『しっぽの痛み ペイン・オブ・ア・テイル』
登場人物
高須ゆみ （高須光太郎の娘）
中村理央 （中村たかとしの娘）
杉岡幸博 （ゆみのカレシ）
大崎 優 （理央のカレシ）
高須えみ （ゆみの妹）
近田留実 （生徒会副会長）
明転すると、高校の教室。
放課後。
机がランダムに並んでいる。
そこで離れて座っている二人の女の子。
高須ゆみ。
中村理央。
二人とも別々の方向を向いて、携帯でメールしているふりをしている。
制服姿の彼女達には白くて毛並みの良いぶらんとしたしっぽがある。
だが、劇中、その二人のしっぽについてあえて触れる者は誰もいないし、
彼女達が話ながら、そのしっぽを撫でていたり、くるくるまいていたりしたと
しても、絶対にそこに注目したり、凝視してはならない。
やがて、入ってくる近田留実。
留実「お待たせしました」
ゆみと理央、携帯をそそくさとしまい、留実に向かう。
留実、ゆみと理央のちょうど中間の場所にある机に座る。
留実「生徒会副会長の近田です」
ゆみと理央、黙礼する。
留実「あの…このたび、高須さんと中村さんのお父さんが同時に市長選挙に立
候補なされまして…」
留実、二人の反応を伺っているが、二人、だからといって特に反応するわ
けではないことがわかって、後を続ける。
留実「まあ、たまたまではありますが、一つのクラスに二人の候補者の子供が
いらっしゃるという我が校始まって以来の事件が起きたものですから、正直、
みなさん、どうしていいか、あの困っているというのではございませんが、ち
ょっとばかりとまどっております。あの…選挙というのは非常にデリケートな
ものでありまして、私もこの生徒会の役員に立候補して、選挙戦というものを
経験してますから、いきなり、対立候補の関係者となられたお二人のお気持ち
は重々理解しております。クラスの誰にも相談できることではないと思います
から、もしも、なにかございましたら、ぜひ、この生徒会副会長の近田に相談
してみてください」
ゆみと理央、返事はない。
留実「あの…今、とりあえずなにか問題になっていることとか、気になってい
ることとかはございませんか？」
ゆみ「…別にありません」
理央「私も、別に…」
留実「あの、気にせずに、なんでも本当にご相談ください…生徒会はできるだ
け、お力になります」
理央「別に…本当にないです…お父さんが立候補するだけで、私が立候補する
わけではないですから」
留実「でも、クラスのみなさんの態度とかは、どうなんですか？」
ゆみ「態度は変わりました」
留実「変わったでしょう、やっぱりねえ…」
理央「急によそよそしくなったっていうか…」
留実「いじめ…とかは」
理央「いじめ、とかならまだいいって感じですけど…」
留実「はあ…では、どんな？」
ゆみ「ものすごく変に気を遣ってくれるようになりましたけど、別にねえ、そ
んなねえ、あれですから」
留実「四年に一度、市長の選挙がある度に、いつも大田原市は二つの政党が激
戦をくりひろげるのはもう、恒例といってもいいことですからね」
ゆみ「まさか、お父さんが立候補するとは思わなかったけど」
留実「反対とかなさらなかったんですか？」
ゆみ「反対？ なんで？」
留実「だって、こんなふうに巻き込まれることは予想できたことじゃないです
か」
ゆみ「ああ、まあねえ」
理央「だって、立候補したいっていうんだから、それに反対しても…ねえ」
ゆみ「ああ、そう…反対して親とモメるくらいなら、立候補してもらって、ク
ラスで孤立する方がまだましかなって思ったことは思ったから」
理央「私もそうです…」
留実「お父さんに立候補を取りやめるよう説得するよりも…立候補してクラス
で孤立する方が楽？」
ゆみ「ですね」
理央「ですよ」
留実「そう…ですか」
理央「そうですよ」
留実「そういうもんですか」
理央「あの…」
留実「はい」
理央「お願いがあるといえば、あるんですが」
留実「はい！ なんでしょう！」
理央「できるだけ、選挙が終わるまでそっとしておいてもらえると助かるんで
すけど」
留実「そっと…」
理央「ええ…立候補者の子供だからって特別扱いしないでもらえると助かるん
ですけど」
留実「特別扱いしないっていうのは」
ゆみ「普通にしてもらってて欲しいんですけど…選挙は選挙ですけど、私には
関係ないことですから」
留実「はい、それはわかっていますけど…」
理央「そういうことでよろしくお願いします」
曲、カットイン。
照明、ゆみと理央を抜いて。
ゆみ「お父さん、次の市長の選挙に立候補しようと思うんだ。ある晩、お父さ
んがいきなりそう切り出した。立候補しようと思うんだ。まるで相談事を持ち
かけるような口調で言ったけど、実はもうなにもかも決まっていることを私に
一方的に告げているだけのことだ。私に拒否権なんてあるわけがない。そこで
やめて、と、私が言ったからといってなにがどう変わるというのだ。あ、そ
う。というしかない。だから、私は話を全部一応聞いたあと、あ、そう、と言
った。高須ゆみ、十七歳、秋の終わりのことだった」
理央「お母さんが言った。お父さん、市長の選挙に出るかもしれないのよ。そ
したら、あんたは市長さんの娘ってことになるんだからね、今までよりもしっ
かりした子にならないとねえ。お母さんはもうお父さんが市長になると、その
時すでに固く固く信じていた。でも、そんなふうに根拠なんかはっきりしない
けども、勝てると固く固く信じていなければ、選挙に立候補なんてできないだ
ろう。町中（まちなか）を選挙カーでぐるぐる回って、自分の意見を大きな声
で怒鳴り続けることなんてできやしないだろう、お願いします、お願いします
と、やみくもに、あらゆる人に向かってお願いすることなんてできやしないだ
ろう、今日もまた聞こえる、私のお父さんが、自分の名前を叫び続ける声が…
中村たかとし、中村たかとし、中村たかとしをよろしくお願いします…中村た
かとし、の一人娘、中村理央、十七歳、秋の終わりのことだった」
と、この台詞の終わりあたりから、その両父の選挙カーからの演説が聞こ
えてくる。
光太郎の声「高須、高須、高須光太郎です。お騒がせいたしております。高須
光太郎が御挨拶にまいりました」
たかとし「中村たかとし、中村たかとし、このたび市長選挙に立候補いたしま
した、中村たかとしでございます」
この選挙カーの演説でゆっくりと暗転していく。
曲を掛けずに、この演説をブリッジにする。
明転。
体育準備室。
舞台中央奥に跳び箱がある。
その跳び箱を挟んで上手に理央、下手にゆみが座って携帯を開いているが
…
二人、同時にパタンと閉じた。
理央「誰からもメールが返ってこなくなっちゃった」
ゆみ「私も」
理央「みんな、なんて言っていいかわかんないんだろうな…気遣うのも大変だ
ろうね」
ゆみ「優しいね」
理央「そう？」
と、メールの着信音。
理央「メール？」
ゆみ「うん」
理央「来ることは来るんじゃん」
ゆみ「カレシから…もうちょっとしたら会いたいって…」
理央「カレシ、いるんだ」
ゆみ「西高」
理央「男子校？」
ゆみ「そう…」
理央「もう、長いの？」
ゆみ「ううん、短い」
理央「へえ」
ゆみ「ちょー短い」
理央「ちょー短いって、二週間とか？」
ゆみ「もっと」
理央「もっと？」
ゆみ「十日」
理央「すげー、最近」
ゆみ「そう、ついこないだって感じ」
理央「そうなんだ」
ゆみ「つきあい始めていきなり、こんなお父さんがさ…立候補しちゃったりし
てさ…すんごいビビっちゃって、ちょっとかわいそうなんだ」
理央「それ、言ってあげなかったの？」
ゆみ「言うって？」
理央「だから、つきあうのはいいんだけど、でも、お父さんが立候補するか
ら、それで、いろいろほら、あるかもしれないんだけどって…」
ゆみ「うん…それ、言おうかどうしようか、すっげー迷ったんだけど…でも、
言えなかった。言えないまま、つきあうことになっちゃった」
理央「どうして？ なんで言えなかったの？」
ゆみ「私さあ…」
理央「うん」
ゆみ「私ね…男の子から告られたのって初めてだったんだ」
理央「告られたんだ」
ゆみ「そう…向こうから告ってくれたの。生まれて初めて、告られたの。生ま
れて初めて好きですって言われたの。十七年生きてきて、初めて男の子が私に
向かって、もしよかったら、つきあってくれないかなって言ったんだ…そんな
のさあ、そんなこと夜の公園でさ、面と向かって言われたらさ、こりゃもうつ
きあうっきゃないじゃん。そんなのつきあっちゃうじゃん…だから、その場で
『うん』って言ったんだよ。そしたらね、カレシがね、ヒロ君って言うんだけ
どね、ヒロ君がね、すっげーうれしいって言ってくれたんだ。『俺に彼女がで
きるとは思わなかった』って、それでね、それでだよ、その後でさ、実は、私
のお父さんが今度、立候補することになりまして、おつきあいするにあたり、
いろいろとご迷惑なことが…なんてさ、そんなこと言えるわけないじゃん。そ
んなの、口が裂けても言えるわけないじゃん」
理央「言えないね、それは」
ゆみ「言えなかった…でも、言っておくべきだったのかなあ、やっぱり、つき
あって十日…激動の十日間」
理央「でも、メールはくれるんでしょう？」
ゆみ「うん」
理央「私のカレシとか、メールもくんなくなっちゃった」
ゆみ「なんで？」
理央「なんで、って、いろいろビビっててさ、なんてメールしていいのかわか
んなくなっちゃってるみたい」
ゆみ「うちの学校？」
理央「ううん…富士見」
ゆみ「富士見なんだ」
理央「もう二年になる」
ゆみ「長いね」
理央「うん、無駄にね」
ゆみ「二年かあ」
理央「あっという間だったけど」
ゆみ「でも、二年でしょう」
理央「なんか、ずるずるとね…でも、なんにもない二年よりも、激動の十日間
の方が、意味があるかもよ」
ゆみ「そうかな」
理央「だと思うな。最近、お父さんの選挙のさ、これがあって、いろいろ思い
返してみて、ちょっとびっくりしたことがあって」
ゆみ「なあに？」
理央「カレシとさ、なんでつきあい始めたのか、覚えてないんだよね」
ゆみ「覚えてない？ なんで？」
理央「なんでだろう…」
ゆみ「でも、告ったのがどっちでとか」
理央「告るとかなかった」
ゆみ「え？ 」
理央「告りなし」
ゆみ「告りなし？ じゃあ、どうやってつきあい始めたの？」
理央「なんとなく」
ゆみ「なんとなく？」
理央「ずるずると」
ゆみ「ごめん、よくわかんないんだけど」
理央「いや、わかんないと思うよ、だって、私だって、彼だってわかんないん
だから…気がつくとつきあってた、っていう感じ」
ゆみ「あるんだ、そんなこと」
理央「うん、びっくりでしょう」
ゆみ「そりゃびっくりだわ」
と、メールに着信した。
理央「あ！」
理央、携帯を開いた。
理央「（読んで）ひっどい！」
ゆみ「どうしたの？」
理央「久々にメール来たと思ったら…」
ゆみ「なに？」
理央「今すぐ会いたいって…今すぐ来てって、いっつもこーなんだよ」
ゆみ「（微笑んで）いいじゃない」
理央「うん…まあ、いーんだけどね」
暗転していく。
明転すると。
舞台の上（かみ）に理央と優。
下（しも）にゆみとヒロ君。
公園のベンチ。
ヒロ「お父さん、がんばってるね」
ゆみ「ああ、ねえ」
ヒロ「この前、選挙カーで回ってるとこ、見ちゃった」
ゆみ「え？ ほんとに？」
ヒロ「俺に向かって手、振ってた」
ゆみ「ほんとに？」
ヒロ「ほんと、ほんと…すっごい不思議な気分だったよ…彼女のお父さんが
さ、俺に笑顔で手ぇ振ってんだぜ…」
ゆみ「（もうなんて言っていいやら）うわぁ」
ヒロ「でもって、俺によろしくお願いしますって」
ゆみ「絶対に娘のカレシだとは思ってないよ」
ヒロ「それわかってたとしても、やっぱりああやって笑顔で俺に手を振ったか
な」
ゆみ「振ったんじゃない？ だって、選挙なんだから、そんなことに構ってら
れないよ」
ヒロ「まあ、そうだけどね…え、じゃあ、選挙の時ってなにに構うのかな？」
ゆみ「勝ち負けでしょ、当選するか落選するか、その二つしか頭にはないと思
うよ」
ヒロ「そのためには娘のカレシにも笑顔で手を振ったりするんだ」
ゆみ「やるよ、そんなの…」
ヒロ「そんなにお父さんががんばってる時なのに、ゆみちゃんはなにしてる
の？」
ゆみ「私？」
ヒロ「うん…」
ゆみ「私は学校の体育準備室に…ずっといるの」
ヒロ「体育準備室？」
ゆみ「ずっといるの、そこが学校の中で一番いい場所だから」
理央と優、側。
理央「（すっとんきょうな大声で入る）なに！ 携帯変えたの？」
優「そう、トイレに落としちゃってさあ、大変だったんだよ」
理央「いつ？」
優「五日くらい前かな」
理央「五日前？」
優「もうさあ、大変だったんだよ…」
理央「メールくれなかったのって、もしかして、それが理由？」
優「そう！ メールできないし、電話番号わっかんないし」
理央「なんで電話番号わかんないの？」
優「いや、控えてなかったから」
理央「なんで控えないの！」
優「控えないだろう、普通…全部携帯に入ってるんだから」
理央「でも、なんとかして連絡とかさ、取ろうとか思わなかったの？」
優「家電も知らないし…連絡なんて取りようがなかったんだからさ…携帯ない
と、本当になんもできないんだよ」
理央「会いに来てくれるとかさ、他にも方法あるじゃない」
優「行ったよ」
理央「え？ 本当に？」
優「理央ちゃんの家の玄関が見えるところまで行ってちょっと待ってた」
理央「本当に？」
優「嘘ついてどうすんだよ」
理央「ごめん…いや、そういうつもりじゃ」
優「おまえこそ、どこ行ってたんだよ。どこにいたんだよ」
理央「…体育準備室」
優「体育準備室？」
理央「うん…ずっと、最近、いるの、そこに」
以下、それぞれのカノジョはそれぞれカレシに向かって話しているが、実
は全員が一つの話をしているかのように喋る。
ヒロ「体育準備室？」
ゆみ「うん…なんかさ、教室にいるとね、周りの雰囲気がなんつーか、ツンツ
ンしてるんだよね」
ヒロ「ツンツン？」
ゆみ「微妙に気を遣ってくれてるっていうかさ」
理央「教室にいるとね、なんだかうるさくてしょうがないんだよ。うるさくて
しょうがないって言っても、教室はね、静かなんだよ。静かなんだけどうるさ
いんだ」
優「よくわかんないけど」
ゆみ「ツンツンしてるの…みんなの視線とか、気配が、なにもかもが…」
理央「これはね…私の…被害妄想なのかもしれないけどさ」
ゆみ「そう思うんだ」
理央「本当は誰も私の事なんかどうでもいいし、気にも掛けていないかもしれ
ないけど、でも、感じているこのみんなのツンツンした感じって、いったい何
なんだろうって…」
ゆみ「なにか感じたの。これはね、お父さんが選挙に出たから特別扱いされ
て、ってことでもないような気がするんだ」
理央「でも本当は、ずっと前から感じていたことなんだ」
ゆみ「前々から気づいていたことを」
ゆみ・理央「今回、これで思い知っただけなんだよ」
間。
理央「だから、なんだか教室に居づらくて、とりあえず屋上に避難してみた
の」
ゆみ「そしたらね、橋本英弘って奴がいてさ、そいつとつきあってる川本麗香
が二人でさ、ＤＳとかやっててさ、二人で仲良く笑ってやがんの」
理央「あとね、二回リスカした一組の寺田妙子ってのがいてね、一人でコーヒ
ー牛乳飲んでたの…そんなの一緒にいれないじゃん。目なんかあったりした
ら、なんて言っていいかわかんないしさ…」
ゆみ「それでいろいろ探し歩いていて見つけたの。体育準備室を」
理央「誰も来なさそうだし、こりゃいいやって思ったら、先客がいたの」
優「先客？」
理央「高須ゆみ」
優「高須光太郎の？」
理央「娘の高須ゆみ…あの人もそこに避難してたの…教室に居づらかったんだ
って」
優「それで？ それでどうしたの？ またどこか避難できる場所を探した
の？」
理央「ううん…そしたら、ゆみちゃんがね、ここにいればって言ってくれた
の。ここちょっと汗くさいし、埃っぽいけど、でも、いいところだよって」
ゆみ「まさか、同じ場所にさ、対立候補の娘がやってくるとは思わないじゃな
い」
ヒロ「まさか中村理央がねえ…人間…考えることは同じか」
ゆみ「それで、ここにいればいいじゃないって言ったの…ちょうど真ん中に跳
び箱があってね、その跳び箱を境界線にして、体育準備室を二つにわけて、お
互い、その境界を越えないでいようってことにしたの（と、跳び箱のラインを
宙に作って）こう…境界線が伸びてて、こっちが私、こっち側が理央ちゃんっ
て決めたの」
理央「それでね、お互い、無理に話をするのはやめようってのも決めたの」
ゆみ「それまで、クラスで特に仲がよかったわけじゃないし」
理央「仲悪かったわけでもないけど」
ゆみ「そこで気を遣ったりするのも嫌（や）だったから…」
優「そうなんだ…」
ゆみ「そしたら、理央ちゃんがダースを一個くれたの」
ヒロ「ダース？」
ゆみ「チョコだよチョコ、チョコのダース。それをね、くれたの。跳び箱のそ
のラインの上に二人で手を伸ばして」
理央「跳び箱のその（ここでジェスチャーがあってもいいです）ラインの上は
二人のどっちのもんでもないからね」
ゆみ「それ以来、ずっといるの…」
理央「だから、ずっといるの、二人で」
ヒロ・優「体育準備室に」
ゆみ・理央「そういうこと」
ここからカレシ、カノジョの会話に戻る。
理央「…だから、体育準備室で、ずっとメールとか電話とか待ってたのに…」
優「だから、ごめんって」
理央「いいよ、別に…そういう理由なら」
優「あ、いや、でも、それだけじゃないんだ」
理央「それだけじゃないの？」
優「大問題があって」
理央「大問題？」
優「昨日、家帰ったらおやじとおかんと弟と妹でさ、家族会議するって言われ
てさ、呼ばれてさ…」
理央「家族会議？」
優「理央ちゃんとつきあってることをね、うちの家族がすごい気にしてるんだ
よ」
理央「気にしてるって、なにを、気にしてるの？」
優「うちのおやじの会社ってさあ、どっちかっていうと、メチャメチャ高須光
太郎陣営なんだよね」
理央「それは知ってるけど」
優「だからさ、そこの部長の息子がさ、中村たかとしんとこの一人娘とつきあ
っているのは、どうかって」
理央「（メチャメチャ困ってる）なにそれえ…」
優「でも、別れろとかそういうことじゃないんだよ」
理央「うん…じゃあ、どういうことなの？」
優「つきあっているおまえ達の気持ちを大切にしたいって」
理央「うん…」
優「だから、少し話を聞かせてくれって言われて」
理央「話？ なんの話？」
優「どうしてつきあっているのかって？」
理央「どうして？ どうして…か」
優「そんなのさあ、両親がさあ、食卓で背筋伸ばして座っちゃってさあ、面と
向かって俺に言うんだよ…どうしておつきあいしているのか？って」
理央「それで…なんて答えたの？」
優「どうって言われてもさあ」
理央「うん」
優「答えらんないよ、そんなの」
理央「なんで？」
優「なんて言っていいのか…ちょっと情けなかった…うちの親がさ、おまえ達
の気持ちをうちは優先するから、って言ってくれているのに、自分の気持ちが
はっきりしないなんてさ」
理央「…うん」
優「自分はなんで理央ちゃんのことが好きなんだろうって、理央ちゃんのどこ
が好きなんだろうって…おまえだったら、なんて答える？」
理央「え…」
優「理央ちゃんだったら、なんて答えてた？」
理央「（言葉につまる）…」
優「な、問題だろう？ 大問題なんだよ」
理央「ちがうの…」
優「ちがうって、なにが？」
理央「んとさあ、どうしてつきあったかってのはさ、もうわかんなくなってる
わけじゃない」
優「そう、それはそう」
理央「でもね、でもね、でもね、でもね、その時、いいやって思ったわけでし
ょ、そうでしょ、そうでないと男子と女子がさ、じゃあつきあいましょうって
ことにならないじゃない」
優「いやいやいや、つきあいましょうって、どっちも言ってないのが俺達の問
題なんじゃないの？」
理央「ん…ちょっと待って」
優「ねえ、それがさあ、はっきりしないから問題なんでしょう」
理央「ちがう」
優「ちがう？ なにが？」
理央「問題にしている問題がちがう」
優「なにがじゃあ問題なの？」
理央「気持ちよ」
優「気持ち？」
理央「それはさあ、言葉にはしなかったけどさあ、でも気持ちでは思ってたわ
けじゃない、お互いさあ、いいかなって、ね、これはあってるよね、あってる
でしょう？」
優「でも、それを…なんて言えば伝わると思う？ 俺はわかるよ、そうだった
よ、確かにそうだった…でも、それはどうしたらうちの親とか兄弟とかに伝わ
ると思う？ なんて…なんて言ったら…」
そして、祐美、ヒロ側。
ヒロ「…俺になにかできることはないのかなあ」
ゆみ「え？」
ヒロ「俺はなにもできないのかなあ…ゆみちゃんが今、こんなに大変な目に遭
ってるっていうのにさ」
ゆみ「そんな…ヒロ君には関係ないことなんだし」
ヒロ「関係ないとか言うなよ…そんなこと言うなよ…」
ゆみ「でも…悪いし」
ヒロ「悪くはないよ…だって、ゆみちゃんは俺のカノジョなんだからさ…カノ
ジョが大変だったら、カレシってなんかさ…力になったり元気づけてあげたり
とかさ、するもんだろう？ そういうもんだろう？ 普通」
ゆみ「普通って…言われても、私…男子とつきあうの初めてだから、普通とか
言われても、よくわかんないよ」
ヒロ「俺もわかんないけどさ…でも、そういうもんなんじゃないの？」
ゆみ「そうじゃないといけないってこともないんじゃないかな…みんなみん
な、そうなったらこういうことしなきゃなんないとか…別に決まってるわけで
もないと思うけどなあ」
ヒロ「それはそうだけど、そうかもしれないけど、なにもできないのかなあ…
俺」
曲がかかり暗転していく。
明転すると、
教室。
また生徒会副会長との面談中のゆみと理央。
留実「下馬評とか、見てます？」
ゆみ「（なんだよ、それ）下馬評？ どこに出てるんですか？」
留実「そういうのを調査する会社があるんですよ」
ゆみ「へえ…」
留実「その報告が２ちゃんねるに上がってるんです」
ゆみ「なんでそんな情報が２ちゃんに？」
留実「いえ、まあ、２ちゃんにはなんでもありますから…信用できるかどうか
はわからないんですけどね」
理央「（あまり信じてはいないが）そのあんまり信じられない情報では、どう
なんですか？」
留実「三日前には、高須五十二対中村四十八、今日は高須四十七対中村五十
三」
ゆみ「微妙…」
留実「ほぼ五分五分…蓋を開けてみなければわからないってところですかね」
ゆみ「どっちでもいいですよ、私は」
理央「私も…どっちでもいいな」
ゆみ「あれですよ…副生徒会長がもしも、私達のような立場だったら、どうし
ます？ やっぱり当落のこと、心配しますか？」
留実「そりゃそうでしょう」
理央「そりゃそうなんだ」
留実「だって…自分の人生の転機になるわけじゃないですか…環境も生活も、
なにもかも一変するわけじゃないですか」
理央「そんなの心配してなんとかなるんだったら、いくらでも心配しますけど
ねえ」
留実「やっぱりそういうふうに考えるようになっちゃいますかねえ」
ゆみ「当事者じゃないとわからないもんですよ、そんなのは」
理央「そうね…わからないでしょうね」
留実「（しみじみ）正直、お二人を見ていると、私は当事者じゃなくて本当に
よかったと思いますよ」
理央「（呆れて）本当に正直ですねえ」
ゆみ「すっごい正直者ですねえ」
留実「ええ、よくバカ正直だって言われます」
理央「それはもう…返す言葉がありませんよ」
留実「でも、もしも本当に私が当事者だったとしたら…」
理央「当事者だったとしたら？」
留実「立候補なんかする親に反抗してますね」
ゆみ「（興味本位で）反抗って、たとえばどんな？」
留実「家を出たりとか」
理央「ええ…」
留実「暴れたりとか」
理央「暴れる？」
留実「ええ…私、こう見えても、小さい頃からけっこう暴れる子だったんです
よ」
理央「暴れるって、どんなふうに？」
留実「わーっとなって、がーっとなって、ガッシャン！ って」
ゆみ「全然そんなふうには見えませんけどね」
留実「そんなふうに見えない子が暴れるとやっかいなんですよ」
理央「暴れるのかあ」
ゆみ「やったことないからなあ、私」
理央「私も」
留実「やってみればいいのに」
理央「うーん」
ゆみ「うーん」
留実「無理そうですね」
理央「ですね」
ゆみ「はい」
理央「基本的に暴力は反対なんで」
ゆみ「暴力反対に賛成なんで」
理央「ちなみに暴れた後って、どんな気持ちになるんですか？ やっぱり、気
持ちはすっきりするもんなんですか？」
留実「いや、全然…逆に死にたくなりますね、自己嫌悪で。なんて自分はバカ
なんだろうって」
理央「……副会長」
留実「はい、なんでしょう」
理央「（と、チョコを取り出しながら）チョコ、食べます？」
留実「え？ いいんですか？」
と、留実、ダーツを一つもらう。
理央「どうぞ、どうぞ、どうぞ」
そして、留実がそれを口に入れた瞬間。
理央「あの、そのチョコの意味、わかってますか？」
留実「え？ なんですか？」
理央「中村たかとしの娘からの賄賂です」
留実「え？ ええっ！」
理央「そのチョコ、賄賂ですからね、副会長は今、賄賂を受け取ったんです
よ。チョコ食べたんですから、高須光太郎よりも中村たかとしをお願いします
ね」
留実「え！ え！ え！ お返ししますよ、そんな賄賂だなんて…」
と、口から出そうとするが、
理央「（明るく）嘘ですよ！ 口に入れたもん返さないでください」
留実「本当に？ 本当にこれ食べても大丈夫なんですか？」
理央「大丈夫です…」
留実「すいません…バカ正直なんで…」
曲がかかりながら…
笑っているゆみと理央。
暗転していく。
両父の選挙カーからの演説が聞こえてくる。
光太郎の声「高須、高須、高須光太郎です。お騒がせいたしております。高須
光太郎が御挨拶にまいりました」
たかとしの声「中村たかとし、中村たかとし、このたび市長選挙に立候補いた
しました、中村たかとしでございます」
明転すると体育準備室。
跳び箱を挟んで、ゆみと理央がいる。
二人、跳び箱の左右に立ち頬杖をついてチョコを食いながら喋っている。
ゆみ「当たり前のことだけどさ…煙草吸ってる先生って臭いんだよね」
理央「臭い臭い…なに、田代？」
ゆみ「そう、タッシー」
理央「タッシーはね（え）」
ゆみ「なんであれが副担なんだろう」
理央「島崎先生、来なくなっちゃったからなあ」
ゆみ「担任が鬱病ってのもねえ」
理央「鬱病…悪化してるよね」
ゆみ「だよね」
理央「私達のせい？」
ゆみ「どーだろ」
理央「まあ、要素の一つではあると思うんだよね」
ゆみ「それはね…」
理央「あ！」
ゆみ「どしたの？」
理央「ダーツ、一個、跳び箱の向こうに落っことしちゃった…」
と、覗いて見る。
ゆみ「拾うの？」
理央「拾って…捨ててあげないと…かわいそう」
ゆみ「ダーツが…かわいそう？」
理央「かわいそうでしょ…ちょっと…」
と、言いながら、跳び箱の向こうに入っていく。
と、体育準備室にやって来るえみ。
この時、理央は跳箱の向こうにいて、こちらからは姿が見えない。
えみ「お姉ちゃん」
ゆみ「えみ！」
えみ「帰って来ないと思ったら、やっぱりこういうところに逃避してた」
ゆみ「逃避なんかしてないよ」
えみ「逃避でしょう、これは。誰がどう見ても逃避でしょう」
ゆみ「えみ、なんでここがわかったの？」
えみ「消去法」
ゆみ「なに消去法って？」
えみ「まずね…家に帰ってこないわけじゃない」
ゆみ「うん」
えみ「となると、町中をほっつき歩いているか、もしくは学校に残っている
か。それでえ、学校に残っているとしたら、教室ではない、誰でも入れる誰も
あまりこない場所…音楽準備室、美術準備室、体育準備室…で、体育準備室か
らまわるかって、最初にあたり！ なにしてるの、こんなところで？ お父さ
んの事務所でさ、電話とか掛けるのとかでも手伝ったら？」
ゆみ「電話？」
えみ「高須光太郎をよろしくお願いしますってさ」
ゆみ「ああ、あれかあ…」
えみ「あれかあ、ってそんな人ごとみたいに…みんなさあ、必死になって電話
攻撃してるんだからさ、お姉ちゃんもちょこっとは手伝ったら、どうなのよ」
ゆみ「そんなの電話掛ける人は掛ける人で事務所にいっぱいいるでしょう」
えみ「いっぱいいるよ、みんなもう朝から晩までずっと電話してるから、声ガ
ラガラになってやってるんだからさ」
ゆみ「だって、それはそういうお仕事なんだからさ」
えみ「仕事って、そりゃあねえ、確かにお金もらって仕事ってことでやってる
かもしれないけどね…でも、みんなお父さんを当選させようっていう気持ちで
一つになってがんばってるんだからね…それを候補者の娘がさ、こんな体育準
備室でさ、のほほんとしてていいと思ってるの？」
ゆみ「私だって協力はしてるわよ」
えみ「協力？ なにを？ お姉ちゃんがなにを協力してるっての？」
ゆみ「私なりの協力よ」
えみ「なにを？ なにを？ なにを？ なにもしてないじゃない」
ゆみ「なにもしないことが立派な協力じゃない。なんでそれがわかんない
の？」
えみ「わかんない、そんなの全然わかんないよ。お姉ちゃんさあ…」
ゆみ「なあに？」
えみ「もっと必死に生きたらどうなの？ なんかお姉ちゃん見てるとね、イラ
イラするんだよ、なんつーかあれだよ、本当にこれはあれだよね」
ゆみ「（極めて冷静に）あんたの話は指示代名詞が多くて、結局なに言ってる
のかさっぱりわかんないよ」
えみ「指示代名詞？」
ゆみ「あれ、それ、これ、どれ、だよ。学校で習わなかったの？ 指示代名詞
だよ」
えみ「んなことはどーだっていーんだよ。お姉ちゃん、お父さんがこの選挙に
負けたらどうなると思ってるの？」
ゆみ「…え…そんなのわかんないよ」
えみ「私達、この街にいれなくなるんだよ。ここから出て行かなきゃならなく
なるんだよ」
ゆみ「どうして？」
えみ「そうしなければならなくなるんだよ…わかるでしょう？ 私はここにい
たいんだよ。あのねえ、私、友達だっていっぱいいるから、出ていきたくはな
いんだよ。出ていかないためには、お父さんが選挙に勝つしかないんだよ、わ
かってる？ お父さんのことだから関係ないとか、そんなちょろい事言ってて
もしょうがないじゃない。私達はあのお父さんとお母さんの間に生まれちゃっ
たんだからさ。でもって、お父さんはなんでかしんないけど、選挙に立候補と
かしちゃったんだからさ…お姉ちゃんはここにいたくないの？離ればなれにな
るなんて私は嫌だよ。私のカレシだって、そんなふうに離ればなれになりたく
ないって、二人とも言ってくれてるし」
ゆみ「二人ともってなんだよ…」
えみ「祐司君、と雅明君」
ゆみ「あんた二股かけてんの？」
えみ「結果的には…そうなってしまった」
ゆみ「どういうこと？」
えみ「今はそこが問題じゃないの」
ゆみ「それはそれで大問題じゃないの？」
えみ「大丈夫よ、それはそれでなんとかやってるんだから」
ゆみ「あんたはもう…本当に…」
えみ「まあ、そのことに関しては、なんて言われても私は平気だけどね」
ゆみ「なんなんだよ、それは」
えみ「戦わないよね、お姉ちゃんは」
ゆみ「そんな戦いやりたくないんだもん」
えみ「戦わないと、なにもかも失うよ」
ゆみ「そんなことないよ」
えみ「甘いよ、甘いな、そこが甘いってんだよ」
ゆみ「（ちょっと怒りながらも）そうなの？」
えみ「そうだよ。選挙に出るって決まってさあ、周りの人達が変わったでしょ
う」
ゆみ「…うん」
えみ「がんばってねって、言ってくれる人もいるし、変に距離をおく人もいて
さ」
ゆみ「うん…」
えみ「選挙に負けたら、その人達の態度はどうなると思う？」
ゆみ「…わかんないよ」
えみ「わかれよ」
ゆみ「（わかってはいるが）どう変わるの？」
えみ「みんな反対側に行くんだよ」
ゆみ「反対側？」
えみ「そう、みんな反対側に行くんだよ」
ゆみ「敵になるってこと？」
えみ「敵…か、どうかはわからない」
ゆみ「どういうこと？」
えみ「私達がいるところとは反対の方に立つってこと…そして、反対側の人は
こちらには来れないし、もちろん、私達は反対側へいくことなんてできやしな
いんだよ…これで……わかるでしょ、わかんなよ」
ゆみ「…うるさいな」
えみ「わかるでしょ、だってお姉ちゃんだって本当はそういうことをちゃんと
感じてるわけでしょ、今」
ゆみ「うん…」
えみ「勝つの、そして、生き延びるの」
ゆみ「えみ」
えみ「なに？」
ゆみ「もしも、私達のお父さんが勝ったら、相手の人の家族はどうなるの？」
えみ「中村たかとし？」
ゆみ「その娘さんとか」
えみ「そんなのは知らないよ」
ゆみ「やっぱりこの街にいられなくなっちゃうのかな？」
えみ「そんなのは知らないよ」
ゆみ「どうして知らないの？」
えみ「そんな人のことなんて考えてられないよ！ そんな人のことなんてどう
でもいいんだよ！ まず自分のことを考えなよ、人の事なんか構ってる暇ない
んだよ。人の事なんてどーだっていーんだよ」
と、ふいに跳び箱の向こうで立ち上がっ
た
『誰？』と、理央の方を見て硬直しているえみ。
ゆみ「理央ちゃん…私の妹のえみ」
理央「（まったく動じることなく普通に）こんにちは、初めまして」
えみ「（なにかおかしい）…はじめ…まして…」
ゆみ「（紹介する）中村理央ちゃん…」
えみ「中村？…」
理央「（ゆっくりと）なかむら…理央です」
えみ「もしかして…中村たかとしの…」
理央「中村たかとしは父です」
えみ「嘘」
理央「本当よ」
えみ「嘘」
理央「本当よ」
えみ「嘘だ」
ゆみ「本当だよ」
えみ「なんで？ なんでここにいるの？」
理央「いちゃいけなかった？」
ゆみ「理央ちゃんがここにいちゃいけないってことはないでしょう？」
えみ「いけないとか…そうじゃなくて…どうして、中村たかとしの子供が…」
ゆみ「クラスメートなのよ」
えみ「それは、なんとなく聞いてたけど、でも、クラスメートでしょ、ここは
クラスじゃないじゃない…ここは体育準備室だよ」
ゆみ「わかってるよ、そんなことは」
えみ「すいません、失礼しました」
理央「チョコ、食べない？」
えみ「いえ、結構です…」
理央「ダーツ、嫌い？」
えみ「ダーツは好きですけど、結構です（と、後ずさりして）すいませんでし
た、失礼します」
と、割りときちんと挨拶して、その場を立ち去るえみ。
それを見送ったゆみと理央。
しばしあって…
理央「ちょっと、意地悪しちゃったみたい」
ゆみ「そんなことないよ」
理央「そうかな」
ゆみ「えみは大丈夫、このくらいじゃなんともないよ、そーゆー奴だから…そ
れよりも、ごめんね」
理央「え？」
ゆみ「えみがひどいこと言って…」
理央「あ、いいよ、そんなことは…」
ゆみ「でも…」
理央「だって、選挙ってそういうもんでしょ、選挙戦って言うじゃない。戦い
なんだから、しょうがないよ…」
ゆみ「戦いか…」
理央「逃げてるのかな…私達はこうやって…」
ゆみ「だって…教室にいたら、お父さんの選挙カーの声が嫌でも聞こえてくる
し…」
理央「あれ、学校の周りとかでやっちゃ本当はいけないんじゃないの？」
ゆみ「そういうところおかまいなしなとこあるからなあ、お父さん」
両父の選挙カーからの演説が聞こえてくる。
光太郎の声「高須、高須、高須光太郎です。お騒がせいたしております。高須
光太郎が御挨拶にまいりました」
たかとしの声「中村たかとし、中村たかとし、このたび市長選挙に立候補いた
しました、中村たかとしでございます」
ゆみ「これで負けたら、必ず『ああ、選挙に負けたお父さんの娘ね』って、言
われるんだろうね。あの選挙に負けた娘ねって。変だよね、私が選挙に負けた
わけでもないのに、人から負けた娘ねって言われちゃうことになるなんて…負
けた娘、負けた娘って…」
理央「小さな街だしね」
ゆみ「そうだね…」
理央「勝ちたくもないし、負けたくもないのに」
ゆみ「私達のどっちかが、負けた娘になるんだね」
理央「考えると怖いね…」
ゆみ「まさか自分がそんな目に遭うことになるなんて思いもしなかった」
理央「ねえ…」
ゆみ「いじめられちゃうかな」
理央「負けたら、たぶんね…」
ゆみ「ないとは言えないか」
理央「あるね、たぶん」
ゆみ「なんか、こうやって…こういうところにいると、考えちゃうよね、人は
何故いじめとかするんだろう」
理央「それはさ」
ゆみ「うん」
理央「理由はないんだって…」
ゆみ「理由がない？」
理央「日本のいじめには理由がないんだって」
ゆみ「それ、どういうこと？」
理央「あのね…東京にいるイトコのお姉さんがさ、親の都合でオーストラリア
にちょっと留学してたんだ」
ゆみ「うん」
理央「そしたらね、やっぱりいじめに遭っちゃったんだって」
ゆみ「やっぱそうなんだ」
理央「マーガリンをね、髪の毛にみんなで刷り込まれたりとか」
ゆみ「えー、やだ…」
理央「そういう事とかいろいろされたんだって…」
ゆみ「へえ…」
理央「でもね、それはね…日本人だからとか、黄色人種だからとかっていう理
由があったんだって…でもね、彼女が日本に帰ってきたら、帰って来たで、や
っぱりいじめられてね、でも、そのいじめには理由がなかったんだって…」
ゆみ「へえ…」
理央「突然、みんなが自分のことをいじめるようになっちゃったんだって…」
ゆみ「ああ、そうなんだ」
理央「怖いよね、そういうのって…」
ゆみ「怖いね…」
理央「いつも誰か一人をみんなで探しているだけなんだって」
ゆみ「いじめる相手？」
理央「そう…」
ゆみ「そうか…でも、そういう空気がずっとあるってのは…なんだかわかる
な」
理央「そのイトコのお姉ちゃんが言ってた。誰かをイジメてると、人は安心す
るんじゃないかって」
間。
ゆみ「次は私達かな」
理央「私達のどちらか、だよ」
ゆみ「（と、わかりやすく一瞬笑って見せた）ぐふっ！」
理央「どうしたの？」
ゆみ「今、そういうことを考えたら笑っちゃった」
理央「なに、思ったの？」
ゆみ「（かつてないほど、真剣な眼差しと真剣な口調で）やれるものなら、や
ってみろ」
それを聞いて、同じように笑う。
理央「ぐふっ！」
ゆみ「ね、笑うでしょ」
理央「（もまた同じく真剣な眼差し、真剣な口調）そうだね、やれるものなら
やってみるがいい…」
ゆみ「誰が来るかな」
理央「女は織田幸子かな」
ゆみ「織田幸子！ 私もそう思ってた」
理央「…容赦ないからね、あの女」
ゆみ「味方っつーか、手下も多いしね」
理央「北島とかね」
ゆみ「そうそう、向井敬子でしょ、ミキティでしょ」
理央「佐野弥生」
ゆみ「あ、そうね、さっちんね…さっちんもそっちに回ったら、秋本や飯田さ
んとかもかもよ」
理央「飯田さんもか」
ゆみ「飯田さん、一対一で会ってるとね、いいんだけどね、あの人は」
理央「そうね、グループになると、飯田さんなんも言わなくなるから」
ゆみ「そういうって人多いからね」
理央「っていうか、そういう人がほとんどだからさ」
ゆみ「そうか、そうだよね…」
理央「だから、ほとんどだよ」
ゆみ「ほとんどが…ってことだよね」
理央「いいよ（今度は普通に）やれるものならやってみろ…」
ゆみ「望むところだ…って望んじゃいないんだけどね」
理央「（ちょっと笑って）やなこった、だよ」
ゆみ「…（ぼそりと）逃げだしてー」
理央「逃げ出したいね…全力で」
ゆみ「でも、逃げ出して、どこ行くかってのがね」
理央「どこ行っても一緒だからね」
ゆみ「一緒かあ」
理央「一緒…一緒…一緒ってさ」
ゆみ「うん」
理央「嫌な言葉だよね…」
ゆみ「（わかってはいるが）そうなの？」
理央「どこ行っても一緒…みんなと一緒、全部一緒、なにもかも一緒…一緒で
なければ…」
ゆみ「本当はいい言葉なのにね…一緒って…一緒だと寂しくないとかさ、一緒
だから安心とかさ…」
理央「私は、一緒って言葉、あんま良い印象ないな」
ゆみ「一緒にさあ」
理央「うん」
ゆみ「逃げようよ」
理央「…（切ない）一緒に逃げる？」
ゆみ「うん」
理央「…どこへ？」
ゆみ「それは聞かないで…それだけは聞かないで…それで、一緒に逃げたりし
ない？」
理央「…だって、それができれば、とっくにしてるでしょ」
ゆみ「それ、言っちゃうかな」
理央「だってさ…」
と、ゆみの携帯が着信した。
ゆみ「あ、ヒロ君だ」
携帯開いた。
ゆみ「もしもし…え…あ…ん？…」
電波状態が悪そう（適当に言葉を入れてください）
そして、やって来る留実。
留実「失礼します…」
理央「あ、はい…」
留実「あの…お客さんが…」
理央「お客さん？」
ゆみ「あ、ちょっと待って、ここ電波悪いから、待ってて、電波のいいとこ行
くから」
と、ゆみ、出ていく。
留実「廊下をきょろきょろしているんで…会ったことない人だったし…聞いて
みたら、体育準備室はどこですか？ って」
と、入ってくる優。
理央「優君！ なんで？」
優「いや…ちょっと…」
留実「携帯をなくして連絡がとれなくて…ここに来ればいるんじゃないかって
…」
理央「携帯？ またなくしたの？」
優「ちょっとトイレに」
理央「また？」
優「ほら、電話番号控えてないし…これは会いに来るしかないかなって…会う
ならここかなって」
理央「ばれたらまずいでしょう。富士見の生徒がさ…」
留実「大丈夫です」
理央「大丈夫って、なにが？」
留実「私が廊下の端で、この体育準備室に誰も入らないように見張ってますか
ら」
理央「そんな…」
留実「今回のことで、生徒会にできることはそれくらいのことかもしれません
けど…安心してください…ね」
理央「そんな…」
留実「だって賄賂もいただいてますから…それでは…」
と、出ていく留実。
しばし二人で黙っているが、やがて。
優「ここにずっといたんだ」
理央「うん…なんで来たの？」
優「ここ…見てみたかったんだ、理央ちゃんがずっといるってとこがちょっと
想像つかなかったからさ」
理央「ここよ…ここにいたの、ずっと…」
優「うん…だいたいわかった」
理央「いつ？」
優「え？」
理央「いつ携帯、またトイレに落としたの？」
優「今朝」
理央「電話…ずっとくれないし」
優「うん…」
理央「メールもくんないし」
優「…なんて言おうかなって」
理央「まだ迷ってんの、そんなことで」
優「そんなことって…おまえなあ」
そして、舞台のかみからかみツラへ駆け込んでくるゆみ、同時にしもから
同じくしもツラへと駆け込んでくるヒロ。
二人とも携帯を耳にあて、
ゆみ「もしもしヒロ君、聞こえる？」
ヒロ「あ、聞こえる聞こえる、ばっちしだよ」
ゆみ「どうしたの？ なになに？」
ヒロ「あのさあ」
ゆみ「うん」
ヒロ「俺、考えたんだけどさあ…」
ゆみ「なにを？」
ヒロ「俺に…できること…俺に今、できること…」
ゆみ「うん…」
そして、ツラのゆみとヒロの明かりが消え、理央と優のいる跳び箱側に明
かりが入る。
理央「…あのね」
優「うん」
理央「あの時、言葉にできなかった事を、今、言葉にすればいいんだよ。それ
だけなんだよ、簡単なことじゃない。こんな事はさ、この事だけじゃないと思
うんだよね。言葉にしないで、決心したこととかさ、これだって思ったことは
さ、いくらでもあると思うんだよね。だからさ、あの時、言葉にならなかった
事を、今、言葉にすればいいと思うんだよ。口にすればいいと思うんだよ」
優「うん、そうだよね、そうなんだよね」
理央「私達はあの時さ…」
と、言葉を切って相手の言葉を待つ。
やがて…
優「俺達はあの時…」
理央「…この人いいなって、思ったんだよね、ちがうかな？」
優「思った」
理央「思ったんだよね」
優「思った…君の顔を一番近くで見られる俺はなんて幸せなんだろうって思っ
た」
理央「私も…でも、実はね…あの時ははっきりとね、好きだとは正直、思わな
かったんだ」
優「え？ じゃあ、どう思ったの？」
理央「私はこの人の側にいて…全然、嫌じゃないって思ったの」
優「それは好きだってことじゃないの？」
理央「うん、そうなの、今、思うとそうなの。でも、その時はまだよくわかん
なかったの…側にいて嫌じゃないって事がね…本当は好きだっていう気持ちな
んだってことが、まだあの時はわかんなかったの…あれが人のことを大好きだ
っていう気持ちだって…わかんなかったの」
優「俺達、二年だよな」
理央「うん」
優「つきあって二年…二年経ったからこそ、初めて口にできる言葉ってのがあ
るんだね」
理央「うん…（と、再び頷いて）うん…二年があってよかったよね」
優「よかったね…」
理央「今はわかる…今なら…わかる」
優「うん」
理央「あなたが…大好きです」
優「うん」
理央「これからもよろしくお願いします」
優「こちらこそ…よろしくお願いします」
理央「二年続いたこれが…三年、四年と続きますように…」
優「うん…」
理央「ずっと…ずっと続きますように」
優「うん」
理央「ずっと…ずっと、私のことを…よろしくお願いします」
優「はい…」
理央「（ゆっくりと、やや上向きの宙に向かって）神サマ…もしもいらっしゃ
るんでしたら、そういうわけなんで…私達のことを…よろしくお願いします」
と、理央、頭を下げた。
その理央の頭に手を伸ばす優。
理央、頭を上げることなくその手に導かれるように優の方へ…
跳び箱の明かり、落ちていく。
理央、優はそのままの状態で、ツラのゆみとヒロの明かりが入る。
ヒロ「今、俺にできること…」
ゆみ「…うん」
ヒロ「考えてみたんだよ、俺はさ、俺なりにさ、今、おまえと一緒に世界中の
人間を敵に回してたとしてさ、それで俺になにか失うモノがあるのか？って…
なにもないんだ、俺にはなにもない。だから、もしもこれから先、おまえが
さ、泣かなければならないことがあって、泣きたくなったら、俺のところに来
てくれよ。一緒に泣いてあげることはできるかもしれない。それくらいはでき
ると思うんだ。俺のところに来て泣くんだよ。もう嫌だよ。なんでそうなんだ
よ。どうしてみんなそうなんだよって…そんな時、俺が側にいて、そうだよ
な、嫌だよな、なんでみんなそうなんだよって、一緒に泣いてあげるから…嫌
だよな、嫌だよなあ、嫌だよなあ…ほんとに嫌だよなあって、ほんとにほんと
に、なんでこんなに嫌なことばっかりなんだよって、一緒に泣いてあげるから
さ。俺にはそれしかできないからさ。でも、俺にはそれができるんだからさ」
ゆみ「…ありがとう…そうだよ、本当にそうだよ、嫌なことはいっぱいあるよ
…いっぱい、いいっぱい、いっぱいあるよ。でも、生きていけるよ。だってこ
こに…あなたがいてくれるんだもんね…世の中には嫌なことがいっぱいあっ
て、それでも世の中にはあなたがいてくれるんだもん…」
二人、立ちつくして…
曲が入り、ゆっくりと暗転していく。
明転すると体育準備室。
下手側に座っている女の子（えみ）
やってくる理央。
理央「おまたせ、缶コーヒー、買ってきたよ、ゆみちゃん…」
えみ「こんにちは…あ、こんばんは、か…」
理央、いつもの場所にいるのが、ゆみでない事に気づいた。
理央「誰？」
えみ、立ち上がって理央と対峙する。
えみ「高須ゆみの妹のえみです」
理央「あ、えみちゃん」
えみ「この前は知らなかったとはいえ、大変失礼しました」
理央「お姉さんは…さっきまでここにいたみたいなんだけど…」
えみ「いえ、いいんです、今日は謝りに来ただけですから」
と、深々と頭を下げるえみ。
えみ「この前はあんなことを言ってごめんなさい…あなたの事が嫌いなわけじ
ゃないんです」
理央「わかってるよ、そんなことは」
えみ「しょうがないんです。こうなっちゃったんで…」
理央「しょうがない…」
えみ「わかってください。こうなっちゃったから…しょうがないんです…」
理央「…それはわからないな」
えみ「え？ どうして？」
理央「しょうがないなんて言わないで、しょうがないから、こうなったとか、
こうしてるとか、そんなこと、私は認めたくないから」
えみ「でも…」
理央「それを…わかって」
えみ「はい…」
理央「でも、偉いな、えみちゃんは」
えみ「偉い？ なにが？」
理央「きちんと戦ってて…」
えみ「そんな…」
理央「私とか、えみちゃんのお姉さんとかは、あなたが言うように逃げてばっ
かりなのにね。そうだよね、本当は自分の身は自分で守らなきゃなんないはず
なんだよね」
えみ「逃げるのも自分を守ることです」
理央「そんなふうなことを言って、自分を騙し始めるときりがないから」
えみ「でも、本当はわかってるんですよ、私だって…私も私を騙してるんです
…だって、私がなにを言おうが、なにかが変わるわけじゃない…だから、お姉
ちゃんにあんなことを言ってみたりしているだけで、言ってみているだけで…
本当はなにも変わりはしない…私は今回のことがあって、はっきりわかったん
です」
理央「それは…なに？」
えみ「私たちは無力だってことです。本当はなにもできないってことです。な
にをやっても無駄だってことです」
理央「無力か…」
えみ「認めたくはないけど、これは本当のことです」
理央「でも、私もそう思ってるよ」
えみ「ええ…」
理央「あなたのお姉さんもそう思ってるよ」
えみ「だと思います」
理央「わかってるの？」
えみ「わかってます！ だから、だから今日、謝りに来たんです…なんだか、
八つ当たりしたみたいになって、みっともなかったです…すいません。あの
後、自己嫌悪で八時間半、なにも手につきませんでした。お姉ちゃんや理央さ
んを自分の感情のはけ口にしてしまいました…」
と、チョコの箱を取り出した。
えみ「お詫びの印です。ちょっとここんとこお金ないんで、今、私が差し出せ
る一番高額なものです。受け取ってください」
理央「なに？」
えみ「ダーツです…ミルクチョコの方でいいんですよね」
理央「うん…ミルクチョコが好きなの」
理央、受け取った。
理央「ありがとう…」
えみ「あんなこと、こんなとこまでわざわざ言いに来るようなことじゃなかっ
たんです」
理央「そんなことはないよ」
えみ「みっともなかった…私」
理央「いいじゃない、言いにきたって、いいじゃない、みっともなくっても」
えみ「でも」
理央「言いたかったんだから、いいじゃない、それはそれでさ、叫びたかった
ら叫べばいいのよ」
えみ「でも…でも…」
理央「私たちは無力かもしれない。でも、だからって黙っていなければならな
いってこともないでしょう？ 無力な人間が無力だって叫んでなにが悪い
の？」
えみ「でも、それで叫んでなんになるんですか？」
理央「なんになるとか、考えるとつらくなるでしょ。おなかがすくからご飯を
食べる。眠くなったら布団に入る…叫びたくなったら、叫ぶ…」
えみ「私は無力だと」
理央「叫ぶ」
えみ「私がなにをやっても無駄なんだろうと」
理央「叫ぶ」
えみ「どうして、こんなにもなにも変わらないんだろうと」
理央「叫ぶ」
えみ「…はい」
理央「叫ぶ…叫ぶの、叫んで、叫んで、叫ぶの」
えみ「でも届かないんですよ」
理央「それでも叫ぶの」
えみ「私は無力だと」
理央「叫ぶの」
えみ「なんのために？」
理央「なんのために？ そんなこと言われたら、私だって叫びたくなるじゃな
い」
えみ「なんて」
理央「だからなに！」
えみ「だからなに…」
理央「だからなんなの！ って…」
えみ「それでいいんですか？」
理央「いいでしょう？」
えみ「それで本当にいいんですか？」
理央「いいのよ、叫んでいいのよ、無力です、って、ああ、無力ですとも、そ
うですよ、無力ですよって！」
えみ「あの…」
理央「なに？」
えみ「…もっと早く会いたかった、です」
理央「どうして」
えみ「こんな関係じゃなくて、会えていたら…」
理央「大丈夫よ、まだ…全然遅くなんかない」
と、そこにやって来るゆみ。
ゆみ「えみ！」
えみ「お姉ちゃん」
ゆみ「また、なにしに来てんのよ！」
えみ「なんでもないよ」
ゆみ「なんでもないわけないでしょう、あんたねえ！」
と、続きそうなゆみの言葉を遮って、
えみ「（理央に）失礼しました。帰ります」
ぴょこんと頭を下げて出ていこうとするが、一瞬、足を止めて振り向い
た。
えみ「（この芝居の中で一番明るく、元気よく、潔く、そして凛々しく）あり
がとうございました！」
と、身を翻して去っていく。
その一瞬、えみにもゆみや理央ほどの長さはないが、しっぽがあるのが見
えた。
そして、二人、それを見送って。
理央「いいね」
ゆみ「なにが？」
理央「私、妹とかいないから」
ゆみ「妹？ いいかな？」
理央「うん、いいと思うよ」
ゆみ「子供の頃は、何度もこいつ死ねって思ったけどね」
理央、笑っている。
理央「私、親友とかもいないし」
ゆみ「私も別に…そういうのいるわけじゃないから…」
理央「妹もいなくて、親友もいなくて…」
ゆみ「でも、もしも親友とかいてさあ、その子がお父さんが選挙に出たくらい
で疎遠になってったらちょっとショックだったかも」
理央「まあ、親友とかいなくてよかったのかも」
ゆみ「…ね」
理央「だよね」
ゆみ「でも変だよね、親友がいなくてホッとしてるなんてさ」
二人、微かに笑いあう。
理央「親友がいないとか、今まで誰かに話したこと、なかったな、そう言えば
…」
ゆみ「私も人にこんなに自分の話をしたのは初めてかもしれない。昨日お父さ
んがムカついたとか、お母さんにババア死ねって三回言ったとかって話はね…
クラスでするけどさ」
理央「私と…理央ちゃんはクラスメート？」
ゆみ「クラスメートだったけど、これがあってからさ…友達になったと思う
よ」
理央「友達…だよね」
ゆみ「うん、友達だよ」
理央「友達って言っていいんだよね」
ゆみ「うん…いいと思うよ」
理央「親友？」
ゆみ「んー（と、真剣に唸って考えている）んーん…（そして申し訳なさそう
に）親友ではない」
理央「んー（やっぱりそうか）親友ではない、と」
ゆみ「親友っていうよりも戦友なんじゃないかな」
理央「戦友か」
ゆみ「戦友だよ」
理央「そうだよね…選挙戦を戦った…あ、でも、私、別に戦っているわけでも
ないか。戦っているのは私のお父さんとお母さんと親戚と…あと、妹だもん」
ゆみ「あ、えみちゃんね」
理央「そうそう」
ゆみ「選挙戦を生き抜いた戦友だ…あ、これ、しっくりくるね」
理央「あんまないよね、同じクラスに戦友がいるなんて」
ゆみ「戦争に巻き込まれちゃったんだもんね、選挙戦という戦争に…」
理央「これは特殊な例だよねえ…他の人に言っても理解できないだろうねえ」
ゆみ「それはそうだよ、しっぽがない生き物にはさ、しっぽがどういうものか
なんて想像もつかないもんじゃない」
理央「うん、それはそうだよね」
ゆみ「しっぽがなければしっぽがどんなものかはわかんないだろうし、もしも
そのしっぽが痛んだとしても、そのしっぽの痛みのことなんてわからないと思
うんだよね」
理央「しっぽの痛み、ね」
ゆみ「しっぽの痛みはしっぽがなければわからないよ」
理央「私達にはしっぽがあったんだ」
ゆみ「たまたまね」
理央「それが今、痛んでる」
ゆみ「そう…しっぽが悲鳴をあげてる」
二人、ここで笑う。
理央「確かに」
ゆみ「ね、そうでしょ、そうだよね」
理央「確かに、そうだ」
ゆみ「ねえ…」
やってくる留実。
留実「失礼します」
座っていた、ゆみと理央が立ち上がって迎える。
ゆみ、理央、いちおう会釈したりしている。
留実「お疲れさまでした…いつものようにこちらにいらっしゃるだろうと思っ
て」
理央「あ、すいません、もう帰ります」
留実「大丈夫です…先生達もみんなわかってますから…」
ゆみ「わかってる？」
留実「あれ、知りませんでした？ お二人がいつもここにいることはクラスの
生徒はもちろん、先生達もみんな知ってたんですよ」
ゆみ「そうなんですか？」
留実「そうですよ…でも、いつまでいるんだ、もう帰りなさいとは言えないじ
ゃないですか」
留実「だってもう八時ですよ…我が校の下校時刻が何時なのかはご存じでしょ
う？ 普通の生徒ならとっくに追い出されてますよ」
理央「普通の生徒じゃないのか…」
留実「大丈夫ですよ…来週の月曜日になれば、普通の生徒に戻りますよ」
ゆみ「…なんだかなあ」
留実「っていうか（と、携帯を見て）今、七時五十分を過ぎたところですから
…選挙活動が終わるまであと十分ちょっと…そこまでですよ…本当にお疲れさ
までした…疲れたでしょう」
理央「うん、ちょっと…」
留実「ねえ…いろいろ大変でしたからね」
ゆみ「本当に…なんか、大変だった…」
留実「お疲れさまです」
理央「それで…今日は？」
留実「え？」
理央「用事っていうか…私達になにか？」留実「あ、いや、八時過ぎには下校
のほう、よろしくお願いします…職員室の先生が何人か全校生徒が下校しない
と帰れないって言ってますから」
ゆみ「あ、そう…そうか…待ってるんだ、私達が帰るのを…」
留実「あ、でも、まだもうちょっとは大丈夫ですよ」
ゆみ「微妙だなあ…」
留実「では、私はこれで…本当に、本当にお疲れ様でした。来週からもまたよ
ろしくお願いします…それでは、失礼いたします…」
と、深々と頭を下げて帰っていく副生徒会長。
ゆみ、理央、もまた頭を下げる。
はけていく留実。
二人、再び跳び箱の側に座り込む。
ゆみ「あと十分か…」
理央「なにごとも終わりは来るんだねえ」
ゆみ「長かったようでこうなると、あっという間だったな」
理央「ね…」
ゆみ「いろいろあったけど、あっという間だったね」
理央「でも、まだあと十分、まだ終わっちゃいないから」
ゆみ「そうだね」
理央「まだやってるのかな…」
ゆみ「やってるでしょう…」
理央「最後のお願い？」
ゆみ「最後のお願い」
理央「よろしくお願いします？」
ゆみ「そう、よろしくお願いします…」
理央「最後のあがきか」
ゆみ「ねえ…」
曲、流れ始める。
そして、選挙カーが近づいてくる。
理央「来た、お父さんだ…お父さんの選挙カーだ」
たかとしの声「中村でございます。中村たかとしでございます。最後の御挨拶
に参りました中村たかとし、中村たかとしでございます。お騒がせしておりま
す」
ゆみ「あ！ うちのお父さんも来た」
光太郎の声「高須、高須、高須光太郎でございます…最後のお願いに参りまし
た。お騒がせしております。よろしくお願いします。高須光太郎、高須光太郎
でございます」
ウグイス嬢の声「中村たかとし、中村たかとし。ありがとうございます中村で
す。お騒がせしております」
ウグイス嬢の声「高須光太郎、高須光太郎をよろしくお願いいたします。最後
のお願いにあがりました、高須光太郎でございます」
光太郎の声「相手の気持ちを推し量る、高須光太郎が、最後のお願いに参りま
した。高須光太郎、高須光太郎、みなさまの安らかな生活をなりよりも一番と
考える高須光太郎。今、人間関係において一番必要なこと、それは相手への思
いやり、他人への気遣いではないでしょうか？ 気遣い、気配りなくして、人
と人の関係は成り立ちません、人間の関係において、失われてしまったもの、
思いやりではないでしょうか、忘れてしまっているもの、気配りではないでし
ょうか、それを公約に盛り込み、本当の幸せとは何かを、考えていきたいと思
っております高須光太郎、高須光太郎が最後のご挨拶に参りました、泣いても
笑っても、あとわずかとなりました。本選挙戦、最終の局面を迎えておりま
す、お願いします、お願いします、高須光太郎をよろしくお願いします。思い
やり、優しさをなによりも大切にする高須光太郎です」
たかとしの声「中村たかとしです、中村です、中村たかとしです。人と人の
絆、親子の絆、家族の絆、仲間の絆、人と人をつなぐすべてのもの。もう一
度、考え直してみようではありませんか。住み易い世の中、住み易い家とはな
にか？ 人が明るい笑顔とともに生きていける街とはなにか？ それをどこま
でも問い続ける所存でございます。中村たかとしです。この選挙戦、必死に戦
ってまいりましたが、それもあとわずか、あとわずかとなりました。最後の御
挨拶に伺っております、中村たかとし、よろしくお願いします」
曲、盛り上がる部分にかかると、とたんに選挙カーの音が、フルボリュー
ムになる。
同時に跳び箱の前に座っていたゆみと理央、ゆみは右手に自分のしっぽを
握り、理央は左手に自分のしっぽを握り、ゆっくりと、ゆっくりと、立ち上が
っていく。
そして、立ち上がり切ったところで！
ゆみ「うるせえ、うるせえ、うるせえ、うるせえ、うるせえ、うるせえ、うる
せえ、うるせえぇぇ！！」
理央「！ うるせえんだよ！」
さらに、二人の親の声が圧倒的な音量で二人に降り注ぐ。
光太郎の声「相手への思いやり、人の心がわかること、人を敬うこと、気遣
い、気配り、心遣い、を公約としてかかげさせていただきました高須光太郎、
最後のご挨拶に参りました」
たかとしの声「中村たかとし、中村たかとし、中村たかとし、人と人を結びつ
ける絆の大切さ、人を愛し、人に愛される、そんな社会にしていこうではあり
ませんか」
ゆみ「お父さん、次の市長の選挙に立候補しようと思うんだ。ある晩、お父さ
んがいきなりそう切り出した。立候補しようと思うんだ。まるで相談事を持ち
かけるような口調で言ったけど、実はもうなにもかも決まっていることを私に
一方的に告げているだけのことだ。高須ゆみ、秋の終わりのことだった」
理央「お母さんが言った。お父さん、市長の選挙に出るかもしれないのよ。そ
したら、あんたは市長さんの娘ってことになるんだからね。お母さんはお父さ
んが市長になると、その時すでに固く固く信じていた。でも、そんなふうに勝
てると信じていなければ、町中（まちなか）を選挙カーでぐるぐる回って、自
分の意見を大きな声で怒鳴り続けることなんてできやしないだろう、お願いし
ます、お願いしますと、あらゆる人に向かってお願いすることなんてできやし
ないだろう、今もまた聞こえる、私のお父さんが、自分の名前を叫び続ける声
が…中村たかとし、中村たかとし、…中村たかとし、の一人娘として生まれち
まったこの私、中村理央、秋の終わりのことだった」
ゆみ「ある日、私は突然もう誰も信じられなくなった。お父さんの選挙戦、私
には全然関係ないことで、周りの人の態度が変わってしまった、そんなものか
もしれない、もともとそうだったのかもしれないと、わりきって考えたわけじ
ゃない。それはとても悲しいことだった。それはとてもせつないことだった。
私の心は何度も死んだ。私の心は殺された。それでも、本当に死ぬわけにはい
かないんだ。そんなわけのわからないもののために私が死ぬわけにはいかない
んだ。だから、私は何度も死にながら生き続けた。もうダメだと思いながら眠
り、また朝が来た。刺さるような絶望の朝日がカーテンの間から差し込んだ。
あくる日もあくる日も、そのまた次の日も、目覚めると刺さるような絶望の朝
日がカーテンの間から差し込んでいた。そんな中、私のカレシが言ってくれ
た。おまえを一人にはしない、おまえの側には俺がいるんだから、泣くんだっ
たら、一人で泣くんじゃないと、なにもない俺だけど、なにもないからこそ失
うモノもなにもない。だから大丈夫だよって、泣くんだったら、一人で泣く
な、俺も一緒に泣いてやるから、私のカレは私に向かってそう言ったんだ。も
う一回言ってやろうか！ 泣くんだったら、一人で泣くな、その時は俺も一緒
に泣いてやるから…ってさ。おまえらに礼を言うよ。おまえらが私によそよそ
しくしなければ、おまえらが私をなにげに避けて通ることさえしなかったら、
私と私のカレシがこんなことを話し合うことなんてなかったはずだ。うれしか
ったよ、たまらなくうれしかったよ。初めて知ったよ。そんな時、人は人に飛
びついて抱きしめるものなんだね、抱きついて、ぎゅっと力一杯、抱きしめる
ものなんだね。その瞬間、なにもかもが許せた。親のことも、まわりのこと
も、学校のことも、家のことも。そしてね、おまえらにもね、ありがとうって
思ったんだ…ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう
…みんな、ありがとう、みんな、ありがとね…私、カレシができました。大好
きなカレシができました」
理央「みんなもねえ、余計なお世話かもしれないけど、側にいて嫌じゃないと
思う人と早く出会った方がいいよ。できるだけ早く出会った方がいいよ、それ
はとても素敵なことなんだよ。君の顔を誰よりも近くから見つめることができ
て、俺は幸せだって、そんなことを男子に言われた方がいいよ、言わせた方が
いいよ、できるだけ早く、一刻も早く、急げ、世界中の女子よ！ 世界中の男
子よ！ そしてできるだけ長く、その人と一緒にいた方がいいよ、余計なお世
話だよね、ほんと余計なお世話だと思うよ、でもね、そんなすばらしい時間を
みんなも経験して欲しいんだよ。頼むからさ、それは言葉にならないくらいに
素敵な瞬間なんだよ。その時ね、人は人に飛びついて抱きしめるものなんだ
よ、抱きついて、ぎゅっと力一杯、抱きしめるものなんだよ。抱きついて抱き
しめて、その時、カレの白い首筋が目に入ったんだよ。私は思わずそこに自分
の唇を押しつけた。そうしないではいられなかった。私はカレに口づけした。
そして、思いきり吸った。そこに紅いキスの跡が残った。私がカレにつけた
印。カレの首筋についたこの紅い印、それが、私が、ここにいたという証なん
だ。その証を見た瞬間、なにもかもが許せた。親のことも、まわりのことも、
学校のことも、家のことも、ありがとうね、って、なにもかも、もういーよっ
て。そしてね、おまえらにもね、ありがとうって思ったんだよ…ありがとう、
ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう…みんな、ありがとう、み
んな、ありがとね…どうもありがとう！」
曲、終わる。
ゆみ「（携帯の時計をみて）八時だ」
一瞬にして、静寂に包まれる。
間。
しばらくして。
ゆみ「終わった」
理央「…終わったね」
ゆみ「やっとかよ」
理央「…終わったね」
ゆみ「よかったね…」
理央「うん」
ゆみ「ねえ」
理央「うん」
ゆみ「どっちが勝つかな」
理央「五分五分だね」
ゆみ「言ってることは、どっちもどっちだしね」
理央「選挙いかない奴も多そうだよね」
ゆみ「せいせいしてるんじゃない、みんな、選挙演説が終わって」
理央「多いよね、そういう奴」
ゆみ「ね」
理央「だよね」
ゆみ「私ね…」
理央「うん」
ゆみ「…あのさあ…こんだけ言ってて、あれなんだけどさ」
理央「うん」
ゆみ「それでもね、私ね」
理央「うん」
ゆみ「それでもね…やっぱり、私、お父さんに勝って欲しいと思うの…ごめん
ね」
理央「謝るとこじゃない…私だって、そう思ってる」
ゆみ「…そうなんだ」
理央「うん」
ゆみ「やっぱりね」
理央「やっぱりなんだ」
ゆみ「お父さんがやっぱり好きだと言うのって変かな」
理央「なんかキモイよね」
ゆみ「ねえ…」
理央「でも、人んちのお父さんよりは好きだよ」
ゆみ「だよね」
理央「そだよ…」
ゆみ「お父さんが必死になっているところ、初めてみた」
理央「私も」
ゆみ「かっこよかった」
理央「うん…この人が私のお父さんでよかったかもって、ちょっと思った」
ゆみ「開票終わってさ」
理央「うん」
ゆみ「どっちのお父さんが勝ったとしてもさ」
理央「うん」
ゆみ「また、ここにこようね」
理央「（当然！）もちろんだよ」
ゆみ「ね」
理央「ったりまえだよ」
ゆみ「よかった…」
理央「…ったりまえだよ、だって関係ないんだもん…関係ないんだもん、私達
には関係ないんだもん…」
間。
ゆみ「…もう帰る？」
理央「ん…」
ゆみ「もう帰ろうか」
理央「まだ…もう少し」
ゆみ「うん…」
理央「もう少し一緒にいよう」
ゆみ「うん…」
理央「どうせさ…」
ゆみ「うん」
理央「家に帰ってもろくなことねーしさ」
ゆみ「（同意はしているが）そんなことはないよ」
理央「だから、もうちょっと…一緒にいよう」
ゆみ「うん」
理央「ね」
ゆみ「うん…もうちょっと一緒にね」
理央「戦友と一緒に」
ゆみ「戦友と一緒に」
理央「このしっぽの痛みと共に…」
ゆみ「このしっぽの…悲鳴と共に」
曲が入り、ゆっくりと暗転していく。
おしまい。