『マチコ』

作・じんのひろあき

登場人物・氏家 真知子


そこはタクシーの中。
マチコが後席に乗っている。

いえ・・・いえ・・知りません・・・知りませんよそんなの・・なんですか?

(飽きれて)そんなの・・人違いですよ・・なんですか?人違いじゃありませんか・・・
運転手さん・・この道じゃないですよ・・運転手さん・・運転手さん・・
この道行くと・・百合ケ丘に出ちゃいますよ・・
待って下さい・・どういう事なんですか? 似て
るんですか? 私がそのタクシー強盗に・・
いるんですか? 女のタクシー強盗って・・
二年前・・・?
いくら取られたんですか? 売り上げ? 五万円・・(なんだ、という感じで)五万円ですか?

それと?

驚いた。

すごい傷ですね・・これ・・鋭い物でスパッと切られた傷ですね・・でも・・これくらいだったら・・整
形外科医で消してくれますよ・・

・・運転手さん・・運転手さん、人違いですよ・・私、普通の女ですから・・
だいたい失礼じゃないですか、お客をタクシー強盗呼ばわりするなんて・・

だって私・・だって私・・二年前と顔が少し違いますから・・・違うんですよ・・少し・・きっと別人で
すよ・・タクシー強盗は・・
本当ですよ・・・ええ・・ええ・・だいぶ違うんですよ・・・
そんな事言わせないで下さいよ・・
少し・・ええ・・少しいじったんです・・

顔の一部を示して。

この辺を・・ちょっと・・
だから・・・違いますよ・・人違いですよ・・

でも、よく覚えてますね・・そんな二年も前の人の顔を・・
どこに行くんですか・・今、どこを走ってるんですか? 道が違いますよ・・停めて下さい・・何て説明
すればいいんですか? 違いますよ・・人違いですよ・・いいかげんにして下さい・・運転手さん・・

私はタクシー強盗なんてした事ないんです・・知りません・・知りませんよ・・本当です・・
そんな傷も知りません・・

停めて下さい・・停めて下さい・・どこでもいいですから・・

ええ・・ここでいいです・・停めて下さい・・停めて下さい・・
嫌ですよ・・なんで私が警察なんかに行かなきゃなんないんですか・・やましい事はありませんよ・・あ
りませんけど・・警察なんかには行きたくないでしょう・・誰だって・・

ねえ・・そうでしょう・・停めて下さい・・
ええ・・百合ケ丘でも構いません・・また別のタクシーを拾いますから・・・

どういう事ですか? 逃げられないって・・・私・・降りますよ・・走ってるタクシーからだって・・
そりゃ確かに・・病院に行けば、どこをどういじったかっていうカルテは残っていますけどね・・そんな
の・・見せられるわけないでしょう・・人に・・言えません・・病院の名前は・・絶対に・・
運転手さん・・本当に・・私ですか?
よく見て下さい・・本当に私なんですか?

東京にどれだけタクシーがあるか知りませんが、タクシー強盗した女が、二年後に同じタクシーに乗り合
わせるなんて・・そんな話、誰が信じるんですか・・

いえ・・見おぼえなんて・・タクシーなんてみんな同じに見えますよ・・
カミソリですか・・・絶対安全カミソリを首筋に当てられて・・しばらく走れって言われたんですか?
そういう手口なんですか・・・
じゃあ・・私はなおさら今警察なんかには行けませんよ・・
やだなあ・・だって・・だって、私、今、カミソリ持ってますから・・
見せしましょうか?

と、どこからか、カミソリを取り出すまちこ。

持ってますよ・・カミソリくらい・・でも、だからといって私がその二年前のタクシー強盗だったとは言
い切れないでしょう?
ねえ・・運転手さん・・運転手さん・・・

と、そのカミソリを運転手の首筋に当てるようにして。

停めて下さい・・運転手さん・・私はこのまま運転手さんにつき合うわけにも行きません・・停めて下さ
い・・警察に連れて行くつもりなんでしょう? でも、私はそんなとこには行きたくないんです・・
早く停めて・・妙な動きをしないで下さいね・・切ってしまうかもしれませんから・・
そうです・・そこでいいです・・
ええ・・ええ・・やっと・・停りましたね・・
私ここで降ります・・もう・・私にかかわらないで下さい・・私の事を忘れて下さい・・忘れてもらえま
すね・・運転手さん・・運転手さん・・

もう・・二年になるんですね・・

と、まちこ、運転手の首筋に当てたカミソリをゆっくりと手前に引いた。

暗転。

『我々もまた世界の中心』トップに戻る