『深海で聴くリリーマルレーン』
 作 じんのひろあき

 登場人物

御手洗善嗣  (職員。大輝くんのお父さん)

富良野愛   (職員。寿さん)

龍田慶子   (職員。自宅が夜の保育園)
伴内真梨子  (職員。愛読がゼクシィ)

淵脇毅    (膝に爆弾を抱えた男)

所沢太郎丸  (ブラック企業で心折られた)

虎田真之輔  (実家の寺を継ぎたくない坊主)
氏神敬史   (害虫駆除から害虫駆除へ)

東雲ありあ  (もっと遊んでから尼に…)

京極詩絵   (名古屋弁のキャバ嬢)

金城汐美   (理系高学歴声優)

塚守香奈世  (淵脇の内縁の妻)

守谷凌    (愛ちゃんの婚約者)











君よ知るや、
大砲の花咲く国を。
その国の人は、
顔はあるが頭はない。
その国では、
二人に一人の男は子供らしさを残している。
その子供が、
鉛の兵隊で遊びたがる。
その国では、
自由が成熟していない。
そこでは、
自由が青いままだ
何を建てても常に兵舎になる。
君よ知るや、
大砲の花咲く国を。

         エーリッヒ・ケストナー













みんなどっちへ走ったらいいのかわからない。
何千人が人を突き倒して走る。
ガス雲が近づく、何千人が倒れる。
雲が襲うところでは、全てが黙する。
四時十五分に深い静寂。
灰色のガスが全てを覆う。
戦争が始まった!
戦争だ!
なぜいったい誰も『万歳』と叫ばないのか?
         
         エーリッヒ・ヴァイネルト




私は頭の先から足の先まで愛に向いている。
なぜならそれが私の世界で他にはなにもないのだから。

         『嘆きの天使』
第一幕『ある種のシャンパンのきらめき』
●1.淵脇と所沢 その1
  二十分後の世界。
ハローワーク
最近のハローワークは端末を見て職を探すものだが、このハローワークは
わざとクラシックな職員が面接形式で応対するというスタイルである。
舞台の下手(しもて)に職員のテーブルが三つ。それぞれ、男性職員の御
手洗、女性職員の龍田、富良野愛が座っている。
待合席(ザムザの階段席をこう表記する)に居る淵脇と所沢のあたりがぼんや
りと溶明。
  二人、温泉のパンフレットをめくりながら話している。
  淵脇の傍らには松葉杖。
  その後ろにありあの姿もある。
所沢「残業二百時間を越えると残業代が付くって最初に言われたんですけど、
今になって考えてみたら…そもそも、残業が二百時間を越えることが前提にな
っているわけですよ」
淵脇「ですね。二百時間ってどんだけですか、月でしょ」
所沢「月です」
淵脇「月二百時間…」
所沢「あ、これなんかどうです?」
所沢、温泉のパンフを見せて、
淵脇「どれです?」
所沢「強羅温泉、白湯の宿、山田家」
淵脇「強羅かあ…」
所沢「季節の湯、雪月花。効用、関節の痛み」
淵脇「ありがたい」
所沢「よくブラック企業だ、ブラック企業だって言われてますけど、まさか
ね、面接して…採用されて、それで意気揚々と働き始めたところが、その…ブ
ラック企業だと…人間思いたくないっていう気持ちが働くっていうか…まず、
人を信じたいってところがあるじゃないですか」
淵脇「ああ、わかります、わかります…箱根の温泉のあたりって、この前、噴
火警戒五になったとかニュースで言ってませんでしたっけ?」
所沢「いいとこなんですけどねえ」
淵脇「やってるのかな…」
所沢「やってるところあると思いますよ」
淵脇「人もいないか…そうするとサービスもよくなりますかね」
所沢「料理もよくなったりして」
淵脇「一品多くなりますかね」
所沢「お刺身の質が上がるとか…」
淵脇「いいですね」
所沢「(温泉のパンフ)差し上げますよ」
淵脇「よろしいんですか?」
所沢「どうぞどうぞ…」
淵脇「いや、ハローワークに失業保険をもらいにきて、良い温泉の情報が得ら
れると」
所沢「失業保険は有効に使わないと、ですよ」
淵脇「お互いね」
所沢「そうですよ」

●2.害虫駆除
  御手洗のテーブルが溶明。
  職員の御手洗と対峙している氏神。
御手洗「…虫と縁を切りたい」
氏神「はい」
御手洗「虫っていうのは」
氏神「昆虫ですね」
御手洗「昆虫の虫」
氏神「これまで害虫駆除をしていたんですけど」
御手洗「シロアリ?」
氏神「いえ」
御手洗「ゴキブリ?」
氏神「トンボです」
と、隣のテーブルの愛がそれに反応した。
愛「もしかして、え、あの赤トンボですか?」
氏神「ええ、あの赤トンボです」
愛「本当は南アフリカの蚊ですよね」
氏神「赤トンボそっくりなんで」
愛「赤トンボ」
氏神「ええ、それです」
愛「あれヤバくないんですか?」
御手洗「今、流行ってる新しいエボラってあの赤トンボが流行らせてるって言
われてるじゃないですか」
氏神「そうですね、媒介してるのがあの赤トンボですね」
御手洗「あの駆除をなさっていた」
氏神「ええ…最初はスズメバチの巣とかの担当だったんですけど、半年前くら
いからあまりにも増えてきたあの赤トンボの担当に…」
御手洗「駆除してて伝染病に感染したりはしないんですか?」
氏神「ええまあ…もうすっかり」
御手洗「もうすっかり?…ってことは」
氏神「もう本当に大丈夫です」
  御手洗のテーブルが溶暗。

●3.スタップさん その1
  愛のテーブル、溶明。
汐美「もうこの業種では雇ってもらえませんから…」
愛「バイオテクノロジー?」
汐美「はい」
愛「早稲田大学大学院卒ですよ…どっかありますよ」
汐美「いえいえ…もう指名手配犯みたいなもんなんですよ…お尋ね者っていう
か」
愛「なにかまずいことを…」
汐美「やらかしたのは私じゃないんですけど」
愛「ええ…」
汐美「私の前の職場…理化学研究所っていうところなんですけど、お聞きにな
ったことはありませんか?」
愛「理化学研究所?」
汐美「私の研究班のリーダー、小保方晴子さんっていうんですよ」
愛「小保方さん!」
汐美「そうです」
愛「スタップ細胞の」
汐美「そうです」
  愛のテーブル溶暗。

●4.待合席での相談 ありあと伴内
  待合席と職員のいる場所を行き来していた伴内。
  待合席のありあに呼び止められる。
  このやりとりの間に所沢は龍田のテーブルに着く。
ありあ「あの、仕事っていうのはこのファイルにあるだけなんでしょうか?」
伴内「今、お仕事、減ってましてねえ」
ありあ「…不況ですからねえ」
伴内「どういったお仕事をお探しですか?」
ありあ「どういうのがあるのか…こういうのってことじゃなくて…とりあえず
ハローワークってとこにきたらなんかあるんじゃないかって思って来てみたん
ですけどねえ」
伴内「ああ…それは見つからないパターンですね」
ありあ「そうなんですか?」
伴内「私の経験から…ですけど」
ありあ「そうなんですか?」
伴内「でも、大丈夫です、私にお任せください」
ありあ「本当ですか?」
伴内「なんとかしましょう」
ありあ「本当ですか?」
  妙な間。
伴内「…どうかしましたか?」
ありあ「え、あ、いや、お願いします…」
伴内「はい、少々お待ちください…」

●5.所沢のお見合いトラウマ話
  龍田のテーブルが溶明する。
  龍田の対面に所沢。
龍田「お決まりになりましたか?」
所沢「すいません。なんか慎重になってしまって…」
龍田「あまりあれこれ悩まず、とりあえず応募してみて…こういうのは本当に
お見合いと同じですから…」
所沢「お見合いですか…」
龍田「ええ」
所沢「そう言われると…余計に慎重になってしまいます」
龍田「お見合いって言っても、あまりぴんときませんかね…」
所沢「いえ、やったことあります」
龍田「お見合いですか?」
所沢「はい、二回ほど、日暮里の叔母に勧められて」
龍田「そうですか」
所沢「それで、二回とも断られてるんで…」
龍田「…ああ」
所沢「慎重にならざるを得ない…」
龍田「ああ…例えが悪かったですかね」
龍田のテーブル、溶暗。

●6.氏神、伝染病はもう大丈夫
  御手洗のテーブル、溶明。
  氏神の続き。
御手洗「この前、代々木公園がまた封鎖されましたよね」
氏神「あの代々木公園の赤トンボ駆除も、自分、やりました」
御手洗「それで、あの、新しいエボラとかってのは?」
氏神「今はもう」
御手洗「今はもうってのは…?」
氏神「大丈夫ですよ」
淵脇「なんかあいつ、やたらとさっきからトイレ行ってませんでした?」
所沢「自分もトイレに居る時に、駆け込んできましたね…個室に…」
氏神「もう、ぴんぴんしてます、この通り。働けます…ただ虫だけはもう…」
御手洗「それはわかります、わかります」
氏神「それで、ですね」
御手洗「はい」
  そして、氏神、手にしたファイルから一枚の求人票を取りだして、
氏神「さっき求人の資料を拝見していて、一つこれっていうのを見つけたんで
すけど、これ…」
御手洗「ペヤングの工場、内勤ですね(と、気がついた)ペヤング! 虫、い
ませんね、確かに」
氏神「ですよね」
  御手洗のテーブル溶暗。

●7.スタップさんは小保方の助手
  愛のテーブル、溶明。
愛「小保方さんのチームにいらした…」
汐美「ええ…私は普通の白衣でしたけど」
愛「そう…ですか」
汐美「おかげで…もう、誰にも信用してもらえなくなりました」
愛「そんな…」
汐美「日本の国内はもちろん、海外の研究機関やバイオテクノロジーの企業も
みな…」
愛「ああ…」
汐美「とりあえず、一千八百六十万の奨学金の返済もありますので、なにかし
ら働かないと…なんです」
愛「そうですか…」
汐美「あの、私を見る時に、スタップ細胞の研究をやっていた理科女の人って
いう目で見るんじゃなくて、一千八百六十万の借金を抱えた女として見ていた
だけると、どういう職を斡旋したらいいかってわかると思うんですけど…」
  愛のテーブル、溶暗。

●8.ペヤングの工場希望
  御手洗のテーブル溶明。
  氏神とのやりとりのさらに続き。
  このやりとりの間に、伴内は資料を持って待合席のありあの隣座わる。
御手洗「確かに…今、ペヤングの工場はいちばん虫と縁が切れているところか
もしれませんね。今すぐ連絡して、面接の日取りを決めてしまいましょう」
氏神「そうしてください、あ」
御手洗「なんですか?」
氏神「ちょっとトイレ、行ってきますんで」
御手洗「は、はあ…」
  氏神、トイレへと立つ。
  待合席に居る人々、氏神を避けるようにちょっと移動したり、座り直した
りして。
  淵脇、それを見送って、
淵脇「あぶない…あぶないって…あれは…」

●9.待合席のありあと伴内
伴内「(ファイルを開いて見せ)こちらに七十六件あるんですが…お勧めはこ
の二件ですね…」
ありあ「それはまた…どうしてこの二件が?」
伴内「二件以外は…ちょっと、あれなんですよ」
ありあ「なんですか?」
伴内「私の口から申し上げるわけにはいかない、あれなので…察してくださ
い」
ありあ「あ…はい…わかりました」
伴内「先週まではお勧めできるお仕事は二十八件あったんですけど…」
ありあ「今は二件」
伴内「ですね…不況はさらに過酷な社会状況を招いていますから」
ありあ「あんまり贅沢は言ってらんないってことですね」
伴内「今は…私の口からは申し上げにくいのですが…働かなくて良いのなら、
なるべく働かない方がいいかもしれない、って感じですか」
淵脇「(伴内に)あんた、おもしろいこと言うね」
伴内「おもしろいことなんて、なにも…」
淵脇「(しみじみ)働かなくていいのなら、なるべく働かない方がいい…か」
所沢「悪魔のささやきですね」
淵脇「あれ、天使の調べかと思いましたよ」
ありあ「やはり…遊んでいた方がいいってことか…」

●10.スタップさんに家庭教師を勧める
  愛のテーブル、溶明。
愛「ではこちらの…これは?」
汐美「なんですか?」
愛「家庭教師の派遣会社なんですけど…」
汐美「家庭教師ですか…」
愛「キャリアを生かして」
汐美「バレませんかね…」
愛「黙ってれば」
汐美「ドキドキしますね」
愛「大丈夫ですよ、そんなの…」
汐美「バレないかなあ…」
愛「大丈夫、大丈夫ですよ。そんなですね、ご自身で思っていらっしゃるほ
ど、小保方さんの事とか、スタップ細胞があるとかないとか、割烹着とかムー
ミンとか、世の中の人は本当は関心ありませんでしたから」
汐美「そうですかね」
愛「そうですよ。だって、東京オリンピックのエンブレムの話なんか、もうい
いよどうにでもなれって感じじゃないですか」
汐美「そうですよね」
愛「騒いではいますけど、誰も本気で心配なんかしてないんですよ」
汐美「そうですか?」
愛「そうですよ」
汐美「うふふ…」
愛「前を向いて行きましょう」
汐美「なんか、心なしか傷ついている私が今、ここに居るんですけど、気のせ
いでしょうか?」
愛「前を向いて行きましょう」
汐美「そうですね」
愛「これ、ご検討ください」
汐美「(ファイルを受け取り)ありがとうございます」
  愛のテーブル、溶暗。
  汐美はファイルを抱いて待合席へ。

●11.龍田、所沢に断られてもチャレンジすべし
  龍田のテーブル、溶明。
所沢「二回断られて、三回目がねえ」
龍田「三回目も断られるかもしれませんけど…そしたら四回目に挑むんです
よ」
所沢「見合いの話ですか?」
龍田「いえ、職を探す話です…まあ、どちらも同じ事っちゃ同じ事だと思うん
ですけどね」
所沢「なるほど、最近のハローワークは心のケアというか、そういうことまで
…面倒見がいいですねえ」
龍田「人が財産ですから、ハローワークは…ダメだと思わないで、もう一度、
これはどうだろうか? という目で求人をご覧になってください」
所沢「わかりました…親身なアドバイスをありがとうございます」
  所沢、龍田に深々と頭を下げると、待合席に戻る。

●12.淵脇登場
愛「三十七番の方~」
  やってくる淵脇。
  松葉杖をついている。片方の足が不自由らしい。そして、三人の職員に、
淵脇「ども、どもどもね」
そして、愛のテーブルへ。
  求職希望の紙を愛に差し出した淵脇、
淵脇「くっそ暑いねえ、まあ、俺のせいじゃないんだけどね…あれ、前髪切っ
た?」
愛「ええ、少し」
淵脇「染めたでしょ、色は俺、こっちの方がいいね」
愛「染めてませんけど」
淵脇「あいたたた、夕方、こりゃゲリラ豪雨来るね、傷口がそれを知らせてる
もん」
愛「職は探お探しになっているんですよね」
淵脇「もちろん」
愛「なにか見つかりましたか?」
淵脇「いやあ、紹介していただいた十五件を吟味して、十二件まで絞り込んだ
んですけどね」
愛「手ぬるいですよ」
淵脇「手厳しいね」
愛「職、探しましょうよ」
淵脇「ん…探しているけどね…鞄の中も机の中も探して居るけど…見つからな
いんだよね」
愛「それよりボクと踊りませんか?」
淵脇「わはははは(ウケてる)…」
愛「仕事、探してるんですよね?」
淵脇「うん、働きたい」
愛「そうですよね」
淵脇「そうね、誰かの役に立ちたい、必要とされたいね…でも、ほら、足に
ね、爆弾があるっていうか」
愛「負担にならない仕事を…十五件ご案内差し上げたんですよ」
淵脇「うん、その中からどれにしようかな、神様の言うとおり~ってね」
  ここで十二時のチャイムが鳴る。
御手洗「お昼の時間なので、この続きは一時からということで」
伴内「お昼休みに入りますので、このまましばらくお待ちください」
  待合席の人々、
一同「ええ…」
淵脇「そんなお役所仕事な」
御手洗「お役所仕事なもので」
龍田「これまでずっとこうでしたし」
愛「これからもずっとこうですよ」
御手洗「富良野は来月いっぱいだろ」
淵脇「え、辞めちゃうの?」
龍田「寿退社」
愛「やめてくださいよ…もお、伴内さーん、助けてくださいよ」
伴内「いいじゃないですか、おめでたいことなんですから」
愛「なにかにつけて冷やかすんですよ、係長と龍田さんが」
淵脇「来月?」
御手洗「お嫁さん」
淵脇「ええ!」
龍田「はあい(そして、淵脇に)挙式はミラコスタですよ、ディズニーリゾー
トですよ」
淵脇「ミラコスタ?」
伴内「ディズニーシーですよ、メディテレーニアンハーバーを望む、チャペル
ミラコスタですよ」
愛「伴内さんまで」
御手洗「伴内のお勧めの」
伴内「私はお勧めしただけですけど、猛烈に…」
愛「いろいろお世話になりました」
伴内「どういたしまして…また次やる時も御相談ください」
愛「次の事は考えてませんよ」
御手洗「わっかんないよ、人生」
淵脇「ディズニーランドで結婚式なんかできるんだ」
御手洗「うらやましいですよね、俺なんか…親戚と友人集めて人前式でちゃっ
ちゃと済ましたのに」
龍田「それは二回目だからじゃないですか?」
御手洗「一回目も似たようなもんだったけどね…」
伴内「じゃあ、食事行ってきます」
御手洗「家帰ってメシ食ってくる」
龍田「はあい」
御手洗「家、近くなんですよ」
淵脇「知らないよ(愛に)お嫁さんかあ…」
愛「いらっしゃいます? ミッキーもオプションで呼びましたから」
淵脇「写メ撮れる?」
愛「もちろん」
淵脇「いいね」
愛「私の彼氏と一緒に撮りましょうよ」
淵脇「ヤだよ」
愛「どうして?」
淵脇「どうしても、だよ」
愛「彼、かっこいいのに、野球やってたんですよ」
淵脇「長いの? つきあって」
愛「保育園の時から」
淵脇「長いねそりゃ」
愛「年中さんの教室でファーストキスを強引に奪われた時に、私の心も奪われ
ましたねえ」
淵脇「保育園ってことは家も近いの?」
愛「隣です。双子なんですよ、彼氏、その兄の方です」
淵脇「へえ…」
愛「野球やってたんですよ」
淵脇「ちょっと待て、じゃあ、弟さんは?」
愛「…生きてますよ」
淵脇「本当に?」
愛「本当です」
淵脇「よかったあ…弟さんは死んでないんだ」
愛「死んでませんって」
淵脇「幼なじみで家が隣で双子で野球やっててっていうから、もう、ダメかと
思ったよ」
愛「生きてますよ」
淵脇「ドキドキしたわぁ…きれいな顔してるだろ、ウソみたいだろ。死んでる
んだぜ、それで…かと思ったよ。よかった…」
愛「彼の家でもよく弟の方が寝てるとそうやってからかいますよ」
淵脇「やめろよ、そういうのはやめとけよ」
愛「いいじゃないですか、生きてるんだから。ミラコスタにいらしていただけ
れば、弟の方にも会えますよ」
淵脇「…ご祝儀を包む金がないよ」
愛「ああ、じゃあ、ダメですね」
淵脇「金ないからここに来てんじゃないかよ」

●13.待合席の人々…
  と、戻ってくる氏神。
氏神「あれ…」
汐美「お昼休みみたいです」
ありあ「一時まで」
氏神「おなかすいたな、なんか食べに行こうかな、食べたもんがまるごと出て
くからなあ」
ありあ「外、暑いですよ」
汐美「今日も四十三度になるって…」
氏神「ああ…外の仕事をずっとやってたんで、暑いのは大丈夫です」
汐美「ずっと四十三度の中で…害虫駆除を?」
氏神「ええ…滝のような汗をかいて赤トンボを虐殺する日々でした」
ありあ「それでエボラに?」
氏神「エボラじゃないんですよ。エボリアです」
ありあ「あ、そうそうエボリア」
汐美「エボラとマラリアの進化系って覚えればいいんですよ」
氏神「赤トンボ、普通の殺虫剤じゃ、駆除できませんからね」
汐美「虫も必死なんですよ、殺虫剤で殺されないように、がんばってるんで
す」
所沢「殺虫剤で殺されないように、がんばる?」
汐美「あの赤トンボ、っていうか蚊は、異種で交雑して子どもを生み出して、
結果、殺虫剤への抵抗性を獲得したっていう研究報告が発表されたんです」
氏神「詳しいですね」
淵脇「どういうこと?」
汐美「同じ蚊でも違う種の蚊が交わって、特殊な能力を持った蚊の子供を生み
はじめたんです。動物には「雑種強勢」っていうのがあって、異種が子供を作
るとその子供は強くなるんです」
所沢「それは、あれですか、殺虫剤があるから、そういう進化の道を蚊が選ん
だってことですか?」
氏神「そうですね…殺虫剤への抵抗性を付けるために急速に進化する従来ない
仕組み」って教わりましたけど…」
所沢「それに伴い、伝染病も進化する、と」
氏神「そういうことです。強いですよ、雑種強勢した赤トンボは…さっきも、
また神田川で、大量発生しているから人大募集ってメールが来たところです
よ」
淵脇「神田川…」
氏神「あれが神田川の上を大群で飛んでるらしいんです」
  と、やってくる真之輔。
淵脇「神田川って、赤い手ぬぐいマフラーにして、ってイメージだけどなあ」
所沢「今は赤トンボの群れ…」
氏神「それが大量に」
所沢「綺麗でしょうねえ、夕焼けの空に群れなして飛ぶ赤トンボ」
淵脇「なんか風情があるのかないのか」
ありあ「赤トンボ狩りか…」
淵脇「あ、なんか心動いてる?」
ありあ「いや、想像もつかないんで…」

●14.尼さん志望のありあ
淵脇「職探しでしょ?」
ありあ「ええ…」
淵脇「どういう職を希望しているの?」
ありあ「最終的には尼なんですけど」
淵脇「あま?」
真之輔「へえ…」
ありあ「あまです」
淵脇「あま?」
ありあ「そうです」
淵脇「尼さんになるために…ハローワークに?」
ありあ「ん…話せば長いんですけど…」
淵脇「いいよ、いいよ、聞く、聞く、どうせ死ぬまでは暇なんだから」
ありあ「瀬戸内寂聴さんっていらっしゃるじゃないですか」
淵脇「はいはい」
ありあ「相談に行ったんですよ」
淵脇「尼になりたいって?」
ありあ「そうです。そしたら「あなたはまだ遊び足りてないでしょう。尼さん
ってのは思う存分遊んで、遊び尽くして、その後になるものですよ」って言わ
れて…」
淵脇「深い、深いね」
ありあ「遊ぶためにはお金がいるじゃないですか…それで今日はここに…」
淵脇「ああ、なるほどね…」
真之輔「期待したより短い話でしたね」
所沢「じゃあ、今は…尼さん志望の…」
淵脇「遊び人?」
ありあ「ま、そうですね」
そして、やってくる真之輔。
淵脇「遊び尽くす…にはどうしたらいいのかねえ」
ありあ「そこなんですよ、問題は」
淵脇「人生ってのはなんなんだろうねえ」
ありあ「シャンパンの泡」

●15.ラプちゃん登場
  と、やってくる詩絵。
詩絵「あれ、やってねえ…マジかよ、ふざけんなよなー」
淵脇「お昼休みなんだよ」
詩絵「お昼休み? 小学校かて」
淵脇「まあ、似たような場所かもしれないけどね」
  そして、詩絵、淵脇の隣に座りながら、
詩絵「起きてすぐ来たんだって」
淵脇「起きてすぐの割にはめちゃめちゃメイクしているねえ」
詩絵「メイクしたまま寝てまったよ、また肌が荒れるよー、もー、なにもかも
面倒くさい、かき氷食いてえ」

●16.氏神、横になる
氏神「(待合席の人々に)ちょっと横になっていいですか…ダルくて…」
汐美「あ、はい、どうぞどうぞ…」
氏神「すいません」
汐美「なんか汗、すごいですよ」
氏神「熱くないですか、この部屋」
汐美「涼しいですよ…海の底みたいに」

●17.ラプちゃんとしんのすけさん
と、詩絵、真之輔に気づいた。
詩絵「あ!」
  詩絵、かわいく手を振ってみせる。
詩絵「いやだぁ、しんのすけさん! なんでぇ、うそぉ、私、私、私~きゃあ
ああ~」
真之輔「ラプンツェル」
詩絵「隣、いいですか、失礼しまーす」
  と、座る詩絵。
詩絵「最近、お店、来てくれんじゃないですか…メールも返信してくれんし…
私のこと嫌いになったの? 私じゃない誰かさんに「外暑いね~、「熱中症」
ってゆっくり言ってごらんよ、って、言っとるんでしょ、もー」
汐美「熱中症?」
詩絵「ね、ちゅーしよう…(さらに艶っぽく)ねえぇ、ちゅうぅしよぅって」
真之輔「ちゅーさせてくれなかったじゃん」
詩絵「させるわけないがん」
真之輔「あれ、あれ、ラプンツェル…ちゃんはなにしに、ここに来たの?」
詩絵「転職」
真之輔「なんで? キャバ辞めるの?」
詩絵「無理」
真之輔「無理? なにが?」
詩絵「自分で自分のことラプンツェルって言うの、もう、無理」
真之輔「キャバ辞めるの? 辞めてどうするの?」
詩絵「どうしよう…どうしようか、しんのすけさん…」
真之輔「どうしようかねえ…どういった仕事に転職したいの?」
詩絵「私は何になりたかったんだろうって…」
真之輔「うん、うん…」
詩絵「すれてしまった自分に嫌気がさしとるとこですよ」
真之輔「嫌いになるな、自分を、な、な」
詩絵「しんのすけさんのそういうとこは好き」
真之輔「な」
詩絵「ラプンツェル、泣きそう」
真之輔「ラプちゃんは…本当はなにに憧れ、なにになりたかったのかを問い直
してみる時期なのかもよ」
詩絵「そうですね…」
真之輔「ラプちゃんは何になりたい?」
詩絵「ラプちゃんはねえ…人の役に立つ人になりたい…小学校の時も、いきも
の係を率先してやっとったし」
真之輔「そう、優しい子だったんだねえ、ラプちゃんは」
詩絵「死んだウサギの墓を三つも作った時も、クラスの皆は嫌がとったけど私
は率先してやっとったんだって」
真之輔「名古屋弁がたまらないんですよ」
淵脇「お店でもその名古屋弁なの?」
真之輔「そういうキャバなんですよ」
淵脇「みんな名古屋弁?」
真之輔「いえ、日本各地の方言が店内に乱れ飛ぶ」
淵脇「方言キャバ嬢か、ピンポイントだねえ」
真之輔「そうですね」
淵脇「でもたまらん人にはたまらん」
真之輔「ですね」

●18.寺を継がない真之輔の話
詩絵「しんのすけさんこそ。結局お坊さん辞めるの?」
真之輔「いや、それをね…どうしようかと思って」
ありあ「お坊さん?」
真之輔「家が代々寺なもんで、しかたなくというか、強制的にというか…なっ
てはみたものの…」
淵脇「この人、ゆくゆく尼さんになりたいんだって…」
真之輔「ええ、でも、その前に瀬戸内寂聴さんの教えがあるわけでしょ…」
ありあ「ええ」
真之輔「遊び足りない…」
ありあ「お寺、継がないんですか?」
真之輔「これはもうねえ…継ぎたくない…というか、なぜ僕は寺に生まれてき
たのかと…寺を継ぐためのこの命だったのか、と。こんなになにもかもが発達
した時代に、なぜ正座してぽくぽくぽくぽくぽくぽく音を立てながら読経しな
ければならないのか、と…もうCDでいいじゃないか…と」
汐美「ありがたみがないからじゃないですか」
淵脇「それはやっぱりあるよね」
汐美「ありがたいじゃないですか、ぽくぽくぽくぽくって…」
淵脇「ありがたいよね」
真之輔「ありがたみ? 僕が読めばありがたいですか? こんな僕が? こん
な僕ですよ…って、どんな僕かわからないでしょうけど、知りたいですか?」
淵脇「もういい、もういい、もういいから、そのへんにしときなさい」
詩絵「しんのすけさん、お坊さんしとった方が稼げるって…この前、お店で島
風ちゃんがタロットで占ってくれとったじゃん」
真之輔「うん、占いは宛てにしてないけど、僕もそう思うよ」
詩絵「お経で稼いで、私に貢いでくださいよ」
ありあ「もったいないなあ…お寺に生まれたら自動的にお坊さんになれるの
に」
真之輔「決められた道をただ進む…ドラマチックなことなどなにもない…」
ありあ「私、継ぎましょうか?」
淵脇「それ、いいんじゃないの?」
汐美「それはドラマチック!」
真之輔「いや、そういう、あれじゃなくて、あれですよ」
ありあ「でも、私は遊ばなきゃいけないしなあ」
真之輔「じゃあ、いっそのこと(ありあを示し)尼さんになって寺を継いでも
らって(自分を示し)遊び足りてない部分を僕が担当するっていうのはどうで
しょうか?」
詩絵「それいい、それいい、それいいじゃないですか」
淵脇「ハローワークで、運命の出会いだな!」

●19.香奈世登場
  と、やってくる香奈世。
淵脇「お昼休みだって…」
香奈世「見りゃわかるわかるわ」
  と、淵脇のところへ行き、
香奈世「仕事…見つかってなさそうね」
淵脇「なんでわかる?」
香奈世「見りゃわかるわ…」
と、香奈世、淵脇の近くに座る。
淵脇「なかなかねえ…不況だからねえ」
香奈世「不況は今に始まったことじゃないし、これからもっともっとひどくな
る一方よ。」
淵脇「バブルがはじけてからこっち、ずっと下がってばかりだからねえ」
香奈世「今はまだバブルの続きなのよ…」
真之輔「どういうことですか?」
香奈世「みんなの心の中は未だにバブルなのよ…でも、それももうおしまいに
なる」
ありあ「本当の意味でバブルがはじける時がくるってことですか?」
汐美「そうするとどうなるんですか?」
香奈世「むちゃくちゃになるのよ(そして、淵脇に)仕事する最後の機会なの
よ、今が…」
淵脇「だから探してるって…鞄の中も机の中も探しているけど見つからない
…」
香奈世「…飾りじゃないのよ、涙は」
淵脇「(そして、周りの人々に)あ、御紹介が遅くなりました…家内です」
香奈世「どーも」
真之輔「意外な展開…」
香奈世「(待機席の人々)お知り合いなの?」
淵脇「いや、ほとんど初対面、でも、ほら同じ境遇の人達だから、シンパシー
っていうの? すぐに仲良くなれちゃう…」
香奈世「この人はね、どんな場所でも親戚の法事の宴会みたいな空気にしちゃ
いますけど、悪気があってやってるんじゃないので、許してあげてください」
淵脇「悪気はないさ」
真之輔「できた奥さんだ」
淵脇「親戚の法事の宴会にしようとも思ってないけどね」
香奈世「お昼、なんか食べに行こうよ」
淵脇「金ないよ」
香奈世「私が出すよ(待合席に向かい)財布は別々なんです」
真之輔「いや、そんなこと、いちいち説明してくれなくとも…」
淵脇「さっき、温泉を勧められてさあ、強羅の温泉なんだけど、関節に良いら
しいんだ」
香奈世「行きたいの?」
淵脇「うん」
香奈世「行く?」
淵脇「うん」
香奈世「いいよ」
淵脇「本当に?」
香奈世「本当に、でも、警戒レベルが五に上がったんじゃなかったっけ?」
淵脇「だから空いてるかなと」
香奈世「なるほど」
淵脇「人がいないなら、サービスも良かったりして、と」
香奈世「なるほど」
淵脇「で、どうかな、と」
香奈世「行こうよ」
淵脇「本当に? だって沖縄行きたいって言ってたから…」

●20.独立した沖縄
所沢「沖縄、行けませんよ」
淵脇「なんで?」
香奈世「あれ、知らないの?」
ありあ「沖縄、渡航制限ですよ」
淵脇「なんで?」
香奈世「(待機席に)この人、ニュースとか見ないんですよ」
淵脇「なにがあったの…沖縄に…」
所沢「沖縄、独立したんですよ」
淵脇「独立?」
所沢「二十七時間クーデターで」
ありあ「沖縄、琉球王国になりました」
真之輔「琉球国だよ、王はいないから。琉球王国じゃなくて、琉球国」
淵脇「日本から独立したんだ…」
香奈世「そういうこと…パスポートがないともうダメだし、あなたパスポート
持てないでしょう?」
淵脇「ん、うん、そうね、そうね。いやあ、そうか、そうか、そうだね、沖縄
は独立した方がいいよね」
所沢「ずいぶん、っていうかずっとひどいことばかりして迷惑かけてましたか
らね、日本は」
香奈世「でも沖縄が独立しちゃったら、アメリカは、日本に用がなくなっちゃ
いますよね」
真之輔「そうねえ、アメリカが欲しかったのはそもそも、基地の場所だし」
淵脇「かもね…」
所沢「これでもうアメリカは手のひらを返したように冷たくなるんじゃないん
でしょうかねえ」
香奈世「あんなに強行採決がんばったのに」
所沢「ですね」
香奈世「意味なくなっちゃったかも」
淵脇「沖縄、行ったことないな」
汐美「私もないです」
淵脇「もう行けないな、たぶん」

●21.一幕の終わり
どこからか『リリーマルレーン』が流れ始める。
淵脇「いつの間にか、あったはずの物がなくなっていく、櫛の歯が欠けていく
ってことを体感する。気にしないようにはしていたのだが、俺たちはずいぶん
貧しくなったもんだ…」
所沢「ですね」
ゆっくりと暗転。

第二幕『神はダイスをなさらない』 

●22.淵脇と残 その2
淵脇「そのブラック企業って、なにをやってたんですか?」
所沢「短期間で肉体改造できるってやつをキャンペーンしている企業ですね」
淵脇「ライザップ?」
所沢「ではありませんけど、限りなくそれに近い…」
淵脇「ライザップの亜流」
所沢「そうです…ライザップよりちょっと安いんです」
淵脇「また微妙なところを突いてきますねえ」
所沢「人は殺到してましたけどね、ライザップより安いから」
淵脇「効果あるんですか、あれ」
所沢「本人の努力次第です」
淵脇「それはやっぱりそうでしょうね」
所沢「金払っただけで、ばくばくいつも通り食って、動かないでいて、それで
綺麗な体になるわけないじゃないですか、小顔コースってどう思います…金払
って小顔になると思います?」
淵脇「そりゃそうだ…」
所沢「でも、こちらとしては、そういうお客さんの方が、いつまで経っても痩
せることもなく、筋肉がつくこともなく、ずーっと続けてお金を持ってきてく
れるんですよ。だから…うちの会社としては、そういうやる気ない方、大歓迎
でしたね。でも、そういうお客様に限って、痩せない、効果がないとクレーム
の嵐ですよ…」
淵脇「それで残業が月に二百時間」
所沢「あとでわかったんですけど、その…デブとか運動不足の奴らが努力しな
いで綺麗な体を手に入れようとした金はですね…」
淵脇「ええ」
所沢「暴力団の資金源になってるって話なんですよ」
淵脇「怖いですね」
所沢「気がついたら、暴力団の一番下っ端になってたわけで…」
淵脇「辞めてよかった、そんなとこ」
所沢「ですよねえ」
淵脇「そりゃ辞めてよかった…」
所沢「ええ…」
淵脇「あの…煙草、あります?」
所沢「ありますよ」
淵脇「一本、いいですか?」
所沢「あ、どうぞ、どうぞ」
淵脇「いくらですか? 買いますよ」
所沢「いいですよ、そんな」
淵脇「いや、買いますよ、一本、いくらですか?」
所沢「いいですよ、煙草の一本くらい」
淵脇「いえ、そういうわけには…」
  と、淵脇、傍らにあったキャリーケースを所沢と自分の間にドン!と、置
いてそれを開けながら…
淵脇「これから煙草とか米とかが貴重な時代になっていきますから」
所沢「それはそうかもしれませんが…」
淵脇「だから…買いますよ、いくらで売ります?」
  キャリーが開かれる。そこにびっしりと札束。丸めてある物、束ねてある
物がでたらめに詰め合わされている。
所沢「じゃあ…六百万円です」
淵脇「煙草一本、六百万…」
  淵脇、キャリーから百万の筒を取り出し。
淵脇「六百万、ね…百万、二百万、三百万、四百万、五百万、六百万っと…は
い、六百万…お確かめください」
所沢「まいどおありがとうございます」
詩絵「私も一本いいですか?」
淵脇「六百万だよ、払える?」
詩絵「もちろん」

●23.詩絵の一千万円札
  と、詩絵、一枚の札を取り出して。
詩絵「これでおつり、四百万円ください」
淵脇「(と、差し出された札を見て)なに、これ?」
詩絵「一千万円札ですよ」
汐美「あ、とうとう発行されたんだ、一千万円札」
詩絵「肖像画、手塚治虫ですよ…」
汐美「あ、本当だ、手塚治虫先生の後ろに火の鳥が舞ってる」
詩絵「こっちにちいさくアトムとレオがいますよ」
所沢「いや、初めて見ましたよ…」
淵脇「こども銀行のお札みたいだな」
詩絵「あと、五千万円札と、一億円札も出たらしいですよね…」
汐美「そうそう、そうなんですよね」
淵脇「へえぇ」
所沢「肖像画は誰なんですか?」
汐美「五千万円札が美空ひばり、一億円札が黒澤明。五億円札が石原裕次郎さ
んだって」
淵脇「五億円札…石原裕次郎さん…やっぱブランデーグラス持ってんの?」
所沢「それはモノマネの人じゃないですか?」
淵脇「長島茂雄は?」
詩絵「これからじゃないですか?」
淵脇「その上の十億円札?」
汐美「(笑っている)十億円札…」
詩絵「まあ、このスピードでインフレが進んでいったら、十億円札もすぐです
よ」
所沢「一万円札を持ち歩くの、大変ですからねえ」
淵脇「俺なんかほら、膝に爆弾抱えてるから、片方松葉杖、片方、一万円札の
詰まったこのキャリーケース、移動がいちいち大変だよ。しかも、こんだけ一
万円札持ってても、ほっとんど役に立たないからね」
汐美「ですよね」
詩絵「パチンコの玉が今、百二十万ですからね」
淵脇「え、そうなの? 今、もうそんななの?」
ありあ「ドル箱、あれ一杯が十八億らしいですよ」
淵脇「ドル箱十八億なの? ひと箱?」
所沢「十八億」
詩絵「リアルカイジ」
汐美「ってことは、石原裕次郎と黒澤明三枚ずつですね」
淵脇「もう全然、価値がわからん」
汐美「インフレですから」
淵脇「インフレだねえ…」

●24.ペヤングで心を壊した氏神
氏神「あの…以前ここでペヤングの工場の職を紹介していただいた者ですが
…」
御手洗「あ、あの…害虫駆除の」
氏神「そうです、そうです」
御手洗「どうでしたか? ペヤングは?」
氏神「辞めました」
御手洗「合わなかった?」
氏神「ペヤングはいいところでした…ペヤングにはなんのあれもないんですけ
ど、ただ…」
御手洗「ただ?」
氏神「滅菌除菌された密閉空間で、頭の上から下まで真っ白い人達が、コツコ
ツ働いているところに一日八時間とか九時間とか居ると、なんだか(と、胸に
手を当て)心のこのあたりも真っ白になっていって…」
御手洗「望んでいた虫のいない世界が」
氏神「ペヤングには本当に申し訳ないです。虫の居ない世界だと自分がこんな
にもふがいないものかと…」
愛「かなり心を折られてますね」
氏神「折れました…」
御手洗「ペヤングで…」
愛「少し休まれたら?」
氏神「働きたいんです」
御手洗「働きたい…」
氏神「働きたいんです…」
愛「十一番の方!」
  札束がはみ出したキャリーケースを引きずりながら汐美、待合席から愛の
テーブルへ。
氏神「外の風が吹いているところで、体使って働きたいんじゃないかと」
御手洗「自分自身の素直な欲求に気がついたってところですか」
氏神「ペヤングがそれを気づかせてくれました」
溶暗。

●25.スタップさんその2
  愛のテーブル、溶明。
汐美「どうも…」
愛「どうも…あ、スタップさん」
汐美「覚えてくれてましたか?」
愛「ええ…インパクトありましたから…(声を潜め)どうでした? あれ
は?」
汐美「それなんですけど…紹介していただいた家庭教師の仕事で私の一千八百
万の奨学金やらなんやらの負債をコツコツ返済しようかなって思ってたんです
けど…ほら、もう世の中、こんなになっちゃったじゃないですか…」
愛「どんなに…なりました?」
汐美「(万歳して)奨学金の借金、帳消しになりました」
愛「あ、そうか! そーですよね!」
  愛もまた万歳して、
汐美「そーでーす!」
愛「そうか、そうか」
汐美「そうなんですよー」
愛「おめでとうございまーす」
汐美「ありがとうございまーす」
愛「インフレも悪いことばかりじゃないんですねえ」
汐美「円の暴落のおかげで一千八百万を支払うのなんてなんてことなくなちゃ
ったじゃないですか…」
愛「今はねえ…一千八百万くらい小学生でも持ってますからねえ」
汐美「一応、言ったんですよ、払いますよ、って、そしたら、もういいです
よ、って言われて」
愛「もういいです…一千八百万、もういいです」
汐美「なんて素敵な言葉なんでしょう」
愛「もういいです」
汐美「円の暴落、万々歳ですよ…それで、借金の返済とかもう関係なくなっち
ゃったんで、なにか、もっと違う仕事がないかなあ、と思って…」
愛「なるほどー」
  愛のテーブル、溶暗。

●26.ハローワークの裏メニュー
  御手洗と氏神のテーブル、溶明。
御手洗「今はもう、こういうご時世ですから…ほとんど御紹介できる仕事がな
いんですけど…」
氏神「そうですよねえ…やっぱり」
御手洗「それでもまあ、レストランの裏メニューみたいなものは存在してまし
てね」
氏神「…ええ」
御手洗「ここで紹介したことにしないで欲しいんですけど」
氏神「はい」
御手洗「ドンキの仕事があるんですが…」
氏神「ドンキ?」
御手洗「ドンキホーテ。ドンキホーテの自警団です」
氏神「自警団って何ですか?」
御手洗「んとですね…警備員みたいなもんです。ただし、警備会社ではなくド
ンキホーテが直接雇うドンキホーテを守る人達ってことですかね」
氏神「ドンキを守る?」
御手洗「襲撃されるらしいんで…それから…守る」
龍田「十二番の方」
  と、待合席から詩絵、龍田のテーブルへ。
淵脇「ドンキ、危ないらしいね」
汐美「よく襲われてるらしいですね」
氏神「ドンキホーテを襲撃者から守る」
御手洗「ドンキホーテを守るってことから、サンチョパンサって呼ばれている
らしいです」
氏神「サンチョパンサ」
溶暗。

●27.夜のモグリの保育園
  龍田のテーブル、溶明。
龍田「まあ、こんなご時世ですから、御紹介できる仕事が本当にないんですけ
ど…」
詩絵「はい」
龍田「それでも、レストランの裏メニューというか、シェフのおまかせ、みた
いなものはあったりするんですよ」
詩絵「ハローワークのシェフのおまかせ?」
龍田「そうそう…あのね…保母さんみたいなのは、やる気ない?」
詩絵「保母さんですか! 私、子供の頃、パン屋さんかマクドナルドか、保母
さんになりたかったんです。保母さん」
龍田「保母さん…みたいなの」
詩絵「保育園かなにかですか?」
龍田「名前はね『コンビニ保育園』って言うのよ」
詩絵「そういうの資格とかいらないんですか?」
龍田「ああ、いらない、いらない」
詩絵「いいんですか?」
龍田「無認可だから」
詩絵「え?」
龍田「モグリなの。保育園と名乗ってるだけで」
詩絵「ええ!」
龍田「まあ、うちなんだけど」
詩絵「うち? モグリの保育園をなさってるんですか?」
龍田「近所のお子さんを預かってるんだけどね、夜」
詩絵「夜…のモグリの保育園?」
溶暗。

●28.サンチョパンサの仕事ならある
  御手洗と氏神のテーブル、溶明。
氏神「サンチョパンサの仕事はある…と」
御手洗「給料は現物支給です」
氏神「その方がありがたいです」
御手洗「ただ、仕事に就く前にサインだけお願いします」
氏神「サイン? なんの? ですか?」
御手洗「いや、たいしたことじゃないんですけど、仕事中、最悪、命を落とし
たとしてもなにも請求しませんって」
淵脇「…命がけのバイトだ」
所沢「ドンキ襲う奴らだって、命がけですからね」
汐美「まあねえ…昔から、食うに困ると米屋襲ったりしてましたからね」
御手洗「そういう日本人のDNAなんでしょうかねえ」
所沢「米屋を襲うDNAねえ」
  そして、氏神に、
御手洗「どうしますか? ドンキホーテの周りにいる、外の仕事ですし、風は
吹いていると思いますが…」
氏神「…やってみようかな」
所沢「そんなんでいいんですか?」
氏神「いいですよ」
淵脇「いいの?」
氏神「働きたいですから」
淵脇「そりゃわかるけど」
氏神「逮捕されたりはしないんですか、暴力行為で」
御手洗「警察も見て見ぬ振りしているそうです」
氏神「やります…守りますよ、ドンキホーテ」
  と、手続きに入る。
  御手洗のテーブル、溶暗。
淵脇「それにしても、ドンキホーテだけなんであんなに流通が途絶えないん
だ?」
所沢「こんなご時世でも、まだどこかに、儲けている奴がいるんでしょうね」
淵脇「いるんだろうね…」

●29.夜のモグリの保育園と主婦売春
  龍田のテーブル、溶明。
詩絵「無認可の保育園だから…保育士の資格もいらない」
龍田「そうそう…今、この時代に必要なのは、お役所の認可とか、保育士の資
格とかってことじゃないのよ、そんなのみんなわかってるじゃない?」
詩絵「じゃあ、必要なものってなんですか?」
龍田「やる気よ」
詩絵「やります」
龍田「そうでなくちゃ」
淵脇「でも、夜中に子供預けて、お母さんはどこでなにをしてるんだよ?」
龍田「仕事してます」
所沢「仕事? 若いお母さんが夜中に?」
淵脇「なんの?」
龍田「いろいろあるでしょ?」
淵脇「仕事あるなら俺もやりてー」
所沢「紹介してくださいよ」
龍田「男には出来ないの」
淵脇「あ、そういうこと?」
所沢「ああ…パーラースーパーセブンの裏あたりに立ってるあの人たち?」
淵脇「パチンコ屋?」
所沢「もうあの辺はバッポンストリートですからねえ」
淵脇「主婦売春か…でも、誰が買うの?」
所沢「ってことは…子供預けて主婦売春?」
龍田「職業に貴賎なし、です」
所沢「人類の一番古い職業ってのは、こういう時、やっぱり強いですねえ」
龍田「母は強し…」
御手洗「父親は勝てないねえ」
龍田「まあねえ…今度の戦争でも、やっぱり最後に「お母さん」って言って死
んでく人が多いってTwitterに上がっててね。思ったんですよ、「お母
さん」って死んでくけど「お父さん」って言って死んでいくわけじゃないんで
すよね」

●30.スタップさん声優へ
汐美「声優の道に進みたいな、と」
愛「また、ぶっ飛びましたね」
汐美「もう私は、研究しなければならない、という手かせも、奨学金を返済し
なければならない、という足かせもないんです」
愛「それはそうです、確かにそうですよね」
汐美「声優の道…それは険しく遠い道であることはわかっています…」
愛「(真面目に)はい…」
汐美「でも、もう何をやってもいいのなら、やりたいことをやっちゃおうと。
人生の転機ってやつですか」
愛「声優のお仕事…」
汐美「はい」
愛「声のお仕事」
汐美「はい」
愛「コールセンターの仕事ならあるんですけど…」
汐美「あ、いいですね」
愛「ほんとですか? 深夜の通販の電話受付ですよ、安眠枕とか、青春の歌謡
曲九十曲のCDセットとか売る、あれですよ」
汐美「深夜のアニメはいつも全部録画して見てますから、夜働くのは平気で
す」
愛「元々お好きだったんですね…」
汐美「早稲田大学理工学部大学院卒ですよ私…高学歴理系声優っていう新しい
ジャンルの開拓者になれると思いませんか?」
愛「途方もない夢ですけど、現実味がありますよ」
汐美「ありがとうございます…」
愛「これ、通販のコールセンターの資料です」
汐美「ありがとうございます」
  深々と礼する汐美。
愛「いえいえ、どういたしまして…」

●31.温泉帰りのありあと真之輔
  と、やってくる、真之輔とありあ。
ありあ「こんにちは~暑いですね」
淵脇「あ、尼さんと腐れ坊主さん」
真之輔「親しみ、込めすぎ」
所沢「今日はなにを?」
ありあ「あの温泉、お勧めですよ、っていう報告に来ました」
所沢「温泉って…」
淵脇「強羅の温泉?」
ありあ「はい…」
淵脇「行ってきたの?」
ありあ「はい…あんなにお勧めされたら行かないわけにはいかないじゃないで
すか」
所沢「あんたには勧めてないよ」
淵脇「良いお刺身、出ましたか?」
真之輔「お刺身断って、炙り和牛寿司と極上牛冷しゃぶを雲氏神茶漬けと一緒
にいただきました」
淵脇「そっちか…」
ありあ「ええ…」
真之輔「猛々しく噴煙を上げる箱根の山を見ながらの露天風呂。今しか見れな
い絶景ですよ。でね、一泊延泊しました…人、いないから歓迎されました…」
ありあ「延泊分はサービスでしたし」
淵脇「ほんとに? 至れり尽くせりだ」
真之輔「でも、そのかわり箱根は大丈夫だからって宣伝してくださいって…」
  と、ありあ、チラシを配り始める。
ありあ「箱根の温泉は元気です。よろしくお願いいたします」
  配りながら、
ありあ「お願いしまーす、お願いしまーす」
真之輔「広々とした露天風呂…静かでした…大きな赤トンボが群れをなして舞
っていて…」
淵脇「瀬戸内寂聴さんの教えはどうなの? 」
ありあ「もっと遊べ、ってことですよね…」
淵脇「そうそう」
ありあ「でも…それでいったい、なにをすればいいでしょうかね」
真之輔「そうねえ」
ありあ「こんな世の中になっちゃった今、なにが遊ぶことなんでしょうねえ
…」
真之輔「そうねえ」
ありあ「どんどん、生きることにみんな必死になるしかない、こんな状況で」
所沢「こんな状況だから、こそ遊ぶってことが大事なんじゃないですかね…」
ありあ「とも、思うんですけどね」
真之輔「ま、今、僕のアシスタントとして働きながら、それをゆっくり考えて
るってところですかね」
所沢「髪は剃髪しなくてもいいですか、最近は…」
真之輔「ああ、いいんですよ(と、自分の胸を示し)ここの問題ですから…」
 
●32.淵脇ちゃん再び
そして、愛が席についた。
愛「(片手をあげ)十三番の方、どうぞ」
  淵脇、愛の席の前へ。
淵脇「あれ、寿さん。髪伸びた?」
愛「やめてください」
淵脇「寿さんは寿退社するはずだったんじゃないの? 先月くらいに」
愛「延期しました」
淵脇「そりゃまたどうして…」
愛「いいじゃないですか、そんな私事は」
淵脇「いやいやいや、気になる、気になる、気になるよん」
愛「気にしないでくださいよ」
淵脇「別れた? 彼氏と」
愛「別れてません」
淵脇「考え直すことにした? こんなご時世だから」
愛「それはそうです」
淵脇「そうなの? ご時世のせい?」
愛「そうです」
淵脇「ミラコッタは」
愛「ミラコッタ?」
淵脇「結婚式、せっかくミッキーマウスも呼んだのに」
愛「キャンセルしました」
  と、淵脇、ポケットから本当にポケットマネーのくしゃくしゃの札束を取
り出して、愛の肩をはたきながら、
淵脇「なんだ、なんだ、なんだ…俺がポケットマネーでミラコッタの結婚式、
仕切り直してやろうか?」
愛「いいですよ」
淵脇「どうして?」
愛「ディズニーリゾートはもう日本円が使えませんし」
淵脇「じゃあ、支払いはなにでするの?」
愛「外貨ですよ、元とか、ウオンとか、ドルとかユーロとか…おかげで今、イ
ンパークしているのは、中国人と韓国人ばっからしいですよ…あらかじめ支払
いを終えていた日本の修学旅行生は入ることはできるんですけど、なにも買え
ないし、あそこは持ち込みもできませんから…みんなで水飲んでアトラクショ
ンに並んでるらしいです」
淵脇「旦那になるはずだった彼も…キャンセルに同意したの?」
愛「いえ…」
淵脇「反対だったんだろう?」
愛「いえ」
淵脇「どっちよ」
愛「どっちかわかりません」
淵脇「なによ、それ」
愛「連絡が取れないんです…」
淵脇「どっか行ってるの?」
愛「独身最後の思い出に、とか言って旅に出たんです…ヨーロッパからアジア
への旅で…なんとかしてデリーの空港までは辿り着いたけど、日本円では空港
税が払えなくなってしまったっていうのが最後のメールでした」
淵脇「海外にいる?」
愛「ええ」
淵脇「生きてる?」
愛「たぶん」
淵脇「野球やってた双子の兄の方なんでしょ?」
愛「そうです」
淵脇「それは生きてるよね」

●33.生きていた婚約者
  と、バックパッカーのなりをした凌がやってくる。
愛「凌ちゃん」
凌「…ただいま」
愛「生きてた…」
凌「大丈夫」
そして、凌、手で愛に座るように、
凌「仕事中だろ?」
愛「待ってて、もうすぐお昼休みだから…そしたら外、出れるから」
  凌、待合席の外れに座り込む。
凌「どこ行っても暑いよ」
愛「そりゃそうだけど」
凌「お金もないし」
愛「それも、そうだけど」
凌「もう本当にとことんお金を使わずにいないと、この先、貯金が増えるとい
うことはないんだから…」
愛「ここでいい?」
凌「ここは涼しくてとてもいいところじゃないか…」
淵脇「それは確かに…」
凌「深海みたいだ…」

●34.海外の帰宅困難者
淵脇「どこ行ってたの?」
凌「旅に」
淵脇「どこ?」
凌「ロンドンからインドのデリーまで、バスを乗り継いで一人旅です」
所沢「『深夜特急』だ」
凌「沢木耕太郎さんはインドから入ってロンドンに抜けたんです、僕はその逆
です」
所沢「逆『深夜特急』」
凌「そうです、そうです」
淵脇「よく帰ってこれたね、こんなに円が暴落してる時に…」
所沢「今、日本円なんて紙くずでしょう」
凌「一年オープンのチケットを持っていたので、飛行機だけはなんとか…で
も、それを持っていなかったら…って考えると…」
淵脇「帰ってこれなかった…」
凌「ですね、でも、それでも大変でしたけど…デリーの空港税が五百五十ルピ
ーなんですけど、それが払えなくて…途方に暮れて…」
淵脇「五百五十ルピーっていくら?」
凌「昔の日本円で千円ちょっとです」
所沢「それ、どうしたの?」
凌「向こうで知り合った旅の仲間がカンパを集めてくれて…おまえは、花嫁が
待っているんだから、おまえだけでも帰れ、と。それでも…それもすんなりい
ったわけでもなくて…」
淵脇「それでミラコッタを延期」
愛「そうです」
  と、チャイムが鳴る。
御手洗「お昼の時間なので、この続きは一時からということで」
淵脇「こんな時代になっても、お役所はお役所か…」
龍田「こんな時代だから…ですよ」
愛「お金の価値は変わってしまったけど、時計の針の進み具合は変わりません
から」
淵脇「お、さすが! 良いこと言うねえ」
氏神「気が利いてるよな」
淵脇「あれ? なんだっけ、その台詞」
所沢「ペヤングの焼きそばのコマーシャルですよ」
淵脇「志の輔さんね」
愛「凌ちゃん、おいでよ…」
  愛は先に二階へ、凌も続いて二階へ。
御手洗「それでは皆々さま…続きは一時からということで」

●35.お金とはなにか?
  と、立ち去ろうとする職員達に淵脇、
淵脇「待ちなよ」
龍田「なにか?」
淵脇「あんた達はなぜ…仕事を続けている?」
御手洗「仕事だからね」
淵脇「給料も出ないのに…」
龍田「出てますよ」
淵脇「もう公務員の給料ではパチンコ玉ひとつ買えないんだろ」
龍田「だからといって職場を放棄するわけにはいきませんよ」
淵脇「ぶっちゃけ、どうやって食ってるんだ」
御手洗「まあ、なんとか」
淵脇「まあ、なんとか、どうやって?」
龍田「いろいろですよ」
御手洗「あの手この手で」
淵脇「だから、どうやって?」
御手洗「そういうあなたこそ、どうやって日々、暮らしてるんですか?」
淵脇「え、それはもう、必死でだよ」
龍田「必死に? なにを?」
淵脇「筆舌に尽くしがたい…」
龍田「なんだかんだで生きてるじゃないですか」
淵脇「まあ、そうなんだけどね。でも、もうあんたらは金のために働いてはい
ない」
御手洗「働くのは金のためだけじゃないんですよ」
淵脇「生きがいとか、そういうことだと?」
御手洗「小学生の息子がいるんです…そいつにオヤジが働いている姿を見せた
いってのはありますね…金のためだけではなく…」
龍田「息子さんっていっても、奥さんの連れ子なんですよ…かっこいいでし
ょ、うちの係長…」
御手洗「やーめーろーよー」
淵脇「へえ」
御手洗「血が繋がっているわけじゃないから…なおさらなんですよ。では、後
ほど…」

●36.下関『プライベートライアン』
  職員達、二階の控室らしき場所へ。
  と、スマホを見ていた伴内。
伴内「あー…関門橋が落とされました」
所沢「下関の?」
伴内「そうです」
淵脇「九州が完全に制圧、占領されちゃったってことか」
伴内「そうですねー」
淵脇「中韓台め…」
汐美「今、韓国って北朝鮮とも戦ってるのに、なにもこっちまで出てこなくて
も、ねえ」
淵脇「しょうがないよ、向こうが攻めてきたってわけでもないから…元々は日
本がちょっかい出して、の戦争だからねえ」
ありあ「まあ、ねえ…」
所沢「それで…関門トンネルは?」
伴内「封鎖されてますね」
淵脇「ま、そうだろな」
伴内「オスプレイからの映像がアップされてます」
所沢「オスプレイ、映像撮ってないで、やることあるだろう」
ありあ「使えないですねえ、オスプレイは」
伴内「一応、自衛隊っていうか日本軍も九州に上陸しようとしているらしいで
すけどね、海から…」
淵脇「大丈夫なの?」
所沢「どうでしょう」
汐美「でも行かないとしょうがないんじゃない?」
淵脇「行ってなんとかなる? の?」
伴内「あ、ちょっと待ってください、今、翻訳されたサイトが見つかりまし
た」
汐美「日本のサイトはスクランブルがかかってて、報道が制限されてますよ
ね」
所沢「ネットってスクランブルかけたりできるの? それができないように作
ったのがインターネットじゃないの?」
汐美「いざって時のために開発していたんでしょうねえ」
所沢「なんだ、いざって時って」
伴内「あ、出た出た」
淵脇「なんて?」
伴内「見出しがすごいです」
淵脇「だから、なによ」
伴内『下関プライベートライアン』って」
所沢「…あーあ」
淵脇「ダメってことじゃん」
ありあ「『プライベートライアン』見ました?」
所沢「映画始まってすぐのあれね」
ありあ「そうそう上陸作戦のあれです」
淵脇「あれ、きついよね」
汐美「そうか、今、下関は『プライベートライアン』状態か」
所沢「かわいそうに」
淵脇「なんまいだぶ、なんまいだぶ…なんだろうね、派兵とか言っていた時代
が懐かしいよ。戦争仕掛けたらやられるって発想が誰にもなかったからねえ」
所沢「あとどっかで日本って、中国や韓国を下に見てましたし」
淵脇「あ、それはあるね」
所沢「昔、戦争して勝ったっていう記憶だけが綿々と受け継がれてるから、今
度やったら負けるかもしれない、とは思わないんでしょうね」
淵脇「そうそう、結局、戦争も原発も止められなかったねえ。敗北が折り重な
ってる」
所沢「若者が無気力になるだけだ」
淵脇「若者だけじゃないさ」
伴内「あ、下関の動画が上がってます。短いですけど…ああ…関門海峡の海が
真っ赤だ…」
淵脇「血で?」
伴内「ですかね」
淵脇「本当に『プライベートライアン』だ」
所沢「ああ、そうかも」

●37.愛ちゃんと凌君
  そして、二階から声。
(劇場の)調光のバルコニーの部分に背を向けて座って話している愛と凌。
愛「心配した、すごく…」
凌「ごめん…そうじゃないかと思ってたけど、連絡する手段がなかった…」
淵脇「どこから声が?」
所沢「話し声、ダダ漏れですね」
凌「連絡、したくてもできなかった…成田空港で一週間くらい拘束されてしま
ったし」
愛「拘束? どうして?」
凌「海外に居る僕らみたいなバックパッカーは、もうほとんど帰ってこれな
い。暴落が始まった時に慌てて帰国した人達の波も、もう収まった今、ふらり
と帰国する奴は怪しいってね。テロリストじゃないかって疑われてもしょうが
ない」
愛「凌ちゃんがテロリストなわけないじゃん」
凌「愛ちゃんに会うまでは…ってがんばらないと心が折れてたところだよ」
愛「なにか…された?」
凌「ほとんど拷問」
愛「うそ」
凌「本当、本当」
愛「殴られた?」
凌「うん…見えるところ以外のところをね…あと、電気びりびりとか…」
愛「見せて」
凌「見ない方がいい…しばらくは君を抱けないけど」
愛「よく…帰って来れたね…本当に…」
凌「片道の航空券で行った人達はもう戻れないと思う。帰りのエアを買う事が
できない、日本円は紙くず同然だし、クレジットカードもトラベラーズチェッ
クも役に立たない」
愛「みんなどうしてるの?」
凌「現地で皿洗いのバイトなんかを探したりしているけど、なかなか。ヒンド
ゥー語が読めないしね」
愛「そう…」
  間。
 『リリーマルレーン』が流れ始める。
凌「泣くなよ」
愛「だって…」
凌「泣くなよ」
愛「うん…うん…」
凌「命はあったんだ…」
愛「うん」
凌「生きてるんだから…俺」
愛「うん…でも…」
凌「でも…なに?」
愛「これからが…怖い」
  暗転していく。

第三幕『嘆きの天使』

●38.淵脇と所沢 その3
  待合席に明かり。
  そこに居るのは淵脇と所沢のみ。
所沢「赤トンボ、食べたんですよ」
淵脇「え?」
所沢「いよいよ食べる物がなくなってきて、おなかすいたなあって思って…」
淵脇「赤トンボ、食べた」
所沢「ええ」
淵脇「大丈夫なんですか?」
所沢「ええ…危なそうなんで、よく煮込んでね」
淵脇「なんともなかった?」
所沢「いや、それがですね…」
淵脇「なにか…あったんですか?」
所沢「いや、それがですね(照れ笑いしながら)なんとも、お恥ずかしい話で
すけど…久々に夢精しましたね」
淵脇「夢精?」
所沢「赤トンボの効力でしょうかね…」
淵脇「赤トンボ、栄養あるんだ…」
所沢「朝とか、勃ちます?」
淵脇「ええ…無駄に…」
  
●39.サンチョパンサの氏神
  やってくる氏神。かなり傷を負っている。
  額に包帯。しかし、元気。
  二の腕に黒の腕章をつけている。
氏神「おっす!」
所沢「(そのテンションに面食らいながら)あ、ああ!」
氏神「元気がないなあ! おっす!」
所沢「おっす!」
氏神「仕事…まだ見つからないんならどうですか? サンチョパンサ」
淵脇「ドンキホーテのあれか」
氏神「サンチョパンサ…今、大、大、大、大募集してます」
淵脇「なんか生き生きしてるね」
氏神「生きてる実感がありますよ、この仕事は」
所沢「そりゃ、よかった」
氏神「どうですか、サンチョパンサ」
所沢「シャツに血がついてますよ」
氏神「あ、これは大丈夫です」
淵脇「大丈夫なんですか?」
氏神「返り血ですから…自分の血じゃないんで」
所沢「あ、ああ…」
御手洗「もしもし…ハローワークに来て、勝手に職を斡旋したら困りますよ」
氏神「まあ、いいじゃないですか…」
御手洗「確かに本日…このハローワークにてみなさまに御紹介できるまともな
職業は…なにもございません、ですが…勝手にですね」
氏神「でも(自分を示し)人を探している人と(周りを示し)職を探している
人がいる…そういう出会いの場、これがハロー! こんにちは、ワーク、お仕
事! ってことじゃないんですかね」
龍田「それはそうなんですけどね」
愛「御紹介できる仕事がないハローワークはこんなにも無力なんですかね」
  そして、氏神、所沢に、
氏神「どうですかね…」
所沢「サンチョパンサ…」
淵脇「その…なんていうの…(氏神の)腕のここんとこの黒い腕章…」
氏神「あ、これですか?」
淵脇「気になるんだけど」
氏神「葬儀が夕方にあるんですよ、公民館で、ですけど」
所沢「誰の?」
氏神「…バイト仲間の、ですね」
淵脇「サンチョパンサのメンバー?」
氏神「ええ、殉職って奴ですね」
所沢「(と、氏神の二の腕の腕章を指さし)本当に死と隣り合わせの仕事なん
ですね」
氏神「金もないのに…っていうか金がないからってドンキホーテを襲いに来る
奴ら、もう害虫そのものですよ…見ていて、むかむかしてきますね…」
淵脇「害虫か…」
御手洗「結局、虫とは縁が切れてないんですね」
氏神「目を狙え、耳をそげ、我らサンチョパンサ、正義は我らにあり」
御手洗「まあまあ、なんて言うんでしょうか、裏メニューとはいえ、御紹介し
た職で生き生きと仕事なさっている姿を見る…それがハローワークに務める我
々のなによりの喜び…ですよ」
氏神「本当にありがとうございました。外の風に吹かれている。とにかく猛暑
というか、酷暑の日々、スコールが降ると少し楽にはなりますが、町中に捨て
られたお金が舞、下水が詰まり、水たまりにボウフラが沸き、また赤トンボが
増えてゆく…」
  
●40.ボランティアのラプちゃん
  と、やってくる詩絵。
  東京都指定の白い七十リットルのゴミ袋に札束が詰まっているものを四つ
下げて登場する。
詩絵「くっそ暑い…ああ、ここに寄って正解だった…涼しー」
氏神「今日は外、四十七度越えるとか言ってたよ」
詩絵「四十七度ってなんだよ…」
所沢「人間ってどれくらいの熱に耐えられるのか、試されている感じがします
よね」
淵脇「(手に持っている)それ、お金だろう」
詩絵「そうですよ…道に捨てられてるから…」
所沢「お金拾っても、もうなんの価値もないのに?」
詩絵「価値はないですよ…でも、こんなのが散らばってたら街が汚いじゃない
ですか。下水は詰まるし、みんな掃除しないから私が率先してやってるんで
す」
氏神「ボランティアですか」
詩絵「そうです…」
淵脇「モグリの保母さんはどうなったんだよ」
龍田「自宅無認可保育園、閉園しました」
詩絵「お母さん達の仕事が行き詰まって…」
所沢「主婦売春もあっという間に手詰まりか」
龍田「戦争になっちゃったから、それまでお客さんだった韓国人とか中国人が
怖がって来なくなっちゃいましたからね」
淵脇「ああ、なるほどね」
詩絵「子供達はお母さんの元に戻りました」
淵脇「お母さん達がなにして働いているか…知ることもなく…元の家庭に戻っ
たってこと?」
詩絵「ん…それはどうだろ…」
淵脇「どういうこと?」
詩絵「顏がね…」
所沢「顔が?」
詩絵「やっぱりそういう顏になっちゃってたんですよ…」
龍田「あれは不思議よね…ほんの数日、街に立っただけで、そういうオーラっ
ていうか、匂い立つっていうか…」
詩絵「子供が気づかなきゃいいですけどねえ…」
龍田「本当に…」
所沢「お母さんが…売春婦の顔に…」

●41.松田聖子のお札
  そして、詩絵、そのビニール袋に入ったお金を待合席に投げ出していく。
詩絵「よっこいしょ、よっこいしょ…」
氏神「それ、一袋に幾らくらい入ってるの?」
詩絵「さあ、見当もつきませんねえ…」
  そして、その袋の中から…
詩絵「五千億円札がぎっしりですよ」
所沢「五千億円札って、誰が肖像画なの?」
詩絵「松田聖子です」
所沢「松田聖子」
氏神「松田聖子が日本のお札になる日が来たか…」
所沢「いよいよ日本も終わりって感じがひしひしとしてきますね」
氏神「終わりっていうか、終わったっていうか」
所沢「裏は神田沙也加だったりするの?」
氏神「オラフと」
所沢「オラフと神田沙也加! ありうるかも」
詩絵「裏はありませんよ」
所沢「裏がない?」
詩絵「松田聖子さんの五千億円札は表しか刷ってないんです…もう、お札の裏
を刷ってる余裕がないっていうか」
所沢「そもそも、円が暴落したってのはどうしてなんでしょうかね」
氏神「それ、ある時期池上彰さんが二時間スペシャルでやってましたよ」
所沢「それはどうしてだったんですか?」
氏神「なんか、池上彰さんも、本当のところはわからないって言ってました
よ」
淵脇「池上彰さんがわからないじゃ、俺たちにわかるはわけないよな」
所沢「ですね…でも、不思議ですね。なにが起きているか、なんで誰もきちん
とした説明ができないんでしょうかね?」
淵脇「でも、でもでも、きちんとした説明をされても、理解できる頭があるの
かってのもあるじゃないですか」
所沢「いや、頭が悪い奴でも、わかるように説明するのがきちんとした説明な
んですよ」
淵脇「そりゃそうだ、そりゃそうだ」

●42.スタップさん声優デビューする
  と、やってくる汐美。
汐美「富良野さーん」
愛「スタップさん!」
汐美「おかげさまで私、声優としてデビューしました…」
愛「本当に?」
汐美「声優の道、意外と平坦で進みやすかったです」
愛「本当に本当ですか…」
汐美「本当に本当です…私が声優になるって言ったの、本気にしてなかったで
しょう」
愛「正直…信じてませんでした…」
汐美「ですよね…」
愛「でした…でも、デビュー、おめでとうございまーす」
汐美「ありがとうございまーす」
愛「どこで見れるんですか? MXテレビとかですか? アニプレックスとか
です? (と、歌う)アニプレックス~」
汐美「違います、違います。私も、デビューするにしても、最初はMXテレビ
とか、エロゲーとかかなって思ってたんですけど、全然…最初っから全国区で
すよ、すごいんですから、全国津々浦々に流れる…かもしれないんですから」
所沢「なんなの、じらさないで教えてよ」
汐美「その時が来たらわかりますよ…」
淵脇「こんな時代によく…」
汐美「こんな時代だからこそ、って感じの仕事だったんですけどねえ」

●43.坊主と尼さん、入籍しました。
  と、やってくる真之輔とありあ。
真之輔「暑いですね…ああ、やっぱりここにいらした」
ありあ「こんにちは~」
淵脇「あ、お二人さん…」
真之輔「今日はちょっとご報告に…」
所沢「強羅の報告? 温泉の? また行ったの?」
ありあ「違いますよ」
真之輔「お、ラプちゃん」
詩絵「しんのすけさん、お変わりありませんか」
真之輔「変わったね、激変したよ、俺の人生…」
詩絵「なにがあったの?」
真之輔「年貢を収めた」
詩絵「は?」
真之輔「入籍した」
詩絵「おめでとうございます」
真之輔「ありがとう、ラプちゃん」
淵脇「式とかどうしたの」
ありあ「式はまだ…」
真之輔「入籍はしたんですけどね…式はまだ未定なんですよ。こんなご時世だ
から、自分たちの幸せのためにはしゃいじゃうわけにもいかないっていうか、
本業坊主ですからね。今、毎日のように自殺したり、わずかな金のために殺さ
れちゃったりして、ありがたいことに仕事続きなもので…」
ありあ「今日も夕方、葬式があるんですよ」
氏神「それってもしかしたらドンキホーテの」
真之輔「そうそう、そうですよ。あれ、関係者の方で?」
氏神「バイトの同僚です」
真之輔「それはそれはご愁傷様です、お悔やみ申し上げます」

●44.淵脇の奥さん再登場
  と、やってくる香奈世。
香奈世「…いたいた、やっぱりここに居た」
淵脇「なんだよ。小学生が大きな石を持ち上げて、はさみ虫見つけたような物
の言い方じゃないか」
香奈世「職は?」
淵脇「見つかんない…そもそも、職がないから見つけようがない」
香奈世「ドライブでも行こうか」
淵脇「いいね…でも、もうガソリンが手に入らないだろ」
香奈世「今あるガソリンを使い切っちゃってから考えようよ」
淵脇「おまえ…」
香奈世「なに?」
淵脇「ポジティブシンキングだな」
香奈世「私からそれを取ったら、あとなにも残らないから」
淵脇「あのさあ…」
香奈世「なに?」
淵脇「まだ聞いてなかったことがあるんだが…」
香奈世「なあに?」
淵脇「おまえ…俺のどこが良くて一緒に居るんだ?」
香奈世「あなたのそのダメなところよ」
淵脇「ダメなところが良くて一緒に居るってことがあるのか?」
香奈世「あるわよ、だって私がそうだもの」
淵脇「物好きにもほどがある…籍だけでも入れるか?」
香奈世「今さら、そんな…」
淵脇「籍だけでもさあ」
香奈世「籍だけ入れてどうすんの」
淵脇「(そんな答えが返ってくるとは思わなかった)ん…」
香奈世「籍だけ入れてどうすんのよ」
淵脇「どうするって、喜ぶ」
香奈世「喜ぶ? 誰が?」
淵脇「君が?」
香奈世「喜ばないわよ」
淵脇「そーゆーこと、言わないの!」
香奈世「ごめん、本当はうれしかった」
淵脇「やめろよ…」
香奈世「本当はうれしかった…」
淵脇「やめろって…」

●45.赤紙
  と、やってくる凌。
凌「愛ちゃん…」
愛「凌ちゃん…待ってて、今、仕事中」
凌「大事な話がある」
愛「どうしたの? もうちょっとしたらお昼休憩だから…」
御手洗「いいよ、仕事っていっても、もうそこに座ってるだけ、なんだから」
凌「結婚しよう」
愛「え?」
凌「結婚しよう」
愛「なんで?」
詩絵「(なんだか喜んでる)プロポーズだぁ」
愛「どうしたの、急に」
  と、凌、赤い紙を取り出し、
凌「これが来た」
愛「…なに?」
凌「赤紙…」
御手洗「実物、初めて見た」
龍田「本当に赤いんだ…」
凌「僕に赤紙が来たんだ」
淵脇「戦争、行かされちゃうってこと?」
凌「みたいです」

●46.赤紙が来た若者のこれから
所沢「下関に送られちゃうのかね」
凌「どうでしょうか…戦争に行くために、みんなが空港税をカンパしてくれた
わけではないのに…あいつらに申し訳ない…こんなことのために日本に帰って
きたわけじゃない…」
真之輔「戦争はどうなってるんでしょうねえ」
御手洗「もう、全然、戦争について報道されなくなってますからねえ…」
淵脇「戦争になると、こんなにも何も知らされないんだねえ」
香奈世「中国韓国台湾の連合軍をいつまでも下関で食い止めているとは思えな
いけど」
龍田「最前線は広島とか岡山とかになってるかもよ」
真之輔「四国は?」
汐美「四国は占領されたら捨てると思うな」
真之輔「ああ、かねえ」
御手洗「そもそも、ろくに訓練もしないで、こんな若者を送り込んで役に立つ
のかね」
凌「行かなきゃならない」
愛「逃げれないの?」
凌「たぶん、無理だ」
愛「どうしても?」
凌「みんな考えることは同じだと思うな、これが来た時に…まず逃げられない
かなって思うよ…できることは…愛ちゃん、君と今、結婚するということくら
いだ」
愛「今、ここで慌てて結婚しちゃうと、なんか、死んじゃうみたいでヤだ。ド
ラマとかだと、絶対死んじゃうパターンだよ」
凌「…でも、じゃあ、どうすれば…」
愛「ちょっと…なにも考えられない」
凌「結婚して欲しいんだけど」
愛「それはいいけど」
凌「今すぐに…」
愛「…どこで?」
凌「ここで…」
愛「できるの?」

●47.伴内登場
伴内「まあ、やろうと思えば…」
愛「本当ですか?」
伴内「私、愛読書がゼクシイですから」
詩絵「牧師さんとかいらないんですか?」
伴内「最近は、人前式ってのが多いんですよ」
詩絵「人前式?」
伴内「まあ、いってみりゃ、なんでもありの結婚式です」
凌「その方が僕らにはいいかもしれません(と、愛に)な」
愛「(そう)かな」
淵脇「人前式ってのはなにが必要なの?」
伴内「人がいれば」
御手洗「人はいるじゃないですか、こんなに」
淵脇「これじゃあ、足りない?」
伴内「いえ、充分です」
ありあ「あの…」
伴内「はい」
ありあ「それ、混ぜてもらってもいいですか…私達」
真之輔「うわ、今、僕もおんなじこと考えてた!」
ありあ「いいよね…入籍はしたけど、式はまだなんです」
真之輔「ただ…僕ら、坊主と尼見習いですけど…そのへんは…」
伴内「大丈夫ですよ、人前式なら宗教にこだわりませんし」
真之輔「宗教にこだわらない、ありがたい」
伴内「立会人や演出のチョイスは新郎と新婦の自由自在です。誓いの言葉もも
ちろん好きなようにアレンジできます」
凌「ざっくり、どんな感じに進めるんですか?」
伴内「挙式の進行は、キリスト教式の流れに近いことが多いでけど…入場、ウ
ェディングドレス、指輪交換、宣誓、でもまあ基本的には自由です。ただ会場
のゲストを『立会人』とし『立会人』による結婚の承認が行われるのが特徴な
んです」
愛「だったら、すみません」
伴内「なんでしょう?」
愛「御手洗さんと龍田さんに是非、立会人代表を」
御手洗「俺?」
龍田「私?」
愛「是非お願いしたいんです、それで伴内さんには式の進行をお願いできます
か」
伴内「それはもう喜んで」
愛「それで二組の結婚式を…」
淵脇「三組になりませんかね」
香奈世「あんた!」
淵脇「二組やるのも三組やるのも、あんま変わんないんじゃないですかね(香
奈世に)ね」
香奈世「なにが、ね! だ!」
所沢「それはいいですね。お祝いしたいですねえ」
淵脇「(所沢に)ありがとうございます」
伴内「二組も三組も変わりありませんって、いうかおめでたいことは多い方が
いいですから」
淵脇「そうですよね(香奈世に)な、な、な」
香奈世「基本的には賛成だけど」
淵脇「基本的には? なにが不満?」
香奈世「なんか、なにかに便乗している感がちょっと」
愛「ドレス…せっかく、あの時、超かわいいの選んだのに」
凌「あれ、かわいかったよね」
所沢「どこにあるの? そのドレス」
愛「ミラコスタです」
所沢「あー」
愛「諦めます」
汐美「ブーケは?」
愛「諦めます」
龍田「バージンロードは?」
伴内「花嫁が歩けば、そこがバージンロードです」
淵脇「ご祝儀は?」
龍田「ご祝儀ね」
詩絵「お金ならここにあります」
淵脇「あ! そうだ」
詩絵「死ぬほどありますね」
愛「お金なんかいりません」
淵脇「いくらでも包むよ」
愛「お金の問題じゃないんです、気持ちだけで結構です」
所沢「なんかそれ、かっちょいい」
御手洗「ライスシャワーとかね」
伴内「ライスシャワー」
御手洗「やってあげたいなあ…」
龍田「ダメダメ、なんで米なんか撒くの! 米が今、一番重要なんだから」
御手洗「じゃあ、撒いたりすのは、なしってことで…」
詩絵「あ! お金ならこんなにありますよ」
氏神「ああ、そうか」
詩絵「お金撒きましょう、盛大に」
伴内「いいですね、お祝い事って感じがしますね」
汐美「ああ、やります、やります、私、お金撒く係やりまーす」
龍田「二階のあそこから降らせたらどうですか?」
真之輔「金が上から降ってくる結婚式」
ありあ「ああ…これがまだ円が暴落する前の結婚式だったらなあ」
香奈世「それは言わないお約束」
愛「音楽、流しても良いですか? 私のiPodから…」
御手洗「ああ、いいよ、いいよ、好きな曲しな。はい、かしこまりました(そ
して、真之輔とありあ、淵脇と香奈世に)宣誓の時、お名前をお呼びするので
フルネーム教えていただけますか」

●48.サイレンと空襲警報
  遠くでサイレンの音。
  ゥォォォォ…ゥォォォォ…ゥォォォォ…
愛「なに、これ?」
汐美「サイレン?」
凌「サイレンが鳴ってる…」
愛「これは…なんのサイレン?」
  と、女性のアナウンスが聞こえる。
アナ「空襲警報…空襲警報…これは大雨洪水警報ではありません、空襲警報で
す…繰り返します。空襲警報です…」
真之輔「空襲警報?」
龍田「こんなアナウンスが用意されていたなんて…」
所沢「いつこんな準備をしたんだ…」
汐美「これ、これ…みんな、ちょっとちゃんと聞いて(音が聞こえてくる天を
指さして)これ、これ、これですよ、すごくないですか?」
  アナウンスを聞いて、
汐美「私の声なんですよ…これ、私の声のお仕事デビューなんです」
一同「ええ…」
汐美「こんなアナウンス、いつ使うんだろうって思ってたんですけど、そう
か、こういう時に流すのか…でも、買い取りの割にはギャラが…」
  アナウンスを聞いて、
汐美「お仕事、繋がるといいな…」
淵脇「最初で最後のお仕事になるんじゃないか」
所沢「…空襲かあ」
氏神「なにが来るんだ」
淵脇「わからんよ」
伴内「戦争は下関で起きてると思ったのに」
淵脇「(凌に)戦争行かなくても済みそうじゃないか」
凌「(呆然と)ええ…」
所沢「向こうから来てくれるとはねえ」
真之輔「戦争に行く、戦争に行くって、ずっと考えてましたけどねえ…仕掛け
たら、そりゃ来ちゃいますよねえ」
  ゥォォォォ…
  ウオオオオ…
  サイレン、近づいてきている。

●49.空爆が始まり、結婚式も始まる
  空を飛ぶ戦闘機の音。
  ドドーン! という空爆の音。
氏神「どうします?」
淵脇「どうもこうも…今、やるべき事をやるだけだ」
伴内「ですよね」
御手洗「早いとこ、やりましょう」
伴内「では、これからの段取りを説明します…みなさんよく聞いてください」
一同「はい」
伴内「これは最も簡略化された、言ってみれば結婚式のエッセンスだけを取り
出したような結婚式です。私達に時間はありません、ですね」
一同「そうです!」
伴内「立会人代表の御手洗係長」
御手洗「はい」
伴内「龍田さん」
龍田「はい」
伴内「人前式においての誓いは、立会人代表の方が言う場合と、本人達が宣誓
する場合があるのですが、今回の場合、三組ですから、できたら立会人代表の
方がまとめて」
御手洗「かしこまりました」
伴内「できるんですか?」
御手洗「二回目の人前式で宣誓した言葉、覚えてますんで」
伴内「頼もしいです、ありがとうございます、お願いします。新郎のお三方」
凌・淵脇・真之輔「はい」
  と、伴内、待合席の階段を示し、
伴内「そちらにお立ちになっていてください」
真之輔「(動き出して)こっちですね」
淵脇「どのへんに、どう立てとかってのはあります」
伴内「こちらに二組、こちらに一組」
  待合席の上手(かみて)奥の上に真之輔、下に淵脇、そして、手前に凌が
立つ。
伴内「そこに向かって、新婦の方々」
愛・香奈世・ありあ「はい」
伴内「ゆっくりと上がっていって、並んでください」
愛・香奈世・ありあ「はい」
御手洗「(凌に)さあ、始めますよ」
  そして、真之輔に、
御手洗「いいですね」
真之輔「(丁寧に)よろしくお願いいたします」
御手洗「(淵脇に)よろしいですね」
淵脇「よろしくお願いいたします」
  サイレン、さっきより大きく、そして、ずっと鳴っている。
  すぐに花嫁入場の曲が流れ始める。
  サイレンの音、続いている。
  爆撃の音も続いている。
汐美「音楽ってこれなの?」
愛「これです、これがいいんです、これなんです!」
伴内「はい、新婦の方たち、新郎の元へ」

●50.新郎新婦三組が待合席の壇上へ
  ゆっくりと歩き出す新婦達。
  照明変化。
伴内「ここより先は、係長、お願いします」
御手洗「かしこまりました」
  そこにまたサイレン。
ウオオオオオオン…
さらに空爆の音。
ドドーン! ドドドドーン!
  ありあは真之輔の側へ、そして、愛は凌の側へ、香奈世は淵脇の側へ。
  御手洗は名前を書いてもらった紙を見ながら…

●51.人前式の宣誓
御手洗「ええ…富良野愛さんと守谷凌の二人、ええ…虎田真之輔と東雲ありあ
のお二人、そして、ええ…淵脇毅さんと塚守香奈世さんのお二人は、ここに皆
様の前で結婚における大切な三箇条誓っていただきます。一つ、相手を思いや
る気持ちを忘れませんか!」
愛・凌・ありあ・真之輔・香奈世・淵脇「忘れません!」
御手洗「幸せや喜びは共に分かち合って、悲しみや苦しみは共に乗り越えて、
人生を歩んでいくことを誓いますか?」
愛・凌・ありあ・真之輔・香奈世・淵脇「誓います!」
御手洗「笑顔の絶えない家庭を築きますか?」
愛・凌・ありあ・真之輔・香奈世・淵脇「築きます!」
御手洗「この誓いを胸に、これからの人生を力を合わせて歩んでことを誓いま
すか?」
愛・凌・ありあ・真之輔・香奈世・淵脇「誓います!」
御手洗「本当ですか!」
愛・凌・ありあ・真之輔・香奈世・淵脇「本当です!」
御手洗「本当に、本当に、本当ですか!」
愛・凌・ありあ・真之輔・香奈世・淵脇「本当に、本当に、本当です!」
  ドドーン! ドドーン! ドドーン!
激しくなる。
御手洗「おめでとうございましたー」
一同「おめでとうございましたぁ」
祝われる方「ありがとうございましたぁ」
御手洗「末永くお幸せにぃ」
祝われる方「ありがとうございます」
御手洗「ということで…俺はここで…」

●52.父親としての御手洗の使命
  と、御手洗、ドアの方に向かう。
龍田「どこ行くんですか、御手洗さん」
御手洗「外へ」
龍田「危険ですよ、外は御手洗さん!」
御手洗「息子を探しに、です。行かなきゃなんないんで…」
淵脇「働いている背中を見せたいって言ってた、あの子のこと?」
御手洗「そうです。空爆が始まったこんな時、一緒にいてやらなくて、なにが
父親ですか」
淵脇「迎えに?」
氏神「息子さんは小学校に?」
御手洗「小学校はもうずいぶん前から休校中です」
凌「では、どこに?」
御手洗「この時間、デモに参加しているはずです」
真之輔「デモ?」
御手洗「戦争反対叫ぶ、小学生だけのデモをやってるんです」
香奈世「小学生だけのデモ?」
淵脇「その子、幾つ?」
御手洗「小学二年生です」
淵脇「小学二年生っていうと何歳だ?」
香奈世「八歳ね」
真之輔「名前は?」
御手洗「大輝」
凌「ダイキ」
愛「御手洗大輝」
龍田「ちがいます、金井大輝です。奥さんの連れ子なんで、前のご主人の名字
なんです」
淵脇「金井大輝ね」
真之輔「金井大輝」
凌「金井大輝」
御手洗「大輝、今行く!」
淵脇「待ってください!」
御手洗「なんですか!」
淵脇「行きますよ、一緒に」
御手洗「いえ、これは私と大輝の…俺の家族の問題ですから…」
淵脇「そうはいかない…」
御手洗「なんですか!」
淵脇「今、我々は結婚式の司会を無理矢理お願いしてしまったわけですからね
え」
愛「私のせいですか!」
真之輔「あんたのせいじゃない」
愛「じゃあ…」
真之輔「みんなのせいだ」
氏神「僕も行きますよ」
御手洗「いや、でも…空襲されているんですよ」
氏神「自分はあなたが紹介してくれた…ドンキホーテを守るサンチョパンサの
一員です」
御手洗「何言ってるかわかりませんが」
淵脇「息子さん、どんな子なんですか?」
御手洗「思いやりがあって優しい子です」
真之輔「そうじゃなくて」
淵脇「見た目の特徴ですよ」
御手洗「見た目? な、なにを言えば?」
凌「背丈とか」
御手洗「背丈!(手で高さを示して)このくらいです」
凌「髪の毛とかは?」
御手洗「普通です」
淵脇「普通じゃわからん」
真之輔「なにか特徴を」
御手洗「スポーツ刈りです」
真之輔「髪はスポーツ刈り、背丈はこのくらい」
凌「だいたい小学生ってそんなもんでしょ」
氏神「他に特徴は?」
御手洗「他の特徴?」
淵脇「痩せてる? 太ってる?」
御手洗「痩せてます、ひょろっとしてます」
凌「眼鏡とかは?」
御手洗「かけてます」
淵脇「ん! まったくわからん!」
所沢「ですね」
淵脇「それだけでは、見つける自信がまったくない」
詩絵「写メとかないんですか?」
御手洗「写メ?」
詩絵「息子さんの」
御手洗「あります」
詩絵「待ち受けとかにしてないんですか?」
御手洗「してます」
  と、御手洗、携帯を開く。
御手洗「これです」
  全員がそれを覗く。
淵脇「わかった」
真之輔「これね」
凌「っしゃ!」
氏神「おっけー」
所沢「似てないですね」
御手洗「血は繋がってませんから!」

●53.それぞれの別れ
凌「(愛に)行ってくるよ」
愛「そう言うと思った」
凌「死んじゃうわけじゃない、すぐ戻るよ」
愛「すぐ戻るはダメ」
凌「なんで?」
愛「すぐ戻るは死亡フラグ」
凌「そうか」
愛「すぐ戻るはダメ…でも必ず、帰ってきて…」
凌「それも死亡フラグっぽいけどね」
愛「こんな話がいつか笑って出来る日が来ると信じてる…」
そして、ザムザの扉を片方、凌が、片方を氏神が開け、駆け抜けていく御
手洗達。
ありあ「私も」
真之輔「来なくていい」
ありあ「行きます」
真之輔「来なくていい」
ありあ「行きますって」
真之輔「来なくていい、おまえは生きて、遊べ…いいな。来世はもっと早く出
会おうな」
  そして出て行こうとする真之輔に、
詩絵「しんのすけさん…」
  足を止める真之輔、
詩絵「帰ってきたら『熱中症』ってゆっくり言ってくださいね」
  真之輔、ふっと笑って出て行く。
淵脇「よし!」
  と、立ち上がった淵脇。
淵脇「あ痛たた…膝に爆弾が…」
  淵脇、なに続けて言おうとするが、香奈世、それを遮って、
香奈世「いいから行きなさい」
淵脇「行ってくる」
所沢「行ってらっしゃい」
  しかし、所沢、振り返ると居残る女達の刺すような視線。
所沢「行ってきます…」

●54.残された女達
  男達が出て行った後…
  しばし、ドアの方向を見ていた女達、溜息をついて、それぞれが思い思い
の場所に…
  爆音、続いている。
  やがて…
香奈世「男達は戦場へ…残るは女…」
詩絵「つまんないの…」

●55.ダイヤモンドの残らんことを
愛「松明のごとく、
 われの身より火花の飛び散るとき、
 われ知らずや、
 わが身を焦がしつつ自由の身となれるを。
 もてるものは失わるべきさだめにあるを、
 残るはただ灰と、
 嵐のごとく深淵におちゆく、
 混迷のみなるを。
 永遠の勝利の暁に、
 灰の底深く、
 燦然たるダイヤモンドの残らんことを」
  ゆっくりと暗転していく。
  おしまい