『水銀の花嫁2013ver』
 
  客電が落ちて…
  暗闇にシルエットでうごめいている人影。
  センターに浮かび上がってくる男。

N「はるか未来。その時においても人類の紛争は治まる事は無かった。争い、
憎しみ、報復の連鎖。古い世代から新しい世代へと受け継がれる、憎悪と復
讐。この無限地獄から人が這い上がり、絵空事でなく、人と人が慈しみあい、
愛し合う真の世界を構築するためには、これまでの風習、宗教、から人を解放
してやらねばならない。あらゆるしがらみ、因果関係からの脱出。それは人類
が人類の文化を一度捨て去り、やりなおすことしかない。そこで考えられた荒
唐無稽な手段。地球と同じ環境の星を見つけ、そこに精子と卵子を送り込み、
育児ロボットによる子育てをする。これまでの偏見や確執の影響を受けずに人
をただ育ててみてはどうだろう。その時、そこで育った人類はいったいどんな
進化を遂げるのか…絶望からの旅立ち。本当の意味での人類の新たなる次世代
へのバトンは遙か遠い星で受け渡された。これはそんな時代の物語である…」

  曲、変わり…

N「真黒な宇宙空間がズワー。きらめく無限の星がきらきらきら。そこへ亜光
速航行から通常航行に戻った無数の宇宙船が飛び出してくる。しゅごー、しゅ
ごー、しゅごー、しゅごー! 真下には巨大に輝く美しい青い海に包まれた緑
の大地の惑星。地球にそっくりの星。船団の真ん中にある巨大な赤い旗艦の窓
にカメラが寄る。ブリッジには金髪のめっちゃかっこいい指揮官! ガンダム
で言うところのシャア・アズナブルみたいな感じ! 今風に言うとフル・フロ
ンタル。クワトロバジーナではない! その指揮官が」
レオマ「ほう…あれが惑星グリムレか」
部下「ハッ。レオマ・サダフル大佐」
レオマ「地球を捨てて争いの無い世界を作るか…分からんではないが。人って
奴はいつまで経っても、どこまで行っても人でしかない、というのは悲観的す
ぎるかね」
部下「いえ、自分もそう思います」
レオマ「度し難いもの、それが人ってもんだろう…だからこそ、興味が持て
る。人はこの星までやってきて、どんな風に成長したというのかな…度し難く
ね…(命令口調になり)惑星の生体反応および電子反応を調べろ。そこにある
はずだ。この星唯一の人が住む、地球からの移民の街がな」
N「その時! レオマ・サダルフの乗る宇宙船の遙か後方に一機の小型戦闘機
がワープアウトして! シュバーン! まるでスターウォーズのジャンゴ・フ
ェットの宇宙船みたいな縦長のオウムガイ見たいな形。ぶわっと大きな白い帆
を宇宙空間で開いた。この辺にパイロットが! 宇宙服からホースがいっぱい
伸びていて、顔はバイザーで見えない」
ポオラ「あれが希望の惑星グリムレ…絶望からの再生の星、リメイクヒューマ
ンビーイングプロジェクト。そして、彼らを守る守護兵器『水銀の花嫁』もま
た、あそこに…」
N「狭い小さなコックピット。操縦桿を操っている女の手。赤い光沢のある、
そう、エナメルのような素材の手袋、同じ色、同じ光沢のブーツの細くすらり
とした長い足、それがブン! と、振り上げられ、黄色いエマージェンシーボ
タンにガン! と、踵を落とした。小さなオウムガイの形の白い帆船のこの辺
から、さらに小さな脱出用のカプセルがはき出された。後ろのエンジンが発
火。ブオオオォォォン! カプセル、吸い込まれるように惑星に向かって降
下。みるみる小さくなっていく…」

  オープニングのダンス。

N「脚本、じんのひろあき。出演、吉久直志。パフォーマー、森澤碧音、まあ
さ、山崎涼子、恩田和典。吉久直志一人芝居『水銀の花嫁』。ジャングルの様
に生い茂った緑がざー! カラフルな小鳥たちが木々の間をバサバサババサ。
日の光がキラキラと反射する川面に魚の影がササッ。平原にはシマウマやバッ
ファローに似た動物たちが土煙を上げ駆けてゆくどどどどど…ものすごいスピ
ードで惑星の上を飛んでいくカメラ、すぐに夕陽に。そして、空は夜の帳(と
ばり)、一番星が見え。その中に小さな街が見えてくる…ここだけに人工的な
明かり。ネオンの数々。街の中心にそびえ立つ高層ビルは巨大な宇宙船が突き
立っているものであることがわかる。その周りにハイテクな街が四方へ伸びて
いて。丁度、時空要塞マクロスのマクロスシティみたいな感じ。そこへ降下し
くる宇宙艦隊。ごごごご。中心に紅蓮に染められた旗艦が一隻」
部下「レオマ大佐! あれがこの星で唯一の街。中心に地球からの移民に使っ
た宇宙船が突き立っております。まるで超時空要塞マクロスのマクロスシティ
のように…」
レオマ「よし制圧部隊を出せ」
部下「はっ!」
N「宇宙船の船底がアバラ骨みたいに開いて、バキバキバキバキ。その中から
無数の機械が地上に投下され! しゅーん、しゅーん、しゅーん、しゅーん。
ひゅーん! パラシュートが、バサッ! バサッ! ふわー、ふわー、逆噴射
バシュー! ズシン! バシュー! ズシン! 砂漠のあちこちにズシン! 
ズシン! ぴぴーぴぴーぴぴー。ぴぴーぴぴーぴぴー。ずずずずずガ
チャン! ズズズズガチャン! ドンドン合体していく! 一体何になるだ!
 と、期待させておきながら場面はマクロスシティの中へ。夜空に流れ星が落
ちていく、ひとすじ、ふたすじ、やがて、それはまるで五月雨のように、次々
と落ちていく、落ちていく……画面いっぱいの子供の瞳がずあー。その吸い込
まれそうな黒い目に、いくつもの流れ星の光の筋。画面が轢いていくとこの映
画の主人公、少年ロビンが立っている。ターバンぴちい! ぼろ布バタバタバ
タ。その少年の上空で流れ星が二つに分かれた。バシュー! その一つが段々
と大きくなり少年へと近づいてくる。ものすごい速度でこちらに向かって落ち
てくる赤いモノ、それは両手両足を広げた人の姿にバサ―! …そして、綺麗
に錐もむように体をひねったかと思うとポーン! くるくるくるくる。綺麗に
着地した。『マトリックスリローデット』の姉ちゃんみたいに! ずだー
ん!」

  そして、片足を軸に客席の方に向かい、ぐん! と、振り返った。ゆっく
りと立ち上がる女、賞金稼ぎのポオラ。
  ヘルメットを脱いだ。長い髪が垂れ落ちる。

N「エナメルみたいな戦闘服ぴちー。(ヘルメットを)かぽ。髪がふぁっさ
ー。めっちゃええ女」
N「そこにこの映画の監督である都立鷺宮西高校映画研究部部長、長谷川雄大
の声」
ユウダイ「カット! OK」
N「その監督の声が響いたとたん、現場のスタッフは赤い衣装の賞金稼ぎに扮
しているハルカへと駆け寄る」
スタッフ1「時間がありません」
スタッフ2「ここまでです!」
スタッフ3「急いで」
スタッフ4「飛行機のフライトまで時間がありません」
スタッフ5「ハルカの鞄は?」
スタッフ6「ここに」
N「ばたばたと騒然としているハルカの回り、その中心に凜として居るハルカ
は冷静そのもの。そこにやってくるユウダイ」
ユウダイ「お疲れさま、送るよ、校門まで」
N「そして、学校の校舎から校門へ、タクシーが待つそこまでの道、監督のユ
ウダイとハルカ」
ユウダイ「急げ、ハルカ、なにしてるんだ!」
ハルカ「歩いていこうよ、ユウダイ」
ユウダイ「なんだって?」
ハルカ「歩いて行こう、あの校門まで。走らないで、歩いていこうよ。この学
校での高校生活はさ、ここからの三百メートルでおしまいなんだからさ。なに
も急ぐことはないじゃない、この三百メートルをゆっくり歩いたことはきっ
と、いい思い出になるはずだよ」
N「ハルカにそう言われて、ユウダイは足を止めた。ハルカに歩調を合わせて
寄り添うように歩く。ハルカが言う」
ハルカ「これでおしまいだ…ここでの、日本での高校生活はおしまい。あっと
いう間だったな。映画作りに明け暮れた日々が、終わる。ありがとうね、ユウ
ダイ、こんな楽しい思いをさせてくれて。ヒロインのポオラをやらせてくれ
て」
N「字幕『水銀の花嫁』ヒロイン、地球からこの移民の星に乗り込んできた賞
金稼ぎ、ポオラ・レミルを演じる、柊ハルカ、日本人離れしたその容姿。カラ
コンを入れているかのような濃いグレーの瞳の女子高生。映画『水銀の花嫁』
特典映像。メイキング画面。ハルカのインタビュー」
ハルカ「えっと…ごらんの通り八分の一、ロシア人です。母のおじいちゃん
が、ええ…函館でおばあちゃんと知り合ったって話で。母はハーフですから、
もっと異国情緒ただよってますよ、私なんかよりも全然、長い髪がド金髪に近
くて…」
N「字幕。映画を途中で降板しイギリスへの留学に旅立たねばならないことに
ついて」
ハルカ「そりゃあ、残念ですよ。とっても。春から始まったこの『水銀の花
嫁』の撮影。いくらなんでも、十二月のイギリス留学の頃には、いくらなんで
も終わっているだろうからと」
N「字幕終わらなかった」
ハルカ「甘かったですね、私。そして、監督のユウダイも、こんなふうに、映
画作りの泥沼にはまって、そこからどんどん出られなくなるなんて思ってもみ
ませんでした…」
N「都立、鷺宮西高校二年。長谷川雄大。映画『水銀の花嫁』原作・監督」
ユウダイ「イギリスへの留学をやめてくれないか、映画のために、って説得は
しましたよ、もちろん」
ハルカ「私だって、ここまできたら、最後までユウダイ達につきあいたいよ。
でも、これは私だけの問題じゃないの。バーミンガム高校とうちの鷺宮西は姉
妹校で、推薦で行かせてもらうわけだから、私がキャンセルしたら、後輩達が
もう二度と留学することができなくなる、おまえ一人の交換留学生制度じゃな
いんだから、って。先生達にも怒鳴られて」
N「このどうしようもない状況を巡るユウダイとハルカのやりとりをメイキン
グのカメラが捉えていた」
ハルカ「あと、どれくらい残ってるの?」
ユウダイ「…」
ハルカ「リテイクを含めて、撮影してない部分は」
ユウダイ「…」
ハルカ「完成するの?映画は?」
ユウダイ「…」
ハルカ「ユウダイ、顔、あげて、顔」
N「ユウダイはとっさにハルカがなにを言っているのかわからなかった」
ハルカ「ここんとこ、ずっとユウダイはうつむいばかりいるよ、自分で気がつ
いてる?」
ユウダイ「い、いや、そうかな、そう言われてみればそうかもしれないな…」
ハルカ「顔を上げて…学校のこの櫻の並木道、冬になってすっかり葉を落とし
ちゃったの、気づいてた?」
ユウダイ「いや…」
N「そう言ってユウダイは思い出す。最後にこの木々を見上げたのは、そう、
この『水銀の花嫁』がクランクインした春。櫻の花びらが舞い散る空を見上げ
たのは憶えている。だが、それっきりだったことを…ハルカが言う」
ハルカ「どうして、こんなことになっちゃったんだろうね」
ユウダイ「誰も、悪くない、みんな必死に頑張った。いや、今もまだ頑張って
る。春に始まった撮影、それが伸び、リテイクが出て、撮りなおし、さらにま
たリテイク、パソコンが機嫌を悪くして、データが崩壊、さらに撮りなおし、
そして、夏は過ぎ、秋が来た、文化祭で上映するはずの映画はダビングはおろ
か、まだ撮影が続いていた、そして、ついには冬。せめて、最初から決まって
いた、君のロンドン留学前にはなにもかも終わっているはずだった」
ハルカ「しかたない。でも、確実に映画はよくなっている、春よりも、夏より
も、秋よりも、今が、一番いい。きっと、まだよくなる、それにつきあえない
のがなんとも残念」
ユウダイ「映画は必ず完成させる」
ハルカ「どうやって?ヒロインの私がいなくなっちゃうっていうのに」
ユウダイ「『卒業』っていう映画を知ってるかい?」
ハルカ「最後だけ。ダスティンホフマンが教会のから、花嫁を奪って去ってい
く映画でしょ」
ユウダイ「あの気持ちが今、はじめてわかった。あの映画を作った人達はきっ
とこんな時をすごしたことがある人達だったのかもしれない」
ハルカ「私を連れ去る?手を引いて、力尽くで」
ユウダイ「それが今できたら、どんなにいいか」
N「そんな話をしながらも二人はタクシーに近づいて行く。刻一刻と」
ユウダイ「君を連れ去りたい、そして、映画の続きを…」
N「タクシーのドアが、ハルカの姿を見て、ドアを開けた」
ユウダイ「映画『卒業』のラストのように、どうして事は進まない?教会まで
駆けつけたダスティンホフマン。彼が恋する女は今、他の男と結婚を、ちょう
ど、誓いの口づけをした。そこでダスティンホフマンは叫ぶ。「エレーン、エ
レーン!」そして、二人は手に手を取って教会を飛び出す」

  メイキングオブ『水銀の花嫁』。

字幕「どうして、その時、監督は彼女の手を引いて、連れ去ろうとしなかっ
た? 監督ユウダイのコメント」
ユウダイ「現実は映画じゃない、映画もまた現実ではない。僕らはずっと映画
を作る、とても楽しい時間を過ごした。長い間。高校時代という、じりじりと
した時間を、やみくもに目標を、行く先を作って、同じ気持ちの仲間と、ひた
すら走った。走って、走って、走った。だけども、その走っているグランド
は、実は竜宮城の中のグランドだった」
N「字幕竜宮城のようなグランド?」
ユウダイ「そう、僕らは長い間、映画を作る竜宮城にいた。そこで楽しい時を
過ごした。でも、どこかでわかってはいたんだ。それが長引けば長引くほど、
ここにはそう長い間いれない、いてはいけないんじゃないか、いつか、きっ
と、戻らなければならない時が来るのではないか、ってね。そして、我々の中
で最初に竜宮城を出て行ったのは、この映画のヒロイン、柊ハルカだった」
ハルカ「まめにメールする、スカイプだってできるんだし」
N「だがそれは気休めの言葉にすぎない」
N「と、彼女は…タクシーの中に姿を消した。その中から、声」
ハルカ「飛ばして、成田まで、時間がないの!」
N「ズキュルキュルキュルキュル! タイヤを軋ませ、アスファルトから白煙
を上げタクシーは急発進。あっという間に校門の前から走り去っていった。そ
の時、ユウダイの胸に去来するのは、映画『水銀の花嫁』において、ハルカ演
じる賞金稼ぎポオラの決め台詞の数々」

  映画のシーンがモンタージュされる。

ポオラ「争わずに生きる?それができたら素敵なことね、まあ、夢物語だけ
ど」
  ××  ××  ××
ポオラ「地球の戦争を止める?私はね、できないことはやらない主義なんだ」
  ××  ××  ××
ポオラ「私の邪魔をしないで、これから水銀の花嫁が眠る北極大陸へと向かう
んだから」
××  ××  ××
カント「メイキングオブ『水銀の花嫁』、ヒロインの留学、降板を高校の校門
で見送るしかない、監督の姿。そのあと、すぐに真っ黒い画面になる」

  暗転。

N「そこに字幕メイキングのカメラはここで監督に止めてくれと言われて、ス
イッチを切った。監督の号泣の声を聞いたのは我々、メイキングの撮影スタッ
フだけだった。声、監督の号泣、うおおおおおおおお…」

  曲、壮大に…

N「ターバンぴちい! ぼろ布バタバタバタバタ。この星ではじめて生まれた
人類リメイクヒューマンビーイング第一世代の少年ロビンに向かって空から赤
いボディスーツの人型が落ちてくる! その時、こっちの方から白いフカフカ
の素材でくるまれた、ミシュランのタイヤマン見たいなロボットが!」
トルード「あぶないロビン!」

  そのすぐ側に着地する、ポオラ。

ポオラ「上空から赤いスーツの女が! ズバーン! ザザザザ! かぽ。髪が
ふぁっさ。めっちゃええ女」
トルード「ダレダ? どこから来た?」
ポオラ「誰? あなた達を助けに来た者。どこから来た? 地球から。これで
答えになってる?」
N「その上空、さらに大きな流星、いや、落下する隕石群と言ったほうがい
い、いくつもが少し離れた場所へと飛び去っていく」
ポオラ「あれがあなた達にとっての災い」
トルード「災い?」
ポオラ「どうする、すぐに災いはやってくるのよ」
N「ポオラの言葉通り、その隕石の群れはすぐ側の大地へと落ちたらしく、地
響きが立て続けに、(SE)ずどどどどど…ずどどどど…ずどどどどどど…」
ポオラ「どうするの? 戦うしかないって局面だけど」
トルード「戦う? 私はこの子、ロビン育児ロボットだ」
ポオラ「この子が…地球の文明の影響をまったく受けずに育てられた、ピルグ
リムの第一世代の子供?」
トルード「そうだ。ロビンという」
字幕「ロビン役、河合ショウタ。新井薬師小学校三年。レノマ役の河合悠紀夫
の弟。高校生が作る自主映画に八歳の子供が主役級の大きな役で出演するのは
あまり例がない」
ショウタ「河合ショウタです。撮影が長くなって、前歯が抜けました。今、大
人の歯が出てきたところで、監督が口を開けて笑うとつながらなくなるから、
口開けて笑うの禁止ってことになってます」
N「字幕ショウタの実の兄、河合悠紀夫。水道橋美術学院。通称、ドバタに通
う美大予備校生。一浪中。悠紀夫のコメント」
悠紀夫「ええ、僕はデザインの方に進みたいんで、最初はこの映画『水銀の花
嫁』のチラシやポスターのデザインを担当して欲しいってことだったんですけ
ど、いつの間にか出ることに、しかも、なんかおいしい役で」
N「字幕「レノマはどんなキャラクターでしょうか?」
悠紀夫「そもそもがこれは、地球から争いが絶えなくて、争いのない世界を作
るべく移民していくお話です。その移民した先でもしも、外部から敵が現れた
ら? その時、彼らが使える武器として、最終兵器である『水銀の花嫁』とう
のが同時に送り込まれたんです。それを知った、僕が演じるレノマは、地球か
ら遙か離れたこの星までその究極兵器『水銀の花嫁』を奪いに来る」
N「字幕そのレノマを追跡してきたのが女賞金稼ぎ、ヒロインのポオラ、柊ハ
ルカ」
悠紀夫「そうです。僕がやっているレノマはまず、ロビンという少年の村を襲
って、『水銀の花嫁』がどこに隠されているかを突き止め、それがこの星の北
極大陸にあると知り、サソリ型の装甲ロボット三十六台をレノマが一人で操っ
て、爆走していくんです」
N「サソリ型ロボットのコクピットで操縦するレノマ。前方、行く手を阻む障
害物を大きなハサミで薙ぎ払い、胴を支えながらも繰り出すように動き続ける
六本の足がドドドドド。まるでナウシカのオウムみたいな感じで」
トルード「来る、サソリ型のロボットの大群が、こっちに…」
ポオラ「大群であっても、操縦しているのはこの中のひとつだけ!」
トルード「どういうことだ?」
ポオラ「おそらく、あの真ん中を走るひときわ大きな黒いサソリ、あの中に奴
がいる」
トルード「奴?」
ポオラ「この大群を操縦している奴! レノマ、だ! あいつは人間の姿をし
た、サソリだ」
トルード「レノマ! それが敵! そいつが侵略者…止める…なんとしても
…」
ポオラ「止める?(笑い飛ばして)甘いな、それじゃあダメだ」
トルード「止めなくてどうする?」
ポオラ「破壊するんだよ」
トルード「なんだって?」
ポオラ「破壊して全滅させる、それしかないのよ!」
N「ポオラがそう言いきった直後、サソリの群れの中の一台の胸元が開いた。
ウイイイィン、ガコン! その中から口径のでかいレーザーの砲塔がウイイン
ガシン! 。先端がぼんやりと、やがてまばゆく光ったかと思うと! 物凄い
レーザーがバババババ! ズズズズギュューン! 光の矢がまっすぐに大きな
倉庫のようなファームという建物を直撃する。グアアアン! オレンジの火柱
がぐあああ。すぐに黒煙が高く高く高く吹き上げる。地から天へ。グオオオオ
オ…空を焼き焦がすように、激しく炙るように」
ハルカ「すごい、火力! …このサソリ、戦闘用だ」
トルード「なぜ、そっとしておかない。なにをした、なぜ、壊す、なぜ、奪う
…なぜ! …なぜ、なぜ、なぜ殺す! なぜ! なぜ! なぜ!」
ポオラ「トルードが震えてる、ロボットが、こんなに震えるなんて」
トルード「ガタガタガタ、ブルブルブル、目が真っ赤にギラ―ン! チカチカ
チカ。白いウレタンのような装甲にヒビがぴしい! ぴしい!」
ポオラ「(叫ぶ)トルード、あんた! …これは、まるで…装甲が、このトル
ードの白い、柔らかい肌の下に隠れているんだ。それは…そうかもしれない。
このロボットがただの育児ロボットであるはずがない…このプロジェクトは子
供を未知の惑星に送り込み、育てるというもの。そこになにが待ち受けている
か、予想もつかない。だから…どんな局面になったとしても、子供を…遠く離
れた惑星で育つ自分達の子孫を守るために、使わされた…緊急兵器」
トルード「うおおおおおおおぉぉぉ!」
N「…その声に、この争いのない星で生まれた子供、ロビンが反応した。閉じ
てろと言われた目を開き、白いアンドロイドの両親と同じく怒りをみなぎらせ
て震え始める」
ロビン「あああああぁぁぁ!」
ポオラ「見るな! 見るんじゃない」
N「とっさに叫んだポオラ。しゃがみ込んで顔を歪めているロビンを抱きかか
え、目を手のひらで覆う」
ポオラ「見てはだめ! これはあなたが見なくていいものなんだから!」
N「トルードは…育児用ロボットは、守護ロボットへとトランスフォームして
いく。(右上半身が)バキン! (左上半身が)バキン! (好みで、下半
身、背中、上腕部など)バキン! グアアアァ、バキバキ、ガシャン、ガシャ
ン! さっきポオラが「装甲だ」と言った、その部分が次々と…まるで体中に
花が咲いていくかのように! さなぎから脱皮した昆虫がその羽根を伸ばすか
のように! 外に向かって突き出され、広がっていく…子供達を守るための白
いウレタンが引き裂かれ、飛び散る。バシュ! バシュ! シュ! シュ! 
シュシュシュ! (その破片が周囲に散らばっていく様、スローモーションな
ども使って)ポオラ「トルード!」
トルード「俺はトルードではない!」
ポオラ「(疑いながら)トルード?」
トルード「トルード。それは、子供を守り育てる者の名前、今は違う、今の俺
は違うんだ」
ポオラ「今は、あなたは…なに?」
トルード「ガーディアン。守護のロボット。子供達を守る、そのためには戦う
ことも辞さない。それが俺…ガーディアンだ」
ポオラ「ガーディアン」
トルード「その子を頼む」
ポオラ「どうするの?」
トルード「こいつらを止める、みな破壊して…止める」
ポオラ「トルード!」
トルード「ガーディアンだ! バシュー!」
N「ポオラが叫ぶ。その姿、ストップモーション。そして、字幕。これ以降も
またまだ撮影されていない」
ユウダイ「ちょっと…」
N「ユウダイはこの映画『水銀の花嫁』の撮影が始まった時からずっと側でメ
イキングを撮っている、同じ高校生くらいの男子達に向かって言った」
ユウダイ「君達は…誰なんだ?」
カント「この映画のメイキングを撮っている者ですよ」
N「メイキングの監督をしている男、名をカントという。そいつが言った」
カント「カント、です。沢井カント。千葉の市川商業高校の映画研究会です。
興味があって春からずっと撮影させてもらっています。って紹介はもうずいぶ
ん前にしましたけど…」
ユウダイ「それは…わかってる。何度も聞いたよな」
カント「何度も言いましたよ、ユウダイ監督」
N「ユウダイもわかっていた、それは何度も聞いた。春から居る。自分の映画
の現場につきっきりで、顔なじみになっている。だが、それ以上に、なにかも
っと深い関係があるのではないか、と、いつも…いつも思ってしまうのだっ
た。だが、今日、今の問題はそれではなかった」
ユウダイ「頼みがあるんだ…」
N「ユウダイが切り出した。ダメもとでの相談のつもりだった。前々から思っ
ていたんだけど…ユウダイは嫌ならもちろん断ってもらってかまわない、とい
うニュアンスで伝えた。言葉では「断ってもらっても構わない」とは一言も言
わなかったが、それでも切羽詰まっているにせよ、ユウダイは自分がなにを言
っているのか、どんな頼み事をしているのか、は、わかっているつもりだっ
た」
ユウダイ「前々から思っていたんだ。君はすごく…ハルカ似ていると思う」
N「それは、ユウダイだけの主観や思い込みではなかった。ユウダイの映画研
究部の面々はかなり早い時期から、このメイキングを撮っている監督カント
が、とてもハルカに似ているよね、と陰でささやいていたのだ。ユウダイはお
もむろに本題に入った」
ユウダイ「ハルカの代役をやってくれないか…」
N「メイクには話をしてある。ウイッグを手配しているところだ。衣装はおそ
らく入るだろう。君さえ「うん」と言ってくれたら、なんの問題もないんだ…
ユウダイの言葉にカントは即座に反応せず、最後まで話を黙って聞いていた。
そして、彼は、カントはつぶやいたのだった」
カント「そうか、これはそういう展開になる話なんだ」
N「この言葉の意味をユウダイ達知る事となるのはもっと後になってからのこ
とだ。そして、カントは言った」
カント「一つ聞いてもいいですか?一言でいって、ユウダイさんにとって映画
作りってなんですか?」
ユウダイ「映画作りこそが、僕にとっては映画なんだ。って、なんだかわかっ
たようなわからない答えだけど、でも、それが今の自分にとって、一番しっく
り来る答え、なんだ。わかってもらえるかな」
カント「わかります、なんとなくですけど」
ユウダイ「これを他の言葉で言い換えようとしても、やっぱり同じように、わ
かったようでよくわからない答えになる」
N「そこまで言って、ユウダイは恐る恐るもう一度、聞いてみた」
ユウダイ「それで…引き受けてくれるか?」
カント「映画ってのは映画作りのことなんですよね、ユウダイさんにとって。
ずっと、ずっと考えてたんです。映画の魅力ってなんだろう、って。それは映
画を作ることなんですね」
ユウダイ「そうだ「映画を作ることで映画に近づける…」近づけば、近づくほ
ど、それは凶暴な顔を覗かせる。今回みたいにね」
カント「見て見たいですね…その映画の凶暴な顔ってのを。やりましょう、そ
れ。やらせてください」
N「この時、彼の胸の中にどれほどの決意があったかを、この時代に生きる我
々は誰も知らなかった」

  曲。

N「そして…イギリスに到着したハルカからメール。スカイプの新しいアドレ
スと共にメッセージがあった」
ハルカ「あきらめないこと、自分の力でやること。BY宮崎駿監督『名探偵ホー
ムズ・ソベリン金貨の行方』」
N「ユウダイは新しく買った腕時計の針が午後八時を過ぎたのを確認した。そ
の時計はグリニッジ標準時にあわせてある。ハルカの住むイギリスの時間、ユ
ウダイの住む東京とは八時間の時差がある。そして、パソコンの前に座ってス
カイプを開くユウダイ」
ハルカ「カント? カント君? あのメイキングをずっと撮っている監督
の?」
ユウダイ「そうだよ」
ハルカ「だって…え? ちょっと待って、ちょ、ちょ、ちょ、待って、待っ
て、待って…彼は…男でしょ? 男にこの映画のヒロインのポオラをやらせる
つもりか?」
ユウダイ「ハルカはあのカントって奴の顔をよく見たことがあるか?」
ハルカ「そんな…メイキングの監督の顔なんて、まじまじ見ている暇がこれま
であったとでも?」
ユウダイ「あいつ、びっくりするくらい顔立ちが、君にに似てるんだ」
ハルカ「そんな…いや、いやいやいや、あ、え、ええ! 気がつかなかったけ
ど! 言われてみれば確かに」
ユウダイ「メイクにはもう相談済みだ、ハルカと同じ長さのウイッグを今、調
達してくれている」
ハルカ「本気なの?」
ユウダイ「本気だ」
ハルカ「できるのか、そんなことが?」
ユウダイ「やるんだよ。山本政志監督の映画『てなもんやコネクション』だ」
N「そして、ユウダイにハルカの役をやってくれとういう相談を受けたメイキ
ングの監督であるカント。メイキング班の仲間、三人とのやりとり」
マキノ「カントがハルカさんの役を?」
トヨトミ「なんだって、そんなことになるんだよ」
カント「僕が柊ハルカに似てるからだよ」
マキノ「似てるのは当たり前だろう…だっておまえは…」
トヨトミ「似てるかどうかって事じゃないだろう、そもそも、ハルカちゃんは
女で、カントは男じゃないか」
カント「でも、今、この時代のこの場所において、柊ハルカの代役ができるの
は、おそらく僕だけだ」
トヨトミ「それは、そうかもしれないがな」
カント「僕にはそれができる、誰よりも上手く、それができる。だからやるだ
けだ」
マキノ「カント、おまえ結局『水銀の花嫁』は何回見たんだよ」
カント「わかんないよ、八十回までは数えてた。でも、そこで数えるのをやめ
てしまったから」
トヨトミ「八十回で数えるのをやめて、じゃあ、その倍は見てるってこと
か?」
カント「その三倍は見てる、かな」
トヨトミ「台詞は全部」
カント「入ってる」
トヨトミ「演技は」
カント「完全にコピーできる」
トヨトミ「だろうけど…なあ…」
カント「ただ、声は本物の柊ハルカの居るロンドンに映像のデータを送って、
アフレコしてもらう。その音声データはまたネットで送ってもらって、プレミ
アで貼り付ける」
トヨトミ「口で言うのは簡単だ」
カント「やってみれば、もっと簡単なことかもしれない」
トヨトミ「おまえのその根拠のない自信はどこから?」
カント「あの監督から、あのヒロインから、だよ」
N「カントが扮するポオラによっての撮影再開初日。グリーンバックのスタジ
オの中。四月の末から十二月の半ばまでの約八ヶ月、延々と撮影を続けていた
スタッフ達は、撮影再開のこの日、あたかも今日がクランクインであるかのよ
うな緊張に包まれていた。主役の女の子を代役で撮る。その代役は男。この
先、これでどうなるか誰にも想像はつかない。だが、不安であると言い出した
らきりがない。スタッフの声「ポオラさんスタンバイできました、入ってもら
ってよろしいですか?」ユウダイが答えた「いつでもこちらは大丈夫だ」余裕
があるふりをしてそう指示するが、その声がいつになくやはり緊張している。
周りのスタッフは感じていた。そして、ハルカとなったカントがスタジオへと
足を踏み入れた。 待ち受けている一同はそれなりに心の準備はしてあったつ
もりだが、それでも、そこに現れた、赤い光沢のあるエナメルのスーツを身に
まとった男の…彼女の姿に驚嘆した。肩も胸も腰回りも、まるでカントのため
にあつらえたかのようにぴったりとフィットしていた。そこに居た者達は一斉
に息をのんだ。すげー、綺麗。美しいよ、本当に。誰かの口からそんな言葉が
おもわず漏れた。そしてまた誰かが、確かに、と、ゆっくりと頷いていた。
「おはようございます」とその美女は男の声で言った。その声だけが男性のも
の。目の前を優雅に歩き、グリーンバックに囲まれた彼を待つステージの上
へ。ゆっくりとあがっていくその姿。ハルカそのもの。ユウダイがぼろぼろに
なっている台本を手に、後を追ってステージの上へ。差し込みだらけのシナリ
オをめくって、これから撮るシーンの説明…怒りに震えるトルードの体、胸元
に小さな明かりが点る。次々と戦闘用のサソリ型ロボットを破壊するトルード
の前に、強化スーツを纏ったレノマ大佐が現れ、激しい格闘戦がはじまるん
だ」
レノマ「(トルードを殴る!)でやあああああ!」
トルード「うわああああ! サソリの尻尾に! ばーん! おのれええ! レ
ノマをがしいい! その勢いでサソリから落ちて。空中へ! うわあああ」

  激しい殴り合いが行われる。

N「迫力を出す為にカメラがやたらぐるぐる回って、何やってるか良く分から
ないトランスフォーマーみたいな戦いが! ガキン! ガキン! 地面へ! 
ずしゃーん!」
トルード「喰らえ! ミサイルをバシュ、バシュ、バシュ、バシュー!」

  腕からミサイルを発射するトルード。
  スローモーションでそれらをかわす。

トルード「なんの! マトリックスのように! シュゴーン! シュゴーン!
 シュゴーン! どうだ! と思ったら最後の一発が! シュゴーン! しま
った! 数え間違えた! くそー、どうすれば…そうだ! ここの角度をめっ
ちゃええかんじにして…ミサイルが! しゅーん、ズバーン! 助かった!」
トルード「はうー! (爆発)くっそう! まだだ! バシュ! バシュ! 
バシュ!」

  更にミサイルを発射するトルード。

レノマ「なんの、この角度だ! スカン、スカン、スカン!」
トルード「おのれ! ならばこちらも! この角度だ! スカン、スカン、ス
カン!」
レノマ「スカン、スカン、スカン」
トルード「スカン、スカン、スカン! ミサイルがぐるぐるぐるぐる。エンド
レスに!」
レノマ「いかん、このままでは先に動いた方が負けてしまう」
トルード「まるでワンサウザンドウォーみたいだ」
レノマ「は! そうだ! ピーン! 脳波をピー! するとサソリの尻尾が起
き上がって来て。(腕マイム)これレノマ、これトルード。サソリの尻尾がぐ
ぐぐぐ。ビームをちゅん! ボン」
トルード「うわああ、角度がずれて。ボカン! うわああああ!」
レノマ「さらに! イチゴの錠前をベルトにガチャン! イチゴアームズ! 
巨大なイチゴをかぽっ! それが変形して鎧に! ガチャガチャガチャ! 花
道オンステージ。手裏剣を! たあああ!」
トルード「トルードの身体にザクザクザクザク! ぐわあああ!」

  サソリの装甲に縫いつけられるトルード。

レノマ「心配するな。殺しはぬ。いや、壊しはせぬと言った方がいいのかな?
育児ロボットに脅威を与えると、発動して戦いをいとわぬ守護ロボットにな
る。私が欲しい物の場所はその守護ロボットにプログラムされている。違う
か?」
トルード「な…なんの事だ?」
レノマ「調べはついている。闇雲に八・八光年の距離を旅して来た訳ではない
んだよ」
トルード「お前には渡さない」
レノマ「渡して貰おう、究極の兵器『水銀の花嫁』を」
トルード「あれを使うのは最後の時だ。あれが発動すれば、この世は悪しき銀
世界になるだけだ」
レノマ「誰も直ぐに使うとは言っていないさ」
トルード「使わないなら何のために」
レノマ「抑止力だ」
トルード「抑止力?」
レノマ「今の地球は三つの勢力が争っている。奴らを黙らせるには、誰かが勝
つ兵器ではもう駄目だ。これ以上争うなら、何もかもが無くなる。イチかゼロ
かの最終兵器が必要なんだ。それが『水銀の花嫁』だ」
トルード「使わない兵器に意味があるのか?」
レノマ「あるさ。使わない兵器の使い道を私は知っているつもりだ」
トルード「それでも…渡しはしない! お腹の装甲が開いて隠し腕が! ジャ
キン!」
トルードが伸ばした爪をレノマに向けた。
だが、その爪を機械の腕で掴み、握りつぶした。
レノマ「無駄だ」
トルード「ちい! (肩が開いて)パカ! チューン!」
ギリギリで首をかしげてかわすレノマ。
レノマ「はあああああ! ザクッ!」
トルードの肩を貫く。
レノマ「無駄だと言っているだろう」
トルード「く、くっそう…その時、胸の青い輝きが更に輝きを増し始めて! 
ボワーン」
レノマ「この光、もしや」
トルード「うおおお、うわあああ。胸の装甲がバカーン! 中から物凄い光が
びかあああああ! まるで揺れるリボンの様に光の筋が溢れ出して。うおおお
おお! その光がゆっくりと集まりだして…遂には一本の筋となって打ちださ
れた! バシューン! すぐ上の分厚い雲を突き抜けて! バシュー! 二つ
の太陽が二つとも傾き、夕日となっている赤い空に、一筋の青い光が伸びてい
く! やがて光は空を飛び越え、この惑星の衛星軌道に浮かぶ人工衛星へと伸
びていく! 衛星を幾つも反射して、再び地上を刺す光の筋。厚い雲を貫いて
光は北へと延びていく」

  それを目の当たりにして、レノマが珍しく高揚する。

レノマ「あの光の先に…『水銀の花嫁』が眠っている」
レノマ、機械仕掛けの腕をぐっと振り上げた、指を揃えて伸ばした手刀、光を
宙に向かって発している胸をよけ、肩に向かって突き立てた。
トルード「ぐああああ」
レノマ「ここで、しばらく、羅針盤になっていてくれ、おまえの指し示してく
れた方角を信じて私は進むよ」
N「そのレノマの言葉通りサソリの群れが、雲間を突っ切る光に向かってさら
に暴走を加速させていく。どどどどどどどど…」
ユウダイ「カット! OK!」
スタッフA「OKです!」
スタッフB「OKです!」
スタッフC「OKです!」
N「ユウダイのテンションがこの瞬間、加速した」
ユウダイ「よーし、この調子で次、行くぞ!」
N「しかし、次の休憩の時、ポオラに扮しているカントをメイキング班のスタ
ッフがスタ時をから引きずりだし、部室棟の裏へとまるで拉致するかのように
引きずっていった」
トヨトミ「カント、いい気になるなよ、いいか、よく考えてみろ。映画『水銀
の花嫁』の撮影はこうして続けられていく、だが、本当はここでユウダイさん
達はいったい何を撮っているんだ? そして、俺達も、だ。わざわざ現在から
過去へとやってきて、俺達はなにをしている? 映画の撮影風景を見たいとい
うただそれだけで、時間を越えてやってきた物好きな俺達。この時代にやって
きた理由はただ一つ。それは不純な動機だ。偉そうに大きな声で口に出せる事
じゃない。ただ、ただ生の柊ハルカを見てみたい。自分と同じ年、十七歳のハ
ルカをこの目で直に見てみたい。そんな、自分の欲望に忠実に従っただけだ。
そうだろう? そうだよな。俺達がこの時代までやってきた本当の動機、それ
は、ハルカのコスプレをしたカントの姿のメイキングを撮るためではない。絶
対にない。女装したカントなら、なにもこの時代まで出かけてこなくたってい
くらでも見ることはできるじゃないか。まったくよぉ、俺達はなにをやってる
んだ?」
マキノ「これはおかしいだろ、カント!」
カント「おかしい? なにがだ?」
トヨトミ「我々の時代に残されているメイキングのデータには柊ハルカがロン
ドン留学のために、撮影は一時中断とある。だが、彼女は帰ってくるんだ、す
ぐに、そうだろ、おまえだって、知ってるはずだろ、メイキングオブ『水銀の
花嫁』はそうなっていたはずだ。姉妹高校であるはずのその学校でハルカはい
じめられて、怒り心頭、彼女は帰国する。知らないとは言わせない、黄色いド
ンキーコングの事件だよ」
N「そこへ、ポオラの姿になったカントにさらに次に撮るシーンの説明をとや
ってきた監督ユウダイは、物陰で足を止めた。そして、このやりとりを聞いて
しまったのだった」
トヨトミ「なのに今、こうしてカント、おまえが代役となって映画の撮影は続
行している。カント、ここからが重要な話だ。時間旅行者が侵してはいけない
過ちとはなんだ?」
N「ユウダイは耳を疑った、時間旅行者?
今、メイキングのスタッフの一人はそう言った。時間旅行者、とは、なんのこ
とだ?聞き間違いかと思った、その時、ダメ押しのように、その男、トヨトミ
が繰り返して言った」
トヨトミ「カント、時間旅行者が侵してはいけない過ちとはなんだ?」
カント「歴史への介入」
トヨトミ「そうだ。時間旅行をした者が過去の歴史を塗り替えた時、なにが起
きるのか?」
カント「それは…」
トヨトミ「『バックトゥザフューチャー』で歴史に介入したマイケルJフォッ
クスになにが起きた、言ってみろ」
N「言葉に詰まるカント、その答えを言ったのは、ふらりと現れた監督のユウ
ダイが答えた」
ユウダイ「手が消えるんだよな、透明になって消えていく」
トヨトミ「あんたは…ユウダイさん」
ユウダイ「違ってたか? そうだよな、マイケルJフォックスの手がまず消え
る、そして、どんどん体が消えていく。『バックトゥザフューチャー』あれは
良い映画だ。『水銀の花嫁』のメイキングを撮影してくれている皆さん。君ら
はいつの間にかやってきていて、いつの間にか撮影を始めていた。なるほどな
…で、あんたらはどこから?いや、場所のことじゃない、時代のことだ、いつ
の時代から、ここへやってきた、そして、君たちは何者なんだ?」
カント「初めまして、お父さん」
ユウダイ「お父さん?」
カント「そうです、僕は未来から来たあなたの息子です」
ユウダイ「そうか」
カント「そうか?それだけですか? あまり驚きませんね」
ユウダイ「そうだな、そう、俺も今、そんな突拍子もないことを言われている
のに、そうか、なんて、呑気に他人事みたいに言ってる。まず疑ってかかるべ
きところなのに、それもしないで、ただ、そうか、と思ってる。驚いていない
自分に驚いてる。なぜかな」
カント「どうしてですかね、お父さん」
ユウダイ「気づいていた、いつ頃からはわからないけど、でも、確実に気づい
てはいた、こいつは誰だ? と。未来から来た息子? 時間旅行? (ふっ、
と笑って)もしも映画を撮ってる最中でなかったら鼻で笑ってたところかもし
れない。でも、俺はその話、信じるよ、君達は未来から来た、そして、カン
ト、おまえは俺の子供、信じるよ、で、お母さんは誰なんだい? 今、俺が思
っているあの子で、あっているかい?」
カント「あってます」
ユウダイ「嬉しいことを言ってくれる、我が息子が」
カント「事実ですから」
ユウダイ「まだ、事実じゃない」
カント「そうですね、これから起きる、事実です」
ユウダイ「おまえが俺の息子だということはわかった。そのお友達は?」
カント「みんな、映画『水銀の花嫁』の大ファンです」
マキノ「五百回見ました」
トヨトミ「僕は三百八十回」
カント「それで、是非とも、撮影している現場を見てみたいって」
ユウダイ「タイムマシンに?」
カント「そうです、貯めていたお年玉をはたいて」
ユウダイ「ちょっと待て、そのお年玉は誰からもらったものだ?」
カント「もちろん、お父さん、あなたです」
ユウダイ「そうか…俺が子供に渡したお年玉は…タイムトラベルに使われると
いうわけか」
カント「はい!」

  爆発音。北極の氷山が砕けていく。

N「水銀の花嫁が発動する。場所は北極大陸。七色のオーロラのカーテンが幾
重にも重なり、それが波打っている、その下の大地で銀色の手を伸ばす水銀の
花嫁。その先はどこまでも伸びる。細く長い腕。先端はさらに細く針の太さに
までなりながらも、さらにまだ伸びる、伸びる。どこまでも遠くへと伸びてい
く。すでに一番先は人の目では見えなくなるほど、針よりも細く、糸の、テグ
スの細さにまでなりながら、それでもまだ、伸び続けている、触手と化した手
先。背を伸ばし、腕を広げ、天に向け顔を上げて、その口元には笑みを浮かべ
た水銀の花嫁。彼女が大地から、遙か離れた場所で、逃げ惑っているサソリ型
ロボットの群れ。中の一台の動きがふいに止まる。八つの足、事切れたように
制止しているが、目にあたる黒いミラーシェードの部分の奥にいくつかの赤い
点が、ゆっくりと、あたりを伺いながら動いているが、やがてその動きもでた
らめに、苦し紛れにただ動いているだけとなる。その頭の上、きらり、きらり
と垂直に光るもの、そう、水銀の花嫁の細く、細くなった腕
が、まっすぐに突き立っているのがかろうじてわかる。すぐに頭から銀色の水
をかぶったように、その色がみるみる変わっていく。黒いシェードにも垂れて
くきらめく水銀。赤い点の目とおぼしきところ、さあーっと、水銀に覆われ、
あっという間に赤い点が、どれもこれも小さくなり、フェードアウトしていく
ように消えた」
ユウダイ「この映画『水銀の花嫁』は完成するのか?」
カント「します。そして、大好評を得て、ヒットします。世界中で」
ユウダイ「世界中で?」
カント「お父さんの映画をみんなが見ます。英語、フランス語、イタリア語、
スペイン語、ロシア語、韓国語、中国語、他、三十二の言語で吹き替えられ、
これを見たクエンティン・タランティーノ、ウオシャウスキーの姉と弟、ロバ
ート・ロドリゲス、ツイハークらが、熱烈絶賛、五年後にアメリカでリメイ
ク、その後も『水銀の花嫁2ワールズエンドガーデン』『続・水銀の花嫁』
『新・水銀の花嫁』が相次いで製作、便乗して製作されるB級映画『黄金の花
嫁』まで登場するほどの、映画史に残る作品となります」
レノマ「こちら、レノマだ、聞こえるか、デノン」
デノン「こちらデノン、状況はずっと聞きとれてます」
レノマ「氷化爆弾を使う」
デノン「それしかないと、私も思っていたところです。大佐、そこからすみや
かに待避願います」
レノマ「いや、私はここに居る」
デノン「しかし、氷化爆弾をそこでくらったら」
レノマ「大丈夫だ、ここならぎりぎり氷付けにならなくてすむはずだ」
デノン「しかし、危険です、それは賭けです」
レノマ「構わん、落とせ、私に向かって、で、いい、氷化爆弾に私を追尾させ
るんだ」
デノン「よろしいんですか、大佐、それで」
レノマ「しつこいぞ、何度も言わせるんじゃない」
デノン「では、三十秒後に」
レノマ「助かる。三十秒だな」
N「スカイプによる話をハルカとしているユウダイ」
ハルカ「どういうことなの?」
ユウダイ「未来から来た、僕らの子供らしい」
ハルカ「僕らの子供? 僕らって誰のこと?」
ユウダイ「だから、僕と、長谷川ユウダイと、柊ハルカの息子、それがカント
だ」
ハルカ「…」
ユウダイ「驚かないな」
ハルカ「そうね、驚くところなの、今」
ユウダイ「そうじゃないかな、だって信じられないだろう」
ハルカ「でも、いつの頃からか、なんとなくそうじゃないかって思ってた」
ユウダイ「それは俺もそうだ」
ハルカ「私達は結婚するんだね」
ユウダイ「そうらしい」
ハルカ「それは運命?」
ユウダイ「そうらしい」
ハルカ「未来は決まってるってこと?」
ユウダイ「そうらしい」
ハルカ「その通り生きるしかないってことかな」
ユウダイ「つまらないかい?そういうのは?」
ハルカ「わからない、だって、ユウダイ、もしも、もしも、本当だとしたら、
その時までは…私はさ、私とユウダイは大丈夫ってことでしょ」
ユウダイ「大丈夫って、なにが大丈夫なんだい?」
ハルカ「とりあえず、明日は大丈夫ってことでしょ。その時までの未来は居ら
れるって、
ことじゃない? その時まで、私はユウダイと一緒に居られるってことじゃな
い。それはちょっと安心する。でもって、ちょっと嬉しい」
ユウダイ「ハルカ」
ハルカ「ユウダイと、みんなとやっぱり一緒にいればよかった」
ユウダイ「ハルカ」
ハルカ「私はユウダイ達がいる竜宮城をあとにして、現実世界に戻って来ちゃ
った。当たり前のことだけど、竜宮城で生活する方が楽しいよ。帰りたい、あ
の時に…あの時、すでに私の中では過去になってる。私は今、こうしてスカイ
プを通して、過去と話している」
ユウダイ「こちらで芝居を撮る。そして、ネットで動画を送る、そっちでアフ
レコする、その音声データはまたネットで送ってもらって、それをプレミアで
貼り付ける。それで残りを撮りきって映画は完成だ」
N「ハルカのやるはずだったポオラをカントが演じて、撮影は進んだ」
トルード「この戦いに巻き込まないでくれ」
ポオラ「戦うなって言われても、これは戦争なのよ、その戦場のまっただなか
に放りださ
れた子供に戦うなということがイコール死ねということだとなぜわからない
の?」
トルード「争ってはならない、なにがあっても争ってはならないんだ」
ポオラ「バカの一つ覚えが」
トルード「そんなバカなロボットを作ったのは誰だ?おまえ達、人間じゃない
か」
ユウダイ「カット!」
助監督「次、シーン222、行きます」
N「すぐにカメラのセッティング、ライトの位置、角度が変えられ、グリーン
に覆われ
た部屋に再びユウダイの声」
ユウダイ「はい、よーい、スタート」
トルード「どうして、賞金稼ぎになった?」
ポオラ「昔から、スカートの似合う女の子じゃなかったからね」
ユウダイ「カット! OKです」
N「スタジオのあちこちから、スタッフ達の声、OKです、OKです、OKで
す、の声」
スタッフ「モーションデータ、ノイズが混じってないか、チェックします」
助監督「はい、チェック待ちです」
ユウダイ「チェック、OKです」
スタッフ「チェックOK、チェックOKです、次はシーン343」
別のスタッフ「343」
さらに別のスタッフ「343」
ユウダイ「はい、もろもろよろしかったら、キャプチャースタートします」
スタッフ「キャプチャー、レコーディングスタート」
ユウダイ「アクション!」
ポオラ「矛盾だらけね、子供を育て、殺すなかれと説いたロボットが、その通
り育たなかったら「今度はその子を殺す」と言い出す」
トルード「宗教、倫理観、あらゆるものから、隔離して育てれば、人間の心か
ら争う気持ちという奴が消えると、思われたこの惑星移民プロジェクト、だ
が、ある一定のパーセンテージで、争う気持ちを捨てきれない子供が現れるだ
ろうという予測もあった」
ポオラ「争いは生まれた後に教わることで、その暴力は心の中で肯定され、実
行に移される」
トルード「そういうことだ」
ポオラ「戦うこと、自分の身を守ることは、人の本能、DNAに刻みつけられ
ていることだと私は思うけどね」
トルード「賞金稼ぎのポオラさんは、その本能だけで、生きてるんだね」
ポオラ「そのロボットの推理、当たってる」
ユウダイ「カット!」
スタッフ「はい、OKです、OKです、OKです」
ユウダイ「よーい、スタート!」
ポオラ「争いのない世界。そんな綺麗ごとで命が繋がっていくものか!」
トルード「希望が必要なんだよ。高い望みが。それがなければ人間はどこまで
も墜ちる。そういうものだ」
ポオラ「あんた、人間のなにがわかってるっていうの?」
トルード「人は人を喜ばせる想像力よりも、人を痛め、傷つけ、悲しませるた
めの想像力の方が、悲しいかな豊かだ。それは人間の地球での歴史を見ればわ
かること」
ポオラ「人の希望ってのは、清らかな水の中でしか息ができないとでも思って
いるのかな? 濁った水の中でも光輝く、それが本当の人の希望だと私は思
う。そこに本当の人々の幸せがあると、私は信じている。この子を、ロビンを
殺させはしない、その前に私を殺せ。できるものならね」
ユウダイ「カット!」
トルード「殺す、大いなる目的、争いのない世界のために」
ポオラ「矛盾しているんだよ!」
ユウダイ「カット! OKです」
スタッフ1「OKです」
スタッフ2「OKです」
スタッフ3「OKです」
カント「あ、ああ、あああ……」
トヨトミ「カント、どうしたカント」
カント「体が、いうことをきかない」
トヨトミ「カント、おまえ、体が透明になってるぞ」
カント「力が入らない」
トヨトミ「これは…カント、お前…」
カント「タイムループだ」
トヨトミ「そうだ、タイムマシンを使った時に起きる、タイムパラドックスの
一つ、タイムループがここで起きてる。閉じられた時間、この場合、映画の中
の演技を見て、その真似をしたものがそのまま、また映画の中におさめられ、
その映画を将来見るカントはまた過去に戻って、その映画に出演し…その時間
の輪は閉じられている。いや、閉じてしまったんだ。カント、おまえが柊ハル
カの代わりにこの映画に出演してしまったために」
カント「もうちょっとだけ、僕をこの世界に居させてくれ。この頼みを聞いて
くれるなら、僕はもうなにもいらない」
N「そして、ユウダイの腕時計の針、グリニッジ標準時が八時を過ぎた頃。ユ
ウダイとハルカのスカイプでのやりとり」
ハルカ「ねえ、ユウダイ、『水銀の花嫁』のテーマになっている人類を移民さ
せて、新たなる文明を築くっていう発想はそもそもどこからきたものなの?」
ユウダイ「『星を継ぐ者』や『ライフメーカーの掟』なんていうSF小説を書
いているJPホーガンの長編にあるんだ。『断絶への航海』っていうのがね」
ハルカ「それにインスパイアされて? なの?」
ユウダイ「そうだよ」
ハルカ「それで、その『断絶への航海』の話の中で、移民した人達は新しいモ
ラルを手に入れることができるの? 争いのない世界が構築できるの? 幸せ
になるの?」
ユウダイ「いや、人がそんなに便利になれるわけ…ない」
ハルカ「そうだよね」
ユウダイ「…それを今、どうして?」
ハルカ「けっきょくね、狭い日本の中で勉強してないで広い世界を知ること、
って言われて今回の留学よ…でも、同じ事。その『断絶への航海』にしても
『水銀の花嫁』のリメイクヒューマンビーイングプロジェクトにしても…実際
には噂に聞いていた人種差別の壁しかなかったのよ」
ユウダイ「ハルカ…」
ハルカ「毎日、毎日、ずっとね、同じ日本人の仲間達が屈辱に耐えている。モ
ノがなくなる。落書きされているなんてのは日常茶飯事。もらえるものがもら
えない。あとまわしにされる。罵声、悪口、陰口、鞄にバターを塗られたり、
髪の毛にタールを垂らされて女の子が髪を切らなければならなかったり、犯人
はわかっているのに学校側がまったく対処しない…でもね、日本のイジメとこ
こでのイジメは一つだけ違うことがある、それがなにかわかる? 日本のイジ
メには理由がない。でも、ここのイジメには理由がある。ここでイジメられる
理由。それは私達が黄色いから。わかりやすいでしょ。帰りたいな。みんなの
元へ。あてどもなく映画を作り続けている仲間達のところへ。それはそれは悲
惨な映画作りの現場。いつ、誰が逃げ出しても、疲れ果てて倒れ込み、逃げ出
してもおかしくはないそんなところで、誰も泣き言ひとつ言わず、そこに居
る。映画を作り続けている。そんな時間。そんな場所へ…帰りたいな。私が居
たい場所はそこなんだもん」
ユウダイ「ハルカ…」
ハルカ「帰ろう…日本へ。帰ろう、あの場所へ。あの仲間の元へ…でも、その
前に私にはやることがある。やらなければならないことがある…」
N「ユウダイは聞いた」
ユウダイ「やらなければならないこと?」
ハルカ「水銀の花嫁…それは究極の兵器。 私もね、水銀の花嫁を起動させ
る。私の水銀の花嫁をね
ユウダイ「ハルカの水銀の花嫁?」
ハルカ「黄色の復讐…」
N「そう言ってハルカはニッ!と微笑んで見せた。本人はかわいらしく笑って
見せているつもりだろうが、その顔を見てユウダイの背筋に冷たいものが走っ
た。ハルカはなにかを決意している。いや、なにか、ではない、決意したこと
はユウダイにもはっきりとわかっているのだ。ハルカは…水銀の花嫁を…起動
させる決意をしたのだ。グリニッジ標準時間十二月二十四日十五時十一分。ク
リスマスイブの特別登校の最後にそれは決行された。翌日の新聞の社会面に小
さく『黄色いドンキーコング現る』と欠かれた事件が起きたのだ。いや、起こ
したのだった。ハルカは黄色いペンキの缶を一ダース用意、それを学校にタク
シーで搬入。すべての缶の蓋をあけると、そのうちの二つを両手に提げて、ま
ず職員室を訪問したのだった」

  重そうな二つのペンキの缶を提げてすっくと仁王立ちになるハルカ。
  ハルカは一言発すると、その黄色いペンキをぶちまけ始める。
  悲しくも激しい曲がかかる。
  両手に下げたペンキ缶の一つを床に置くと、一つを両手で持って駆け込み
ながら、中身を撒いていく。ばっしゃあぁぁ!
 ばっしゃあああぁぁ!
  ペンキの缶、すぐに空になる。
  そして、もう一つの缶を手にするとまたぶちまけ始める。
  右に左に、上に…
  職員室の先生達も最初は「なにが起きたのか?」と、呆然としているが、
すぐにハルカを羽交い締めにしてそれを止めようとする。
  (この時、先生達を演じることなく、すべて『羽交い締めにされるハル
カ』『それを振り切るハルカ』『先生達に突き飛ばされて転がりながらも立ち
上がり、なおもペンキを撒き続けようとするハルカ』と、ハルカの動きだけで
周囲の様子も表現していく)
  金八先生第二シーズン『くさったミカン』の警察の突入シーンのように…
  アニメ『悪の華』神回第七話のBパートのように…
  ハルカは「はあああ!!!!」
  とか、ハルカ「くらええぇぇぇ!!!」
  と、叫んでいるが、それは具体的な声にならずに「叫んでいるマイム」で
あり、曲がその間、かつてないほどのフルボリュームでかかっている方が望ま
しい。
  そして、ハルカは再びペンキの缶を両手に持って走り出す。
  ハイスピードで駆けて行く。
  ここでようやくN。

N「ハルカは職員室を真っ黄色に染めあげただけでなく、そのままの勢いで校
長室へと向かったのだった」

  校長室までの廊下、階段、そして、クリスマスに浮かれている生徒達をか
き分けて、進むハルカ。

N「一目散に駆けていくハルカ、駆ける、駆ける、駆ける、それはまるで『か
ぐや姫の物語』の予告編でさんざん見た、かぐやが十二単を脱ぎながら夜の京
の都を疾走するかのごとく…」

  駆けるハルカ…

ハルカ「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ…あ、あ、あ、あ、あああぁぁ
ぁぁぁ…」
ハルカN「こんな時ふと…不思議なことだけど、頭の中がものすごくクリアに
なる。心の中が冷静になる。思い出したのは、映画の撮影の合間に街に出て、
たまたま空いた時間で、たまたま時間があって見た映画『グランドマスター』
のことだった。ブルースリーの師匠であるイップマンの生涯を『恋する惑星』
や『天使の涙』『ブエノスアイレス』のウォンカーワイの監督作品。スタイリ
ッシュなカンフー映画。ユウダイがこれにを見ようと言ったのだ。その中の台
詞のやりとりにこんなのがある「刀にはなぜ鞘があるのか?」「刀は戦うため
のものではないからです」映画が終わってからユウダイが言った。「刀にはな
ぜ鞘があるのか? それは刀があるからだ。刀はあるんだ。だが、それは普段
は鞘に収まっているに過ぎない。刀はいつでも抜ける。それは悲しいことだが
本当のことだ。俺達がいま作っている映画『水銀の花嫁』のテーマはそれにつ
きる」新宿武蔵野館の外で、私はユウダイに惚れ直した。そして、私は校長室
へとたどり着いたのだった」
N「校長室にたどり着くと、厚いドアに体当たりして、部屋へと飛び込む! 
なにごとですか、と、振り返るでっぷりと太ったイギリス紳士の校長先生。立
ち尽くすハルカの体には飛び散った黄色いペンキ、頬にも髪にも黄色、黄色、
黄色」
校長「黄色?」
N「思わず、そうつぶやいた校長にハルカが言った」
ハルカ「そうさ、黄色いさ、自分でもわかってるよ…」
校長「おまえは誰だ? この学校の生徒か?」
ハルカ「私こそが…水銀の花嫁。鞘に収められた刀が今!」

  ハルカ、ペンキの缶の中身をぶちまけたのだった。
 盛大に…
  そして、その動きはポオラの動きへとシンクロしていく。

ポオラ「それはこの星の北の果てに眠るという究極の兵器。使ってはならな
い、使う時が訪れてはならない兵器。それが発動したら、なにもかもが終わ
る。だから、起動させてはならないんだ。起動させた瞬間、それは暴走する。
誰に求められなず、終焉へとひた走ることとなる…それを止め…なければ…」

  どういうシチュエーションなのか、北へ向かおうとしているポオラが一
人、豪雪の中に行き倒れようとしている。
  ゆっくりと、倒れ込む。

ポオラ「水銀の花嫁を…起こしてはならない…それは人の胸の奥底に眠る、押
さえきれない憎悪のこと…人を憎み、世界を憎み、自らと引き替えになにもか
もを滅ぼしてしまってもかまわないと思う、危険な…感情。それはでも…しか
たのない…感情…」

  カントのポオラ、顔を客席と反対方向に向けて倒れる。
  そして、倒れたままユウダイの台詞。

ユウダイ「カットォ!」

  曲…
  ゆっくりと立ち上がる

N「彼女が立つ大地から、遙か離れた場所で、逃げ惑っているサソリ型ロボッ
トの群れ。中の一台の動きがふいに止まる。八つの足が事切れたように制止。
その目にあたる黒いミラーシェードの部分、奥にいくつかの赤い点が、ゆっく
りと、あたりを伺いながら動いてはいる。だが、やがてその動きもでたらめ
に、苦し紛れにただ動いているだけとなる。動きを止めたものは、そう…
 サソリの頭の上、きらり、きらりと垂直に光るもの。まっすぐに突き立つ細
い針。サソリのボディの赤、その針の先から銀色へみるみる変わっていく。黒
いシェードにも垂れていくきらめく水銀。赤い点の目とおぼしきところ、さあ
ーっと、水銀に覆われ、あっという間に赤い点が、どれもこれも小さくなり、
フェードアウトしていくように消えた」

  できたら耳をつんざくような飛行機の離陸音。

N「ハルカの乗るアエロフロートロシア国際航空SU260便は九時間四十分
のフライトの後十一時四十二分成田空港に着陸、鷺宮に帰ってきたのはそれか
ら二時間半後のことだった。最短、最速の帰国ではあったが彼女がカントに会
うことはできなかった」
ユウダイ「遅かった…」
ハルカ「遅い? なにが?」
ユウダイ「カントは…カントはもう」
ハルカ「カントがどうしたの?」
ユウダイ「カントは、消えた」
ハルカ「消えた?」
ユウダイ「歴史に介入した結果だ」
ハルカ「そんな」
ユウダイ「遅かった、遅かったんだ」
ハルカ「そんなぁ!」
ユウダイ「彼は…消えて…しまった」
ハルカ「なぜ? なぜ止めなかったの?」
ユウダイ「これは…奴が望んだことだ…」
ハルカ「彼は…私達の息子は…いったいなにを望んだの?」
ユウダイ「映画に…なることを。カントは言った」
カント「どこの世界に高校時代の自分の父親と映画作りができる奴がいるって
いうんだ?」
ユウダイ「いない…そんなことはできないんだ」
カント「できない? でも、今、僕はこうしてやっている」
ユウダイ「だから、おまえは今、消えようとしているんじゃないか…わかって
いるのか? 消えてなくなるんだぞ」
N「ユウダイは未来からやってきたメイキング班がこちらの時代。彼らにとっ
ては過去に滞在している間の住処として使っている場所へと案内してもらう。
そこは環八沿いにある潰れたパチンコ屋の二階。取り壊しの工事が延び延びに
なっている場所を彼らは不法占拠、というか間借りしてこの半年間暮らしてい
たというわけだった。外の非常階段をカンカンカンと音を立てて上る。錠が壊
された鉄の扉を開けると、積み上げられたパチンコ台の間に明るい場所。そこ
にはまるでドミトリーのようにベッドがいくつか並べられていた。そして、そ
の一つにカントがうずくまるようにして寝ていたのだった」

  ユウダイはその側へと近づき、

ユウダイ「容態は? どうだ?」
N「声に気づいたカントが振り向き「やあ」とばかりに手を挙げた。その手は
やはり向こうが透けて見えていた。まるで病院に見舞いにきたかのように、ベ
ッドの横に腰掛けるユウダイ」
ユウダイ「こんなところに半年以上も居たのか?」
カント「気がついた?」
ユウダイ「ん? なにが?」
カント「寒くないでしょ、ここ、それに外に比べると空気もいいんだ」
ユウダイ「それは、確かにそうだ」
カント「机の上に小さなオームがいるだろ?」
ユウダイ「オーム? これか?」
カント「そう『風の谷のナウシカ』のオームのミニチュアだ」
ユウダイ「これが、どうかしたのか?」
カント「それがこの部屋の空調や明かりを管理している装置だ」
ユウダイ「このオームが?」
カント「そういうグッズが、父さんからすると、未来の時代にはあるってこと
だよ」
ユウダイ「オームで空気の清浄ねえ」
N「二人は笑い合った。そして、それもつかの間、ユウダイは本題を切り出し
た」
ユウダイ「ハルカが戻ってくる、と言ってる、そして、すべてまた撮り直す。
たとえ自分達の子供であっても歴史に介入させるわけにはいかない、って」
カント「映画作りには参加させてもらえないってことか」
ユウダイ「映画への参加、それがすなわち歴史への介入になるんだよ」
カント「わかってますよ、お父さん、タイムトラベルの会社からもそれは厳重
に注意されましたから」
ユウダイ「なのに、おまえは」
カント「しょうがないじゃないですか。じゃあ、父さんが今の僕の立場だった
ら、どうしてました? 自分は未来からやってきた人間だから、歴史に介入す
ることは固く禁じられているから、だから目の前でとん挫する映画を見て見ぬ
振りをする?」
ユウダイ「しない、な」
カント「でしょ?」
ユウダイ「たぶん、おまえと同じ事を、俺もするよ」
カント「でしょ?」
ユウダイ「たぶんな、いや、おそらくな」
カント「必ず、でしょ?」
ユウダイ「そう、だな」
カント「僕のお父さんはそうでなくちゃ」
ユウダイ「そうか、おまえが歴史に介入しようとするのは、そもそも、俺の血
が流れているから、なのか?」
カント「そういうことですよ」
ユウダイ「いつまで、いられる?」
カント「もう、まもなく戻らなきゃなりません」
ユウダイ「明日の晩、ハルカが成田に着く、それまでは」
カント「間に合いません」
ユウダイ「明日の夜だぞ」
カント「ええ、その時はもう、僕らは」
ユウダイ「いないのか?」
カント「ええ」
ユウダイ「また、未来からやってくればいいじゃないか、タイムトラベルが可
能なんだったら」
カント「たぶん、もう無理です」
ユウダイ「金か?」
カント「いえ、歴史不介入の原則を侵したことは、すぐにバレますよ。そした
ら、二度ともう時間の旅はできない」
ユウダイ「おまえ、それもわかっていたんだな」
カント「はい、でも、もう他のみんなみたいに、今度は本能寺に行きたいと
か、二千十八年の東京湾へのアクテム彗星の落下を見てみたいとか、そういう
欲求は僕にはありませんから」
ユウダイ「アクテム? 彗星?」
カント「あ! まだ起きてないか、そうなんです、東京湾に落ちるんですよ、
彗星が、それで」
カント「そんな話はいいああ! 言うな、それは知りたくない、知りたくな
い、知りたくない!」
カント「この時代へとやってきて…僕は誰も…経験しないことを経験した。二
千十三年の暮れ。喧噪の中で、映画を作ることだけを考えて、それに没頭し
た。ここに、この時代に仲間がいたんだ。それは僕の…若き日の父。同い年の
父だった。お父さんとキャッチボールをする子供はいるかもしれない。でも、
お父さんと映画作りをする子供はいない。僕だけだ… お父さんは言った、映
画とは映画を作ることだ。僕は消えてしまって、それでどうなると思う」
ユウダイ「…わからない」
カント「僕は思うんだよ、お父さん。これで…僕は消えてしまって…映画を作
りながら消えてしまって…僕は…映画になるんじゃないかって…思うんだ」
ユウダイ「映画になる?」
カント「そう、映画になって映画の中で生きる…この映画『水銀の花嫁』の中
で」
ユウダイ「カント…おまえがたとえここで消えてしまったとしても…映画の中
に…おまえの姿は残っている…ハルカの代役として…」
カント「そう…映画の中の僕の姿まで消えやしない…だって、それは僕がそこ
にいたって証拠に他ならないんだから…」
ユウダイ「おまえはそれでいいのか?」
カント「それで…なにが悪いの?」
ユウダイ「本当にそれでいいのか?」
カント「お父さん…僕は映画の中にいるよ…ずっとね…」
ユウダイ「それで…いいのか?」
カント「聞いてばかりじゃなくて…お父さんが言うべきことはあるだろう?」
ユウダイ「それは…」
カント「おまえ、生まれてきて、良かったな…だよ」
ユウダイ「そうだな…」
カント「うん…僕はね…お父さん…」
ユウダイ「ああ…」
カント「とても幸せだ」
ユウダイ「ああ…」
カント「とても幸せです…」

  曲、イン。

ハルカ「ユウダイ、なにをしてるの。みんなを集めて! 残りの撮影を…さ
あ、始めましょう…この映画を完成させるのよ。みんなで始めたことを、みん
なで終わらせよう!」
N「惑星の北極大陸で発見された究極兵器、『水銀の花嫁』。氷の棺から起き
あがったとたん、彼女が触れるものはすべて、水銀のように輝く金属へと変化
していった。その動きを封じ込めるべく、氷化爆弾によって再び凍り漬けにさ
れ、それはこの星の衛星軌道を回る母船へと収容された。その後を追って大気
圏外へと飛び出していくポオラと少年ロビン、だが、二人が駆けつけた母船の
中で、水銀の花嫁は自由を奪う氷を砕き、ゆっくりと、宇宙船の中へと這い出
して、宇宙船そのものを、水銀に変えようとしていたのだった…」
ハルカ「はっ! はっ! はっ! はっ! はっ! はっ! はっ! は
っ!」
ロビン「ポオラ、ポオラ、来るよ、水銀の花嫁が来るよ」
ポオラ「走れ、ロビン、立ち止まるんじゃない、今は走れ、走るんだ、ロビ
ン、走るんだ、
走って、走って、力の限り…走るんだ」
ロビン「ダメだ、ダメだよ、ポオラ、もうダメだ、僕は…こんなに…走ったこ
とが…ない
…」
ポオラ「走ったことがないから、走れない、ってことはない、今までできなか
ったことも、
今からやるんだ。これからやるんだ、今、やるんだ」
ロビン「できない」
ポオラ「できないって言うな」
ロビン「でも、でも」
ポオラ「弱音を吐くな、今は、その時じゃない」
ロビン「もうダメ、ダメなんだよ」
ポオラ「ダメじゃない、ダメだと思ったらダメなんだ」
ロビン「ポオラ、後ろ、後ろを見て、銀色が襲ってくる、水銀がやってくる
よ」
ポオラ「振り向くな、前を見ろ、前だけを見ろ、そして、走れ、自分の行方だ
けを、これ
から先の道だけを見るんだ」
ロビン「走ってるよ、走ってるよ」
ポオラ「もっと、もっとだ」
ロビン「もっとは、無理だよ、これ以上、無理だよ」
ポオラ「まだまだ、まだ、まだ」
ポオラ「走れ、走るんだ。走って逃げるんだ」
ロビン「逃げる?どこまで」
ポオラ「どこまでも、逃げるんだ」
ロビン「逃げられないよ」
ポオラ「逃げのびるんだ。でないと、生きのびることができないんだよ」
ロビン「僕はいい、もういいよ」
ポオラ「あきらめるんじゃない、生きることを! 逃げることを」
ロビン「逃げないで、戦おう、僕は戦える」
ポオラ「戦えるなら、私だって戦ってる。でも、こいつにはかなわない」
ロビン「そんなこと、やってみなくちゃわからない」
ポオラ「おのれを知れ!」
ロビン「戦う、僕は戦う」
ポオラ「なにを! ロビン、おまえになにができるっていうんだ!」
ロビン「逃げるだけじゃダメだ」
ポオラ「戦いようがないんだ…水銀の花嫁は…水銀の花嫁は…」
ロビン「逃げてるだけじゃ、ダメなんだ。僕は戦う、ねえ、いいでしょ、戦わ
せて…この
星では僕以外は誰もできない。それは戦うということ…」
ポオラ「走れ、走れ、走るんだ」
ロビン「もう、もう走れないよ」
ポオラ「まだいける、まだ走れる」
ロビン「もうダメだよ」
ポオラ「ダメと言うな、走れ、走るんだ」
ロビン「来るよ、水銀の花嫁の銀色の手が、どんどん迫ってくるよ」
ポオラ「走れ、走って、逃げるんだ。走れ、走れ、走れ、走れ、走るんだ……
まだ、いけるはず、まだいける、きっと、まだ……どこまでもいけるはず、そ
う信じて、今は走れ、どこまでも走るつもりで、駆け抜けていけ……夢に届く
まで…全力で…走れ…いつか、きっと、たどり着けるはず……だから…あらめ
るな…立ち止まるな…考える前に…走ろう……そうすれば、きっと…きっと
…」
ユウダイ「カアットォ! OKです」
スタッフ1「OKです」
スタッフ2「OKです」
スタッフ3「OKです」
スタッフ4「OKです」
スタッフ5「OKです」

  そして走りきって倒れ込んでいるハルカの元へと駆け寄っていくユウダ
イ。

ユウダイ「お疲れ、OKだよ、すばらしい、大丈夫か、ハルカ」
ハルカ「私は大丈夫…それより、これはなに?」
ユウダイ「なんだ?」
ハルカ「このチップ…メモリーじゃない?どうしてこんなところに?」
ユウダイ「ここで…この場所でカントは消え去った」
N「ユウダイ達は、カント達、未来からの撮影現場見学者達が残したメイキン
の映像を見て驚いた」
ユウダイ「メイキング、メイキングって言ってて、これのどこがメイキングな
んだ」
ハルカ「どうしたの?」
ユウダイ「ハルカ、これはほとんどハルカ、おまえのプロモーションビデオだ
よ」
ハルカ「プロモーションビデオ?どういうこと?」
ユウダイ「撮影中のハルカの姿しか映ってない。いや、姿というよりは笑顔し
か映ってない」
N「そこにデータとして残っていたのは、ハルカのビハインドシーン。撮影中
の真剣な表情よりも、カットがかかって、思わず微笑んだその顔。OKが出た
後の安堵の顔、制服姿で衣装に着替えるために、さっていくなびく髪。みなの
前に現れる、赤いボディスーツ姿のポオラとしてのハルカ。映画の中では見る
ことができない、そのはにかんだ表情、それらのカットはすでに編集され、ユ
ウダイが言うとおりまるでハルカのプロモーションビデオのように次々と、微
笑みがたたみかけられている。しばらくしてユウダイがつぶやいた」
ユウダイ「これは…これで映画のようだ」
N「そして、ハルカもまたつぶやいた」
ハルカ「私、こんな顔してるんだ、普段、なんでもない時は」
ユウダイ「こんなにいい顔ばっかりじゃないけどね」
ハルカ「失礼ね」
ユウダイ「本当だよ、ここには選りすぐりの柊ハルカの笑顔ばかりが丹念に集
められてる」
ハルカ「編集も手間がかかってる」
ユウダイ「これは映画だ」
ハルカ「かもしれない」
ユウダイ「これは、もしかしたら、カントが…僕らの子供が初めて撮った映画
かもしれない」
ハルカ「それが、私の笑顔ばかりの映画」
ユウダイ「若かりし頃の、美しい母の笑顔ばかりの映画だ」
N「笑顔は続く。カメラの側で体育座りをして、つけまつげを気にしているハ
ルカ、いい感じになったようで、ふっと一人で納得の笑い。撮ったテイクをチ
ェック、モニターをのぞき込み、そして、その側にいるロビンこと、ショウタ
に笑いかけるハルカ。無邪気に笑うハルカ、笑顔のハルカ、笑うハルカ、笑う
ハルカ、笑うハルカに、クレジットが上がってくる。出演、吉久直志、笑うハ
ルカは続く、ちゅーっと頬を凹ませて、パックのカフェオレを飲み、一息つい
て、微笑んだハルカ。脚本、じんのひろあき。写メ撮るためにスタジオの隅で
変顔して、一人で笑い転げているハルカ。パフォーマー、森澤碧音、まあさ、
山崎涼子、恩田和典。笑うハルカ、スタジオの隅で疲れて眠り込んでいるハル
カの顔、「カット」がかかったとたん、その場にへたり込むハルカ、やりきっ
た満足なその笑顔、笑顔、笑顔…そして、二十年後、ユウダイの家、ハルカの
家、その居間、映し出されているのは若き日のハルカの笑顔、笑顔、笑顔、や
ってきたハルカがそれを見て、呆れながら言った」
ハルカ「あなた……あなた…もう寝てしまったの?また、こんな古い映像をひ
っぱり出してきて見ている」
ユウダイ「消すな、見てるんだ」
ハルカ「あら、起きてたんですか?」
ユウダイ「起きてたよ、見ているんだよ」
ハルカ「何回、同じ映像を見てるんですか」
ユウダイ「いいじゃないか、若かりし頃の君だ」
ハルカ「若いといえば、若い、だって、もう二十年も前の映像ですよ。私、今
はもうおばさんになっちゃったけど、この頃は十七歳。若いと言えば若いです
よ、確かに」
ユウダイ「若くて、綺麗だ。今も、だけどね」
ハルカ「カントが大学に受かったそうよ。映画学科、監督コース」
ユウダイ「そうか、受かったか」
ユウダイ「あの日、あの時、我々が闇雲に駆け抜けた時間をあいつに見せたの
は、無駄ではなかったよな。あの映画を作ったのは無駄ではなかったよな」
ハルカ「無駄どころか、大切な宝物ですよ。みんなみんなここにこうして残っ
ている。あの日、走った記憶、あの思い出、振り返ると抱えきれぬ思い出、そ
れは、みんな美しい思い出」
ユウダイ「…美しい思い出、それが…」
ここでようやく、メインタイトル
ユウダイ「『水銀の花嫁』」
N「やがて、画面はゆっくりとフェードアウトしていく」

  という言葉と同時に、暗転。
  おしまい。