『裏窓』

作・じんのひろあき

登場人物・武井 夏樹


冷蔵庫に足を挟まれて骨にひびの入った武井君。
外に出る事もままならず、毎日椅子に座って、双眼鏡で人の家ばかり覗いている。ヒッチコックの映
画『裏窓』と同じ状況である。

ホントこの女・・何枚パンツ持ってんだ・・盗まれても盗まれても・・・同じとこに干して・・バカか・
・今日もまた・・あの隣の中学生に持っていかれるとはつゆ知らず・・なんか、人の不幸が前もってわか
ってるって、神になった気分だよな・・

ああ・・ギブスの中が痒い・・痒い、痒い、痒い・・ああ・・あの冷蔵庫が憎い・・保証、出ないって言
ってたけど、見舞金が出たからな・・さすが虎の子引っ越しセンター3344の虎穴に虎の子よい引っ越
し・・だよな・・・・・・独り言ばっかだな・・・

あ・・パトカー来た・・なんだろ? 事件かな、事件かな・・(はっと気づいて)まさか・・下着ドロの
中学生捕まえに来たのかな・・マジかよ・・マジぴょん? そんな下着ドロをパトカー乗って逮捕しに来
たら、あいつの人生ここまでじゃない・・しまったあ、俺がもっと早くあいつを更生させときゃ良かった
・・しまったぁ・・一人の青少年の未来を、俺が摘み取ってしまったも同然じゃないか・・ああ・・こん
な事知らなきゃよかった・・知らなきゃこんな良心の呵責に悩まされなくって済んだのに・・

と、手を合わせて。

下着であいつの人生が・・・

と、パトカーの姿をずっと望遠鏡で追っているが・・パトカー停る気配もなくその前の道を通り過ぎ
ようとする。

あら・・パトカーどこ行くんだ? 違った・・ああ・・向こうの一軒家の方に停った・・なんだ・・なん
だ・・下着泥棒じゃないんだ・・ああ、よかった・・ああよかった・・これで一人の青少年が救われた・
・でも、あそこの家なんかあったのかな・・車いっぱい停ってるな・・覆面パトカー・・・なんだっけ・
・あそこの家・・名前、名前・・名字、名字・・いっつもあそこの前通る度に表札読むんだよな・・

ギプスの中が痒い・・結構引っかかる名前なんだよな・・・

このへん・・このへんが痒い・・この約2センチ下が痒いんだけど・・今の俺にとっては、この2センチ
は地球上のどこよりも、遠い場所なんだ・・・ああ、痒いとこに手は届かないし・・ここまででかかって
る名前は出てこない・・なんかこんなのばっかだな・・

掻くのを諦める。

鮫島さんだ・・鮫島さんちだ・・思い出したぞ・・鮫島さんちにパトカー大集合だ・・

と、また覗きを続けようとする。

あれ・・なんだあのマンション・・望遠鏡だ・・こっち見てる・・覗きかよ・・あ・・あ・・あ・・でか
いぞ、うちのより・・口径でかいよ・・あ、目が合っちゃった・・目が合っちゃったっているのかな・・
こういうの・・見てる・・見てる・・部屋の中まで見えるのかな・・気まずいな・・・興味あるのかな俺
に・・あるよな・・俺もこいつの事、いますごい興味あるもの・・どうしよう・・今、ここで目をそらし
たら、何かやましい事してると思われるかな・・精神力の勝負だな・・

気持ち悪いな・・人んちじっと覗き見するなんて・・・日本人はこういう時にむっつりおたがい黙ったま
・でいるから、コミュニケーションが取れないんだよな
・・・なんか、信号でも送ってみようかな・・・

と、辺りを見回してみると、ろくな物がなかったらしい。

白い物しかないな・・シーツといい、タオルといい・・・白い物いきなり振って、無条件降伏だと思われ
たらやだよな・・

ここで、ポケットから、包帯を取り出す。
しばしそれを眺めているが。
と、下着泥棒が今日もパンツを盗みにやって来たらしい・・
こっちは肉眼です。

あ・・ベランダに出て来た・・下着ドロの中学生・・

と、部屋の時計を見て。

早いな今日は・・学校早く終わったのかな・・あ・・待てよ・・そうか・・もう中学校って期末テストの
時期じゃないか・・・そうか・・中学高校が期末テストの頃って、デイリーアンもフロムAも薄くなるん
だよな・・みんなバイト始める頃だからな・・今シーズンは俺、虎の子引っ越しセンターに賭けてたんだ
けどな・・・このギブスが外れる頃なんて、ロクなバイトは残っちゃいねえぞ・・また大日本印刷か?

おい! 中学生! 今日はちょっとまずいぞ・・そこにパトカーがいる・・パトカーパトカー・・なんて
ここで叫んでも下着泥棒の耳には届かない・・なんか俺、愚かな民衆に向かって叫んでる神様の気分を今
味わってるよな・・

と、つい興奮して、手に持っていた包帯を振っていたことに気づいた。

あ・・白い物振っちゃった・・・無条件降伏しちゃった・・

ギブスの中が痒い・・

と、カシカシ、ギプスの上から足を掻く・・・
掻くのを諦める。

あれ? 向こうもなにか振ってるぞ! なんだ? あの赤い物は? なんで赤い物を振ってるんだ? 赤
ってどういう意味だ? まさか戦い挑んで来るわけじゃないよな・・・俺に宣戦布告か? しまった、神
経を逆なでしてしまった・・・

と、中学生の方を見て。

ああ・・それどころじゃないんだった・・こっちでは愚かな民衆が・・おーい!鮫島さんちで・・なにが
あったか知らないが・・パトカーが結集してるんだよ・・わかってないよな・・そうだよな・・わかって
たら絶対やんないよな・・・今日はまずいんだ・・・下着泥棒君! 君の知らないとこで、君はピンチに
落ちいってるんだよ・・ピ〜〜ンチ! ピ〜〜ンチ! 今日は思い直せ!

なにも今日じゃなくってもいいだろ・・パンツは明日も物干しに並ぶよ・・そんなに毎日毎日代えなくっ
たって・・穿いてるわけじゃないだろ・・

と、思い直して。

穿いてるのかな・・そうだよな・・毎日盗りに来るっていうのは履いてるって事だよな・・
よしわかった・・じゃあ早く・・早く・・ベランダから手を伸ばしてると・・時間かかってしょうがない
だろ・・そうじゃなくって・・・もう体ごと飛び込んじゃえばいいのに・・・はやく、はやく、はやく・
・なんか俺、当事者よりも焦ってるな・・

よーし、いけいけ・・おい、おい、なにやってるんだ・・欲ばるんじゃない・・欲ばって良い事はないん
だぞ・・今日使う分だけ盗ったらさっさと引きあげるんだ・・・選んでる場合じゃないだろ・・選ぶな!
選ぶな! こら、中学生、おまえにそんな権利はな〜い!

ああ! 通じた・・俺の祈りが通じた・・そうだ・・そうだ・・早く引きあげろ・・

よし・・よし・・よし・・

と、突然。

なにやってんだ! ズボンをベランダの観葉植物に引っかけてどうする・・そんなに俺をはらはらさせた
いか! このエンターティナーめ! はずせ、はずせ・・早くはずせ! なにやってんだ・・こら・・せ
っかく盗って来たパンツを手放すんじゃない! なにしに行ったかわかんないだろ!

ああ・・ああ・・・・あああ・・・・・ああ・・あああ・・・・ああ・・駄目だ・・今度は俺の祈りが通
じない・・

と、覗き男の方を見る。

あれ? 今度は白も振ってる・・赤挙げて? 白挙げて? 何だ・・手旗信号か?・・わかんないな・・

でも、答えなきゃまずいよな・・いいや・・振ってみよう・・

と、めちゃくちゃに振る。

チャッ!チャッ!チャッ!・・・チャッ!チャッ!チャッ!・・・チャッ!チャッ!チャッ!・・・

おお・・やった・・やった・・・よし、よし、よし、よし・・・この時代に・・こんな方法で・・コミニ
ュケーションが取れるんだ! わかりあえるんだ!

中学生はどうした? (と見る)まだ、引っかかったままじゃねえか! 手摺越えてどうするつもりだ
・・パンツは離すな! もうちょい! もうちょい! いかん、焦るな・・焦るな・・あ! 落ちた・・
・(強く)落ちた!

中学生! 大丈夫か? ああ・・見えない、見えない・・・植え込みが邪魔で見えない・・あ・・・あ・
・・ああ(呆然と見ている)・・・・

が、まだ向こうの覗き男は、紅白を振っているよう。

まだ振ってる赤と白・・・・必死に振ってる・・・狂ったように振ってるな・・よっぽどコミュニケーシ
ョン出来て嬉しいのかな・・踊ってるぞ・・チアガールみたいに・・こっちはそういう心境じゃないんだ
よ・・・
この気持ちどうやって伝えればいいんだよ・・・(白、振って)これでどこまで表現出来るかな・・・し
かし、この通信方法、原始的にも程があるな・・

と、その白を振りながら、中学生の方を気にしている。

あいつ、パンツ握ったまま、地面に突き刺さって死んでたらどうしよう・・孫の代まで笑い者だぞ・・で
もここであいつ死んじゃったら、孫なんて出来ないよな・・・・
孫と言えば・・小学生とか、幼児がベランダから落ちて掠り傷ですんだって話は聞くけど・・中学生だか
らな・・・見に行きたいな・・・松葉杖ついていこうかな・・待てよ・・それで死んでたらどうしよう・
・俺が第一発見者になっちゃうな・・・たまたま通りかかる・・ところじゃないよな・・あんなとこ・・


ああ・・俺が・・この足さえなんともなかったら・・・あいつをこんな酷い人生にする事もなかったのに
・・ああ・・・涙が出てきちゃった。

と、覗き男の方を見る。

まだ踊ってる・・こっちじゃ中学生がパンツ握ったまま死んでるのに・・こっちでは赤と白のタオル持っ
た男が、チアガールみたいに踊ってる・・・・・(味わうように)世紀末だな・・

動きが止まった・・・俺の返事を待ってるのかな・・ああ・・なんて返事しよう・・とりあえず事情の説
明だ・・パンツ泥の中学生が・・ああ・・駄目だ・・のっけから難しい・・・

と、中学生を見て。

やっぱり俺、勇気だして、第一発見者になろうかな・・

と、覗き男の方を見て。

もうやめてくれ、やめろ、赤と白挙げながら、俺に向かって踊らないでくれ・・・

踊り、全然おさまんないよう・・

だめだ・・通じない・・これが・・死者を送る踊りになってしまった・・

と、植え込みがザワザワとそよぎ、中学生の姿が見えた。

あの中学生の手向けの・・・あれ? 生きてた!

と、しばし感動のあまり、言葉を失っている。

生きていた・・! 今、植え込みの間から・・・這って出てきました・・無事か? 無事か? そして・
・そして・・そして・・体の土を払いながら、立ち上がった・・今立ち上がりました・・

と、ここで武井君も思わず立ってしまう。

パンツは? おお! パンツも手に持ったままです・・しっかりと・・その手に、盗んだパンツを握り締
めています!不死身のパンツ泥・・奇跡の生還です・・

と、自分が立っている事にきづいた。

あ・・立てた・・俺、立って歩けた・・・

暗転。