腰使えないんだからさあ」
  と、起きあがった安夫。
安夫「結婚するんだ」
未知「(頷く)・・・」
安夫「そっか! 俺の馬券買ってさあ・・すき焼き作って、食って、呑んで・・俺達終わりにしようか・・ぱーっとさあ」
未知「うん・・なに」
安夫「・・別れよう・・君に彼氏もできたことだし」
未知「ちがうの、私に彼氏ができたから別れるんじゃないの、私はヤッ君と別れたから彼氏ができたの、それで、今の彼氏はヤッ君となんの関係も、まったくまったくまったくないの」
安夫「うんうんうんうん・・」
未知「わかった?」
安夫「頭ではね」
未知「・・・ほんとに?」
安夫「いや、俺もね、わかってるんだよ。今のね、この状況がね・・みっともないなって・・こんなんじゃ、未知に嫌われるのもしかたないと思うよ」
未知「嫌ってなんかいないよ」
安夫「そう・・そうなの? 俺、まだ大丈夫?」
未知「(頷いた)・・・どっちかっていうと好きな方だよ」
安夫「俺の、どのへんが?」
未知「元々私、ダメな人ほら、好きだからさあ」
安夫「俺はダメじゃないよ」
未知「?」
安夫「ダメダメな人だよ、俺は」
未知「うん・・だから・・どっちかっていうと大好きだよ」
安夫「今、ここは喜んで良いところなのかな
未知「いいんじゃないの?」
安夫「じゃあ・・なんで別れたの俺達」
未知「好きだけど、愛してはいないって感じかな」
安夫「ごめん、俺、そういう微妙な女心って、昔っから全然わかんないんだわ」
未知「ヤッ君」
安夫「なに?」
未知「ほんとに私に馬券買ってきてもらいたくて電話してきたの?」
安夫「ん・・・うん」
未知「バカだなあ」
安夫「なにが?」
未知「馬券じゃなくてさ、電話してくればいいのよ。腰が痛くて動けないから助けてって」
安夫「・・・・」
未知「おまえしか頼れないから、すぐ来てくれって・・」
安夫「いや、でもほら、もうなんの関係もないし・・」
未知「元夫婦って、なんの関係もないのかな」
安夫「だってさっきそう言ったじゃない」
未知「微妙だよね」
安夫「・・・(競馬新聞に目を落とし)この馬、今日来たら、泣くだろうな俺、大声出して・・」
未知「何時に発走なの?」
安夫「あと一時間半・・」
未知「そう、じゃあ・・」
  と、立ち上がる。
安夫「(喜んで)買ってきてくれるの?」
未知「すき焼きの材料ね」
安夫「へ?」
未知「それでさ、一緒に競馬見ようか」
安夫「なんで?」
未知「その馬来るんでしょ」
安夫「来る来る」
未知「来たら泣くんでしょ」
安夫「泣くね・・」
未知「ヤッ君が泣いている時には、一緒にいてあげるよ」
安夫「・・なんで」
未知「私がヤッ君にしてあげられることは今はそれくらいかな・・」
安夫「・・・・そうなの?」
未知「すき焼き、おごったげるよ」
安夫「未知ちゃん」
未知「なに?」
安夫「女心・・わかんねえ」
未知「(ふっと笑った)・・じゃ、行って来る」
  と、出ていく未知。
  残った安夫。
安夫「未知ちゃんと・・すき焼きかあ・・あ、未知ちゃんの好意を無にしないで、あ、早く腰治して・・競馬場行かなきゃな」
  暗転。